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A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

百鬼夜行の回想録~80'sインディーズ特集 第3回「パンク/ハードコア編」

2012年07月04日 00時45分53秒 | ロッケンロール万歳!


だんだんノッてきたぞ、この後ろ向き特集。第3弾は個人的に愛憎入り混じるハードコアを中心にパンク系のバンドを紹介しよう。

1979年高校2年の時にヨーロッパ旅行に行くことになった。どういう経緯か忘れたが親がユネスコ主催の中高生向け研修旅行に行かないかと言ってきたのである。外国、特にヨーロッパに憧れていた私は二つ返事で行く!と決意。ローマ~パリ~ロンドンというお決まりの3大都市を全国から参加した20名位の中高生の団体で巡る旅行だった。仲良くなった静岡の高校生がロック・ファンで、観光や研修(パリのユネスコ本部訪問など)以外の時間は一緒にレコード店巡りに費やした。ローマでカッコいいポスターの貼ってあった歌手のレコードを買ったのはいいが、パリへ行く列車の中に置き忘れて悔しい思いをしたが、ロンドンではパンク・ブームは終わりニューウェイヴの時代で街中にパンクスの姿は無かったが、日本では買えないシングル盤や出たばかりのニューウェイヴ系LPを買い込んだ。帰国してから伸ばしていた髪の毛を自分でハサミで散切りにし、石鹸の泡で逆立てた。作業着を安く買ってきて母にチャックをたくさん縫いつけてもらい、そこに"TERRORIST"とか"100% IS SHIT"などとペンキでプリントした。科学の実験用の白衣を破いて赤いペンキを塗りたくった。そんな格好でスポーツ自転車で通学してたのだから笑える。放課後友人と学校近くの駄菓子屋でアイスを食べながら転がっている木の破片やゴミ袋を意味なく蹴っ飛ばしいきがっていたのも可愛い。

その頃から吉祥寺マイナーや荻窪ロフトなどにミラーズ、フリクション、SYZE、BOYS BOYS、マリア023、東京2チャンネル(このバンドの情報求む!)など東京ロッカーズ系のライヴに通い始めた。愛読誌は「DOLL」の前進「ZOO」だった。編集長の森脇美貴夫氏の「カッコだけまねてもダメ。行動してこそ真のパンクスだ」という檄文に心酔し、SYZEのギターの川田良氏が自ら書いた文章にも影響を受けた。またナイロン100%の店長中村直也氏の連載でポップ・グループやスロッビング・グリッスル、キャバレー・ヴォルテールなどのオルタナティヴ・ミュージックを知った。

ZOOかどうか忘れたが雑誌に「フォーク歌手の遠藤みちろうが”自閉体”というバンドを作るので各パートのメンバー募集中」という広告が載っていたのを覚えている。その自閉体がザ・スターリンになったのかどうか確証はないが、1980年秋に吉祥寺のレコード舎でザ・スターリンのデビュー・ソノシート「電動こけし/肉」を買った。初めての自主制作ソノシートだった。"電動こけし"の意味すら知らないウブな高校生にも叩きつけるようなギター・サウンドと吐き捨てるヴォーカルは衝撃的だった。
[7/5追記:「自閉体」でググってみたらザ・スターリンの前進バンドとの記載がありました]

The STALIN  スターリン " 電動こけし" 1st Flexi POLITICAL レコード


▼手持ちのZOOを探しても自閉体の広告は見つからなかったが、代わりにコレを見つけた。


下北沢に五番街というインディーズ専門のレコード店があり、そこでよく自主盤ソノシートやレコードを買った。特にパンクやハードコアが好きだったわけではないが、その手の自主制作盤はいろいろ買った。中でもチフスのソノシートには大きな影響を受け、音作りまで完コピして自作のパンク・ナンバーを宅録したりした。このバンドは後にザ・スターリンに参加するギタリストのタム氏が在籍したバンドで、90年代のインディーズ・ブームの時、貴重盤として万単位で売れた。

Typhus - flexi 7" EP


今年3月16日の記事で書いたが女性ハードコアのザ・カムズやナース、キャ→も愛聴盤だった。

80年代前半にジャパニーズ・パンク最大のヒットとなったのがラフィン・ノーズの「ゲット・ザ・グローリー」だった。渋谷の公園通りを歩いていると有線でこの曲が流れてきたものである。ヴォーカルのチャーミーは「宝島」の表紙を何度も飾り、その頃のインディー・ロック界のオピニオン・リーダー的存在だった。有頂天、ザ・ウィラードと並んで「インディーズ御三家」と呼ばれた彼らを渋谷公会堂へ高校時代のバンド仲間と観に行った。ザ・ウィラードも何処かの学祭で観た覚えがあるが、ヴォーカルのJUN氏のアダム・アントみたいな海賊ファッションが嘘っぽくてあまり好きになれなかった。

