ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

雷に引き裂かれた古い柿木

2006年04月22日 | 感じたこと
 いろんな生物が地球上には存在している。我々人間は動物であるが故に、動物との共存や生態には、わりと敏感である。動物の生命は、目に見えて動くので解りやすいためでもあると言えるだろう。

 しかし植物の生命については、ついつい疎かになったり生命あるものとの感覚が乏しい場合があるのではないだろうか。野に咲く雑草などを踏みしめていても、そう苦には思わないことが多いものである。

 今年は、なかなか春めいて来ないで天候異変なのか、いまだに朝晩は寒さを感じる日々が続いていて、春が近づいて来るのが遅く感じるが、至る所にキレイな春の花が咲きだしていて、桜の散った後の町のあちこちを美しく感じさせている。

 そんな中で今夕、ちょっと訪れた友人宅の玄関の大きな木が、春の新芽を出しているのに気づいたのだが、この木は根っこに近いところに、幹の半分以上の幅で穴が開いていて、中央部は中がむき出しで見えるように、裂かれたような空間があるのだ。

 友人夫婦に尋ねてみると、この木は柿の老木で樹齢は200年以上で、江戸時代から植わっている様なのだが、昔に雷が落ちて柿木は大きく裂けて焼けたのだそうである。

 なのに健気に植物としての生命は永らえていて、毎年新芽を出して秋には渋柿だが実るそうである。実った渋柿が熟す頃にはカラスやヒヨドリがやってきて、この実をついばむそうである。

 春の弱い日差しの中で、この柿木を良く見てみると大きくえぐれた幹にも関わらず、しっかりと栄養分を含んだ水分を吸い上げていて、老木にしては、いまだに青い新芽がいくつも吹き出しており、その新芽の横に昨秋の実の蔕が黒くなって未だについているのである。

 この柿の木は二百年以上も前から毎年、毎年、春に芽を出し秋には実をつけて、厳しい冬には、じっと我慢の月日、時間を送って、また新たな年の春を待ち続け、再び新芽を出してきたのである。

 人間や動物の様に、ある種の感情や鳴き声や言葉による表現手段を持たない植物ではあるが、きっとこの古き柿木は、ここを通るたくさんの人たちを見てきたであろうし、この友人宅の家族の歴史を玄関口で、ずっと見聞きしていたのだろうと思うと、感無量でもあり一度じっくりと幹に耳を当てて聞いてみたくなる。

 ネコや犬をはじめとするペット的な家畜や小動物を飼う人たちは、人間社会のストレスや仕事の疲れなどを、このペットや小動物によって癒されるというのであるが、植物からも大いなる癒しの効果を人間は感じることが多いのである。

 ここに立っている「柿の木」は、私達人間の営みを、どのように感じているのだろうか。

 きっと愚かな人間達に対して言葉は無くても、労わりの気持ちと癒しの効果を通して、生命の尊さと静かな命の連鎖を教えてくれているのではないだろうか。

 そう言えば、今年の一月に沖縄で見た、あの昨年夏の宜野湾の米軍ヘリ墜落で焼けた沖縄国際大学校内の樹木と似ていることに気づいた。

 さぞ、どちらの木々も、雷とヘリ墜落の火災という原因は異なるが、不慮の事故や自然現象での、痛みを乗り越えて、人間達に生命の尊さと力強さを、物語ってくれているのだろうと思うのである。

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