まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

中国でさえ危機ととらえ、元総監は「警察はサンズイが捕れないだろう」と嘆いた

2024-01-07 02:34:16 | Weblog

故 鎌倉 節 氏




辞めた議員が「分かる人には分かる、分かりたくない人には分からない」と捨てぜりふを吐いたが、この事は国民も承知だ。

サンズイとは汚職である

宮内庁長官だった元警視総監の鎌倉氏の慚愧の念だ
氏は皇室を敬愛し武士(もののふ)の風儀が漂っていた。

国民が憂慮する公官吏や政治家の弛緩した実態でもサンズイは無い、という。
無ければ国民は幸せだが、今のところは無いはずがないと読んでいる。
ちなみに警視庁の捜査二課は知能犯罪の捜査を担当するが、政治家や官吏の贈収賄の摘発などに専従している。ほかには選挙違反などがあるが、国民が期待しているのは、必ず有るであろう政官財のトライアングルと云われた関係での便宜供与に伴う斡旋収賄だ。

もともと所轄署は地方公務員や市長もしくは出先の公官庁とは協力関係にあるためか、相身互いでなかなか摘発はない。いや摘発しにくい関係だ。疑わしい端緒の情報は組織内では所轄が手足となるが、本部と所轄の関係、あるいは所轄責任者が別部署のキャリアだとなかなか二課には情報が上がらない。
だからなのか、直接本庁の二課に告訴することになる。警察官や議員の関わる事犯は交通違反の議員と警察の係わりで事件が流される恐れがあると、今度は検察庁に上訴するようになる。

ならば、検察官が関わる事犯になると、どこにもっていって良いか国民は判らなくなる。
近ごろは、こんなことが多くなったようだと世俗は嘆き諦める。
とくに公務員の関わる問題は、返り血や、江戸の仇長崎と云われるように、いつかしっぺ返しがあると恐々とする。とくに税と治安にかかわる公務員の問題は陰に隠れて処理されることが多いようだ。


地方創生の端印のもとつかみ金のごとく使途を限定しない税金なり借金が投入されている。それも乗数効果というが、乗数どころかマイナス効果が含まれている政策が数値目標のために投入されている。はたして後藤新平のように人を育て、人を活かし、その人物によって資材が有効に使われているかは疑わしい。
だからこそ中央官庁の官吏は集中権力を手放さないのだろうが、今の状態で地方に流せば果たして資金とともに供される国家的政策の意図に沿うものかははなはだ疑問だ。






新華社 共同配信


中国では官吏や党員の汚職取り締まりが頻繁に行われている。
日本と違うのは党員の規律関係を監視摘発する、日本に当てはめれば捜査二課や検察特捜の大物までが検挙されていることだ。習近平氏は革命一世代の縁者派である太子党で、捕まるのは共産党青年同盟出身者だから、これは権力闘争だといわれるが、ともあれ権力者や公務員の汚職摘発は国民の喝采を受けている。しかも後ろ盾となる軍の高官までお縄にしている。

最近、元空幕長田母神氏の選挙で不明朗な支出があったと仲間内で騒いでいるが、この仲間も航空自衛隊のキャリア幹部だ。せいぜい繁華街で飲食や女色にふけるのがオチだが、総じて野暮な姿だ。軍と警察は武力をもち、税官吏は調査権、徴税権をもっているため国民は息を潜めるしかない。
この部類が社会的使命とモノノフの清廉さをを失ったら国が国として成り得ない。
近ごろは緩みを通り越して官位と組織を盾に汚れ始めている。
現職中の安定職担保ならまだしも、辞めた後も民生に入り込み素餐を食んでいるから始末に悪い。

※「素餐」功績も才能もないのに高い位にいて報酬を受けること

とくに甚だしいのは目に見える面前権力だが、国民から見れば現場の隊員や官吏の精勤を見ると言を控えるようになるが、それを踏み台に高位の官吏が民政を侵食する愚は戦前の増殖した軍官吏を彷彿とさせ、いつか同じ途を辿るだろうと国民は危惧している。
だから若い隊員は有事になったら後ろから撃つなどと云い、警察は有能な警察官を数値選別し、幹部は組織内派閥抗争に明け暮れ管轄権で争ったりするのだ。

余談だが、子供が地下鉄内でお年寄りに暴力を振るったことを社会道徳の一大事として動いた署長がいた。普通なら新聞も四段の記事だが、某社の社会部記者は同感して動いた。筆者の面前での会話だった。その署長が都心の方面本部長から本庁の総務責任者になった。
ちなみにその感性の優れた記者は外信部長から論説委員となっている。
真面な感性をもっている人物が揃うと些細な小事が将来の大事になることを逆賭するのだ。また、組織内でも際立つのだ。

筆者と懇談しているとき所轄の署長から電話があった。筆者とも懇意な人物だった。
内容は「警備に比重をおいた組織が民生に転化するこの機会に、組織の意識変革をしなくてはならない・・」とのことだ。










