ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

その場しのぎのツケ

2006年04月10日 | とんでもない!
 どんな話題で話していても、最近はいつのまにか世の中が暗い方向に間違いなく向かっているとの話題になってしまう。

 決して悲観論やマイナス思考ではないのだが、いろんな話題の行き着くところが「先行き不安」とでも言おうか、全く楽観できない日本社会について、異口同音に憂いと共に心配だとなっているのである。

 ある大手スーパーのパート職員の中年の女性との会話の中で、職場での多種多様な問題に対しての対応、つまりトラブルが発生した場合の対処の仕方が話題となったのである。

 いろんな原因があって結果的にお客様からのクレームがきたり、指摘があったりするのだが、上司は殆どその解決策を根本的には考えないで、その場しのぎの対応で済ませてしまうのだと言う。

 つまりお金の勘定が合わなかったとすると、何処かで誰かがレジを打ち間違えたか、価格や割引を忘れたのか、つり銭を間違えたか、とにかく原因があるのだが、上司は上に報告して叱られたり、問題を指摘されて嫌な思いをするよりも、自腹を切ってでも、トラブルや問題が無かったかの様に誤魔化してしまうのだそうである。

 人間の対応やシステムにも「絶対はありえない」のだが、さも「間違いがなかった」として、その場しのぎの対応を繰り返して、ちっとも根本的な改革や見直しはしないで「先送り」してしまうことが習慣または常識になっているのだ。

 誰もが最初は可笑しいと思うのだが、「ここではこうするのだ」と上司に言われて止むを得ず、上司の命令もしくは対応に従っているうちに、「最初は可笑しいと思った」ことが、そのうち「それでいいのだ」となってしまうのである。

 そして、どんどん問題は山積されて、ちっとも解決への糸口を見出せぬまま、表面的には問題なしが、しばらくは続くのであろう。

 しかしである。やはり問題や原因があってトラブルや苦情が生じているのだから、いずれその問題が大きくなり爆発するが如く、とんでもない大きいトラブルになってしまうのである。

 その場しのぎの誤魔化しや対応で「先送り」された「火種」が、いずれとんでもない「大きなツケ」となって具体化した時には、ちょっとやそっとでは解決できない大問題となっているのである。

 日頃は誰もが「難なく問題なく」過ごしたいものである。しかし小さな問題を問題化させることを嫌って誤魔化したり、きれいごととして対処して自分の犠牲やチーム内での常識にしてしまうことは、いずれ大きな事故や取り返しの付かない大問題を生み出していることと同じなのである。

 小さなトラブルから素直に、その原因たる問題に気づいて反省し、システムや仕事の仕方、スキルなどを見直して、再出発する勇気と熱意があれば、結局はスタッフも仕事しやすく、お客様にも喜んでいただけるサービスや仕事に近づけるのである。

 どんな問題でも、その場しのぎの対応で終わらせず、何故問題が生じたかを小さなトラブルでも誤魔化さずに、その時に反省と因果関係を明確にして、真剣に見直し改革することで、新たな仕事への意欲や遣り甲斐を感じられる、真の人間の向上心へと結び付くのだろう。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする