ガリバー通信

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ダイちゃん馬車。

2009年02月26日 | テレビマスコミ
 先ほど、テレビで偶然観た「ダイちゃん馬車」の物語とでも言うべき、馬との深い友情とでもいうべき絆で結ばれた女性の話に感動を覚えたので、ここに報告すると共に記すことにした。

 東北のある牧場で親しまれていた「観光馬車」を経営する会社が経営的な理由で、ひの牧場の事業を突然廃止して、その牧場で飼われていた馬たちも売却か処分するということとなった。

 その当時、ダイちゃんと名のついた馬車を曳く体重八百キロの馬は、乗馬用でもないので引き取り手、買い手がつかず馬肉用にと処分されてしまうとこだった。

 そのことに大変憂いと寂しさを感じた由紀子さんという職員が、思い余って自分に売ってほしいと会社側と交渉するのだが、最初は105万円もの値がつけられて、彼女のなけなしの貯金、約20万円では到底買い取ることは出来ない状態であった。

 しかし、彼女の「ダイちゃん」を思う気持ちと後々少しずつでもお金を返すからという意思の強さに会社側もおれて、由紀子さんに20万円でダイちゃんを譲ることとなったのだそうである。

 しかし、譲られたダイちゃんをある牧場で飼ってもらい、食費や管理費を負担しながら、彼女はダイちゃんが活躍し、子供たちをはじめ多くの人に喜んでもらえる馬車引きとして事業ができるようにといろいろと提案したり、企業家セミナーを受講したりしながら、ダイちゃんの再生を夢見ていた。

 企業化できればと提案した街頭パレードなどは警察が許可できるはずはないと、現職警察官が批判したこともあって、彼女の夢は費えたかに思えた。

 しかし、元同僚の友人がダイちゃんが引く古い荷車の部分を見つけ買って持ってきてくれたり、その改造と修理もしてくれて、どうにかダイちゃんが引くことのできる想定は整った後、最後のプレゼンテーションの機会が訪れた。

 由紀子さんは、ダイちゃんの活躍した時期のスライドや成長のプロセス、馬車に乗って楽しそうに喜ぶ子供たちの笑顔などを紹介しながら、誠心誠意で「ダイちゃん馬車」の実現の可能性を訴えたのであった。

 その直後、前に公道を馬車が走れないと批判していた警察官が、その後ある町の警察署長になっていたのだが、その彼が彼女のプレゼンに感動して、彼の責任で街中を馬車パレードしてみようという提案がなされ、約5キロの街中での馬車パレードが成功し、地元紙を初めとして話題となった。

 その後は、彼女の提案の「ウエディング馬車」や「観光馬車」としての注文が少しずつきだして、なんと2005年からは、岩手県盛岡市の観光振興のための官民協働での馬車運行というプロジェクトにつながったのである。

 東北の馬産地である盛岡市の風情を引き継いで、盛岡市内で馬車を走らせるという社会実験が始まり、車社会から古きよき時代の文化を現在に生かす夢に近づいたのであった。

 由紀子さんは、その後老いたダイちゃんの健康と体力を考慮しながら、結婚した旦那さんと新たな馬に親しむ牧場経営の傍ら、この観光馬車の運行を続けているというのである。

 すばらしい感動の話題であった。
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