その幹部は民生と警察の関係について尋ねてきた。「青少年と任侠変じてヤクザとなった群れが民生の問題でしょう」と応えた。
権力は常に見えるところにいてはいけない。それは民生の自立自制を妨げることもある。また地域の長(おさ)としても率先垂範する任侠的な存在も習慣文化の自省、自浄として必要との考えだった。そして「深入りは止め処もないことにもなるので慎重に運用してほしい」、と付け加えた
以後は、警備や公安が姿を隠し、生活安全と交通、捜査二課や四課が耳目を集めるようになった。
経済事犯、政治家の汚職、稼業社会の民事介入などが社会問題としてクローズアップされた。

しかし、他聞にもれず省益ならぬ庁益が発生するようになると、捜査権や逮捕権など法の運用権があるゆえに容易に民生の世界に侵入するようになった。まさに怖いものなしだ。本来は慎むべき権力だったが、功利的かつ効率的思考が入ると組織はあらぬ方向に進むことの深慮が薄かった。鎌倉氏の慚愧もそこにある








川路大警視


いまは庁益として民生転換の本意を失くし、政治家でも言を恐れ、上部機関の検察も調査活動費不正使用や証拠改ざんで言を失くしている。
そんな組織に限って現場警察官には過度な自制を求める。
寒期でも交番はドアを開け放ち、下を向いたり新聞さえ読まず顔は上げる、暴漢が入ってきたらという理由だ。もちろん見えるところでは水も飲めない。些細なことだが肩書で指示する幹部でさえ、数値に追いまくられている。
終いに弛緩し自堕落になる。それは組織内の面従腹背を招くことにもなる。キャリア幹部は生涯賃金を企図して転職天下り先を模索し、部下もそれらに倣い、職場の空気はときに陰湿となり、それぞれが信頼できなくなると各部間の連携調和が欠け、拙速を旨とする捜査の遅漏を招くようだ。また、足の引っ張り合いになることも有りうることだ。

それを統御コントロールするのは数値に依る選別だ。交番を空けて道路わきで違反ドライバーを探し、二人組で瞬時の駐禁を確保するようになった。 確信的違反ではないドライバーの不注意を覚らせる会話をすることもなく、違反を告げ切符を書きだす。法は法と国民は判っているが、警察官と国民の相互関係についての深慮が乏しくなっている。それがすすむと人々は罪びとを隠すようにもなるのも隣国にある権力との関係だ。地方出向の職員も東京の環境に馴染むことに苦労するというが、時をおいてそれも地方に伝播するする。

等しい国民感情だが、もう、あの頃の駐在さんやお巡りさんはいなくなった。


私事だが、筆者も安岡氏や安倍源基氏の誘縁で多くの治安官僚と語る機会があった。また佐藤慎一郎氏は内閣調査室や当局者の縁で諜報関係に知人が多い。その中でも当時の柏村長官や神戸にいた秦野章(後の総監)との逸話など、それらの方々との邂逅は先ずは「国家社会の安寧」を基にしたものだった。
あるとき某所轄の署長から「士気が弛緩している、とくに組織内の上下関係の感ずることがある」と、署員に講話の依頼があった。
「よりによって私のようなものに・・」そう云ったが、「遠慮しませんよ」と承諾した。

内容は城東署の覚せい剤の偽装逮捕とキャリア幹部の不祥事の根底にある、ノルマによる数値選別とキャリアへの現場の怨嗟だった。
怨嗟は国民感情にも直結していた。そこで「人情は普遍なり」と題して隣国の警察と庶民の感情をつたえ、所轄幹部にはには肩書階級は形式として、警視庁が行う殉職慰霊の弥生祭とは別の、所轄歴史にある殉職者を掲げ随時、幹部訓示の背景意識として階級を問わず士気を整えるようにと伝えた。
また聴講した職員約100人の前でも同様なことを伝え、都心警備に赴く職員には「寒気風雨にさらされた高速道路に立ち通過する高官の車を警護するとき、この高官がもし汚職腐敗にまみえていたなら、士気かが消滅するのは国民とて同感だ。添うべき心は善なる国民であり、自身の警察官になった初心を忘れないことが大切なことだ。その姿は警視庁ならずも津々浦々の人々の同僚の共感として、その姿は国民の国家への信頼の姿として浸透する」と伝えた。

その後、返礼に署長が訪ねてくるという。
「所轄区域は狭いので交番職も自転車を利用している。事件があっても指令を出すものが地理に暗くては初動も遅くなるので、我が家には民情視察のつもりで電車で来ていだだければありがたい」とお伝えした。
その署長はそれ以来夜半のジョッキングでは管内の交番巡りをしていた。決して監視ではなく職員に見つかれば激励をした。、













日本では為政者である国会議員から選ばれた総理が権力者と云われるが、隠れた権力は公務という職種に位置する集団の姿なり構造がそれにあたるようだが、公務員の不始末を大臣が言い訳したり、しかもその言い訳文(答弁)や質問文まで官吏の作文では国民は堪らない。しかも御上御用の公文書となれば反駁もできない。

