浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

子どもの名前を考える

2005年08月31日 | 日常

名前ついでに、子どもの名前について考えて見ましょう。

僕に息子が生まれたとき、名前はパートナーと二人で考えましたが、最終的には僕が考えた名前に決定しました。その時に色々と考えたのは、「名前に意味が込められているか」「画数は良いか」「優しい発音になるか」「ありきたりの名前ではないか」などでした。

結局、初めて会った人には、まず正しく呼んでもらえないような名前になってしまいましたが、名前をつけた僕は気に入っています。ただ、問題なのは本人が気に入るかどうかなんですよね。今のところ、気に入ってくれているようですが、成長の過程で文句を言う日がくるのでしょうか?

最近、命名の本がたくさん出ています。そして、個性的な名前の子も増えてきています。それこそ、漫画の世界の名前のような子も沢山居ます。

例えば、「月」と書いて「ルナ」と読ませたり、「王」と書いて「キング」と読ませたりするみたいです。サッカーに因んで「シュート」とか「キック」なんて名前の人もいるみたいです。2年ほど前の4月7日には「アトム」という名前が話題になりました。(鉄腕アトムの誕生日なので・・・)

しかし、彼らが大人になったときに、会社面接などで「村上キックです」とか「岡野キングです」と自己紹介するのだろうかと想像してしまいました。

う~ん、僕は時代の流れについていけるだろうか・・・?


台風の名前

2005年08月30日 | 日常

広島県因島に住んでいると、なかなか台風の被害に遭うことは少ないです。せいぜい、年に1~3回くらいでしょうか。それが、昨年は非常に多かったように思います。昨年は日本列島に10個の台風が上陸したらしいのですが、そのうちの何個が瀬戸内海にやってきたのでしょうか?

床上・床下浸水や家屋の損傷など、大変な被害があったのを覚えています。ただ、知り合いに教えてもらったところ、台風は悪いことばかりではなく、雨をもたらし、海を浄化し、様々なものを運んでいくそうです。(それは良いものも悪いものも含めてでしょうが)。この夏の終わりから秋にかけてが、台風が日本列島に近づく季節ですので、その動きに注目したいです。

そう思って「台風情報」を見てみました。どうやら台風13号が沖縄の方に向かっているようです。沖縄は台風の通り道になることが多いから大変だろうなぁ。

フッと、台風の強さなどを見ていると「アジア名 TALIM(タリム)」と書いてあるではないですか。えぇ~、台風にも名前があったんですか!知らなかった・・・。ハリケーンなどには名前がついているのは知っていたのですが、台風は1号・2号・・・と発生した順番に呼んでいくものだと思っていました。迂闊でした。

ということで、気象庁のホームページ(←ココをクリックすると見れます)を見てみました。へぇ~、こういうふうに名前をつけるんですね。しかし、日本のつけている「ウサギ」や「トカゲ」ってどうなんでしょう?ましてや「コップ」って・・・・。

ちょっとだけ新しい発見をした日でした。


小早楽しい

2005年08月28日 | 因島

海まつりの記事を書いたので、水軍まつりのことは書かないようにしようと思っていたのですが、初めて参加した小早レースがあまりにも楽しかったので、少しだけ・・。

今日は「小早レース」のある水軍まつり~海まつり~が行なわれました。僕の参加させてもらっているチームは予選で3チーム中2位で、残念ながら準決勝に進むことは出来ませんでした。しかし、午後から行なわれた順位決定戦で6チーム中1位となり、結果30チーム中19位という成績でした。この結果だけを聞くと、「大したことないじゃないか」と思いますが、僕たちは満足です。誰も手を抜かずに漕いだ結果が19位だったんですから。

それは一つでも上位の方が嬉しいのは間違いないのですが、今の僕にとっては「小早は楽しかった、また漕ぎたい」という想いがあるので、それだけで十分です。

僕たちのレースの後に行なわれた決勝戦は、素晴らしかったです。自分のレースではないのに感動してしまいました。僕の応援していた”ごんべ”が優勝できなかったのは残念ですが、優勝したチームも決してまぐれで優勝したわけではなく、しっかり練習してきた結果が優勝ですから、称えたいと思います。

この小早に参加して思ったことは、参加チームが大会運営を手伝ったり、準備・後片付けを手伝ったりして、自分たちが大会を大切にしているのが伝わってきたこと。そして、自分のチームではなくても応援し、拍手をおくり称えていること。素晴らしいまつりだと感じました。地元(因島)育ちなのに今まで知らなかった自分が悔しいです。

小早の素晴らしさを伝えてくれた「賢司です・・・blog」や「因島のあゆblog」に感謝です。皆さん、お疲れ様でした。


水軍まつり~海まつり~

2005年08月26日 | 因島

この週末(8/27・28)に「いんのしま水軍まつり」が行なわれます。たぶん、実際に祭りが終わってからは、沢山のブログやHPでその模様が紹介されるでしょうから、僕は一足先に書いておきます。

