ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「おつかれさま」

2009年02月07日 | 感じたこと
 「おつかれさま」という美しく人の労をねぎらう言葉を歌った歌、斉藤和義の「おつかれさまの国」という曲が車のFMから流れてきた。

 週末の金曜と土曜日は、私の仕事である「八百屋ガリバー」の営業日であり、土曜日の夕刻は、金曜日の早朝の仕入れから二日間の「週末やおや」の仕事の終わりが近づく「お疲れ様」の時刻なのである。

 毎週のことなのだが、金曜日の朝に京都市内に有機農産物の仕入れを中心に荷受に出かけて、続けて金曜日のパートの仕事をはさんで、帰宅後すぐに八百屋の荷積みをして、夕刻六時過ぎから九時頃まで20軒ほどのお客様の自宅を愛用の営業兼自家用車である軽四輪ワンボックスカーで走っているのである。

 土曜日は朝九時頃から夕刻六時過ぎまで、昼の休みを挟んで約七時間、30軒ほどのお客さんを訪問し、二日間の「やおやガリバー」としての仕事を終えて、帰宅の途につこうとしている時に、ちょうどタイミングよく聞こえてきたのが、この「おつかれさまの国」というアコースティックな曲であった。

 日本語の美しさ、他人の一日の労働を労わり、「おつかれさま」という言葉は、「疲れ」に「お」と「さま」までつけて、丁寧に相手に贈る言葉である。

 今日の夕刻に耳にした時には、あまりのタイミングの良さに、自分のために誰かがリクエストしてくれたのではないかとさえ思ってしまうほどの気持ちになった。

 決してたいしたことではないが、一週間の仕事や雑用、または出会いやおしゃべり、考えたことなど、たくさんの生きた証に対して、自分自身に対しても「おつかれさま」と言ってもいいんじゃないかとさえ思ったのである。

 私自身、いつごろかは覚えていないが、友人や知人、もしくは他人とでも、一日の仕事や会合、会議など事が終わった時には、一緒に時を過ごしたり、仕事をした仲間たちに、必ず「お疲れ様」という労いの言葉をかけて別れることにしていた。

 あらためて、斉藤和義という歌手がアコースティックギター中心の演奏で「おつかれさまの国」という名曲を作って、昨年11月頃からラジオで流れているのを聞いて、とってもうれしく思っていたのだが、自分自身の週末の仕事終わりに、これほどまでもフィットして「おつかれさま」と歌ってくれているという感じで聞くとは思わなかった。

 最近、そう言えば職場の同僚や若いスタッフに、いつもの様に仕事帰りの別れの言葉として、「お疲れ様」「お先に失礼します」と声をかけても、ほとんど返答らしき言葉が跳ね返ってこないことにちょっとした寂しさも感じていた。

 こんなに綺麗で他人と自分の労をねぎらう「おつかれさま」「お疲れ様でした」という日本語があるのに、なぜ返答がないのだろうかと。

 「そちらこそ、お疲れ様でした」とか「ありがとう、あなたもお疲れ様」とかいい様があるのではないだろうか。

 同じ職場や同僚たちの一日の労をねぎらいつつ、別れに「おつかれさん」と言い合い、明日への英気を養い、再び仕事に楽しく励もうではないか。 
コメント
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