JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

人害に学ぶ

2008年03月24日 | a-c

まだまだお日様の微笑みがないとこんなに肌寒いんだなぁと感じた一日でした。

今日帰りに図書館にまわるとこんな新刊書を見つけてしまいました。『僕が写した愛しい水俣 塩田武史』であります。早速借りて見始めたらレコードも掛けずに没頭してしまいました。

私と「水俣病」というと、以前、宇井純先生の訃報を受けて書いた「追悼」でお話ししたごとく、先生が開講されていた『自主講座』に集約されます。そしてその頃、塩田武史氏の存在も知ったのだと思います。

土本典昭監督の「水俣―患者さんとその世界」というドキュメンタリー映画をご存じでしょうか?

第1回世界環境映画祭グランプリ、マンハイム映画票デュキヤット賞、ロカルノ映画祭第3位、ベルン映画祭銀賞等々、数々の賞も得た作品で、当時「水俣病」の実態を映像で知るにはこれしかないといった映画でした。この映画のスクリプターをなさったのも塩田氏でした。
それは、多くの「水俣病」を記録するカメラマンの中で、実際に水俣に住まい、彼らと生活を共にしながら長期記録を続けた塩田氏であったればのことだったのでしょう。
その5万枚にも及ぶネガを再度見直して、今回編纂されたのがこの『僕が写した愛しい水俣 塩田武史』であります。

彼が水俣に住まい記録することを決定づけた「胎児性患者」(簡単に言ってしまえば生まれつきの重度水俣病患者です。)田中敏昌君の写真等々患者さんの写真は、もちろんその悲惨さを伝えるものでもありますが、それ以上に彼らが人間としていかに生きていたか、生きるという意味はどれほど大きなものなのか、生きようとする力の強さ、真の人間らしさを語り掛けているように思えてなりません。

宝子
「下の子は抱いたことがない」と母親の上村良子さんは言った。
良子さんは、膝の上に抱きかかえた智子ちゃんに向かって話し続ける。「・・・・ね、智子」と最後はいつも、少し抑揚をつける。智子ちゃんの顔にいっぱいの笑みが浮かび、「あー」と声があがる。言葉は伝わらなくとも、心はわかるのだろう。

やはり「胎児性患者」上村良子さんを抱いたお母さん、傍らには微笑みながら母に手を差し出す小さな妹さんが写っている写真に添えられた文章です。
わずかな表情の中に喜怒哀楽があると母は言い、医者は思い込みだという・・・・

「あんた、俺より年もうんと上じゃ、シャバの経験もうんとある。何万人て、人も使っとる。なあ、とうに見抜いとるじゃろ。人間がどげん生きないかんか、どげん暮らさないかんかいうことぐらい。あんた、ひとかどのものを持っとるじゃろう、家訓か教訓みたいなものを。あんたの座右の銘は何ですか。」

障害被告として不当な訴えを受けた川本輝夫さん(もちろん最高裁棄却、無罪となりましたが)が、チッソの島田社長に言い寄った言葉です。

「こん娘が水俣病です。こん娘の将来に何があるんでしょうか。」

と村上良子さんの母は時の環境庁長官大石武一に訴えます。

2008年2月現在、「水俣病」の未処理申請者数は、まだ一万五千人もいるそうであります。
「水俣病」を始めとする公害病問題も、「薬害エイズ」や「C型肝炎」といった薬害問題同様、根本は行政の企業第一主義がもたらした人災(人害)であるわけで、何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのか・・・・そう思わずにはいられません。
彼らが身を持って示してくれた教訓を生かさずして「何が行政か!何が政治か!」と怒ってしまうのは私だけでしょうか?

ともかく「人を殺してみたかった」からと包丁を振り回し、通り魔的犯行が横行し、「あっ、もう一件は盗み目的だったんだ」と何故か安心する(?????)
たとえ人害で思考や喜怒哀楽の表現を無くしても、必至に生きようとする彼らの姿をこの写真集で見るなら、そんな考えや行動がいかに愚かであるか少しは感じ取れるのではないか、そんなことをふと思ったバブ君でありました。

今回は図書館から借りてきましたが、我が蔵書に加えようと早々にネット注文をしてしまいました。みなさんもぜひ機会があればご覧になって下さい。

さて、今日の一枚は、キャノンボール・アダレイです。
じつにメジャーな、そして私の大好きな一枚なのにどうして今まで紹介しなかったのか?自分でも不思議です。(あえて紹介するまでもないかと思っていたのかもしれませんね。)

1959年2月、マイルス・ディビス・グループはコンサート・ツアーでシカゴを訪れました。この機にマイルス抜きのクィンテットを録音しちゃったのがマーキュリー、このアルバムというわけで、そのへんの話はみなさんご存じですよね。

マイルスが抜けたグループはハジケました。普通、親分が抜ければまとまり無くバラバラとなってもおかしくないのですが、このメンバーのはバラバラは普通のバラバラとはわけが違う(なんじゃそりゃ)それぞれの持ち味を充分に出す、つまりそれぞれの実力がそれをバラバラな演奏にはさせなかったということでしょう。

いろんな説明は不要なアルバムだと思います。私がもっとも楽しいのはキャノンボールとコルトレーンの対比ですが、そんなのもどうでもいい。
これが名目通りキャノンボールのリーダー作とするなら、私は彼名義で最も好きなアルバムだと思います。(「SUMETHIN' ELSE」より好きですもん...笑)

ど~れそれでは、大好きなこのアルバムを聴きながら、もう一度、塩田武史氏の写真を見直しましょうかねぇ、もちろんお酒付きで

IN CHICAGO / CANNONBALL ADDERLEY
1959年2月3日録音
CANNONBALL ADDERLEY(as) JOHN COLTRANE(ts) WYNTON KELLY(p) PAUL CHAMBERS(b) JIMMY COBB(ds)

1.LIMEHOUSE BLUES
2.STARS FELL ON ALABAMA
3.WABASH
4.GRAND CENTRAL
5.YOU'RE A WEAVER OF DREAMS
6.THE SLEEPER

追伸、
「水俣病」にもし関心があれば、このな本もあります。

なお、塩田武史氏の略歴です。
1945年香川県生まれ。1968年、胎児性水俣病患者を初めて撮影。『写真報告 水俣-'68~'72深き淵より』で国連環境計画主宰の第1回「世界写真コンテスト」特別賞受賞。



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