水軍祭りは、7月末の「島まつり」とこの週末の「火まつり」「海まつり」の3日間行なわれています。今までの僕の生活では、メインは火まつりのときに行なわれる花火打ち上げでした。毎年、これを先輩のところにお邪魔して、特等席(本当に正面に花火がみえる)で見させてもらっています。

しかし、今年のメインは海まつりの小早レースになりそうです。正直なところ、その存在は知っていましたが、いつもサッカーの試合と重なり、観に行ったことがありません。ましてや自分が参加するなんて考えたこともありませんでした。去年から福祉業界のチームで参加しようと誘われましたが、手首を骨折して断念し、今年もそんなに乗り気ではありませんでした。普段どおりだったら、断っていたと思います。

ただ、今年はこのブログで賢司さんと出会ってから、引きずられるように小早を漕ぐようになってしまいました。(笑)実際に練習で漕いでみると、かなり面白いです。まあ、チームの力量が僕の力量に合っていたというのもありますが、周りから「hamatokoくんは小早にハマっている」と言われても、全然悪い気がしないです。それくらい楽しんでいます。

今日は最後の練習日でしたが、優勝候補のチームも練習を行なっていました。明らかに僕たちとは違います。あれが本当の小早なんだろうなと感じました。でも僕たちのチームも皆さん手を抜かずに練習していますので、本番も楽しめる(結果はともかくとして)のではないかと思っています。

今まで行ったことすらないですから、どんな要領なのかも分かりませんが、初めて味わう「海まつり」がどんなものなのか、今から楽しみです。


バリアフリー

2005年08月25日 | 福祉

数年前からバリアフリーという言葉が世間に広まっています。そこで言われるバリアフリー(barrier free)は「段差を無くすこと」といった意味で語られることが多いようです。或いは、「障がい者が過ごしやすい環境」と考えられることが多いです。

この言葉自体は、1974年の国連・障害者生活環境専門家会議報告書「バリアフリーデザイン」から端を発し、日本では当時の建設省が公団住宅で「段差のない住宅」として取り組んだそうです。だから、上記の「段差を無くすこと」は間違いではありません。

しかし、本来のバリアフリーとは「burrier(障害・障壁)がfree(自由な・解放された)」という意味ですから「人が不自由なく活動ができる環境」と考えるべきです。つまり、障がい者のみが過ごしやすい環境ではなく、そこに住んでいる人すべてが過ごしやすい環境となります。

もちろん、バリアフリーと呼べる環境というのは人それぞれによって違います。
車イスに乗っている人にとっては、段差や階段という障壁が取り除かれたスロープやエレベーターがある環境だったり、さらに活動範囲を広げるために介護車両等を利用すること状況がバリアフリーです。また、目の見えない人にとっては、目が見えなくても活動ができるような点字や、音の情報の整った環境がバリアフリーとなります。或いは障がいを持たない(と思われる)人にとっては、低すぎる洗面台などはバリアかもしれません。

そして、一番大切なのは、環境面だけでなく、人の考え方としてのバリアフリーだろうなぁと思っています。


その道の先に

2005年08月24日 | こども

僕には6歳の息子が居ます。僕が彼くらい頃の行動範囲といえば、せいぜい半径100メートルでした。近所の友達の家に遊びに行ったり、近くの空き地で野球の仲間に入れてもらったり、子どもの遊びは全て近所で事足りていたのです。その範囲を超えて出掛ける時には必ず親や兄が一緒だったので、ただついて行くだけでした。

僕が遊びの範囲の境界線にしていたのは、大きな県道でした。幼い僕は、その先に何があるのかすごく怖く、でも興味を抱いていたのを覚えています。その道の先には何があるんだろう。

大人になった今、行動範囲も広がり、様々な経験をし、学び、その道の先を容易に想像してしまいます。その先に夢を抱くことの無い自分がいるのです。

僕の息子は、今その道の先に夢を抱いています。それはお友達の家があったり、外国があったり、テレビの中の世界があったりします。僕がいつしか忘れてしまったモノです。

僕も息子と歩くことで、その道の先を歩く感動を思い出したいです。


申し合わせ一方通行

2005年08月23日 | 因島

因島の中にスカイラインという道路がある。ただ、この道の途中の場所で6月の大雨の際に土砂崩れがあったらしく、現在は通行止めになっている。しかし、その先にある町に用事があって出掛けなければならない。一応、迂回路があるのだが、急な坂道であり、またカーブも急な山道であるため大きな車は通りづらいと思う。でも、今日のところ仕方なくその道を往くことにした。そこで見たのが、これです。

SA270105

「申し合わせ一方通行」です。確かに正面に延びている道は細く、車が一台通ると対向車が来た時に大変である。そこで横道に逸れて進むわけである。

ただ、残念なことに僕は誰とも申し合わせた記憶がありません・・・。(えっ、そんな意味じゃない?)


