昨日は珍しく10時頃まで仕事、まっすぐ家に帰る気にもなれず、けっきょく飲みに出てしまいました。(ハハハハハ.....)
ワールドカップも残すは決勝戦だけになってしまいましたね。私が予想したチームはすでに敗退してしまいましたが白熱した決勝戦を期待しましょう。
それにしても、そんな熱戦をも吹き飛ばすように、ロケットがバーンと・・・・・
どうして人間はいがみ合ったり、ねたみ合ったり、腹を探り合ったり、するのでしょうね。かの国だけでなく自己の権力維持や国家主義というものが先行するのが人間の常なのでしょうか?
昨晩飲んでいて、むりやり話題にした話ですが、日本には古くから、人間の価値を決めるひとつの基準として「なさけ」というものがありました。
「よろずのことよりも、なさけあるこそ、おとこはさらなり、女もめでたくおぼゆれ。」
枕草子の一節です。
いつも気にかけて想うことであり、想う相手もまた、気にかけてくれる、これこそ「なさけ」であります。「なさけ」をかけるとは、施しをする心ではなくて、思いやりを持つ心です。
「なさけは人の為ならず」、かならず我が身にも返ってくる「なさけ」、「なさけ」ある人こそ人間の価値が高い人なのではないでしょうか。
「なさけ」があれば、自己顕示欲で国を動かすようなバカなことはしないでしょう。
はーはーはー.....語ってしまいました。(笑)
えっ?嫁さんに「なさけ」もかけられないヤツが言うなって?んっんっんっ、私が得意なのは「あだなさけ」であります。
さて、今日の一枚は「なさけ」とは何の関わりもないのですけど、デクスター・ゴードンを選んでみました。
テナーが2本というと、バトルっぽいものを思い浮かべますが、ここでの1曲目、ゴードンとムーディのそれは、バトルではありません。とても楽しげに共演している二人を聴くことができます。もちろん、のこりの3曲も、例のごとくなんとも暖ったかなゴードン節を楽しめます。かの国の指導者もゴードンおじさんの演奏でも聴いて、心に温かさと余裕を持ってみてはいかがなものでしょうかね、ほんの少しの「なさけ」を思い起こすやもしれません。
THE TOWER OF POWER ! / DEXTER GORDON
1969年4月2,4日録音
DEXTER GORDON(ts) BARRY HARRIS(p) BUSTER WILLIAMS(b) ALBERT "TOOTIE" HEATH(ds)
JAMES MOODY(ts)[1]
1.MONTMARTRE
2.THE RAINBOW PEOPLE
3.STANLEY THE STEAMER
4.THOSE WERE THE DAYS
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究極の措置っていうのは、何事もなかったかのように「無視」することだったりするのかもしれないです。爆弾落とそうがミサイル飛ばそうが「へ~」という具合に。
まぁ、そんなこと無理ですけどねぇ~。無理ですけど、ちょっと試しに半日くらい世界中でシカトしてみるっていうのどうですかねぇ。
「無視」も日本とアメリカだけがしても仕方ないでしょうし・・・・
いずれにしても戦争なんて怖いことを、頭の隅に置いての対応だけは避けてもらいたいものです。
「大国のわがまま」というのがあります。核問題にしても、すでに持っている国は抑止を大儀にこれを良しとし、それ以外は持つことは許さない、じつに不公平なものの考えだと思います。
なんだかんだいいながら、核保有はその国に力を与えていることも事実でしょう。
だけど、だからといって、何処の国も、「我も我も」と核保有に走ることは、けして好ましいことではないでしょう。
私は、とてもずるい考えの持ち主かもしれませんが、武力での解決は本当の解決を生まない、だから、なんとしても、武力行使、戦争だけは、避けてもらいたいと思っています。
過去においても、現在でも、一般国民が一番苦労することを、どんな考えの指導者であってもかまわないから、理解し、無くす努力をして欲しい。
これが私の思うところです。
随分前になりますが、筒井康隆の「アフリカの爆弾」を読んで、「誰も彼もが核兵器を持つことを否定するべきは、日本でしかないではないか。」と思いましたし、今も思っています。
自分が、全世界を何度も破滅させるだけの核兵器を持ちながら、他国に「持つな」と言い張るUSA達は、ただのワガママ大国であり、阿呆さ加減においては北朝鮮と大差無いと感じます。ただ、一般国民の自由度、幸福度においては、とてつもない大差があるとは思います。思いますが、それとても当事者にはどう映るのか、一概には何とも言えないところが人間のカオスなのでしょうね。オウム真理教に「利用されていた」としか見えない人たちが一概に不幸だったとはとても言えないように。
酒を飲みながら、ジャズ聞いて、感性を磨くしかないのでしょうか。うーん、まだまだ修行が足りない私でございました。
ところで、通りすがりさんのログに上手く飛べないのですが、何故でしょう?
よろしければもう一度アドレスを教えていただけますでしょうか。
こうして、私たちが自由に率直に話し合える社会は、失いたくないと思います。昨今の世界の動きは、どうにもそれを破壊しようと、大きな力が加わりつつあるようで、私はそれが一番怖い。
ともかく、こりずにまた我がログに通りすがってやってください。
ブログって面白そうですね。私も作りたいとは思うのですが・・・・追い詰められないと勉強しないのであります。で、「簡単」と言われるブログの作り方もわからないのであります。分かりたくないのであります。こんな自由があるのも有難いことなのかも。
バブさん言われるように、自由は失いたくないものの最たるものですね。これを奪われることは個性の死ですものね。
ジャズ、聴き始めたばかりのオオボケ野郎ですが、バブさん一方的に気に入ってしまいました。ご迷惑でしょうが、今後ともよろしくお願いいたします。