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『ダスト18』ついに刊行

2018-07-16 19:55:18 | 手塚治虫
 先日、手塚治虫『ダスト18』が、立東舎から刊行された。





 と言っても、「『ダスト18』って?」と言う人も多いのではないだろうか。数多くある手塚作品の中でもマイナーな部類に入ると思う。
 しかも、これまで『ダスト18』というタイトルで単行本が出たことはない。今までに出た単行本では全て『ダスト8』となっており、タイトルだけではなく内容にも大きな違いがある。

 この作品は、元々『ダスト18』のタイトルで週刊少年サンデーに連載された。内容としては、「生命の石」を手に入れた18人の生と死のドラマを描く…はずであった。本来は。
 しかし、不人気だったのか、連載は「ダストNo.6」、つまり6人目までが描かれたところで終了してしまう。それを、「手塚治虫漫画全集」に収録するにあたって、「8人の生と死のドラマ」に改めたのが『ダスト8』というわけなのだ。
 18人の話を8人にするにあたって、当然のごとく多くの改変がなされているし、そもそも連載では6人までしか描かれていないため、「手塚治虫漫画全集」版では「ダストNo.7」が描き下ろされたほか、連載の「ダストNo.4」を二つの話に分割することによって、「ダストNo.1」~「ダストNo.8」の8つのエピソードとしている。
 そこまでしてなぜ「8」にこだわったのかは、よくわからない。連載版に近い内容で単行本化して『ダスト6』というタイトルにしてしまうという手もあっただろう。そうせずにあえて『ダスト8』にしたのは、手塚先生なりの何らかのこだわりがあったからなのだろう。

 私は、全集で『ダスト8』を読んで、元の『ダスト18』にも興味を持って、図書館で初出誌を読んだことがある。
 だから、『ダスト18』を今回初めて読むというわけではないのだが、それでも「コラージュ方式」で最大限、原稿を活かした編集方針により、綺麗な状態でこの作品を読めるのは、実にありがたい。

 『ダスト8』と『ダスト18』を読み比べると、狂言回しである二匹のキキモラの行動、特にオスの「ムー」(『ダスト8』版では名前なし)については、『ダスト18』の方が一貫性がある気がする。『ダスト8』版では、メスと「夫婦だから」という理由で何となく付いてきて何となくつかず離れずの行動をしているように見えるのだ。
 やはり、『ダスト18』→『ダスト8』に組み立て直す上で、無理が生じたのではなかろうか。
 結末に関しても、『ダスト18』版は確かに12人も石を残していて尻切れトンボなのだが、「時間を戻して何もかもなかったことにする」と言う『ダスト8』のオチも、あんまりな気もする。8人目まで石を取ったところで、他に結末の付けようはなかったのだろうか。

 とは言え、これはあくまで私の感想だ。今や、誰もが『ダスト8』と『ダスト18』を読み比べられるようになった。
 「手塚治虫の編集癖」を、非常にわかりやすい形で知ることが出来る作品なので、ぜひ多くの人に『ダスト18』を読んでいただきたい。

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