ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

数奇な人生。

2009年02月15日 | 感じたこと
 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」という、ブラッド・ピット主演の不思議な米国作品の映画を観た。

 テレビの予告編では、80歳で生まれた赤ん坊の数奇な人生という宣伝文句で興味は感じていたが、成長すると共にだんだんと若返って行き、結末はどうなるのかといった疑問が残る感じであった。

 2008年12月にアメリカで公開され、日本では2月7日から公開された2時間46分もの長い映画であり、途中少し暗いトーンのシーンもあったために、昨夜の寝不足もあり、私は数箇所ウトウトとしてしまったが、見終えた感想はただの娯楽映画というよりも、「人生、愛、生と死、信頼」など、人生を考えさせられる作品であった。

 スコット・フィッツジェラルドの短編小説を、デビッド・フィンチャーが映画化したもので、主演のブラッド・ピットにとっては、「セブン」「ファイト・クラブ」に続く彼とのコンビ作品だという。

 この作品は、第81回アカデミー賞では、作品賞を含む13部門にノミネートされている注目作品だとのことであった。

 この作品をぜひ見たいという選択ノ結果ではなく、いつもの様に突然「映画をみよう」と家人を誘って出かけ、一番近いシネコンへ車を走らせて、偶然一番上映時間が早い作品を選んだに過ぎないのである。

 物語は、1918年アメリカのニューオーリンズで、80歳??の皺くちゃな顔立ちで生まれた男の赤ちゃんを、出産した母親が死んでしまったために、父親が困って、ある老人施設の階段にオクルミに18ドルを挟んで放置したところから始まるのである。

 その施設の経営者でもあったクイニーが、この赤ん坊を拾って天からの授かりモノとして醜い老いた顔立ちと体の赤ん坊だが、自分が赤ちゃんを産めない体であるというので喜んで育てるのであった。

 いろんな人生経験のある老人たちの生活施設の中で、同じ様に老いた顔立ちの小さな少年が共に生活しながら、徐々に成長し、ベンジャミンと名づけられた少年が12歳の時に、感謝祭で少女デイジーと出会うのであった。

 ふたりは互いに心を通わせ合い、ベンジャミンは自身の秘密を明かす中になり、どんどんと成長する毎に顔や体は若返っていくのであった。

 その後、ベンジャミンは実の父でボタン工場の経営者である、バトン氏と出会い、彼の死後はその遺産を受け継ぎ暮らすのだが、デイジーは世界的に公演をするバレリーナとして活躍し、お互いの人生はすれ違いを繰り返すのだった。

 十数年が経ち、デイジーは不慮の交通事故で肝心の足を複雑骨折し、バレーが出来ない身となって、漸く病床を訪ねて再会したベンジャミンとしばらくして結ばれて女の子を授かるのであった。

 こうした物語を、老いてベットで死線を彷徨うデイジー自身が、娘に日記を読ます形で話していくのだが、ベンジャミンの最期は少年の姿となって、認知症を患いながら、赤ん坊に返って死んでしまうのであった。

 台風が接近する病院のベッドでデイジーも死を迎えて映画は終わった。



 
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「縁の糸」

2009年02月14日 | 感じたこと
 「縁の糸」というタイトルの竹内まりあサンのテーマ曲が流れると、小学一年生のK君も、「縁の糸が物語り運んでくる・・・」と「縁(えにし)」なんぞの意味が分らなくても歌出だすほど、朝のNHKのテレビ小説が大好きである。

 十数年前の「ふたりっ子」でデビューしたような双子の姉妹である、マナ、カナが二度目のヒロインを務め、島根と京都を舞台に、舞妓の世界と宍道湖のしじみ漁師を背景に物語が進んでいるドラマ「だんだん」を、わが家では朝の定番視聴番組としている。

 孫のK君は、日頃は学校に行く時間でテレビで観ることができないので、土曜日にまとめて再放映されている「だんだん」の一週間の録画を、まとめて観ているので、学校のない土曜日の朝は生で観たとしても、何度も何度も竹内まりあの「縁の糸」を聞いているので、覚えてしまったのである。

 ところで、ドラマの主人公は、双子の「のぞみ」と「めぐみ」という姉妹の話なのだが、先日あるご婦人から面白い「えにし」のお話を聞かしていただいた。

 そのご婦人は私がよく知っている姉妹のお母さんなのだが、小学生時代からよく知っていた姉妹は、性格も体格も全く違う感じのTさんとYさんであった。

 私がふたりの姉妹に逢ったのは、今から20数年前だつたが、その後姉妹はそれぞれの縁があって結婚されて、各々三人と二人のお子さんにも恵まれて幸せに暮らされているのだ。