Laughing Nose - Get The Glory


The Willard


この件は以前ブログで書いたが、私にぎゃていのバイトを紹介してくれた榎本リュウイチという先輩が1982年5月22日学祭で「東大赤門オールナイトGIG」というハードコア・イベントを企画した。私はギター・アンプを貸しただけでライヴは観なかったのだが、翌日に会場の学生ホールの窓ガラスが全部割られ消火器がぶち撒かれて機材が泡だらけになっており絶句した。出演バンドの名前は記憶してないがたぶんこの辺のバンドが総出演したと思われる。アレルギーも出演したとHPに載っている。

G.I.S.M. - Fire


THE EXECUTE - The Voice


LSD - Kill You


Ghoul - Street Gangs


大学時代の音楽サークルの日高さんという先輩がベースをやっていたマネキン・ノイローゼはハードコアではなくオリジナル・パンクを継承したタイトなロックで好きだった。そのサークルにはG-シュミットのメンバーもいたし、才能のある人たちが集まっていた。昨年サークルの創設者であり詩人として著名な林浩平さんが「ロック天狗連:東京大学ブリティッシュロック研究会と七〇年代ロックの展開について知っている二、三の事柄」という本を出版し70年代のロックを巡る状況を明らかにしたが、80年代のサークルの躍進についても誰かが著してくれないかと思う。

Mannequin Neurose 外人墓地


80年代半ばになるとインディーズ御三家はこぞってメジャー・デビューし、他のハードコア・バンドもメジャー・レーベルでコンピLPが出たりしてシーン全体が変わっていき、唯一ガーゼ主催のイベント「消毒GIG」だけが現在まで続き、初期ハードコア精神を継承している。ドラムのHIKO氏は灰野さんとたびたび共演しており、パワフルなドラムは健在である。

gauze


ザ・カムズのメンバーを中心に1984年に結成されたハードコア・バンド、リップ・クリームのドラマーだったPILL氏が2002年に休業中だったフリクションのレック氏、灰野さんとロック・トリオHEAD RUSHを結成して数回ライヴを行っていたのはもう7年前になる。その後レック氏が中村達也氏と共にフリクションとして活動開始したのは周知の事実。

Lip Cream


ガーゼと並び80年代初期ハードコア時代から続くベテラン・バンド、あぶらだこは現在でも超個性的でアグレッシヴなサウンドを展開しているカルトな人気を誇る。ヴォーカルの長谷川裕倫氏の特異なパフォーマンスと捩じれた歌詞、変拍子を多用したサウンドはハードコアを超えた唯一無二の存在である。

あぶらだこ 1983 高画質版 ノーカット 屋根裏


ハードコア
錆びたアンプを
弁償しろよ!

灰野さんは当時からイギリスのハードコア・バンドCHAOS UKが好きで、最近も無名のハードコアのLPを大量に買い込んでいた。曰く「モヒカンや鋲付革ジャンなど過激なルックスをしたバンドよりも普通の格好の人がやるハードコアの方が本物だ」とのこと。

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きゃりーぱみゅぱみゅ@渋谷AX 2012.7.1 (sun)

2012年07月03日 00時50分20秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


6月頭から札幌から福岡まで全国7ヶ所で開催されたきゃりーぱみゅぱみゅのワンマンライブツアー「ぱみゅぱみゅレボリューションツアー」の追加公演。今年1月29日の渋谷WWWでのバースデイ・ライヴ、2月25日渋谷クラブクアトロでの初のワンマン・ライヴ『もしもしクアトロ』のどちらもチケット抽選に外れ涙を飲んだので、今回も無理だろうと思いつつ追加公演2日間分申し込んだら両日とも当選してしまった。2日目は平日なので知り合いに譲り、日曜日の追加公演初日に参戦することにした。

デビュー・アルバム「ぱみゅぱみゅレボリューション」はオリコン初登場2位にランクインの大ヒット。ツアーもすべてSold Outでまさに今が旬のアーティストだ。アーバンギャルドの天馬氏によれば「アイドル戦国時代」の現在、多くのアイドル・グループが乱立する中で、ピンのアイドルとして唯我独尊、特異な存在といえるきゃりたんのステージが間近で観られるのは今のうちだけかもしれない。

