晴れた日の為の灰野敬二の一時間
An Hour of Keiji Haino for a Sunny Day
デヴィッド・ケファー著
by David J. Keffer
staff writer of the Poison Pie Publishing House/owner of An Unofficial Keiji Haino Website
Knoxville, Tennessee, USA
david@poisonpie.com
【要約】
灰野敬二(1952年5月3日生まれ)は日本のギタリスト/ヴォーカリスト/マルチ楽器奏者。文化の境界を横断する音楽を一貫して追求している。演奏は、たいていノン・イディオマティック(非慣用語法的)で、しばしばインプロヴィゼーション(即興)的(灰野は「インプロヴィゼーション」という言葉を嫌うことで有名だが)であり、常に実験的。灰野は不失者の凶暴なギター、強度の高いヴォーカル、滲有無の魅惑的な音風景で、高い評価を得ている。この文章に於いては、灰野のディスコグラフィーを構成する200を超える公式リリースの中から、晴れた春の日の気ままな散歩に適した一時間の音楽をセレクトした。
【序章】
生涯にわたる音楽への献身の結果として、灰野敬二の公式リリースのディスコグラフィーは、本論執筆時2015年2月現在で200を超える。これらの作品が灰野の評価が築かれる基礎となっている。耳を劈(つんざ)くギターの音の壁は、時に長すぎて一枚のCDには収まり切らない。だから、複数枚数のレコード/CD、例えば不失者の2枚組CD『I saw it! That which before I could only sense』(Paratactile, PLE1106/07-2, 2000年)などが理想的なドキュメントと言える。
灰野はユニークなヴォーカリストとしても知られており、『わたしだけ?』 (Pinakotheca, PRL #2, 1981)に於けるギター弾き語りから、フランスの洞窟で遠吠えと呟きを録音したアカペラ・アルバムの『Un autre chemin vers l'Ultime』 (Prele Records, prl007, 2011)まで、キャリアを通して多彩な活動を続けている。
また滲有無の『悲翼紀』 (PSF, PSFD 31, 1993)に代表される、不吉なドローン演奏による抽象的な恐怖映画のサウンドトラックのような作品も数多い。
これらの要素が灰野の作品の本質をなす重要かつ繰り返される特徴であることに疑いはない。もちろん、実験芸術家のライフワークとしてには、こんなに表現の幅を広げない別の行き方もあるだろう。しかし、本論では灰野の音楽の中を彷徨い、幅の広さを存分に堪能することにしよう。灰野の怒号のような爆音に惹かれる人たちも、花の蕾が膨らむ初春の爽やかな朝の空気の中で、一時間の散策を楽しんでいただきたい。
灰野のディスコグラフィーからそのようなプレイリストを作成することは可能なのだろうか?それが本論の目的地である。すなわち灰野の公式リリース音源だけで、晴れた日に相応しい一時間の作品集を構成すること。以下にセレクトした8つの楽曲それぞれの選曲の意味づけの解説が付されている。
ではお楽しみあれ!
1. 散る葉の後に降る雪の意味も知らず/三上寛・Vajra (4m 20s)
三上寛・Vajra
『散る葉の後に降る雪の意味も知らず/Chiru-Ha』
PSF, PSFM 1001, 1995
compact disc single, 2 tracks, 9m 48s
灰野敬二/Keiji Haino (guitar)
三上寛/Kan Mikami (voice, guitar)
石塚俊明/Toshiaki Ishizuka (percussion)
永畑雅人/Masato Nagahata (piano)
我々の散策は、三上寛をヴォーカル&ギターでフィーチャーしたポップソングで始まる。灰野は三上寛のことを、自分以外に歌うことを信頼して任せられる唯一のヴォーカリストだと述べている。この小品は1995年にシングル・カットされ日本でちょっとした人気を集めた。灰野は、三上寛のシンプルなギターとヴォーカルのバックで、流れるようなトレモロ・ギターを弾いている。石塚俊明のドラムに加え、ピアニストも参加している。トレードマークのハイエナジー轟音ギターとは全く異なるが、灰野の世界が描かれていることは聴けばすぐにわかる。
2. 海へ/灰野敬二・曽我部恵一・ボンスター・友直 (12m 31s)
from the compilation 『生きる/Ikiru』
Ear Disk, EAR-008, 2002
compact disc, 17 tracks, 74m 41s
This compilation contains two Haino tracks.