 お母さんが仰るお話とは、二人が結婚した時には全く気づかなかったのだが、姉のTさんのご主人は和歌山の出身の方であり、妹のご主人の出身地は滋賀だと言われた。

 実はお孫さんからするとおばぁちゃんにあたるご婦人のご両親のご出身が母方が和歌山で、父方が滋賀であったことに気づかれたというのである。

 つまり祖父母の出身地に孫の姉妹がそれぞれの伴侶を得て嫁がれているというのであり、難とも言いえぬ「縁」を感じて、「縁の糸」で結ばれたのではないかと思うと仰っているのであった。

 ものは考えようであり、またその様に考えれば不思議なことであるが、出身地や誕生日が偶然同じであったり、似通っていることに気づくことが、特に親、兄弟だけでなく、知人、友人においても結構あるものなのである。

 私の最初の姪は、私の実父と同じ誕生日だし、来週の日曜日は、私の息子の伴侶であるRさんと私の伴侶の姉の子、つまり義理の姪っ子も同じ誕生日なのである。

 実に全く偶然と言えばそれまでだが、誕生日なんぞは365分の一の確立だと思うのだが、親戚、友人、家族に結構同じ誕生日の人がいるのだから不思議でもある。

 昔からの「縁の糸」は、見えないけれど、いろんな出会いや突然の再会などで、何とも言えぬ「縁」を感じることは、結構多くあるものなのである。

 「縁の糸」を信じ、「縁の糸」に結ばれた関係を大切に、これからも出会いを楽しみに生きていきたいものである。
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「トイレまんだら」

2009年02月12日 | ガリバー旅行記
 今日は友人から借りた単行本で、舞台芸術家の妹尾河童さんの著作、「河童が覗いたトイレまんだら」を読み終えたので、ここに紹介する。

 昨年夏に私がネパール、インドに一人旅すると言ったら、内モンゴルに一昨年一緒に行った友人が、この本を何故か私に面白い本があると言って貸してくれたのであった。

 たぶん、私自身は毎年夏に、内モンゴルへの「草原ゲルに牧民と宿泊し、乗馬を楽しむ旅」を企画しているので、大草原の中のゲルには当然トイレなんてものはなく、みんな思い思いの時に、大草原の窪みや木の陰を探して用を足しているので、世界には多種多様なトイレ、すなわち便所があり、また日本人の家庭のトイレにも様々のものがあることを面白く覗いて描いた、この著作を貸してくれたのであろう。

 昨年の夏は中国、北京で大々的なオリンピックが開催されたため、私の夏の恒例の「内モンゴルツアー」を中止し、一人約半月のネパール、インドの旅を楽しんだのだが、安宿に泊まり歩いたのだが、なんとか゜トイレ」だけは付いていて、用足しには困らなかった。

 アジアの各地を好んで機会ある毎に旅したい私だが、今までタイ、フィリッピン、シンガポール、ネパール、インドと旅しても、内モンゴル草原での生活と用を足す、自然の姿を経験しているので、どんなトイレや用足しにも驚かないし、大丈夫なのであった。

 昔のヨーロッパ地方では、小も大も立派な建物から突き出した「便所」からジカニ下の路地や草地に直接落としていた時代が長かったらしく、ヨーロッパの路上はとても不衛生な状態で臭かったらしい。

 中世の時代まで、人間の下の始末は今のような衛生的な水洗便所などほとんどなく、汚い話だが「垂れ流し」状態で、豚や家畜の餌にするか、田畑の肥やしに一部使っていたことはあるが、ほとんどが野ざらしで乾燥したり蒸発する、自然な状態、つまり「ほったらかし」だった様である。

 この「妹尾河童さん」の「トイレまんだら」は、椎名誠、野坂昭如、岸田今日子、モレシャン、加藤芳郎、永六輔、タモリ、和田アキ子などの著名人の自宅の愛用されているトイレを拝見して、彼が精密なデッサンをつけて解説しているものなのである。

 食文化と言って、人間は口から食べることはよく話し研究もしているが、下から出す、つまり脱糞、放尿をすることについては、なかなか語ったり研究することは表ざたにはされていなかった。

