「縁の糸」というタイトルの竹内まりあサンのテーマ曲が流れると、小学一年生のK君も、「縁の糸が物語り運んでくる・・・」と「縁(えにし)」なんぞの意味が分らなくても歌出だすほど、朝のNHKのテレビ小説が大好きである。
十数年前の「ふたりっ子」でデビューしたような双子の姉妹である、マナ、カナが二度目のヒロインを務め、島根と京都を舞台に、舞妓の世界と宍道湖のしじみ漁師を背景に物語が進んでいるドラマ「だんだん」を、わが家では朝の定番視聴番組としている。
孫のK君は、日頃は学校に行く時間でテレビで観ることができないので、土曜日にまとめて再放映されている「だんだん」の一週間の録画を、まとめて観ているので、学校のない土曜日の朝は生で観たとしても、何度も何度も竹内まりあの「縁の糸」を聞いているので、覚えてしまったのである。
ところで、ドラマの主人公は、双子の「のぞみ」と「めぐみ」という姉妹の話なのだが、先日あるご婦人から面白い「えにし」のお話を聞かしていただいた。
そのご婦人は私がよく知っている姉妹のお母さんなのだが、小学生時代からよく知っていた姉妹は、性格も体格も全く違う感じのTさんとYさんであった。
私がふたりの姉妹に逢ったのは、今から20数年前だつたが、その後姉妹はそれぞれの縁があって結婚されて、各々三人と二人のお子さんにも恵まれて幸せに暮らされているのだ。
お母さんが仰るお話とは、二人が結婚した時には全く気づかなかったのだが、姉のTさんのご主人は和歌山の出身の方であり、妹のご主人の出身地は滋賀だと言われた。
実はお孫さんからするとおばぁちゃんにあたるご婦人のご両親のご出身が母方が和歌山で、父方が滋賀であったことに気づかれたというのである。
つまり祖父母の出身地に孫の姉妹がそれぞれの伴侶を得て嫁がれているというのであり、難とも言いえぬ「縁」を感じて、「縁の糸」で結ばれたのではないかと思うと仰っているのであった。
ものは考えようであり、またその様に考えれば不思議なことであるが、出身地や誕生日が偶然同じであったり、似通っていることに気づくことが、特に親、兄弟だけでなく、知人、友人においても結構あるものなのである。
私の最初の姪は、私の実父と同じ誕生日だし、来週の日曜日は、私の息子の伴侶であるRさんと私の伴侶の姉の子、つまり義理の姪っ子も同じ誕生日なのである。
実に全く偶然と言えばそれまでだが、誕生日なんぞは365分の一の確立だと思うのだが、親戚、友人、家族に結構同じ誕生日の人がいるのだから不思議でもある。
昔からの「縁の糸」は、見えないけれど、いろんな出会いや突然の再会などで、何とも言えぬ「縁」を感じることは、結構多くあるものなのである。
「縁の糸」を信じ、「縁の糸」に結ばれた関係を大切に、これからも出会いを楽しみに生きていきたいものである。
十数年前の「ふたりっ子」でデビューしたような双子の姉妹である、マナ、カナが二度目のヒロインを務め、島根と京都を舞台に、舞妓の世界と宍道湖のしじみ漁師を背景に物語が進んでいるドラマ「だんだん」を、わが家では朝の定番視聴番組としている。
孫のK君は、日頃は学校に行く時間でテレビで観ることができないので、土曜日にまとめて再放映されている「だんだん」の一週間の録画を、まとめて観ているので、学校のない土曜日の朝は生で観たとしても、何度も何度も竹内まりあの「縁の糸」を聞いているので、覚えてしまったのである。
ところで、ドラマの主人公は、双子の「のぞみ」と「めぐみ」という姉妹の話なのだが、先日あるご婦人から面白い「えにし」のお話を聞かしていただいた。
そのご婦人は私がよく知っている姉妹のお母さんなのだが、小学生時代からよく知っていた姉妹は、性格も体格も全く違う感じのTさんとYさんであった。
私がふたりの姉妹に逢ったのは、今から20数年前だつたが、その後姉妹はそれぞれの縁があって結婚されて、各々三人と二人のお子さんにも恵まれて幸せに暮らされているのだ。
お母さんが仰るお話とは、二人が結婚した時には全く気づかなかったのだが、姉のTさんのご主人は和歌山の出身の方であり、妹のご主人の出身地は滋賀だと言われた。
実はお孫さんからするとおばぁちゃんにあたるご婦人のご両親のご出身が母方が和歌山で、父方が滋賀であったことに気づかれたというのである。
つまり祖父母の出身地に孫の姉妹がそれぞれの伴侶を得て嫁がれているというのであり、難とも言いえぬ「縁」を感じて、「縁の糸」で結ばれたのではないかと思うと仰っているのであった。
ものは考えようであり、またその様に考えれば不思議なことであるが、出身地や誕生日が偶然同じであったり、似通っていることに気づくことが、特に親、兄弟だけでなく、知人、友人においても結構あるものなのである。
私の最初の姪は、私の実父と同じ誕生日だし、来週の日曜日は、私の息子の伴侶であるRさんと私の伴侶の姉の子、つまり義理の姪っ子も同じ誕生日なのである。
実に全く偶然と言えばそれまでだが、誕生日なんぞは365分の一の確立だと思うのだが、親戚、友人、家族に結構同じ誕生日の人がいるのだから不思議でもある。
昔からの「縁の糸」は、見えないけれど、いろんな出会いや突然の再会などで、何とも言えぬ「縁」を感じることは、結構多くあるものなのである。
「縁の糸」を信じ、「縁の糸」に結ばれた関係を大切に、これからも出会いを楽しみに生きていきたいものである。