浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

オレンジの人たち

2017年10月21日 | 福祉


RUN伴2017に参加してきました。
あいにくの雨でしたが、関わる人たちの熱気もあり、全く辛さを感じませんでした。

「認知症になっても安心して暮らせる町をつくる」

そのためにはたくさんの人の理解が必要になります。
福祉の専門家だけではなく、普通の人が温かく見守るだけで変わってきます。
積極的な関わりだけが全てではありません。
少し手を差し伸べてくれるだけでいいのです。
声をかけてくれるだけでいいのです。
見守ってくれるだけでいいのです。

走っている最中にもたくさんのドライバーの方が手を振ってくれました。
何をしているんだろうと目を向けてくれる人もいました。
決して無関心ではありませんでした。

有難いなぁと思いながら走る事が出来ました。

RUN伴

2017年10月17日 | 福祉


職場の仲間と「RUN伴2017」に参加します。

RUN伴は、認知症の人や家族、支援者、一般の人がリレーをしながら、一つのタスキをつなぎゴールを目指すイベントです。

全国各地でイベントが行われており、僕が住む尾道市では10月21日(土)に走ることになります。
尾道市内の各地でオレンジ色のTシャツを着た人たちが走っていると思いますので、温かい声援を送ってください。

そして認知症の人を支えるお手伝いをして貰えればと思います。
それは直接的なお手伝いだけでなく、温かい目で見守って下さることでも、認知症の人の存在を認めて下さることでもいいのです。

興味がある方は、11:20頃から因島モールでイベントを行なって、12:40頃には中庄のパルディに到着しますし、14:45頃には尾道駅前にゴール予定なので覗いてみてください。

神の恵み

2017年06月16日 | 福祉
福祉の仕事をしていると、「福祉って、なんですか?」と聞かれる事があります。

…福祉って、なんですかねぇ?

辞書で調べてみると、
「公的配慮によって社会の成員が等しく受けることのできる安定した生活環境。」
とあります。
ちょっと分かりにくい表現かもしれません。

では福祉の字を一つずつ見てみましょう。
「福」は幸せを意味していて、「祉」は神の恵みを意味しています。

誰しも生まれながらに幸せになる権利があるのです。
それをちょっとだけお手伝いするのが福祉の仕事なんです。

出会いの感動

2015年10月01日 | 福祉
仕事柄、認知症の人とお話をする機会が多くありますが、とても素敵なお話を聞かせて頂くことがあります。
先日は、認知症のためにもの忘れをしてしまう女性からこんなお話を聞かせて貰いました。

「私はね、よくもの忘れをするの。ごめんなさいね、あなたの顔を覚えていなくて。
でもね、あなたの顔を見るのは初めての気がするけど、笑顔が素敵だなぁと思うわ。
きっと、また忘れてしまうと思うけど、また出会った時に笑顔が素敵だなぁと思えるから嬉しいですね。」

いやいや、こちらこそ、ありがとうございます。

忘れることは悲しいことだと思っていたけれど、
新しい出会いの連続なんですね。

介護

2015年07月04日 | 福祉
何年か前に「介ける(たすける)、護る(まもる)」という文章を書きました。
今、改めて「介護」の意味が問われようとしています。

高齢者に関わらず、子ども・障がい者など生活をするために周りの人の支えが
必要な人たちが事故や事件に遭うニュースが毎日のように報道されます。
そこには家族であるが故の善意の行動もありますが、悪意に満ちた行動も
多く見受けられることは間違いありません。

僕たち福祉に携わる人間としては、「介助」ではなく、「介護」と表現
されているのは何故かを今一度考えてほしいと思います。

何を護るのか。
きっと、それは身体的なものだけではないはずです。
そして精神的なものだけでもないはずです。
きっと、その人が積み上げてきた、あるいは積み上げていく人生そのもので
あるべきだと思うのです。

僕たちのような高齢者福祉の人間が関わらせてもらうのは、長い時間を生きてきた人たちです。
その人たち一人ひとりの物語があります。
波乱万丈の人生を歩んできた人もいるでしょう。
穏やかな人生を歩んできた人もいるでしょう。

その物語の終盤に脇役として出てくる介護者がすべきことは主役を介け、護ることです。

様々な物語があるけれど、その全ての物語にハッピーエンドを求めるのは介護者のエゴでしょうか。

存在

2015年03月15日 | 福祉
高齢者を取り巻く環境は、凄い勢いで変化しています。
年金、医療保険、介護保険など、高齢者福祉に携わる僕のような人間でも取り残されそうになります。
少し前なら、「10年ひと昔」と言っていたけど、今は「3年ひと昔」といった感じでしょうか。