 しかし、動物は必ず食べて出すわけで、口から入れる方の食文化やグルメが取りざたされるのであれば、お尻から出す方も大切であり、大っぴらには語ったりしにくいかも知れないが大切な生理現象であり、それを行う部屋や場所は一生の内で多くの時間お世話になる貴重な空間なのだから、大切にしなければならないものなのである。

 余談だが、最後に書かれていたトイレットペーパーについては驚いた。

 日本人の使用量は平均一日、男性が3.5m、女性はなんと12mにもなり、世界中の人間の中でトイレットペーパーを使っているのは約三分の一の人だけなのです。

 森林資源の無駄は割り箸だけではなく多くのトイレでも流されているのです。
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「迷惑な発明品・・?」

2009年02月11日 | 感じたこと
 先日、早朝のFMラジオで、世界中の「迷惑な発明品」として、何と「24時間スポーツチャンネル」、「ゲームセンター」、「カラオケ」そして「携帯電話」があげられていた。

 20世紀後半の1960年代以降に実用化され、日本でもブームとなった「現代的電子機器」を使用した「遊びのための発明品」である。

 私自身が使用しているのは携帯電話だけだが、ゲームセンターやテレビゲーム類は縁が無いし、24時間スポーツチャンネルなどは契約していないし、カラオケも誘われて行ったことが数回あるだけで、ほとんど要らないものである。

 なぜ「迷惑な発明品」として名指しされたのかと考えてみるのも必要なことかもしれないと思うので推察してみよう。

 「24時間スポーツチャンネル」だが、私もスポーツ番組は好きなので、時には観たいスポーツ中継を観れればと思うことはあるが、仕事や多様な雑事を優先すれば、観る機会は年に数回であり、真夜中に世界のサッカーやスポーツイベントを観てしまうと生活のリズムが狂ってしまうだろう。

 「ゲームセンター」は、東京に住んでいた頃に、有楽町にあった小さなゲームセンターに軽い気持ちで入り、コインを使ったゲームをしていると、たくさんのコインが出てきて、遂に数百のコインを預けて帰ったことがあり、熱中してしまったりして時間がもったいないことになる場合がある。

 テレビゲームも同様で、ちょっとだけと思ってはじめると、その戦いやゲームの虜となって、ついつい時間を忘れ熱中してしまうこととなり、仕事や勉強、その上寝不足になったりするので、やはり迷惑なのかもしれない。

 「カラオケ」は、日本の発明品で今や世界中に普及していて、大人だけでなく子供たちや中高校生たちも気軽に「カラオケに行く」というのが、遊びのひとつの定番となっている。

 この「カラオケ」で歌うこと自体はなんら悪くはないのだが、上手、下手も交えてほとんど他人の歌などは聞いてなく、自分が歌う歌を探し入力し、ひたすら待つといった感じの時間が主になり、中にはマイクを離さない「カラオケ中毒」の我侭な人がいたりすると、全く楽しくなく迷惑千万であろう。

 最後の「携帯電話」はどうだろうか。

 便利な道具ではあるが、今や「携帯は命の次に大事」とばかりに、手から片時も離せない若い人たちがいて、電車の車内や多くの人が利用する公共的な場所でもマナーモードはおろか、大きな声で話したりメールやゲームに熱中している中年までいて、迷惑な自分勝手が横行している。

 いずれも節度ある使用を進めたり、使用をご遠慮下さいでは全く効果がなく、やはり「迷惑な発明品」と名ざしで批判されても仕方が無いくらい、マナーも悪く必要な人も制限する自己規制が出来なくなっている現状を感じるものである。
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「建国記念日」

2009年02月10日 | 感じたこと
 明日は「建国記念日」と言う名の祝祭日でお休み日だそうだが、私は仕事でいつものように出かける予定である。

 学生諸君や普通のサラリーマンにとっては「休日」であり、なんとも嬉しい一日なのかもしれない。

 しかし、なぜお休みなのかをゆっくり考える人は少ないことだろう。

 日本での建国記念日とは、昔の「紀元節」と呼ばれた、記紀神話中の神武天皇が即位された日、つまり紀元前660年2月11日に由来しているということで、昭和何年かに国会で祝日法が改正されて誕生した、まだ新しい祝祭日のひとつなのである。
 
 全世界の国々に目をやると、確かに「建国記念日」や「独立記念日」または「革命記念日」などとして、国の定める祝祭日を決めている国が多いので、日本にも必要ということで決められたのが、元「紀元節」と呼ばれた、歴史的には根拠の乏しい日を「建国記念日」とした経緯がある。

