まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

逍遥備忘録  北進から南進への転換過程をみる  其の四

2014-09-21 12:40:56 | Weblog


時空を超えて当世の現代人は特攻なり武功をあくまでバーチャルな感覚でしか見ることはできない。たとえ記録映像や遺品に触れ、生存者の口述に驚愕感動しても、彼らの肉体的衝撃は想像をなぞるしかない。その感動は個人であれ、集団であれスポーツを観戦して汗や痛み、恐怖などに共感し、かつ勝利の感動や敗者へのエール、銃後ならぬ家族や国家への感謝の表現によって他人の存在を感知する。しかし、総じて勝敗に一喜一憂して負ければ諦め、勝てば飛び上るほどの歓喜を表すが、競技者以外は一過性の興奮でしかないようだ。どうも人は他の人々共に興奮することを欲しているが、高ぶりは続かないようだ。つまり今どきの連帯はつねに離れることを優先し、ただ共に空気を吸っている人間が手に届くところにいることだけで安心する確認行為なのだろう。
怒り、笑い、驚き,狂喜する、まさに映像とスポーツと異性との交歓だ。

特攻に戻るが、故人の遺言を拝読すると同世代の若者も高齢者も心を動かし時を超えて思いを移す。沈黙の思索は浮俗では考えられない烈行として己の肉体に問いかける。
次に来る、自分ならどうしただろうか、という土壇場の姿だが、あまりにも純情な兵士の辞世への意志が、目をそむけたくなる己の心中に突き刺さり、ときに世俗に浮浪する我欲の争いに己を映す。まさに歴史の知学ではなく肉体修学である浸透学のように、各々の体験となって臨機や臨度(様々な機会に表れる心の度量)に浸透されたものが滲み出る。
つまり、自ずから感動を通じた歴史の継承者となってことでもあり、兵士の肉体を懸ける意志を、たとえ稚拙な文字で書かれた遺言でさえ人の心に憑依したかのように滲み出るのだ。学びは意志の表層であり、無作為の感受は情緒の涵養になる。それこそ深層の国力を継続する糧となるものであろう。

若者たちは精華することで克復することを委ねたのだ。克服とは、戦いに勝って平和を取り戻す意味だ。それは、まず己に克(かつ)ことだ。どんな境遇でも縁に遵い堂々の人生を行うことを命懸けて確認した。つまり生命とはそのように用いるのだと教えてくれる。だから彼らは今でも活きているのだろう。

これは競技の勝ち負けではない。驚き・笑い・狂喜もない兵士の行為だ。時をたがえて10代の若者が己に克つ姿を魅せてくれた。しかも勝敗を超えた歴史への克己心だからこそ、現代人が誘引される威力があるのだろう。











ならば高給と冠がつく軍人や官吏どうだったのだろうか。白刃の下を潜り抜けた明治の軍人とは違い、立身出世を夢想していた一部の軍官吏の姿は官製学の学歴選別や海軍大学、陸軍大学、士官学校等のの卒時成績の任官制などを悪しき陋習の限界として、人間そのものの質の劣化をあったようだ。しかも、智慧のない選別方法は是正することなく平成の御世においても続いている。阿諛迎合、曲学阿世、公私の分別はその代名詞として社会の真の覚醒を妨げていることは周知のことだと判っているのだが、制度や待遇で人が変わる、あるいは国風が変わるなら、いと易いことだ。

過日、筆者のもとにある自衛隊将官がその類の憂慮で訪ねてきた。将官は難関の最高学府をでて米国の有名エリート校の博士課程を修めた自衛官だが、こと人間の集団化した場合の変容やエリート将官たちの実態を見るにつけ、装備や組織概要は整っていても現場との調和は乏しく、はたして命令という厳命だけ前線に自信を以て送り出せるのか、あるいは背広でも制服でも、一旦有事になったらその任に堪えうるのか、一抹の憂慮があるという。ことに、命懸けは人と人の切迫した中での信頼感が無くてはならないが、それが数値選別エリートではおぼつかないという。


アカデミックな検証は部分を切り取り、掘り下げて証拠なりを得るが、他の分野との関連性を結びつける許容は乏しいようだ。それは学び舎の学科や医療の現場でも顕在し、かつ多くの諸問題の解決前提にある人間の総合的機能の有効性を敢えて抑圧し、専門部分の説明学に陥らせている。

子供の頃、熱があると先ず親が額に手を当て、熱があると水枕をあてて安静に寝た。めったには医者に掛からなかった。熱は免疫抗体が異物ウイルスと排除する症状ゆえに、熱さましの抗生物質と胃薬セットの投薬は逆効果だと祖母は言った。
掛かりつけの医者は見立てと触診の巧者だった。顔色,眼や唇で症状の進み具合を察知して、聴診器で肺の様子を観た。検査機器も乏しいこともあったが、状況を診通す眼だけは確かだった。多くの種類を大量に投薬することもなかった。患者は安心し、尊敬もした。
適材適所ならぬ適剤適所だから副作用もなかった。患者の心配も親切丁寧、鷹揚に応えるためか妙な安心感があった。たしかに云われた通り休まず学校に通い、夢中になって遊びに汗だくになると風邪症状のこともすっかり忘れ、熱も不思議と下がった。
それは遠い昔のことではない。東京にオリンピックの頃だ。




弘前城


過度の思い込みは論外だが、刑事事件でも「見立て」がある。
近ごろ流行りの証拠捏造や恣意的捜査もあるようだが、多くはノルマや所轄縄張り、上司の成果出世という欲得のなせる人間の問題だ。隣接県のパトカーまでが駐車違反で捕まったり、手柄捜査の管轄事件への非協力などは、その最たるものだ。
昔は刑事の見立ては的確で、今ほど狂いはなかった。それは警察のそもそもの目的や使命感の懐き方の問題だか、何よりも組織は役割分派はしていたが、分裂はしていなかった。

キャリアには国家観があり権力負託者としての矜持があった。ノンキャリアにも宿命観からの惰性もなく、全体の一部分としての機能を任ずる責任感も豊かだった。
だから人を信じ組織にも意志を持った従順さがあり、目的への連帯と調和が保たれていた。それは事件への真摯な対応と多岐で柔軟な思索法を取り入れることとなり、他の意見への許容と調和で、総合的知見を導くことを可能にした。くわえて生命を問わぬ良質のバーバリズムを有し、善なる愚直さをも持ち合わせていた。



長々と書いたが、ここではそのような質を持った人たちの、緊張ある時節における任務作業について、筆者の以前に記した幾章かの関連ブログを補足資料として提示したい。
前提としては本章の冒頭にある「俯瞰」を基として、「ヒント」「見立て」「当時の時節に浸る」ことから歴史を検証した。くわえて、なぜ今ごろ秘密保護法が浮上したのか、あるいはインテリジェンスの重要性が謳われるのか、時節観察の糧となれば幸いである。
ここで取り上げるのは先の大戦の岐路となった北進論と南進論が、或る状況を境に南進国策となり、ついには英米と衝突して敗戦に向かった経緯である。また、その転進は敵対勢力の企てのみならず,それに呼応した思想勢力と、相違した目的を持ちながら、諮らず、意図せず、同じ途を歩んだ隠れた勢力の存在を考察してみたい。

先ずは、その相違した目的を持つ隠れた存在について自章を再読してみたい。
戦後の検証本は必ずといってよいほど、「コミュンテルンノ謀略で戦争に誘引された」と識者は云うが、その曖昧な表現は専門研究者ですら奥歯に物がはさまった章を重ね、因の根底にある問題を明確に表してはいない。

つづく
コメント
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