でも、どれだけ高齢者を取り巻く環境が変わっても、寿命がどれだけ延びようとも、人が死を迎えることに変わりはありません。

自分の人生を思った時に考えさせられる言葉に出会いました。

あなたが生まれた時、あなたは泣いてまわりは笑っていました。あなたが死ぬ時は、あなたが笑ってまわりが泣く、そんな生き方をしなさい。

思えば、息子が生まれた時に、その寝顔を見て護らなければならない大切な存在を知りました。
いつか僕は親の寝顔を見ながら、見送るべき大切な存在を知るのかもしれません。

人が一生のうちに出会う人の数と別れる人の数は必ず同数なのです。

大切な人との出逢いと別れを大事にしたいと思います。

スタンダードプリコーション

2015年02月04日 | 福祉
インフルエンザの流行が伝えられています。
介護施設としては、いつも感染症の予防について考えなければならず、こういう時季は特に気を遣います。

感染症予防という意味では2つの考え方があるかと思います。

まず1つ目は、「ユニバーサルプリコーション」と呼ばれ、感染症が明らかとなった(検査などして)患者への対応ですが、主に直接患者に関わる医療・福祉従事者を守るための考え方です。

2つ目は、患者と医療・福祉従事者を感染事故の危険から守るために採られる「スタンダードプリコーション(標準感染予防策)」です。

これは患者の汗を除く分泌物(血液・体液)、排泄物、傷のある皮膚、粘膜などを感染の危険を有するものとみなして、感染症の有無を問わず、全ての患者を対象に、またどのような場合においても実施する基本的な感染症対策を指します。

医療・福祉従事者が感染症の媒介となって、感染症を広げないようにするという意味では、こちらの方が、より身近な感染症予防対策と言えます。

こういったことから、僕の勤める施設でも看護師長からスタンダードプリコーションの重要性を職員に話しています。

ただ、目に見えない感染源に対して行なっている行為なので、どれほどの効果が出ているのか実感が得られにくく、おざなりになりがちでもあります。

インフルエンザが流行している今だからこそ、改めてスタンダードプリコーションの重要性を認識する必要があると思われます。

ターミナルケア

2015年01月25日 | 福祉
今回はかなり重い話をしてみようと思います。
僕は仕事上、少なくないの人の最期を迎える時間を見てきました。
僕たちはどんなふうに見守り、支えていくことが出来るのでしょうか。


精神科医のE.キューブラー・ロスが死の受容5段階プロセスというのを示しています。

第1段階「否認」
自分が死ぬなんて何かの間違いではないかと事実を強く否定。

第2段階「怒り」
自己の死が否認できないことがわかると、見るもの・聞くもの・手に触れるもの等全てが、怒りや恨みの対象になる。

第3段階「取り引き」
神仏や超自然な力に対して『交換条件』のようなものを提示して、延命のための取引をし始める。
「神に生涯を捧げますので、病気を治してください」
「もし病気を治してくれたら、全財産を寄附します」など。

第4段階「抑うつ」
様々な取り引きを持ちかけるが、思い通りにならないことも多く、十分に安らかになれず、抑うつ的になってくる。「早く死にたい」「悲しい」「もう生きるのは嫌だ」など、悲観的な言葉が出る。

第5段階「受容」
怒りも抑うつもなくなり、自己の運命を冷静に見つめ、天命を待つという心境に至る。

このプロセスは本人を支える家族にも当てはまる気がします。
本人が意思疎通できない状態であれば、家族が判断することもあります。

もちろん、万人が同じような過程を過ごすわけでは無いでしょうが、死を受け容れる心のうちを知ろうとすることは大切なことだと思います。


ボランティア

2014年11月23日 | 福祉
良い経験をさせて貰っています。

数日前に先輩から声をかけて貰い、広島県知的障害者福祉大会のボランティアとして参加させて貰っています。




こういったボランティアは得るものがたくさんあるので、息子も一緒に参加しました。

テスト勉強も大切だけれど、こういう経験が人生に影響を与えることって、往々にしてあります。



因島の中を観光して廻っています。

みかん狩りや水軍城観光など短い時間でもこの場所に触れて貰えるのは嬉しいです。



スタッフの方々に頭が下がります。



覚悟

2012年11月04日 | 福祉

「福祉」に関して新聞やメディアで取り上げられ、多くの人たちが関心を抱いてくれている状況をありがたく感じています。

ただ、多くの人たちが「関心はあるけれど、自分には直接関係ないこと」と考えているのも事実です。


自分が生活保護を受給することを考えもしないから、基準をもっと厳しくするべきだと主張し、自分が障がい者になるとは考えないから、精神障がい者は犯罪を犯しやすいなどと発言します。

そして、自分の親がいつまでも元気でいてくれると思い込んでいます。

いや、必ずしもそうではなくても、まさか自分の生活に影響を及ぼすほどの状態になるとは思ってもいない人がたくさんします。

そんな人たちが、親が病気や介護が必要となった時に、いつまでも病院に入院出来ると思っていたり、介護施設にすぐに入所できると思っています。

現実はそんなに甘くありません。

一緒に暮らしていようが、離れて暮らしていようが、その現実はくるのです。

あなたにその覚悟はありますか?