 国際的には、ほとんどが19世紀から20世紀にかけての統治国からの独立や革命記念日を祝日として祝う国家の日と定めているケースが多いのだが、第二次世界大戦後の解放記念日や連邦政府からの独立した日を記念した国もある。

 有名なのはアメリカの独立記念日、Independent Dayで1776年の7月4日にイギリスからの独立を宣言した日で、まだ233年しかたっていない新しい国なのである。

 またフランスのパリ祭も有名だが、1789年の7月14日をバスチーユ牢獄襲撃・政治犯解放でフランス革命が始まった日とされている。

 アジアの近くの国、中国と韓国については、中国が10月1日の国慶節で、1949年に毛沢東が天安門で建国を宣言した日であり、韓国は光復節と呼ばれる、1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受託した日であり、実際は米軍が撤退した1948年からだとしている。

 ほかには、オーストラリアが1788年に最初の移民団がシドニー湾から上陸した日を「オーストラリアの日」としているが建国記念日とはしていないし、カナダは1867年にイギリスカラ自治権を獲得した日を「カナダの日」として建国記念日としている。

 いずれにせよ、世界中の大半の国が、歴史上で明らかな史実として語られている年月日を国民の祝日あるいは国家の日として定め休日としているのだが、日本だけといっていいと思うが、歴史的には定かではないし、歴史上ではつくられた「神武天皇」という架空の天皇の即位日などという想像上の年月日を無理やり「建国記念日」として制定したのである。

 制定当時は、「紀元節復活反対」だの、「紀元節を祝う国民の集い」などと双方の意見対立や記念式典、反対集会などが盛んに行われていたが、昨今は両者ともささやかには行ってはいるが、盛り上がりにも欠け、ただの「国民の休日」のひとつとして機能しているに過ぎない感が強いと思うのである。
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「大麻」または「マリファナ」

2009年02月09日 | 感じたこと
 最近の話題の中に、日本相撲協会に所属する力士たちの「大麻問題」がある。

 ロシアから来た兄弟力士や若麒麟と呼ばれた日本のお相撲さんが、財団法人「日本相撲協会」から解雇処分を受け、今後一切プロとしての相撲取りには戻れないという厳しい処分を受けた。

 この日本相撲協会の処分について、マスコミを中心に「なぜ除名しないのか」「解雇は甘い」と言った厳しい批判が浴びせられ、ロシアから来た白露山と露鵬は退職金を受け取って帰国したらしいが、若麒麟は退職金の受け取りを辞退したらしい。

 いずれもまだ若き前途悠々の期待の相撲取りだったのに、本当に残念で仕方がない。

 今日に至るまでに多くのスポーツ選手や芸能タレントたちも、この「大麻所持」や「マリファナ吸引」で逮捕、起訴されたりして、自らの人生の途中で、とんでもない挫折を味わい、人々の噂や話題になってテレビや週刊誌などでも、誹謗中傷も含めてパッシングを受けたことだろう。

 果たして、この「大麻」ないし「マリファナ」というのは、そんなにも「人格を否定する」ほどの大罪なのだろうか、私には少々疑問を感じる部分があって、日本のマスコミやメディアの執拗な犯人扱いや罪人としての人権侵害も甚だしい部分もあると思っている。

 私は、この「大麻」もしくは「マリファナ」の所持ないしは吸引を良いことだと言うつもりは全くない。

 しかし、いくら「麻薬取締法」に違反した犯罪だとしても、それほどまでに人格を否定し難いパッシングを浴びせることはないのではないかと言いたいだけである。

 そもそも、大麻ないしマリファナとは、麻の花、茎、葉を乾燥させて、細かく刻んで、調理または燃やすなどして発生した煙を吸引して使用する「薬理作用」のある植物であり、古代から嗜好品や医薬品として用いられていたものだそうだ。

 「マリファナ」は、スペイン語で「安い煙草」を意味し、大麻の繁殖力が野生では強く、自生してたくさん取れたため安く手に入ったことから、メキシコでは一般的にマリファナと呼ばれ、アメリカに伝わり全世界に「マリファナ」として呼ばれるようになったらしい。

