JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

熊?あな、あそろしや~

2010年10月20日 | j-l

昨晩更新したはずが、下書き止まりになっていました。そのままボツも考えたのですけど、ちょっち長文でもありますし、アルフレッド・ライオンのように非情なまでの意志の強さも私にはございませんので、そのまま、本日10月20日に更新することにしました。
暇に任せて読まれる方がおられましたら、以降の今日は昨日で、現実の今日は明日であることをご承知下さい。(なんじゃそりゃ)


公園の木々も少しずつ紅葉し始めています。

10月19日、今日は10(遠)くへ19(行く)日で『海外旅行の日』なんだそうでありますが、この円高ですからドル圏内の地に行くにはまさに絶好の時なのかもしれません。
むろん私は、海外旅行など行く暇も無ければ金も無いわけで「遠くのくはどうしたんだい?」なんて、どうでもいいツッコミを入れるだけで、なんだか『虚しさ』という淋しい秋風が身にしみるだけであります。

そんな秋風が本格化しても山の実りは乏しいようで、各地に熊が出没、被害に遭われた方々にはじつに不謹慎ではありますが、異常気象に翻弄される熊も可哀相だとついつい同情してしまいます。

 ♪ ある日 森の中 熊さんに 出会った
     花咲く 森の道 熊さんに 出会った ・・・・♪

とは言っても、やはり熊さんに出会うのは、森の中や山の中じゃなきゃいけません、横町で出会ったり自宅に突然やって来るのは、せいぜい落語に出てくる、喧嘩早いがお人よしでおっちょこちょいの熊五郎くらいにしてもらわないと身が持ちませんもんねぇ、これも、おざなりにしてきた山や森の管理に問題があるのでしょう。

落語といえば、『熊の皮』てな噺がありましたねぇ。
たいてい落語の世界の夫婦には、旦那は何処か抜けているどうしようもねぇ野郎で、半面女房はしっかり者ってぇパターンが多いんでありますが、現実どこの家庭を見ても大なり小なりそのパターンに近い夫婦が円満なようにも思えます。
我が身近にもS君ご夫婦のように・・・・・それは言うまい。(笑)

ある日、甚平さんが仕事を終えて帰ってみると、赤飯が用意されています。
「いやいや、赤飯とは嬉しいねぇ、なんかのお祝い事かい? え?まさかオメェの初・・・」
「バカなことお言いでないよ、横町の先生(医者)からいただいたのよぉ、まぁそれはいいんだけどね。だいたいこういういただき物をしたときには、どこのお宅もご主人様がお礼にうかがうってぇのが筋なんだから、あんたも食べたら早々にお礼に行っとくれよ。」
とは言ったものの、甚平さんの挨拶下手を誰よりも知っているのが女房ですから
「いいかいあんた、・・・・・・・」
と、挨拶のひととおりを教えて、
「そうそう、最後に『女房が宜しく申しました』ってね。」

てなことで、お礼に出掛けた甚平さん、ひととおりの口上は忘れずに言えたものの、最後の『女房が宜しく申しました』がどうしても思い出せません。
「まぁまぁ、堅苦しいことは良しとして・・・・いやじつはね、私が診た御店のお嬢さんの病気が全快しましてね、そのお礼にと私が欲しがっていた物を旦那様からいただいたもので、あんまり嬉しかったもんだから、お嬢さんの病気全快と一緒に祝うつもりでみなさんにお赤飯を配ったというわけですよ。」
と先生。
「へぇ、さぞかし良い物をいただいたんでしょうねぇ・・・・で、何を?」
「ははははは、ほれ、そこにある熊の皮ですよ」
見れば、黒い熊が一頭
「ヒェ~~~~!」
「甚平さん大丈夫ですよ、食いつきゃしませんから」
「へい、でも先生、この熊の皮をどうなさるんで?」
「これですか、そりゃあ尻に敷くと暖かくて、とても良いものなんですよ」
「あっ、思い出した!  女房が宜しく申しました。」

つまり、尻に敷かれた熊→尻に敷かれた自分→女房の言葉を思い出したというオチなんであります。
じつは、この噺にはもうひとつ違うオチがありまして、
熊の皮に撃たれたときの弾の穴が二つ空いているのを甚平さんが見つけまして、思わず指を突っ込むてぇと、女房を思い出したという・・・・・・

