この前書いた、大山のぶ代時代の「ドラえもん」VHS録画をDVD-RAMに移す作業は、今日でようやく1996年の通常放送分が全て完了した。これで、後はクリスマスと大晦日の特番を残すのみだ。
さて、前回トラックバックを頂いた「藤子系ブログ。―Futaride hitori」のエントリに刺激されて、「ドラえもん」の提供画面がいつからイラスト入りに変わったかを録画が残っている範囲で調べてみた。
結果としては、最後にブルーバック提供が確認できたのが1996年5月3日放送分、イラスト入り提供の付いていた最初の回は同年7月19日放送分だったので、この間に切り替わったようだ。
その提供画面は、以下の二つ。前提供と後提供で、絵が違う。
左・前提供、右・後提供
既存の映像の流用で、前提供は1995年12月30日放送「冬休みだよ!ドラえもんスペシャル」のブリッジ新作アニメから。この4人がおびえているのは、年末大売り出しの抽選でジャイアンが小型カラオケセットを手に入れて、歌おうとしている場面だから。よりによって、なんでこんな暗~い絵を提供に使ったのか、実に不思議だ。
後提供の絵は、どこから持ってきたものなのかが確認できなかった。絵柄から、1995年前後の放送分だとは思うのだが、心当たりをチェックした範囲では該当する場面が見つからなかった。
この組み合わせによる提供絵は、1999年2月5日放送分まで2年半もの間使われていた。
これまで、「ドラちゃんのおへや」のアニメデータには、提供絵に関する情報は一切記載していなかったが、これはデータをまとめた当時、私が提供部分を重要視していなかったせいだ。今後、ビデオテープのコピー作業に合わせて提供絵の変遷を確認し、データとして掲載したい。
ところで、1996年と言えば、ドラ・藤子ファンには絶対に避けて通れない重要な出来事があった。言うまでもなく、藤子・F・不二雄先生が亡くなられた年だ。
しかし、「ドラえもん」テレビアニメの放送では、訃報には触れられていない。F先生の亡くなる3日前、9月20日に秋の特番があり、その次の通常放送が10月11日と間があいたためだ。
追悼に関しては、この間に映画「のび太の日本誕生」が放送され、番組最後には追悼メッセージも流れた。また番組内では「日本誕生」だけでなく、映画「2112年ドラえもん誕生」よりF先生自身がナレーションを務めている場面も一部放映されていた。この番組、録画していたと思って探したのだが、残念ながら見つからなかった。どこへ行ったのだろう。
代わりと言ってはなんだが、F先生の亡くなった翌日、9月24日に放映された「モジャ公」第50話EDの追悼メッセージは確認できたので、載せておく。「つつしんでごめいふくをおいのりします」の下に、「じゃあね 元気でねまた明日」とは洒落にならないのでは、と思ってしまった。
そう言えば、「モジャ公」も、今回DVD-RAMにコピーした大山ドラと同じ時期、1995~97年にかけて放映されていた。一応、全話録画してはいるのだが、はっきり言ってわざわざDVD-RAMに移してまで残しておく気にはなれない。少なくとも、私にとってはアニメ版「モジャ公」は、そんな作品だ。「モジャ公」の原作が好きな方には、わかっていただけるのではないだろうか。
じゃあ、なぜ全話録画したのかと聞かれると、意地になっていたとしか答えようがない。ちなみに、1996年3月までは、テレ東系列でテレビ愛知だけ平日18時30分~19時枠がローカル編成だったため、「モジャ公」は第25話まで土曜19時から放映されていた。たまたま、その時期の番宣がビデオに残っていたので、紹介しておく。
「7:35」と時刻表示が入っている事からわかるように、これは朝に放送されたもの。よりによってと言うべきか、「新世紀エヴァンゲリオン」の番組開始前に流れたものがたまたま録画されていたのだ。「モジャ公」をゴールデンタイムに流す一方で「エヴァ」を朝っぱらから放映していたのだから、当時のテレビ愛知は無茶な編成をしていたものだ。
それにしても、「ドラえもん」や「モジャ公」のように毎回キッチリ録っていたテープより、色々な番組がごちゃまぜで残っているテープの方が、後から観返すと面白い。こちらの方が、番宣やCM、提供などもちゃんと残っているし。今回も、ついつい時間を忘れて見入ってしまい、このエントリを書くまでにずいぶん時間を使ってしまった。
さて、前回トラックバックを頂いた「藤子系ブログ。―Futaride hitori」のエントリに刺激されて、「ドラえもん」の提供画面がいつからイラスト入りに変わったかを録画が残っている範囲で調べてみた。
結果としては、最後にブルーバック提供が確認できたのが1996年5月3日放送分、イラスト入り提供の付いていた最初の回は同年7月19日放送分だったので、この間に切り替わったようだ。