灰野敬二/Keiji Haino (guitar)
曽我部恵一/Keiichi Sokabe, ボンスター/Bonstar & 友直/Tomonao (voice, turntables, guitar)
2002年に2枚同時に日本のEar Diskからリリースされたコンピレーションについては多くを知らない。どちらも灰野の参加曲が2曲ずつ収録されていて内1曲は一定のビートにレイドバックしたヴォーカルが乗るメロウ・ヒップホップ・ナンバー。一曲通してギターの反復メロディーが電子音と共に奏でられる。灰野はエレキギターで一定のメロディーをリズミカルに奏でている。4分くらいでギターが咆哮のように爆発するが、突然静かになり、伴奏に戻る。だが爆発は終わったわけではない。曲が進むにつれて、灰野の咆哮は再度出現し、メロウ・ヒップホップ・ビートの上で主導的立場となる。この演奏の催眠効果はとても魅惑的。だから『僕の手につかまって』(Ear Disk, EAR-007, 2002)の4分半のトラックではなく、『生きる』の12分半のトラックを選んだ。
3. ここ/灰野敬二 (31m 20s)
灰野敬二/Keiji Haino
『ここ/Koko (Here)』
PSF, PSFD-00, 2003
compact disc, 1 track, 31m 26s
灰野敬二/Keiji Haino (voice, guitar)
「ここ」は灰野のレパートリーの中で最も人気の高い曲のひとつであり、何十年もの間ライヴで披露されてきた。ここに挙げたのは30分のヴァージョン。一時間の中の半分を一つの曲で占めることは理不尽に思えるかもしれないが、この曲にはそれだけの価値がある。2002年から2004年に騒音問題で閉店するまで、東京の西早稲田にジェリージェフという小さなライヴハウスがあった。そこで灰野は基本的にギターとヴォーカルによるライヴを10回近く行った。連続した数曲の長尺ナンバーで構成され、全部で2時間以上に及んだ。ジェリージェフでの灰野のパフォーマンスには際立った特徴があった。この会場は灰野の瞑想的でメロディックな精神状態を誘発したように思える。この「ここ」のヴァージョンは、ジェリージェフでのパフォーマンスを完璧に捉えている。公式なデータのクレジットはないが、聴く限りでは、これは2003年9月21日ジェリージェフの灰野のソロ・ライヴのラスト・ナンバーだと思われる。それはともかく、このトラックは楽曲の「ここ」が始まる前に灰野の天使のようなヴォーカルと浮遊し煌めくギターが17分間続き、メインのメロディが終わった後に、前半部と同様の構造の7分間のエンディングで終了する。
この曲をより理解いただく為に歌詞を掲載する。アルバム『息をしているまま』(Tokuma Japan Communications, TKCF 77016, 1997)に収録された18分32秒のヴァージョンである。
今は去りゆくもの 一度だけ
何もかも分かったつもりになった奴 光なんかに憧れを抱いた愚かな奴が
またここに戻ってきてしまうのに
夢なんて 闇の中に捧げてしまうことだけが
成就できる たったひとつのやり方なのさ
溢れ 紅く紅く流れ出たもの
いつかは本当の黄金に変わる
翼あるから もう一度なんて言いたがる
頭あるから 考える
手なんてあるから 愛したがる
何もないなんていうことさえ 偽りなのさ
あらゆることを「在る」っていうことだけは
許されるのさ
ここに居る
ここの前には 何処に居たの
ここよりもっと素敵なところ あの導き
貴方だったの
このプレイリストの残念な(申し訳ない)ところは、いくつか入手困難な曲が含まれていることである。このCDは2003年12月24日~2004年1月31日開催された「PSF灰野敬二フェア」の特典用に限定300枚プレスされた。入手の難しいレア盤ではあるが、晴れた日の灰野の音楽の中核をなす曲なのである。どこかのレーベル担当者がこの記事を読んで、多数のオーディエンス録音(プロ録音に迫るクオリティの音源もある)が存在するジェリージェフでのライヴのフル音源がリリースされることになれば嬉しいのだが。。
4. はるか山に/工藤礼子 (3m 32s)
工藤礼子/Reiko Kudo
『ちりをなめる/Licking Up Dust』
Hyotan Records, HYOTAN-003, 2008
compact disc, 7 tracks, 23m 4s
工藤礼子/Reiko Kudo (vocals)
工藤冬里/Tori Kudo (organs, guitar, biwa)
灰野敬二/Keiji Haino (electric guitar, drums, voice)
