JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

私も背中で聴いていた

2007年06月07日 | g-i

今日は予報通り、ハッキリとしない空模様でした。気温はさほどでもないくせに、湿気が気になって、夕刻からは雷、しばらく同じような天気が続きそうですけど、私はあまり好きじゃありません。(笑)

触れずに通り過ぎようかとも思いましたが、羽田健太郎さんが二日の夜、お亡くなりになりましたね。私と同じ酒好きで、詰まるところそれを原因とする『肝障害』『肝細胞癌』というおきまりのコースであったようで、ある意味他人事ではありません。それにしても58歳とはいかにも若過ぎますし、才能多き方だっただけに残念です。

1978年、茶店には『ブロック崩し』なるテーブル式のゲーム機が顔を利かせ、頼んだランチもそっちのけで、大学の先輩Yさんは画面に映る光のボールを追い続けていました。
「先輩、うちの班の学祭のテーマ、今日中に決めなくちゃいけないんですけど・・・」
「まぁ待て、焦るな」
当時の『ブロック崩し』はクリアーすると何回でも連続でプレー出来るゲームで、やり続ける気になれば、初回金だけで、半日だって、一日だって、一週間だって、一ヶ月だって・・・(そんな暇人とバカはいませんでしたけど、 笑)続けられました。
脇で見ていた私は、その単純なゲームの何処が面白いのか、今ひとつ理解できませんでしたが、先輩を呼びに来た身としては、アイスコーヒーをすすりながら、ただ待つしかありませんでした。

♪ ハーバーライトが 朝日にかわる
そのとき一羽の かもめが翔んだ
ひとはどうして 哀しくなると
海をみつめに 来るのでしょうか
港の坂道 かけおりるとき
涙も消えると 思うのでしょうか
あなたを今でも 好きですなんて
いったりきたりの くりかえし
季節はずれの 港町
ああ わたしの影だけ
かもめが翔んだ かもめが翔んだ
あなたはひとりで 生きられるのね ♪

茶店の中には、渡辺真知子の「カモメが飛んだ日」が流れていましたっけ。

って、いやぁ、長いフリでした。あの頃のヒット曲の多くに、羽田健太郎はスタジオ・ミュージシャンとして参加していたんですよね。

渡辺真知子の曲はもちろん、沢田研二の「勝手にしやがれ」、山口百恵の「秋桜」、加山雄三の「海その愛」・・・・・
つまり、彼のピアノやアレンジを私は間違いなく耳にしていたわけですが、その存在を知ったのは『タモリの音楽は世界だ!』でお姿を拝見してからだったて゜しょうか。まさに「勝手にしやがれ」の歌詞のように、ずっと『背中できいている』だったわけです。(笑)
当時、クラッシック出身の音楽を理解したスタジオ・ミュージシャンというのは貴重だったそうで、彼は引っ張りだこだったとか、そうとう儲かったそうですよ。(「母をこれ以上苦労させたくない、早くお金を取るには、クラシックをあきらめよう」との苦渋の選択があったそうですけど)

まっいずれにせよ。いかにジャズ好きの私でも、知らず知らずに彼の演奏を山ほど聴いていた、彼の才能に癒されていた、ということになるわけで、感謝するのはもちろん、心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

♪ 薄紅のコスモスが秋の日の
なにげない日溜まりに揺れている
この頃涙もろくなった母が
庭先でひとつせきをする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話繰り返す
独り言みたいに小さな声で・・・・・・ ♪

さて、今日の一枚ですが、
「なんでまた、「カモメが飛んだ日」「秋桜」からここに行くかなぁ」
と、多いに批難を受けそうなミルフォード・グレイブスの代表作です。(代表作といっても全体枚数はたかが知れていますけど)

1978年頃というと、私はかなりフリー・ジャズへ傾倒していた次期でもあるのです。
東京自由ヶ丘の「アルフィー」に通っていたのもそのせいでしょう。(「アルフィー」がフリーばかりをかけていたということではありませんよ。比較的、前衛ものを多くかけてくれていたということです。)

私の中では、例えば「10月革命」がどうのこうのとかというより、時代遅れではありましたが、『自由』とか『解放』といったことに少々かぶれていた次期であり、カッコをつけて、聴いていた音楽にも何らかの変化を求めていたのでしょう。
当時聴いていたジャズは、高校時代に聴いていたそれとは少し毛色が変わってきていたように思います。
とはいうものの、それは、コルトレーンの延長であったかも知れないし、ドルフィーの先を見たいという願望だったかも知れない・・・・それじゃあ変革でも何でもありませんけどね。(笑)

そんな時にこのアルバムとも出会いました。
1967年エール大学でのコンサートを録音したアルバムです。実際はVol.1とこのアルバム、二枚が発売になったのですが、私はVol.1を見たことも聴いたこともありません。(残念)

ともかくその時、ドラムをまるでメロディ楽器のように奏でるグレイブスと、ピアノを打楽器のように(これはセシル・テイラー以上だと思いますが)たたくドン・ピューレン、このディオにとてつもない衝撃を受けたのを覚えています。

メロディアスな音楽が主流の今、当時、アメリカでさえ、ある意味見放されつつあったこのアルバムが、広く共感を呼ぶとは思えません。それでもフリー・ジャズと呼ばれた一時代のジャズを聴いてみようと思われる方、この一枚は外してはならぬアルバムであると思います。

NOMMO / MILFORD GRAVES
1967年4月30日録音
MILFORD GRAVES(dr,perc) DON PULLEN(p)

1.P.G.V
2.P.G. III
3.P.G. IV

おまけ、
全くの蛇足ですが、昨年度まで羽田健太郎さんと一緒に『題名のない音楽会』の司会をされていた、テレビ朝日の大木優紀アナウンサー・・・・・
じつは、私、隠れファンなんです。(笑)
ミーハーと言われようと、何と言われようと、タイプです。(キッパリ)
・・・・・だけどね、彼女が出るからといってその番組をチェックするでも、見るでもなく、韓流スターや○○王子を追うおばさまとか、カメラを片手にアイドルを追う△△ほどの、エネルギーは持ち合わせておりません。(笑)



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