その提供画面は、以下の二つ。前提供と後提供で、絵が違う。
左・前提供、右・後提供
既存の映像の流用で、前提供は1995年12月30日放送「冬休みだよ!ドラえもんスペシャル」のブリッジ新作アニメから。この4人がおびえているのは、年末大売り出しの抽選でジャイアンが小型カラオケセットを手に入れて、歌おうとしている場面だから。よりによって、なんでこんな暗~い絵を提供に使ったのか、実に不思議だ。
後提供の絵は、どこから持ってきたものなのかが確認できなかった。絵柄から、1995年前後の放送分だとは思うのだが、心当たりをチェックした範囲では該当する場面が見つからなかった。
この組み合わせによる提供絵は、1999年2月5日放送分まで2年半もの間使われていた。
これまで、「ドラちゃんのおへや」のアニメデータには、提供絵に関する情報は一切記載していなかったが、これはデータをまとめた当時、私が提供部分を重要視していなかったせいだ。今後、ビデオテープのコピー作業に合わせて提供絵の変遷を確認し、データとして掲載したい。
ところで、1996年と言えば、ドラ・藤子ファンには絶対に避けて通れない重要な出来事があった。言うまでもなく、藤子・F・不二雄先生が亡くなられた年だ。
しかし、「ドラえもん」テレビアニメの放送では、訃報には触れられていない。F先生の亡くなる3日前、9月20日に秋の特番があり、その次の通常放送が10月11日と間があいたためだ。
追悼に関しては、この間に映画「のび太の日本誕生」が放送され、番組最後には追悼メッセージも流れた。また番組内では「日本誕生」だけでなく、映画「2112年ドラえもん誕生」よりF先生自身がナレーションを務めている場面も一部放映されていた。この番組、録画していたと思って探したのだが、残念ながら見つからなかった。どこへ行ったのだろう。
代わりと言ってはなんだが、F先生の亡くなった翌日、9月24日に放映された「モジャ公」第50話EDの追悼メッセージは確認できたので、載せておく。「つつしんでごめいふくをおいのりします」の下に、「じゃあね 元気でねまた明日」とは洒落にならないのでは、と思ってしまった。
そう言えば、「モジャ公」も、今回DVD-RAMにコピーした大山ドラと同じ時期、1995~97年にかけて放映されていた。一応、全話録画してはいるのだが、はっきり言ってわざわざDVD-RAMに移してまで残しておく気にはなれない。少なくとも、私にとってはアニメ版「モジャ公」は、そんな作品だ。「モジャ公」の原作が好きな方には、わかっていただけるのではないだろうか。
じゃあ、なぜ全話録画したのかと聞かれると、意地になっていたとしか答えようがない。ちなみに、1996年3月までは、テレ東系列でテレビ愛知だけ平日18時30分~19時枠がローカル編成だったため、「モジャ公」は第25話まで土曜19時から放映されていた。たまたま、その時期の番宣がビデオに残っていたので、紹介しておく。
「7:35」と時刻表示が入っている事からわかるように、これは朝に放送されたもの。よりによってと言うべきか、「新世紀エヴァンゲリオン」の番組開始前に流れたものがたまたま録画されていたのだ。「モジャ公」をゴールデンタイムに流す一方で「エヴァ」を朝っぱらから放映していたのだから、当時のテレビ愛知は無茶な編成をしていたものだ。
それにしても、「ドラえもん」や「モジャ公」のように毎回キッチリ録っていたテープより、色々な番組がごちゃまぜで残っているテープの方が、後から観返すと面白い。こちらの方が、番宣やCM、提供などもちゃんと残っているし。今回も、ついつい時間を忘れて見入ってしまい、このエントリを書くまでにずいぶん時間を使ってしまった。
僕自身、今まで殆どROMだけだったのですが、おおはたさんの『ドラちゃんのおへや』・『はなバルーンblog』は以前から拝見しておりまして、当ブログ制作のきっかけにもなりました。
新米ですが、ブログ制作を頑張ろうと思いますので、よろしくお願いします。
こちらこそ、トラックバックをありがとうございます。ドラの次回予告と提供絵の変遷については今まで私は軽視していましたので、記事は非常に興味深く拝見させていただきました。
それに、若い世代で熱心に活動されている藤子ファンの方がいらっしゃるのだと知る事が出来て、嬉しかったです。今後とも、ぜひよろしくお願いします。
さっそく当該話を確認してみようと思って、録画を探したのですが、なんと「ウラシマキャンデー」の録画が見当たりませんでした。非常に残念です。
しかし、作画から見て「ウラシマキャンデー」の放映された1992年頃の作品なのは間違いないと思います。