 日本では、衣類、紐、縄、神社の注連縄、相撲の化粧まわしなど、歴史的に使用されてきた繊維であり、大麻は大麻草、医療薬として使われてきたのである。

 それが日本では大麻取締法による規制で、無許可所持は最高懲役5年、営利目的の栽培は最高懲役10年の犯罪とされたのである。
 
 「大麻は煙草より軽い病理的効果」があると言われてもいて、全世界の国々での規制や使用はまちまちなのであって、決して各種ドラッグト呼ばれる「麻薬類」とは別なものだとの見解も多く存在するし、米国を中心とする資本主義社会での「違法とすることでの利得」を貪る石油資本などの陰謀説まであるのである。

 いずれにせよ、「違法である」ことはく間違いないのだが、「人格を否定」したり人権まで剥奪するような犯罪として捕らえるのは如何なものなのだろうか。
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「誰も守ってくれない」

2009年02月08日 | テレビマスコミ
 今日大阪に母を訪ねて出かけたついでに、今年初めて劇場で映画を観ようと思い、偶然君塚良一監督作品、「誰も守ってくれない」を観た。

 佐藤浩市と志田未来が主演で、幼児殺人事件の容疑者の兄の逮捕から、それまでの平穏な日々がなくなり、「容疑者家族を守る」使命を帯びた刑事と共に、身を隠すように行動する、一人の15歳の女子高校生の物語であった。

 主役の少女を演ずる志田未来さんは、確かテレビドラマでも妊娠した14歳の少女役を演じて話題となった若き女優さんだと思うが、非常に複雑な設定でもある、殺人容疑者の妹役を見事に演じていた。

 佐藤浩市さんが演ずる中年男は、刑事として過去に責任を問われた前歴を持ち、プライベートでは同じ年頃の娘を持ち、妻との家庭崩壊の危機を迎え家族旅行を計画していたのに、仕事に没頭せざるを得ない状況になるという、見ごたえのある邦画となっていて、モントリオール世界映画祭で最優秀脚本賞を受賞したらしい。

 実は、警察沙汰にもならなく刑法上で問われる事件ではないが、私が市議会議員をしていた10年近く前に、「暴力」という名の汚名を着せられ、数年間は針のムシロとでも言うべき犯罪者のように扱われたことがあった。

 ちょっとした行き違いから相手に当たった膝頭が、とんでもない「暴力」として問題にされ、「議員辞職勧告決議」に至り、全く弁解、弁明の機会もなく、一方的に「悪者」として、マスコミ、市民に晒されるという事態に至ってしまった。

 私は私自身の責任を痛感し最大限の謝罪と自粛や反省を行って、半年後に議員としての仕事のひとつである「一般質問」に立とうとしたら議員が議席から出て行くという抗議をされ、質問が行えなくなったこともあった。

 私自身は多様な誹謗と中傷で苦しめられたが、直接関係のない家人にまで、電話や葉書での嫌がらせや「町から出て行け!」などという脅迫めいた文まで送付されたり、メールでの批判、中傷も続いた。

 何処の誰だかわからない匿名のままで、こうしたメール、葉書、電話が私の家庭に忍び寄ってきて、「嫌な気分」に陥れられたのであった。

 新聞紙上でも一方的に「膝蹴り議員」などと書かれ、週刊誌の取材申し込みまであったが、テレビの取材記者などは、先入観や記事内容とは違った印象を感じて丁寧に感想を述べて帰って行かれた人もいた。

 いずれにせよ、一方的な誹謗、中傷が付和雷同的に津波のようにインターネット上の書き込みやサイトで炎上するという昨今の脅迫、名誉毀損事件のように、相手の人権や心情を度外視した「いたづら」や「嫌がらせ」がエスカレートするのである。

 「誰も守ってくれない」は地味なテーマだが、本当に怖い匿名社会の人権侵害や人間の知る権利と平静に生きる権利との競合を描いている。
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「おつかれさま」

2009年02月07日 | 感じたこと
 「おつかれさま」という美しく人の労をねぎらう言葉を歌った歌、斉藤和義の「おつかれさまの国」という曲が車のFMから流れてきた。

 週末の金曜と土曜日は、私の仕事である「八百屋ガリバー」の営業日であり、土曜日の夕刻は、金曜日の早朝の仕入れから二日間の「週末やおや」の仕事の終わりが近づく「お疲れ様」の時刻なのである。

