ドゥオーモの前の広場は、ピオ2世広場と呼ばれ、周囲には重要な建物が立ち並んでいます。
この広場は「チーズころがし競争」でも有名なのですが、私たちが訪れたときには花壇がつくられていました。
花壇のないときの広場のようすはこんな感じです。
広場の中央に丸い輪のような部分がありますが、
「チーズころがし競争」のときは、
ここに小さな棒が建てられ、
その棒に向かってチーズを転がし、
どれだけ近づけられるかを競います。
※小さな写真はピエンツァ市のホームページからお借りしました。
花壇のデザインは、毎年少しずつ変わっているようです。今回は、広場の中央に噴水が置かれています。
その向こうには15世紀につくられた井戸が見えます。
この井戸は「Il Pozzo dei Cani」(犬たちの井戸)と呼ばれています。
ピッコローミニ宮のすぐ前にあるので「馬たちの井戸」ならわかるのですが、
どんな由来で「犬たちの井戸」になったのでしょうか…。
ピエンツァは「理想のルネサンス都市」と呼ばれています。
そもそもは「コルシニャーノ(Corsignano)」と呼ばれていたこの町は、
1人の人物の夢によって15世紀に大きくその姿を変えることになります。
その人物とは、ローマ教皇ピオ2世。
彼の出自であるピッコローミニ家は、もともとはシエナの貴族でしたが、
政争によってシエナを追われ、1385年にコルシニャーノに居を構えることになります。
そしてその20年後、ピオ2世はここコルシニャーノに生まれ、1458年には教皇にまで登りつめます。
教皇となったピオ2世は、
コルシニャーノの町を近代的なルネサンス都市に生まれ変わらせようと考えます。
その都市計画の責任者になったのが、ベルナルド・ガンバレッリ、通称ロッセリーノです。
そして、町の名は、ピオ2世の名をとって「ピエンツァ」と改められました。
しかし、ピオ2世、ロッセリーノともに、街の中心部が完成してまもなく亡くなってしまいます。
そんないきさつから「完全なるルネサンス都市」としては未完のままのピエンツァですが、
それでも、ピオ2世が夢見た街の美しさは今も多くの人をひきつけています。
ピエンツァは、この町出身の教皇ビオ2世が、建築家ロッセリーニに命じてつくらせた計画都市。
その象徴ともいえるのが、このドゥオーモです。
端正なルネサンス様式のファサードの一番上には、ビオ2世の大きな紋章のレリーフがあります。
市庁舎の2階から見たドゥオーモとピッコローミニ宮です。
ビオ2世広場では、ちょうどインフィオラータが行われていました。
内部は、すっきりとしたゴシック様式で、側廊のある三廊式です。
ステンドグラスから差し込む光で、日中はかなり明るく感じられます。
ヴォールト天井は白いしっくいのままですが、主祭壇と左右の礼拝堂の天井のみ青く塗られています。
ここには地下にクリプタがあり、改修される前の古い教会の遺品なども残されています。
Il Chiostro di Pienza(イル キオストロ)
15世紀の修道院を改装したホテルです。
修道院は改装されていますが、教会はそのまま残っているため、上の写真のような不思議な入り口になっています。
場所はピエンツァの街のど真ん中、ピッコローミニ宮殿のとなり、ドゥオーモまで徒歩1分です。
門をくぐると回廊があり、レセプションには回廊をぐるりと回って行くしかけになっています。
レセプションの脇を抜けると庭園に出ることができます。
庭園はよく手入れされているとはいいがたいのですが、オルチャ渓谷の風景をを眺めながら、
のんびりとくつろぐことができます。
部屋はジュニアスイート。広々としているので、気持ちもゆったりします。
設備は最新とは言えませんが、雰囲気はなかなかです。
ベッドルームは一段低い部屋にあり、オルチャ渓谷に面しています。
ベッドルームの窓からの眺めです。田園風景がいっぱいに広がっています。
ホテルとしての機能性を最優先する人にとっては、物足りないところもあるかもしれませんが、
立地の良さとホテルの雰囲気、そしてこの風景があれば十分、と思えるホテルでした。
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