ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

数奇な人生。

2009年02月15日 | 感じたこと
 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」という、ブラッド・ピット主演の不思議な米国作品の映画を観た。

 テレビの予告編では、80歳で生まれた赤ん坊の数奇な人生という宣伝文句で興味は感じていたが、成長すると共にだんだんと若返って行き、結末はどうなるのかといった疑問が残る感じであった。

 2008年12月にアメリカで公開され、日本では2月7日から公開された2時間46分もの長い映画であり、途中少し暗いトーンのシーンもあったために、昨夜の寝不足もあり、私は数箇所ウトウトとしてしまったが、見終えた感想はただの娯楽映画というよりも、「人生、愛、生と死、信頼」など、人生を考えさせられる作品であった。

 スコット・フィッツジェラルドの短編小説を、デビッド・フィンチャーが映画化したもので、主演のブラッド・ピットにとっては、「セブン」「ファイト・クラブ」に続く彼とのコンビ作品だという。

 この作品は、第81回アカデミー賞では、作品賞を含む13部門にノミネートされている注目作品だとのことであった。

 この作品をぜひ見たいという選択ノ結果ではなく、いつもの様に突然「映画をみよう」と家人を誘って出かけ、一番近いシネコンへ車を走らせて、偶然一番上映時間が早い作品を選んだに過ぎないのである。

 物語は、1918年アメリカのニューオーリンズで、80歳??の皺くちゃな顔立ちで生まれた男の赤ちゃんを、出産した母親が死んでしまったために、父親が困って、ある老人施設の階段にオクルミに18ドルを挟んで放置したところから始まるのである。

 その施設の経営者でもあったクイニーが、この赤ん坊を拾って天からの授かりモノとして醜い老いた顔立ちと体の赤ん坊だが、自分が赤ちゃんを産めない体であるというので喜んで育てるのであった。

 いろんな人生経験のある老人たちの生活施設の中で、同じ様に老いた顔立ちの小さな少年が共に生活しながら、徐々に成長し、ベンジャミンと名づけられた少年が12歳の時に、感謝祭で少女デイジーと出会うのであった。

 ふたりは互いに心を通わせ合い、ベンジャミンは自身の秘密を明かす中になり、どんどんと成長する毎に顔や体は若返っていくのであった。

 その後、ベンジャミンは実の父でボタン工場の経営者である、バトン氏と出会い、彼の死後はその遺産を受け継ぎ暮らすのだが、デイジーは世界的に公演をするバレリーナとして活躍し、お互いの人生はすれ違いを繰り返すのだった。

 十数年が経ち、デイジーは不慮の交通事故で肝心の足を複雑骨折し、バレーが出来ない身となって、漸く病床を訪ねて再会したベンジャミンとしばらくして結ばれて女の子を授かるのであった。

 こうした物語を、老いてベットで死線を彷徨うデイジー自身が、娘に日記を読ます形で話していくのだが、ベンジャミンの最期は少年の姿となって、認知症を患いながら、赤ん坊に返って死んでしまうのであった。

 台風が接近する病院のベッドでデイジーも死を迎えて映画は終わった。



 

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