浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

大浜埼灯台

2020年02月20日 | 日記



運動不足を実感して、ちょっと大浜の灯台までジョギングしてきました。
するとこんな物が貼ってありました。
よく見ると「大浜埼灯台」と書いてあります。
あれ?大浜"崎"灯台じゃないんだ…。
そこで調べてみると、海上保安庁のHPに理由が書いてありました。
少しだけ賢くなりました。

「埼」と「崎」はどうなってるの?

Q:海図の地名はどこで決めているのですか?、海図上には「○○埼」と土へんの埼が書かれていますが、地図帳には「○○崎」と山へんの崎が書かれています。どうなっているのですか?

 A:海図に掲載する地名については、旧海軍水路部時代から海洋情報部が、独自に調査・検討して海図・水路誌等に採用していましたが、昭和35(1960)から海上保安庁と国土地理院が「地名等の統一に関する連絡協議会」を発足させ、地名の統一を図るための協議会を開き検討しています。この協議会で決定された地名は、海図・水路誌等の新・改版時にあわせて採用し、水路図誌の最新維持を図っています。

 「埼」と「崎」のことですが、海図では海洋に突出した陸地の突端部の名称としての(Saki)は、おおむね土へんの「埼」を用いています。例えば、東京湾付近では地図帳などには野島崎・観音崎・剱崎と「山へん」で記載されていますが、海図には「土へん」で野島埼・観音埼・剱埼と図載しています。

 土へんの「埼」は、陸地(平地)が水部へ突出したところを表現し、山へんの「崎」は本来の意味として山の様子のけわしいことを言い、山脚の突出した所を示しており、平野の中に突出した山地の鼻等を言う意味なので、海洋情報部では漢字の意味からも地形が判る土へんの「埼」を採用しています。

 なお、「みさき」の地形を表わす名称には「埼」のほかに「岬」、「碕」、「角」、「鼻」があり、まれに「岬」を(Saki)と読む場合もあります。

 海洋情報部は、明治時代の海軍水路部のころから、土へんの「埼」を海図に採用してきました。これは、埼、崎、岬で地形の意味を表現するために使い分けをして、海図の使用者である航海者が地名から地形が判断できるようにしていました。たとえば、野島埼は、「野島」が地名を表現し、「埼」がそこの地形を表現していると考えると判り易いと思います。

 国土地理院では、前身の陸軍陸地測量部が山へんの「崎」を使用していた経緯があるので、引き続き使用しています。


来島海峡大橋塔頂体験ツアー

2020年02月14日 | 日記



高所恐怖症なんです。

でも友人から「こんなツアーがあるよ」と聞いて申し込んでみました。
人気ツアーなので、落選する事もあるそうですが、行いが良い人には運が巡ってくるんです!








ここまで来ると高さによる恐怖感は感じませんでした。
もちろん天気も良くて、風も穏やかだったからでしょうが、本当に気持ち良かったです。

しまなみ海道の魅力を味わえました。



んー

2020年02月14日 | 日記



貧乏性で心配性の僕は借金したり、ローンを組んで買い物をする事が出来ません。
大きなお金が動く買い物だったとしたら、一括で払えないかぎり、買いません。
いや、気持ち的に買えません。

どうやら、息子は僕の貧乏性・心配性は受け継がなかったようです。
払える目処さえ立っていないローンを組みました。
返済は2年後から始まる10年ローン。
んー、払えるのか、親ローン。
踏み倒しは出来ないぞ。



乎己止点

2020年02月04日 | 日記




辞典によれば、「漢文を訓読するために漢字に付けた、点・線・かぎ形などの符号。現在の返り点・送り仮名に当たるものや、助詞・助動詞、音読・訓読の別などを示した。漢字の四隅や中央に朱や青で書き入れ、たとえば、漢字の右上に点があれば「…ヲ」と読む。平安時代初期から鎌倉時代にかけて、僧の間で経典を読むために盛んに行われた。いろいろな形式があるが、その一つの博士家点(はかせけてん)では、右肩の上・中の点が「ヲ」「コト」を表したのでこの名称がある。」
との事。

学生時代は漢文を習ったはずですが、これは知らなかった…。(もしかして授業中に寝てた?)
ちょっと漢文に出会うのが楽しみに感じるかもね。