じつは日本の権力の在り処は雲霞のごとく風に漂う蚊の大群もしくは、誰がボスなのか解らないイナゴの大群に似て、群れそのものの目的が食い扶持の安定的確保と保全に向かう始末の悪い状態だ。
幾らかでも為政者が識見を以て逆賭(ぎゃくと)を行うなら、先ずは綱紀粛正が筋だろう
しかし補完関係でしかなくなった為政者(議員)と官吏の関係はますます強固になってきた。
しかも公職選挙法の細かな規制を、ときに恣意的に運用する治安官吏によって生存与奪権まで召し上げられる立場だ。自分で縄を作るような規制を唯々諾々と立法する議員も思索も観照も問題意識がない状態だ。

つまり、官吏が言うことを聞かなくなっているのだ。
いや、聴いたふりして言った人間を満足させているのだ。
お手盛り給与や豪華な議員宿舎、選挙区には予算の便宜配分、顎足つきの視察と称する旅行、腹話術の人形なら金もかからないが、人間、とくに贅沢病に罹ると点ける薬もない。
こんな児戯に付き合う知恵者もさすがだが、実質権力の在り処さえ判れば児戯に付き合うのは容易いことだ。
これを当ブログでは「四患」として記している。






安岡正篤 氏


「税と警察の姿によっては、いかようにも人心は変わる。これを整えるのが両者の役割だ」と筆者に説いた。



最たるものだが、警視総監がパチンコメーカーに再就職したと記事にあった。もちろん手駒の一族郎党も後に続く。
あくまで博打場ではなく遊戯店と言い張っているが、博打のサイコロや札の製造元に武士の目付や奉行が食い扶持を求めたようで、十手をもった街道筋の親分も顔色を失う所業だ。
様々な所業は国民の知ったことだが、北朝鮮、拉致問題、パチンコ、天下り、規制、風俗許可、消費者金融、カジノ、と単語を並べると事情も見えてくる。
一方、青少年健全育成、防犯、交通安全、取り締まり、逮捕、覚せい剤、泥棒、万引き、駐在さん、殉職、となれば昔なからの敬する存在が浮かび上がる。










先に書いた鎌倉節元警視総監ならパチンコメーカーには食を求めなかっただろう。
日々精勤する実直な警察官も片腹痛い作業を続けている

想い出すのは震災時の原発作業員と経産省や東電の役員の関係だが、海外のジャーナリストは、日本の官僚制度内の差別格差、エリートの無責任と不作為がもととなる瑕疵は、現場の実直な作業員で補うものなのかと嘆息し、日本のエリート教育は失敗したと書く。

よく、「元を断たねば」という。
泥棒、万引き、自殺、サラ金被害、殺人、強盗、と犯種は判れるが、動機は金か感情のもつれが多い。最近では老齢者の判別能力の衰えが犯罪につながるが、元は医療なり家族の問題だ。その動機は金か感情のもつれと書いたが、近ごろの傾向はギャンブル、とくにパチンコパチスロの遊興資金が犯罪の元となることが多いという。また依存症は500万人を超え、精神疾患として大きな問題になっている。よりによってパチンコメーカーに就職するなど現場警察官の士気にもかかわる大問題だ。


政治も気が付かない。いや献金でコロガサレているとは思いたくないが、この元総監のメーカーは総理まで音頭を取っているカジノ議連、マスコミ、などと連携を取ってお台場のみならず、全国カジノ構想を企図しているという。

そこで現場の状況だが、鎌倉氏の推測は当たっている



≪警視庁捜査2課、贈収賄摘発ゼロ 今年濃厚、過去30年で初≫
2014年12月30日05時00分 朝日デジタル







終戦時の内務大臣 安倍源基氏 筆者は杉並区和田の自宅に度々伺い、警察のあるべき姿と慎むべき権力をの在り方を聴く




あろうことか、今年はゼロだという。巷で囁かれている交通違反の取り締まりノルマや、今は少なくなった拳銃摘発の競いや覚せい剤事犯の件数争いなど虚偽逮捕が頻発したが、稼業の情報協力もなくなり、その件数も少なくなっている。
もとより犯罪件数が少ないことは国民にとって幸いとすることだが、こと組織維持や予算獲得の見地からすれば手を拱いてはいられないはずだ。

それとも鎌倉氏の「警視庁は、サンズイは捕れない」という厳しいコメントは、ほかに何か意味するところがあるのだろうか。
よく事件の管轄権の取り合いがあるというが、検察特捜と警視庁の事件(ほし)の隠しっこと事件化に関する許諾関係もあるのだろうが、意地の張り合いで事件をバラバラにしたら悦ぶのは犯人だけだ。

それもあるだろう。それはいくら成果主義といっても現場の能力、つまり使命感と目的をもととした知恵を駆使した捜査力のたまものだが、それだけではない問題がある。

つづく
イメージは関係サイトより転載

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 君が在る世を鎮考する | トップ | 【一官九族に繁える】 7 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事