生憎の霧雨の中AXの前には多くの観客の傘がキノコの群生のように揺れている。客層は殆どが20代で男女比は半々。青文字系ファッションに身を包んだ派手な女の子もチラホラ。しかし多くは普通の恰好の今風の若者達だ。会場に入るとまず驚いたのは乱舞する祝い花の数。テレビCMでも引っ張りだこの彼女だけあり、テレビ局やスポンサー、芸能人から贈られた色とりどりの花がギッシリ並んでいる。中にはきゃりたんのファッションに倣ったカラフルなオブジェをあしらったパネルも。そして物販に並ぶ人の列。Tシャツやタオル、バッジなどがあったようだが、アイドルの物販は凄い売り上げなんだろうな、と軽くショックを受ける。



会場は熱気が蔓延。SEは延々と電子オルゴールのフレーズが繰り返されている。20数年前ピンク・フロイドのライヴで開演前にずっと鳥の鳴き声を流していたことや裸のラリーズが1時間以上無音でストロボを点滅させていたことが心をよぎる。会場に足を踏み込んだ時から気が付かないうちにきゃりたんの脳内の迷宮に迷い込んむ仕掛けを意図したに違いない。しかし会場を埋めた若者達はSEには無頓着で仲間同士会話に花を咲かせている。そのうち皆が2F席を見上げて歓声を上げ始めた。どうやら芸能人が多数来場している模様。芸能界には疎いので誰だか判らなかったが、かなりの有名人揃いの様で「大島さーん」(多分AKB48の大島優子嬢)「みゆきちゃーん」(NMB48の渡辺美優紀嬢か?)「椿鬼奴でた~」などと盛り上がっている。

10分押しで会場が暗転し大歓声が上がる。色とりどりの頭をしたキッズ・ダンサーが登場、ノリノリのテクノビートに乗せて激しく踊る。階段の上にきゃりたんが登場すると客席全員腕を振り上げてそこらのロック・コンサートより激しい盛り上がり。「私のライヴは遊園地。いろんなアトラクションを楽しんで下さい」。星やハート型の照明、ステージセットはPV監督の増田セバスチャン氏が制作。左右に大きな角の生えた犬の頭があり、中央には階段がある。そしてバック・スクリーンに投影される映像が滅茶苦茶サイケデリック。60年代フィルモア・イーストでのライトショーやピンク・フロイドのビデオ投射、サイケデリックトランスの照明をそのまま現代に蘇らせたドープ感たっぷりの画像が乱れ飛ぶ。大音量のダンスビートとブレイクダンスときゃりたんのド派手な衣装と童謡メロディに明らかにトンだ歌詞の世界。以前アルバム・レビューで考察した通り、やはりきゃりーぱみゅぱみゅは曼荼羅だった。



MCではよく悪夢を見る話。前日はかりんとうをくわえて綱渡りをして堕ちてはまた綱渡りを繰り返すという悪夢を見たと言う。夢野久作「ドグラマグラ」かクリムゾンの「再び赤い悪夢」か。この日はご両親が観にきているとのこと。中田ヤスタカ氏との出会いは高1の時にきゃりパパから渡されたCapsuleのCDだったそうだ。きゃりママにとてもしつけを厳しく教え込まれた。シャルロットを育てるセルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンのようである。

アルバム1枚にシングル3枚しか出していないからライヴ自体それほど長くないだろう、と予想していたが、Capsuleのカヴァーや2回のお色直しの間のダンス・タイムなどを交え100分に亘るステージを展開。この日だけのスペシャル・ゲストとしてanのCMで共演するお笑い芸人コンビ2700が登場、CMさながらに「右ひじ左ひじ交互に見て」の振付けを踊る。とにかく最初から最後までエクスタシーをキメまくったような多幸感に貫かれたノリに幻惑され放っしの圧倒的なライヴだった。



間もなく「JAPAN EXPO 2012」でフランスでライヴを行い数々の夏フェスに出演、そして遂に11月6日には初の武道館公演が決まったことだし、今年の紅白出場も間違いあるまい。それにしても合法ドラッグと言っても過言ではない中毒性のあるきゃりたん&中田ヤスタカの世界で育った子供たちは一体どうなってしまうのだろうか?ティモシー・リアリーもビックリ仰天である。



きゃりーさん
トンで夢見て
いい気分

再びアーバンギャルドにご登場願おう。天馬氏+よこたんの最新インタビューをお読みいただきたい。「病めるアイドル」の最右翼がAKB48ならば、最左翼はきゃりーぱみゅぱみゅなのである。



