JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

本日は決闘の弁??

2009年04月13日 | p-r

「武蔵、臆したか、策か?いずれにしても卑怯なるぞぉ。」
遅れてやって来た武蔵に小次郎はそう言いはなつが、これに武蔵は答えず。
刃長三尺三寸(約1メートル)の野太刀「備前長船長光」、通称物“物干竿”を抜き放ち、武蔵に立ち向かう小次郎が、鞘を海中に投げるのを見て、今度は武蔵、肺腑を貫く声で
「小次郎、敗れたり!!!!!」

慶長17年(1612年)の今日4月13日、山口県は関門海峡に浮かぶ小島『舟島』(巌流島)で行われたという、宮本武蔵と佐々木小次郎の『巌流島の決闘』は、あまりに有名なお話でありますが、このことから本日4月13日は『決闘の日』なんだそうでありまして

決闘といえば『巌流島の決闘』もさることながら、伊予は西条藩の江戸屋敷にて繰り広げられた御前試合、村上庄右衛門vs菅野六朗左衛門に端を発した『高田馬場の決闘』ってえのがございますなぁ。
正々堂々と戦い敗れたはずの村上庄右衛門は「殿の御前で面目を失った」とばかりに菅野六朗左衛門を逆恨み、「きゃつめに思い知らせてやろう」と一計を策したのであります。

元禄7年(1694年)2月11日、村上は『決闘』と称して、高田馬場に菅野を呼び出します。しかしこれはとうぜん罠、仲間を集めて菅野を無き者にせんとする卑劣な策略、危うし菅野六朗左衛門!!!!!!

ところが「決闘となれば、私が負けて死しても致し方なし」と覚悟を決めていた菅野は、同じ道場の親友、中山安兵衛に文を残していたんでありまして、
これを見た安兵衛、高田馬場に向かって走る走る(戦場以外、武士が走ることはほとんど無かったそうでありまして)。ほら、かのバンツマこと板東妻三郎が髷をなびかせ、袂を上げて、必至に走る白黒映像をテレビかなんかで見たことありません?あれですあれ。

高田馬場に着いてみれば、数人に取り囲まれて苦戦する菅野の姿。
「むむ、なんと卑怯なり」
とばかり、盟友菅野のために敵の中へ一直線に斬り込む安兵衛。バッタバッタと18人もの敵を切り捨てると、村上は「こりゃかなわん」とばかりにケツをまくって逃げ出してしまったという、これぞ『高田馬場の決闘』、『中山安兵衛、十八人斬り』のくだりであります。
後にこの中山安兵衛が、この時の活躍を耳にした赤穂の堀部弥兵衛に養子として迎えられ、赤穂浪士、堀部安兵衛となるわけでありますねぇ。

さぁさぁお立会い、御用とお急ぎで無い方はゆっくりと聞いておいで、見ておいで、遠目山越し笠のうち 聞かざる時は物の出方善悪黒白(でかたぜんあくあいろ)がとんと判らない。
山寺の鐘がゴーンゴーンと鳴るといえども、法師きたって 鐘に撞木(しゅもく)をあたえなければ、鐘が鳴るのか、撞木が鳴るのか、とんとその音色が判らない。
さてお立会い、手前ここに取りい出したる陣中膏(じんちゅうこう)は、これ「がまの油」、がまと言ったってそこにもいる、ここにもいると言う物とは物が違う。
「ハハァーン、がまかい、がまなら俺んとこの縁の下や流し下(もと)にゾロゾロいるよ」と言うお方があるかもしれないが、あれはがまとは言わない、ただのヒキガエル・イボガエル。何の薬石効能はないよお立会い。
手前のはこれ「四六(しろく)のがま」四六五六(しろくごろく)はどこで見分ける。前足の指が四本で、後ろ足の指が六本、これを名付けてヒキ面相(めんそう)は「四六のがま」だ。
住めるところははる~かこれより北にあたる 35里筑波山の麓だ、お立ち会い。おんばこという露草をくらって成長する。油をとるには四方に鏡を張り、下に金網を敷いてその中にガマを追い込む。ガマは己の姿が鏡に映るのを、己と己の姿に驚 き、じりり、じりりと脂汗を流す。これを、下の金網に抜き取って、三・七、二十一日間、柳の小枝をもって、とろ~りとろ~りと煎じつめて、出来上がったのがこの油。

ご存じ、がまの油売りの口上でありますが、
浅草観音の境内で、がまの油売りをする姉弟。
それを見ていた人だかりの中から、年の頃は六十前後の老侍が油売りに声をかけます。
「二十年前に受けたこの古傷に、そのがまの油が効くかな?」
何かに気付いた姉弟、老侍に名を尋ねれば「岩淵伝内」
「すわ、親の仇、我こそは・・・・・・」
とばかり、姉弟は仇名乗りをあげ、襲いかからんと・・・
「あい分かった、わしも武士の端くれ、尋常に勝負いたそう、だが、観音の境内を血で汚すわけにはいくまい、明日の巳の刻、牛込高田馬場で果たし合おう」

