ベランダに梅雨風注ぐ端居かな
三月二十日過ぎの春分の日が過ぎて三ヶ月たった。。今日六月二十一日は一年で昼の長さがもっとも長い「夏至の日」である。これから秋分の日九月の二十日以降まで少しずつ日が短くなっていくのだろう。今日は昨日に続き曇ってはいますが梅雨が明けたような風のある涼しい日となる。昨夜は何だかよく眠れなく、朝方になって熟睡したため、寝坊してしまい、朝の歩行が出来なかったので午前十時過ぎに歩行運動に出掛けた。下着からビッショリに濡れたので、軽くシャワーで汗を流してベランダへ出ると梅雨時期の生ぬるい独特のにおいが辺りを漂っていましたが、涼しさがあり、その上微風があいまって気持ちの良い端居だった。「端居」は私が初めて詠った夏の季語だ。歳時記には「日陰の縁先に出て涼むこと」とあった。ネットで詳しくは、縁側などに出て涼を求めてくつろぐこと。「端」とは家屋の端で、つまり縁側のよう なところ。夜分とは限らないが、夕方や夜のことが多い。風呂から上がって浴衣に着替え、 涼しい風にあたって ...とあった。私の家は縁側などと言う懐かしいしゃれた場所が無いので、ベランダで涼んだ。また、端居と類似季語に「納涼」がある。夕方や夜のことが多い。風呂から上がって浴衣に着替え、涼しい風にあたってほっとするひとときである。「納涼(すずみ)」は外に出て涼を求めることが多いが、端居は家にいて涼を得るのである。 子規の句に瓜や糸瓜の句が多いが、こんな句がある「瓜盗むこともわすれて涼みけり」のユーモアの句である。また、其角の句に「夕すずみよくぞ男に生れけり」
等が有名である。そこで一句夕涼み祖父の顔に仏住む」明治の気骨ある怖い顔が、夕涼みによって祖父の顔が仏が宿った顔に見えたことを思い出した。