Set List (7/2)
01. ぱみゅぱみゅレボリューション
02. CANDY CANDY
03. おねだり44℃
04. ちょうどいいの
05. Drinker
06. きゃりーのマーチ
07. みんなのうた
08. スキすぎてキレそう
09. jelly
10. ギリギリセーフ
11. RGB
12. おやすみ
13. でもでもまだまだ
14. PONPONPON
15. きゃりーANAN
16. ちゃんちゃかちゃんちゃん
<アンコール>
17. つけまつける
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家具の音楽の循環定理~アンビエント・ミュージックの元祖エリック・サティ

2012年07月02日 00時32分32秒 | 素晴らしき変態音楽


7月1日はフランスの作曲家エリック・サティの命日だった。
19世紀後半~20世紀初頭にかけて活躍したサティは「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」と称されていたが、後の西洋音楽に大きな影響を与えた。ドビュッシー、ラヴェルも「その多くの作曲技法はサティによって決定づけられたものだ」と公言している。

ピアノ曲「ジムノペティ」はいろんな映画やテレビのBGMに使われて有名だが、これが当時は現代音楽の最先端として語られていた事実を知らない方が殆どだろう。アート界でいえばゴッホ、ムンク、ピカソ、ダリ、ウォーホール、岡本太郎など、文学ではカフカ、ジョイス、ボーヴォワール、中原中也、安部公房などのようにかつての異端児、前衛派が現在では巨匠と呼ばれ学校の教科書に出て来るほどポピュラーな存在になっている例は数多い。音楽でもストラヴィンスキー、バルトーク、シェーンベルク、ケージ、武満徹などがそうである。

私がサティを知ったのは音楽誌のブライアン・イーノ関連記事である。「ミュージック・フォー・エアポート」を始めとする"アンビエント・シリーズ"や先日紹介したペンギン・カフェ・オーケストラ等の"オブスキュア・シリーズ"などの環境音楽を追求していたイーノのルーツとして「家具の音楽」を提唱したサティの紹介がされていたのである。"「家具の音楽」というのは彼が自分の作品全体の傾向を称してもそう呼んだとされ、主として酒場で演奏活動をしていた彼にとって客の邪魔にならない演奏、家具のように存在している音楽というのは重要な要素であった"、とある。また「官僚的なソナチネ」「犬のためのぶよぶよとした前奏曲」「冷たい小品」「梨の形をした3つの小品」「胎児の干物」「裸の子供たち」などの奇妙な題名の作品は、普通の男子用小便器に署名をして「泉」と名付けたダダ芸術家マルセル・デュシャンを思わせる前衛精神を感じさせた。

早速サティの作品を聴いたところ確かに環境音楽的なクールな空気感はあるものの、基本的に美しい旋律を持ったシンプルな作品であり、甘美なメロディがとても気持ちよかった。同じ頃にダグマー・クラウゼを通してブレヒト/ワイル作品に興味を持ち「三文オペラ」のキャバレー的演劇性に目覚めた時だったから、ヨーロッパの現代音楽に興味を持った。そして12音技法、セリー主義、ミュージック・コンクレート、ミニマル・ミュージックへと興味は広がり、レコメン系チェンバー・ロックやフリー・インプロヴィゼーションと繋がり私の音楽観は拡大して行ったのである。

そのきっかけとしてサティには感慨深いものがある。一般的にはイージーリスニングの元祖と言われるが、私にとっては現代音楽への扉を開いてくれた恩人なのである。





サティには
足を向けては
寝られない

空気のように永遠に循環する音楽、それこそサティの目指したものなのかもしれない。


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ヴァセリンズ@渋谷WWW 2012.6.29 (fri)

2012年07月01日 00時44分35秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


1980年代後半の英国インディ・ロック・シーンで「アノラック」と呼ばれる独特スタイルのバンド群が活躍した。ファンが好んでアノラック(フード付防寒着)を着ていたことからそう呼ばれるようになったという。パステルズ、タルラー・ゴッシュ、ヘヴンリー、レイザーカッツ、BMXバンディッツなどが飾り気のないギター・サウンドに乗せて60'sキャンディ・ポップ風の甘いメロディを歌った。演奏力はアマチュア・レベルで決して上手くはなかったが、その素朴な感性が一部のロック・ファンに高く評価されたのである。その胸キュンの歌は今でも私の大切な宝物である。スコットランドのエジンバラ出身のヴァセリンズもアノラックの代表的バンド。ニルヴァーナのカート・コバーンが「世界で一番好きなバンド」と語ったことで有名になった。1989年のアルバム「DUM DUM」一枚だけで解散してしまったが、1990年代にSUB POPよりコンピ盤がリリースされ多数のファンを獲得した。