 毎週のことなのだが、金曜日の朝に京都市内に有機農産物の仕入れを中心に荷受に出かけて、続けて金曜日のパートの仕事をはさんで、帰宅後すぐに八百屋の荷積みをして、夕刻六時過ぎから九時頃まで20軒ほどのお客様の自宅を愛用の営業兼自家用車である軽四輪ワンボックスカーで走っているのである。

 土曜日は朝九時頃から夕刻六時過ぎまで、昼の休みを挟んで約七時間、30軒ほどのお客さんを訪問し、二日間の「やおやガリバー」としての仕事を終えて、帰宅の途につこうとしている時に、ちょうどタイミングよく聞こえてきたのが、この「おつかれさまの国」というアコースティックな曲であった。

 日本語の美しさ、他人の一日の労働を労わり、「おつかれさま」という言葉は、「疲れ」に「お」と「さま」までつけて、丁寧に相手に贈る言葉である。

 今日の夕刻に耳にした時には、あまりのタイミングの良さに、自分のために誰かがリクエストしてくれたのではないかとさえ思ってしまうほどの気持ちになった。

 決してたいしたことではないが、一週間の仕事や雑用、または出会いやおしゃべり、考えたことなど、たくさんの生きた証に対して、自分自身に対しても「おつかれさま」と言ってもいいんじゃないかとさえ思ったのである。

 私自身、いつごろかは覚えていないが、友人や知人、もしくは他人とでも、一日の仕事や会合、会議など事が終わった時には、一緒に時を過ごしたり、仕事をした仲間たちに、必ず「お疲れ様」という労いの言葉をかけて別れることにしていた。

 あらためて、斉藤和義という歌手がアコースティックギター中心の演奏で「おつかれさまの国」という名曲を作って、昨年11月頃からラジオで流れているのを聞いて、とってもうれしく思っていたのだが、自分自身の週末の仕事終わりに、これほどまでもフィットして「おつかれさま」と歌ってくれているという感じで聞くとは思わなかった。

 最近、そう言えば職場の同僚や若いスタッフに、いつもの様に仕事帰りの別れの言葉として、「お疲れ様」「お先に失礼します」と声をかけても、ほとんど返答らしき言葉が跳ね返ってこないことにちょっとした寂しさも感じていた。

 こんなに綺麗で他人と自分の労をねぎらう「おつかれさま」「お疲れ様でした」という日本語があるのに、なぜ返答がないのだろうかと。

 「そちらこそ、お疲れ様でした」とか「ありがとう、あなたもお疲れ様」とかいい様があるのではないだろうか。

 同じ職場や同僚たちの一日の労をねぎらいつつ、別れに「おつかれさん」と言い合い、明日への英気を養い、再び仕事に楽しく励もうではないか。 
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友人の死。

2009年02月05日 | 感じたこと
 私にとっては35年もの付き合いだった友人の死を昨日の朝知った。

 仕事に出かける前に少し時間があったので、いつもの様にパソコンを開いて、メイルチェックと共に、ミクシィを見ていたら、今年たぶん三十路を迎える御年の女性の日記風コメント「眠れぬ夜」というタイトルが目に留まった。

 そこで久しぶりに彼女の記述を覗いてみると、卒業期を迎えた小学生たちを受け持つ教師としての寂しさを綴っているのだが、その後に実家には母と妹がいて、東京にも妹がいるのだが・・・、という文章が続いていて、「はてな?、お父さんである私の友人はいないのかな」と感じたので、少し続きを読むと、なんと「父の訃報が新聞に載っていた」とあるではないか。

 心臓が止まりそうなほど、びっくりした。

 全く寝耳に水ととでも言うべきか、私には信じられない事実が綴られていたのであった。

 とにかく真実を知りたいと心はあせったが、娘さんである彼女が嘘を書くはずがないし、本当なのだろうと不安と共に、彼の面影や元気に出会っていた頃をことを思い出していた。

 彼女は地方都市で実家を離れて小学校の先生をしているので、仕事中の時間に携帯電話をかけたり、メールで問うけにはいかないので、やむを得ず、ご実家のお宅へ電話を試みた。
 
 何度かのコールの後、私も何度か泊めていただいたりした福岡のお宅にいらっしゃる今は亡き友人の未亡人となられた奥さんとお話ができた。

 今年の一月、今から三週間ほど前に彼は58歳の人生を閉じたというのであった。

 死因は喉頭がんだとのことで、真っ先に私の脳裏にはヘビースモーカーだった彼の姿が思い出された。

 「喫煙」が発症の原因のひとつかどうかは定かではないが、私が福岡の彼の家に宿泊させていただいた時には、ベランダに出て喫煙していた彼の姿を覚えているし、京都のわが家に彼が来た時には、家人が灰皿代わりのものを探してテーブルに置き、遠慮しつつ喫煙していた風情が思い出される。

