ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

龍馬と今年の日本。

2010年01月05日 | 日本の課題
 昨年大晦日のNHK恒例の「紅白歌合戦」で、今年一年大河ドラマ「龍馬伝」で、坂本龍馬役を演ずる福山雅治が新曲「はつ恋」を、わざわざ龍馬ゆかりの長崎「グラバー亭」から生中継という形で全国に放映された。

 NHKの力の入れようは並大抵ではないが、新春になって新聞紙上の書籍の広告欄も含め、いたるところに「坂本龍馬」が登場し、日本の新年の政治、経済への期待も、この「坂本龍馬」にあやかってブーム、もしくは上昇気流にとの期待が見え見えである。

 今から約170年前の江戸時代末期、天保六年に土佐の高知で産声を上げた坂本龍馬が若くして弱冠31歳で暗殺されるまでの人生が、これほどまでに日本の武士たちや明治維新に影響を与えた政治家として称えられる様になったのは、どうしてなんだろうか。

 確かに坂本龍馬は、グラバー商会(ジャーディン・マセソンの日本代理店)の代理人として武器輸入などに関わった実業家としての評価も高く、土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ね備えた亀山社中・海援隊を結成し、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、志士として活躍した。

 司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」の主人公として紹介されて以来、国民的人気を不動のものとしている感が強いが、その事跡については様々な論議と論評がある。

 「坂本龍馬」という名前は本名ではないらしいが、直陰(なおかげ)、後に直柔(なおなり)と称したといわれているが、変名として「才谷梅太郎」と言う名もあり、いつの頃からか龍馬と通称で呼ばれるようになったらしい。

 いずれにせよ、「坂本龍馬」は、生前より死後に有名になった人物であり、司馬遼太郎の作品を始め、小説やドラマに度々取り上げられ、脚色されたり作り上げられた部分も多く、実在した「龍馬」とはかけ離れているのではないかという指摘も多い様だ。

 京都にちなんだ坂本龍馬に纏わる話も多数あるが、一番は薩長同盟の斡旋役として桂小五郎(木戸孝充)や大久保利通、西郷隆盛たちと関わり、薩長盟約の締結では盟約書の裏書をし、天下の大藩同士の同盟に一介の素浪人が保証を与えたという信頼は大きい。

 この裏書を行う直前に、伏見の寺田屋で幕吏に襲撃され一命を取り留めたが、この時の左手の負傷で、彼の写真や画像ではほとんどが左手を隠していると言われ、その傷を癒すために、妻おりょうと共に鹿児島に旅行したことが、日本での最初の「新婚旅行」とされるようになったという。

 現在の日本の政治、経済状況において、鳩山民主党内閣の政治刷新と経済対策の抜本的改革を推進する原動力は何か、鳩山首相は新年の年頭記者会見で、「国民のための政治」を強調していたが、果たして「坂本龍馬」の精神や行動力を見習っての「日本刷新」ができるかどうかが、ここ数年の正念場である。

 しかし、一般国民のひとりとしては、フィクションであっても「坂本龍馬」的な鳩山首相であってほしいし、「勝海舟」的な小沢一郎に全てを委ねる首相ではない独自な奔放さと行動力での決断を期待している。


 
コメント (1)
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