▼1980年代の写真


▼2010年代の写真


2008年に中心メンバーのユージン・ケリー(vo,g)とフランシス・マッキー(vo,g)により再結成。翌年のサマーソニックで来日も果たした。今回の来日は「HMV GET BACK SESSION」という、アーティスト本人が自身の過去の作品を収録曲順どおりにプレイする、いわゆる「名盤再現」ライヴ・シリーズである。会場のWWWは3,40代の往年のアノラック・ファンから20代の若いファンでギッシリ。スタンディングだが、客席が4段になっており比較的観やすいし音もいい。2段目の最前列を確保。

この日のサポート・アクトは向井秀徳氏(ZAZEN BOYS)とLEO今井氏によるユニットKIMONOS。事前にYouTubeで検索するとバンド編成のPVがあったのでてっきりバンドだと思ったらピアノとギターのデュオだった。1曲だけサンプラーで打ち込みビートを鳴らしたが基本的にはデュオ演奏。何ともつかみ所のないユニットだった。30分の演奏。



さていよいよヴァセリンズの登場。80年代当時は長髪の美少年だったユージンはすっかり髪が薄くなり短髪にしている。フランシスは歳は隠せないが当時のチャーミングな雰囲気はそのまま。ふたりをバックアップするのは同郷スコットランドのベル・アンド・セバスチャンのスティーヴィー・ジャクソン(g)とボビー・キルディア(b)に1990'sのマイケル・マクゴーリン(ds)。ギターが3人とはまるでブルー・オイスター・カルトだ。しかも3人ともセミアコというのが面白い。フランシスは花柄のワンピースの上にフリンジ付ライダース革ジャンを着ており意外にロック姉ちゃん風。

まず「DUM DUM」再現ライヴからスタート。1曲目「Sex Sux (Amen)」の最初の音が鳴った途端に何も変わっていないことに喜びと軽い衝撃を覚える。とにかく”青い"。青春時代を真空パックしてそのまま開封したような瑞々しいサウンドが溢れ出す。フランシスが上機嫌で「コンニチハ」と日本語で挨拶しては英語でユージン・ネタの冗談を言うがスコットランド訛の英語は殆ど聞き取れない。「Teenage Superstars」ではユージンが「このバンドにティーンエイジャーはいないけどね」。「次の曲は私のことを歌った曲よ」とフランシスが紹介した曲が「Bitch」で大ウケ。しかも終わった後に「私はBitchだけどユージンはCuntよ」とひと言。そう、ヴァセリンズの曲は爽やかな曲調に比べ歌詞は四文字言葉連発でかなり過激なのだ。そこがカート・コバーンが愛した理由でもある。タイトル・ナンバー「DUM DUM」では"ダムダム"という掛け合い部分を観客が合唱。CDで聴き結構クールなのかと思ったら思いの外熱いロック魂を感じた。45分で「DUM DUM」再現は終了。「これで一旦引っ込み5分後に再開します。その間にフランシスがパンツを交換するよ」とユージンが言ったので休憩の予定だったのだろうが、観客からはアンコールの歓声。休憩する間、そしてパンツを変える間もなく再登場。



2010年の21年ぶりのニュー・アルバム「セックス・ウィズ・アン・エックス」の曲を交え後半はヒット曲大会。ニルヴァーナのカヴァーで知られる「Molly's Lips」ではKIMONOSのふたりがゲストで参加しクラクションをプカプカ鳴らす。客席も盛り上がり大会で会場が一体となった素晴らしい演奏が続く。ホントのアンコールも含めトータル2時間15分の至福の時間だった。アノラックの素人っぽい初期衝動を未だ保ち続けていることが何よりも嬉しかった。胸に大きくロゴの入ったTシャツを買おうと思ったらもう売り切れで残念だった。



永遠の
少年少女に
捧げます

7月1日には山梨県 河口湖ステラシアター 大ホールで「DUM-DUM PARTY’2012 ~夏の黄金比~ Curated by OFFICE GLASGOW&DUM-DUM LLP」に出演。共演は相対性理論と小山田圭吾(ゲスト)。今日の今日だから今から行ける方は少ないと思うが楽しそうなイベントである。


コメント (2)
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