ガリバー通信

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京田辺はかぐや姫の里

2012年02月17日 | 地域の話題
 我が町・京田辺と言えば、「とんちの一休さん」でお馴染みの一休禅師が晩年を過ごされた「酬恩庵」一休寺と、我が母校である同志社大学のキャンパスが1986年に開設されて有名なのだが、今年2月に新たに「竹取翁博物館」が誕生したので、開館後まもない平日に訪ねてみた。

 この「竹取翁博物館」は、館長の小泉芳孝氏が長年の研究、調査の結果、彼の住む京田辺市三山木の「山本」集落が、竹取物語の舞台だと推定されるということで、20年ほど前から彼を中心に「かぐや姫の里」として間違いないとの確信で、地元の郷土史会などで発表されて以来、こつこつと調査、研究の成果を各種古文書や絵図などから立証され、念願の展示公開の場として自宅と隣接する和風住居などを利用して、今年2月に開館されたのである。

 小泉芳孝さんは、長年放送関係の会社に勤務されつつ、全国各地と中国、インドをはじめ世界を旅されながら、かぐや姫に纏わる古文書、絵図だけでなく、シルクロード、稲作民族俗の源流、日本の神社神道、日本とユダヤ同祖論、世界の宗教、柳田民俗学の遠野などにも幅広い興味と調査、研究をされてきた方なので、今回初めて拝見した博物館の展示物を案内していただいただけでも、語り尽くせないほどの諸説、解説をして下さった。

 実は十年ほど前に、京田辺の南の玄関口としての「三山木地区」の特別区画整理事業に関連して、市民からの「まちづくり」の提案をしようと集まった有志一同の中心に小泉さんがおられ、初めてお会いして以来の知人なのだが、現役の仕事も定年を迎えられて退職されて、より一層大好きでもあり最大の関心事でもあった、「かぐや姫の里」としての地元に、長年の調査、研究を重ねられてきた資料や絵図と共に、作成された解説資料などを整理されて、「本館」「別館①」「別館②土蔵展示室」などに分散展示されたのである。

 彼の人生の集大成と言えば大げさではあるが、この博物館の開館に際して、自らが編纂された著書も三冊出版されていて、ほんとうにご本人にとっては、一世一代の大仕事としての「博物館」として産声を上げたところと言った感じであり、今後益々多種多様な展示と地元はもとより、全国各地から興味と関心を寄せて来られる来館者たちとの交流も合わさって、「竹取翁博物館」が発展していくことだろうと感じたのである。

 一般的には「かぐや姫」については、竹から生まれたかぐや姫が、五人の求婚にも関わらず月に帰って行くといった「御伽噺」の様な印象を持っている方が多いと思われるのだが、彼の研究、調査によらずとも、その出典である「竹取物語」は、紫式部が書いたとされる「源氏物語」よりも古い作品であり、作者は不詳とされたているのだが、紫式部はこの竹取物語を物語としての「起承転結」のお手本にしたのではないかと思われるフシもあり、2月中の展示では、「竹取物語」は、あの真言宗の開祖と言われている「空海」が記したのではというテーマでの展示もなされていて、非常に興味深く感じた。

 別館①と称された少し西側の離れ家は、従来住んでおられた方がアメリカへ転居され空き家だったのだが、縁あって小泉さんの手に渡って、和風の古民家を生かした「かぐや姫の館」となっていて、市内在住の染色家、玉井芳泉氏による「かぐや姫絵巻」の大作が染色画や襖絵として展示されているし、人形劇団「ぷくぷく」が制作された「かぐや姫人形たち」も展示されていて、、彼自身の長年の趣味のコレクションやマスコミ一代記の展示など盛りだくさんであり、一度お近くに来られる際には、是非訪ねてご覧になったら如何でしょうかとお薦め致します。

 歴史的史実ではまだまだ研究、調査の余地を残す「かぐや姫」伝説を記した「竹取物語」の里として、彼を中心に名乗りをあげた、わが町「京田辺」に一度足を運ばれては如何でしょうか。

 

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