 一昨年に肺がんで逝った友人も死ぬまでタバコは止めなかったし、昨年夏に帰らぬ人となった料理サークルでご一緒だった友人もタバコ好きで、食道がんで亡くなったと奥様に聞いた。

 この一年間に私の友人や知人の訃報をよく聞くようになったのは、紛れもなく私自身が還暦を過ぎ、「年寄り」の仲間入りをしている証拠なのだろうが、私自身はまだまだ若者には負けない「元気」があると思っているので、一人ひとりの訃報がとってもショックである。

 特に昨日の訃報は私よりも年下の友人であったためと、元気に日本中を飛び回っての講演活動に明け暮れて忙しくしているのだろうと思っていただけに、突然の訃報という感じで、昨日一日心の中は暗く重たかった。

 夜になって、やっと彼の娘である○○ちゃんから電話があり、少しでも父親の死に対する暗い気持ちや寂しさを忘れて健やかに過ごしてほしいと必死で電話口で言葉を選びながら明るく話したかった。

 「出会いがあれば別れがあり、生まれた者は必ず死を迎える」

 当たり前の人生だけれど、やっぱり「別れ」や「死」は、ショックであり寂しいものである。
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ストリートビュー。

2009年02月04日 | 感じたこと
 にわかに、昨日頃からインターネットでの検索で誰でも見ることが出来る「グーグルのストリートビュー」が問題視されている。

 確かに私も以前に何気ない気持ちで、グーグルでの検索で自宅付近を検索している時に、このストリートビューというサービスと言うべきか、自宅前が如実に見えるというべきか、くっきりと観察できる「画像」の存在を知って、驚くやらビックリして不思議な気分になったことがあった。

 私自身は、現在のインターネット上でのプライバシー保護の問題や匿名性の中傷誹謗、または無責任な批判やいじめなどに対して、困ったものだなと感じつつも、規制や削除だけでなく、いい手立てがないものかと思案はしても、「まぁしょうがないか」と言った感じであった。

 しかし、我が家の奥方に、このストリートビューを見せたところ、「とんでもないこと」と彼女自身は、全く見ず知らずの他人にまで、全世界中から自分の家の玄関先、すなわち駐車場の車や形状や時には表札や名前まで特定できる位に精巧な映像が映っていることに驚きだけでなく「削除できないの」と不満の意を表していた。

 テレビマスコミを契機に新聞でも「問題視する声」がたくさん寄せられるようになって、国会や地方議会でも、この映像提供サービスに対しての批判や問題提起が行われている。

 あるご婦人はテレビのインタビューで、自分の家の映像に洗濯物が干してあるのが鮮明に映っていて、下着の枚数や色までわかるので、とんでもないとお怒りのコメントをされていた。

 またある知人は、自分の知っている友人が仕事場の前に立っていたり、愛用の自家用車の車種や色まで鮮明にわかる映像が映っていて「可笑しいやら困る場合もあるのでは」と疑問を投げかけている。

 どうもこのストリートビューなるサービスは、数年前から始まっていて、地域のリサーチや公共的目的、またはビジネスの上でも、いちいち現地に調査や実地検証しなくても済む場合もあって、大変役立っていたり、省力化や人手不足を補う上で便利に使用している企業や人も多いと聞く。

 しかし、他人の家を覗き見するが如き、趣味的な対象や他人の生活の場を盗撮している様な部分もあって、悪用されたり、知らないうちに公開されたり、印刷されたりしていたとしたら、たぶん関係者は気持ちが悪いし、困ったものである。

 世の中、いろいな技術的進歩のお陰で助かったり、省力化がなされたりと便利になったと喜ぶ人がいる一方で、とんでもなく困ったり迷惑に感じる人たちがいる場合もあるのである。

 本当に人の人権やプライバシーを守るという立場からすると、こうしたサービスは公共的な行政や限られた手段のみで使用されるのは止むを得ない場合もあると思われるが、一般大衆が何の許可や許しもなく、多用することが出来る状態で放置することは好ましくないのではないだろうかと思うのである。

 何でも「規制しろ」と言っているのではないが、せめて自己申告で削除を希望したり出来る様にはしていただきたいものである。
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