んんんんん、ともかく、尻に敷かれるくらいの方が夫婦円満だと・・・・・
えっ、我が家だったら、尻に敷いたり穴に指を突っ込む前に嫁さんを思い出す?どうしてまた?
「うちの嫁さんは、街を徘徊する熊以上に恐ろしいんだよ、熊を見ただけで思い出すって ・・・・・・・・・・・ 穴に指突っ込んで????なるほどそれで、あな、おそろしや~~~かぁ」
お後がよろしいようで。

さて、今日の一枚は、ビル・エバンス? 失礼、リー・コニッツです。

ビル・エバンスの初代ピアノトリオというと、エバンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンではなく、エバンス、ジミー・ギャリソン、ケニー・デニスであったということは、エバンス・ファンにとっては常識なのかもしれませんが、じつは私、その三人の演奏を聴いたことも無かったので、ずいぶん後までエバンス、ラファロ、モチアンが最初のエバンス・ピアノ・トリオだと思い込んでいました。

考えてみればこの初代トリオの結成は、エバンスがマイルス・バンドを離れてすぐ、つまり1959年の秋頃といいますから、その数ヶ月後の年末にはエバンス、ラファロ、モチアンによる「PORTRAIT IN JAZZ」が録音されていることを思うと、とんでもなく短いトリオだったということが分かるわけで、どうでもいいっちゃどうでもいい初代トリオなのです。


そんなことすら忘れていた数ヶ月前、トニー・スコットの「AT LAST」という2枚組CDを手に入れました。
これは、LPでいうところの「GOLDEN MOMENTS」と「I'LL REMEMBER」この二枚の合体盤でありまして、もちろんフロントにスコットがいるのでピアノ・トリオではありませんが、バックにいるのは、エバンスのピアノ・トリオ?(初っぱなの「LIKE SOMEONE IN LOVE」では、トリオ演奏が聴けます。 )
ドラムは、ピート・ラロッカですから、初代ピアノ・トリオとも違う、録音日は?なるほど1959年8月1,9日・・・・ということは、このメンバーではトリオとしての活動は無く、この時一回ポッキリだったということなんでしょうねぇ・・・・

まっ、そんなことの追求はエバンス・ファンの方にお任せするとして、この時のエバンス・トリオは完全な前座扱いであることは間違いありません。
いずれにせよ、の時期のエバンスが聴けるアルバムです。
(エバンス、ラファロ、モチアンのトリオも「SUNG HEROES」でギターが入ってましたからフォーマットは違いますけど、トニー・スコットのバックを勤めてますよね。)

と、こんな事を話すんならこのCD「AT LAST」を紹介すりゃいいって言われそうですが、今日紹介するのは、これまたCDで入手したその年の一月、エバンス、ギャリソン、モチアンという組み合わせで、リー・コリンズ、ウォーン・マーシュ、二人のバックを勤めているというアルバムです。

エバンス・ファンには、何か言われるかもしれませんが、秋の夜長に、マイルスの「KIND OF BLUE」を挟む前後のエバンス、そして、伝説となったピアノ・トリオまでの変遷、そこらに想いはせながらこれらのアルバムを聴き比べるのもまた一興ではないかと、そんなんで今日の一枚を取り上げたというわけです。どんなもんでしょ?

LIVE AT THE HALF NOTE / LEE KONITZ
1959年1月24日録音
LEE KONITZ(as) WARNE MARSH(ts) BILL EVANS(p) JIMMY GARRISON(b) PAUL MOTIAN(ds)

Disc 1
1.PALO ALTO
2.HOW ABOUT YOU ?
3.MY MELANCHOLY BABY
4.SCRAPPLE FROM THE APPLE
5.YOU STEPPED OUT OF A DREAM
6.317 E 32ND
Disc 2
1.APRIL
2.IT'S YOU OR NO ONE
3.JUST FRIENDS
4.BABY, BABY ALL THE TIME
5.LENNIE-BIRD
6.SUBCONSCIOUS-LEE



最新の画像もっと見る

コメントを投稿