
あれが「郷学研修会」の端緒だった。
一期一会の緊張感は時として鎮まりのなかに訪れるものだ
それは前記の岡本翁からの促しであった
初対面の老人に唐突にも義父の頌徳文の原案を差し出した
それはワープロも無い時だったので、レポート用紙3枚の自筆横書きの稚拙な文章だった
老人は丁寧にも3回読み直して
『なおして宜しいですか』と、傍らの赤鉛筆で添削している。
老人は黙って面前に差し出し岡本翁に何事か話している。それは一部岡本翁の好む座右の銘文を挿入した箇所だった
『尽くして欲せず、施して求めず、だが、求めずは動きが良くない、受けずに直したほうが・・』
確かに読んでいてもオンが良い、つまり流れる。そして謂わんとする意味が明確になる。
感心していると老人は正対してこう語った
『文は巧い、下手ではない。あなたの義父を讃える誠意が普遍なものとなって、何十年、何
百年先にも人間を感動させるものでなくてはならない。またいつの世でも人物はおる。その
人物によって国も変わる。時流に迎合したり無理に簡略したりするものではない。文という
ものはそうゆうものだ。』
老人は初対面の若僧に何を観たのだろう
『君は無名でいなさい。無名は有力でもある。有名無力ではいかん。郷学を興してみたら・・』
岡本翁が言葉を挟んだ
『君が自発的にやっている勉強会の延長と思えばいい』
世の中に出て少々増長気味だった若僧には初めて聴く言葉だった
「無名有力」と「郷学」
老人はおもむろにピースに火をつけると、お茶を勧め、岡本翁に語りかけた
『宜しいですか』
好々爺のように応答を眺めていた岡本翁は老人に向かって慇懃に頭を垂れた
2時間ばかりの応接だったが玄関先から道路まで、振り返ると老人は玄関の上がり框に立って見送っている
『勉強になりました、いゃ・』言葉が選べない
『あの人が安岡先生だ。いゃ良かった、良かった』
何が良かったのか、解るまで時を要したのは謂うまでもない
もちろん安岡という名もそのとき知った。
某大学講話
、
それはホンの序章だった。
小生は自称も通称も弟子と称するものではない、かつ取り巻きでもない。
だから、感心した、勉強になった、との簡単な得心はしない。
また、体裁のいい挨拶借用や美文麗句に飾られた政治家の偽装や屏風に用することもない。
ただ、愉しくもしんどい「行」のようなものだった。
機をみて、指示、督励、促し、それは全て読み取ってのことだった。
郷学の作興、地方の道縁への遣い、世間では妙な道に迷い込んだとおもわれた。
その意味の説明は、いつも岡本老と佐藤慎一郎先生だった。
紋付羽織袴風、つまり白足袋風の安岡先生の日常、烈行の岡本老、悠々とした佐藤慎一郎先生との厳しくも男子の真の優しさに包まれた厚誼だった。
いま、同じことを有為ある若者に促している。
゛あの人達ならきっと解かってくれる゛という支えが、堪えきれない精神高まりとなっている。
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