今回は、本ブログにて過去に掲載した論考を再度掲載したい。今回の最高裁判決で当時18歳だった大月孝行(旧姓、福田)被告の死刑が決定したが、それが今後の司法にどんな影響を与えるのか、そしてフェミニズムなどの偏向勢力はどんな動きをするのか注視する必要がある。
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(2007-06-29 11:28:22掲載の論考)
今更この論考で、「弥生さんに甘えたかった」、「ドラえもんが何とかしてくれると思った」など被告の言葉にいちいち言及するつもりはない。今回注目したいのは、何故これほどまでに本村さんが被告に対し死刑を求めるのか、その真意を今一度考察したいということだ。
山口県光市の母子殺人事件の差し戻し控訴審では、公判での被告の言葉に耳を疑うような発言が飛び出し、遺族の会社員本村洋さんも「聞くに堪えない3日間だった。死者への尊厳の気持ちもない」と憤っている。
この事件に関しては、過去に何度もマスコミに取り上げられ、国民も注目する事件となった。被告に死刑を求める遺族の本村さんに対し、死刑廃止論を唱える弁護側との攻防が今回の公判でも繰り広げられた。
この事件では、強姦目的での殺害なのかどうかが一つの焦点にもなっているようだ。だが、それが事件の深刻性に大きく関わるものなのか私は疑問に思う。何故なら、人の命が奪われたことに変りはないわけで、強姦目的かそうでないかは事件を裁く上でそれほど大きく影響するとは思えないからだ。
性的な要素を含む事例に関してはとかく女性感情などに振り回され易い。今回の事件もマスコミなどが強姦目的という状況を意図的に大きく報道しているような気がしてならない。この事件にもフェミニズムの関与があるのかと思うとやり切れなくなる。それではこの事件の本質を見失うことになりはしないか。決してこの事件を性犯罪の代表例などとして、フェミニズムの性欲排除論、性犯罪厳罰論に加担するようなことになってはいけない。
この事件で本村さんが被告に受け入れて欲しい遺族感情とは何か、それをもう一度冷静に考えてみるべきではないか。本村さんが失ったものとは一体何なのか。
例えば、もし仮にこの事件が起きた時、既に本村さんと奥さんは離婚していて子供も奥さんの所にいたとしよう。それでも本村さんはここまで被告に死刑を強く求めるだろうか? 恐らく力は入らなくなるだろうし、そこまで憤るほど妻を愛していたのなら何故離婚するのかといった疑問も出て来るだろう。
そう考えると、本村さんが被告に訴えたい真意というのは、末永く続くべく幸せな家庭を破壊されたということ、絶対に代替の利かない明るい家庭を被告はぶち壊しにしたのだということ、これに尽きるのではないだろうか。
想像ではあるが、本村さんと亡くなった妻の弥生さんとは、恐らく純愛を貫いたのではないだろうか。家族を思う気持ちというものは、そうした愛情の深さから湧き上がって来るものではないかと思う。本村さんの気持ちの中には、家族愛の大切さというものが大前提として存在するのだと思う。更にその意識は、離婚や非婚が当たり前のようになっている家族破壊の社会に一石を投じるものであるべきではないだろうか。
従って、この被告を死刑にするとしても、その理由が重要である。それは、家族、家庭を破壊したことによる遺族への深刻な精神的打撃を主としたものであるべきだと思う。決して強姦目的だからといった偏見勢力に加担するような理由を主としたのでは煮え切らない。そうした勢力は元々家族破壊を目的とする勢力であり、家族を愛する本村さんの気持ちとは相反する勢力になるからだ。