Jリーグ下部組織からの旅立ち

2005年08月23日 | スポーツ

以前、Jリーグに加盟しているチームは必ず下部組織を持たなければならないということを書きました。広島県にはサンフレッチェ広島というチームがありますが、ここもユース(18歳以下)が1チーム、ジュニアユース(15歳以下)が4チームあります。(1チームは広島県外)

1チーム1学年15人くらいとして、4チームだから60人。ユースも1学年が10人余りです。さらに他のチームからも選考会に参加する選手がいるわけだから、狭き門と言えるかもしれません。ということはですよ、ジュニアユースに所属していた選手が全員ユースに上がれるわけではないのです。今までの傾向を見てみると、毎年5人前後くらいしか昇格していないです。

今年の中学3年生からは誰が昇格するのでしょうか?サンフレ広島から2~4人、サンフレびんごから2~3人、サンフレみろくから0~2人、サンフレくにびきから1人くらいでしょうか?

ただ考えてもらいたいのです。サンフレッチェのユース(18歳以下)に入ることがプロへの近道であることは間違いありません。しかし、実際に高校サッカーを経てプロになる選手も数多くいます。例えば、中村俊輔選手などは横浜マリノスのジュニアユースでしたが、ユースに昇格できず高校サッカーを経て、今や日本を代表する選手になりました。

現在の広島県の高校サッカー界で言えば、皆実高校には18歳以下日本代表に選ばれている森重真人選手もいますし、16歳以下日本代表に選ばれている加藤昂選手、高橋宏次郎選手もいます。森重選手にしても加藤選手にしてもサンフレッチェ広島のジュニアユース出身です。

ではなぜ、サンフレは彼らをユース昇格させなかったのでしょうか?別に見る目が無かったわけでは無いと思います。もし、彼らが高校サッカーを選択したのならば、それは仕方がないと思います。ただ、指導者の立場を考えるならば、選手にとって一番良い環境でサッカーが出来るように援助したのではないでしょうか。そのままサンフレのユースに上がるより、高校サッカーを経験した方が伸びる選手はいます。それを考えたのではないでしょうか。

だから、もしユースに上がれなくてサッカーを諦めかけている選手がいるならば、まだチャンスがあることを知ってもらいたいのです。そこにはまだ道が続いているのです。


しまなみ海道スリーデーマーチ

2005年08月21日 | 因島

第5回となる「しまなみ海道スリーデーマーチ」が9月30日~10月2日の3日間開催されるそうです。尾道の駅前から今治港までの約80キロ区間を3日間かけて歩きます。もちろん、全てを歩かずに1日だけの参加もできるみたいですし、コースも様々なようです。

詳しいことはココをクリックしてください。→「しまなみ海道スリーデーマーチ」

僕自身、参加したことがありません・・・・が、歩いている人たちを見ると、皆さん笑顔なんですよね。長い距離を歩いてしんどいと思うのですが、自分のペースで歩いている人、仲良く話をしながら歩いている人、それぞれ素敵な笑顔です。

しまなみ海道は本州(尾道)と四国(今治)を自動車だけでなく、自転車や歩いて渡れることが魅力だと聞いたことがあります。因島を離れて生活していた頃は、ずっと橋の上を歩いて渡れるのだと思っていたのですが、実際には橋を渡っては島の中を歩き、また橋を渡るという方法になりますので、想像していたよりずっと長い距離を歩くことになります。時々、レンタサイクルで尾道から四国に渡ろうとしている人を見かけますが、あの人たちは「騙された」と思っているのでしょうか。

ただ、橋だけをずっと渡っていくより、島に降りて島の景色を見ながら、島の人と交流しながら、その文化を感じながら渡っていくのは素晴らしいことではないでしょうか。橋のみを渡っていくだけでは味わえない体験だと思います。

スリーデーマーチに参加する人は、しまなみ海道の景色はもちろん、人々や文化との触れ合いも楽しんで欲しいと思います。


頑張ってますがな。

2005年08月20日 | スポーツ

家族でスポーツ情報番組を見ていたら、世界陸上のマラソンで銅メダルを獲得した尾方選手が出演していました。その時のアナウンサーの話。

アナウンサー「世界陸上の前に尾方選手に頑張ってほしいという話をしていたら、本当に頑張ってくれました。」

僕はただ聞き流していたのだけれど、これを聞いていた妹がボソリ。

「メダルを獲ったから頑張ったの?メダル獲って無かったら頑張ってないってこと?」

なるほど、確かにそう聞き取れます。この度、尾方選手は銅メダルを獲得しました。でもこの競技に日本人選手は5人参加しています。彼らは頑張っていないのでしょうか?いやいや頑張っていますがな。メダルの獲得は出来ませんでしたが、メダルを獲得できるのは沢山の選手の中の3人だけですから。

頑張ったかどうかの評価は、本人或いは至って本人に近しい人が判断するべきだと思います。もちろん、勝手な観客だから、勝ち負けに一喜一憂しますけどね。本来、僕たちは、「力を出し切れるように・・・」と応援するべきなのかもしれません。

そういえば、今回の世界陸上で、凄いなぁと感心したのが、メダルを獲った後の為末選手のコメント。「自分は決勝に残った選手の中で、8番目の実力だったけど、その実力を出し切れたからメダルを獲れた。他の選手は実力を出し切れなかった。」たしかこんなコメントだったと覚えています。メダルを獲ったばかりの選手がこれだけ客観的に分析できているというのが凄い。これからも応援したいと思います。