噂が噂を呼んで、翌日の高田馬場には黒山の見物人、臨時のかけ茶屋では、『仇討ち饅頭』に『仇討ちTシャツ』(ナイナイ)ともかく大繁盛。
ところが約束の刻限巳の刻になっても、老侍はおろか姉弟もあらわれません。
「オイオイ、仇討ちはどうなっちまったんだい」
ふと茶屋の中を見るとその老侍が徳利をならべてすっかり酔っぱらっているじゃありませんか
「どういうこったい?」
老侍曰く、岩淵伝内は仮の名前で、自分は仇討ち屋、がまの油売りの姉弟は自分の子ども達だと
「ああしておけば、本日ここに大勢の人が出る。茶屋の上がりの二割をいただく、すなわちそれが仇討ち屋よ。」

これは落語『高田馬場』であります。

あれ?話が大幅にすっ飛んじゃいました?しかも長文に
まだまだ、今度は映画の『決闘話』をしようと思ったのですが・・・・・

♪ Oh my darling, oh my darling, Oh my darling Clementine ・・・・・・♪
♪ Do not forsake me, oh my darlin' On this, our weddin' day ・・・・・・♪
♪ O.K. Corral, O.K. Corral There the out law make their final stand. ・・・・・・♪

『荒野の決闘』『真昼の決闘』『OK牧場の決闘』『ガンヒルの決闘』『墓石と決闘』。ジョン・フォード、フレッド・ジンネマン、ジョン・スタージェス監督。ヘンリー・フォンダ、ゲイリー・クーパー、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、アンソニー・クイン・・・・・・
西部劇の決闘ものは名作が多いですよねぇ・・・あ~~~話したい、話したいけど、時間がぁ
最後に一つだけ、我が家にこんな日本コロンビアのドーナツ盤が残っていた事をご報告いたしまして、本日の駄弁は終了!(笑)
「♪オウケ〜、コゥラァ〜、オウケ〜、コゥラァ〜♪」
っとね。

さて、今日の一枚は、ソニー・ロリンズです。
しかしねぇ、完全に過去紹介済みだと思ったんですが、ジャケット写真が見あたりません。だって、映画「ALFIE」の話を持ち出したこともあるし、学生時代通っていたジャズ喫茶、自由ヶ丘の「ALFIE」の話が出たときだって、このアルバムを紹介しないわけが無いと思うじゃありませんか。

ありました、ありました。2005年6月16日ですから、このブログを始めて約二週間目というころ、ところが何故かジャケ写真が「死刑台のエレベーター」なんでありまして・・・・・なるほど、『映画音楽』という括りで「ALFIE」も取り上げたんでありましたねぇ。

本日は、ジャケ写真を掲げ、あらためて紹介します。(笑)

この時期のロリンズといえば、もう一方の雄、コルトレーンには少々水を空けられた感もあり、にもかかわらずあえて「コルトレーンのおかげでやってます。」みたいなインパルスと契約し、かなり迷走している感じのする時代でもあります。
私としては「ゆえにインパルスに残るアルバムは多様なロリンズが味わえる」と良いほうへこの傾向を捉えていますけど、ロリンズ・ファンとしては、いささか不安な時代ではなかったでしょうか。

さぁそこで今日のこのアルバムですが、そんな時期に何の小細工も無しにメロディーを歌い上げる「ALFIE'S THEME」を耳にしたとき、従来のロリンズ・ファンはそっと胸をなで下ろしたに違いありません。
少々迷いがあり、さらには気分屋のロリンズにこれだけ気持ちよく吹いてもらうには・・・・・・オリバー・ネルソンのアレンジを讃えるべきでしょうか。

ともかく、ロリンズ節が気持ちよく鳴り響く名盤だと思います。

ALFIE / SONNY ROLLINS
1966年6月録音
SONNY ROLLINS(ts) JIMMY CLEVELAND(tb) J.J. JOHNSON(tb) PHIL WOODS(as) BOB ASHTON(ts) DANNY BANK(b) FRANKIE DUNLOP(ds) WALTER BOOKER(b) ROGER KELLAWAY(p) KENNY BURRELL(g)
OLIVER NELSON(arr,cond)

1.ALFIE'S THEME
2.HE'S YOUNGER THAN YOU ARE
3.STREET RUNNER WITH CHILD
4.TRANSITION THEME FOR MINOR BLUES OR LITTLE MALCOM LOVES HIS DAD
5.ON IMPULSE
6.ALFIE'S THEME DIFFERENTLY



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