ガリバー通信

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野茂の引退

2008年07月20日 | プロスポーツ
 先日、メジャーリーグに日本人として二番目の投手としてドジャーズ入りして、トルネード投法とフォークボールで大活躍した「野茂英雄選手」がプロ野球の現役を引退することを発表した。

 野茂投手は、大阪の名も無い高校当時から完全試合をしたり注目を集めていたが、甲子園には行けないまま、ドラフトでスカウトされたが、新日鉄堺という実業団でプレイした後、1989年のドラフト会議でなんと史上最多の8球団から指名されるという話題の中、当時の大阪近鉄バッファローズに入団し、地味なパリーグ球団でエースとして活躍後、本格的なメジャーリーグへの入団を目指して、海を渡って、当時の近鉄の年俸1億4千万円からわずか一千万円の年棒でドジャーズ入りし大活躍したのである。

 十数年前に、当時の南海ホークスに戻って活躍したサウスポーの村上マーシー投手が最初の日本人大リーガーだったが、彼の活躍をはるかに超える大リーグのナ・ァ両リーグで、ノーヒットノーランを記録するという、日本人選手として、大リーグ野球殿堂に入るかとも言われる大選手として、全世界の野球ファンにも記憶に残る大投手である。

 日米通算201勝をあげた大投手も39歳の年齢と度重なる怪我と故障で、今期は開幕当初3年ぶりのメジャー復帰を果たしたのにもかかわらず、戦列を離脱し戦力外通告と言うプロ野球の勧告を受けて、「何とかもう一度メジャーのマウンドに立ちたい」との思いを捨てきれずに葛藤したあげく、「お客さんに見てもらえるパフォーマンスが出来ない」と「心残りの引退宣言」となった。

 多くのプロ、アマ問わずアスリートたちが、いずれは経験しなければならない「年齢と体力の壁」なのだが、野茂英雄投手の場合は、「まだやりたい」との思いを残しての引退宣言と言う、とっても人間的なメッセージが伝わっている。

 有名なアスリート、すでに引退した野球、相撲などの選手や力士たちも、おおむね「体力の限界」を理由に、「燃焼しきった」とか「やり遂げた」思い残すことはない」とか言って引退した人が多いが、野茂英雄投手は、中途半端な状態では周りに迷惑をかけるからと、本人自身はまだ「やりたい」という未練を残しての「引退」である。

 今までもマスコミを通してのインタビューなどでは、とつとつと喋り、あまり表情も変えない寡黙な野球選手といった印象が強かったが、どっこい「野球大好き少年」のまま、仲間やチームメート、友達とは大いに語りはしゃぐといった面もあったらしい。

 彼が残した「記録と記憶」も大きいが、「NOMOベースボール倶楽部」という、アマ野球チームを主宰し、今後も日本の野球界に、すばらしい「野球人」を輩出してくれる一人だろうと思うし、古巣だけでなく日米の野球の発展に、コーチ、監督、指導者として後継者育成にあたってもらいたいものと期待する。

 また一人、中高年の夢と星としての「人気者」が引退した。さびしい。
コメント (1)
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