全曲でヴォーカルを担当する工藤礼子ソロ名義のアルバム。彼女は70年代末から80年代初頭にかけては「NOISE」というユニットで、90年代以降はソロで活動している。本作では彼女のパートナーで日本のアンダーグラウンド・バンド「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」の工藤冬里がほとんどすべての楽器を演奏(工藤冬里は70年代後半にヴァイブレーション・ソサイティで灰野と共に活動し、小沢靖の死後に復活した不失者の最初のベース奏者でもあった)。3曲にそれぞれギター、ドラム、ヴォーカルで灰野が参加。晴れた日の散策用に、灰野がギターで参加した1曲目の「はるか山に(Faraway Mountains)」をセレクトした。切ないヴォーカルと繊細なオルガンのメロディーからなるこの曲に、灰野は歌のメロディーと必ずしも合致しないギター・リフを加えている。メロディーと不協和音の組み合わせは、灰野の音楽の中枢ともいえる重要な要素であり、彼のファンが最も興味を惹かれるところであるが、いつもの破天荒さとは一線を画したこの曲でのギター演奏は、灰野のディスコグラフィーでも極めて特殊と言える。灰野はライヴ演奏でポップなアーティストと共演することが多々ある。それらの出会いの幾つかはこの工藤礼子と共演に近いテクスチャーがある。私の頭に浮かぶのは、2012年のテニスコーツとの共演ライヴで灰野が参加した「Baibaba Bimba」の演奏である。参考までに記せば、このデュオによるLa Blogothèqueでのライヴ音源(灰野抜きの)がオンラインで入手可能である。もし灰野が参加した「Baibaba Bimba」が正式にリリースされたら、晴れた一日は最高なものになるだろう。
5. マジック I/不失者 (2m 42s)
不失者/Fushitsusha
『寓意的な誤解/Allegorical Misunderstanding』
Avant, AVAN 008, 1993
compact disc, 10 tracks, 48m 33s
灰野敬二/Keiji Haino (guitar, voice)
小沢靖/Yasushi Ozawa (bass)
小杉淳/Jun Kosugi (drums)
この不失者の3rdアルバムが、ハリケーンの日の浜辺や豪雨の夜の路地裏に相応しい記念碑的な二作のダブルライヴアルバム(PSF 3-4, 1989/PSF 15-16, 1991)の次にリリースされた事実は注目に値する。『寓意的な誤解』の10曲は前2作とはまったく対照的。「マジック I」から「マジック X」とタイトルされた楽10曲はまさに魔術的なニュアンスを持つ。魔術はarcane(難解な神秘性)、eldritch(この世の物とは思えない不可思議さ)、druidic(邪教的)、divine(神々しさ)など様々な分野に分類できる。『寓意的な誤解』に於いて不失者が提示する魔術は微妙なカテゴリーに属する。我々が属する物理的現実に反するわけではないが、意識を緩めて現実と仮想の境界が曖昧になるように誘発する魔術とでも言おうか。明らかにこれは晴れた春の日の散策を促す音楽である。
6. まずは 色を無くそうか/灰野敬二(1m 57s)
灰野敬二/Keiji Haino
『まずは色を無くそうか!!/To Start with, Let’s Remove the Color !!』
PSF Records, PSFD-8014, 2002
compact disc, 8 tracks, 67m 29s
灰野敬二/Keiji Haino (voice, guitar)
続いて灰野のギター・アルバムから2分間の小品。灰野の数多いギターアルバムには同じ傾向を持つ作品もある。しかし『まずは色を無くそうか!!』に類似する作品は存在しない。軽快さと俊敏さを有しつつ同時に瞑想的な作品。ギターは静謐なハープのよう。ディストーションやフィードバックやリヴァーブはない。このアルバムを簡単に位置づけるジャンルはない。70,80年代にハンス・ライヒェル(1949年5月10日生 – 2011年11月22日没)は、ドイツのFMPレーベルから一連のLPシリーズをリリースした。ライヒェルは歌は歌わず、自分で改造/製作したギターの演奏に専念しているが、『The Death of the Rare Bird Ymir』 (FMP, 0640,1979)などのアルバムで聴ける音楽は、灰野のこのアルバムとスタイルに似たところがある。どちらもノン・イディオマティック且つメロディックな美しいギター演奏をフィーチャーしている。どちらも楽観的で陽気な雰囲気を醸し出す。確かにライヒェルのほうが灰野よりもずっと軽快だが、灰野の作品の中でこのアルバムは最も陽気な一枚である。つまりどちらのアルバムも一日を楽しくしてくれるのだ。今すぐドイツや日本の音楽を扱う小売店やネットショップを訪れて、いずれかのアルバムを入手することをお薦めする。
7. untitled (track 1)/デレク・ベイリー・灰野敬二 (1m 18s)
8. untitled (track 2)/デレク・ベイリー・灰野敬二 (2m 14s)
灰野敬二、デレク・ベイリー/Keiji Haino and Derek Bailey
『寄り添い合いし 秩序と無秩序の気配かな(僅かに残されている 余白さえをも 黒く塗り潰す為の第三章)/Drawing Close, Attuning --The Respective Signs of Order and Chaos』
Tokuma Japan Communications, TKCF 77017, 1997
compact disc, 7 tracks - 75m 25s
灰野敬二/Keiji Haino (guitar)
デレク・ベイリー/Derek Bailey (guitar)
灰野と英国のノン・イディオマティック即興ギタリストのデレク・ベイリー(1930年1月29日生 – 2005年12月25日没)の短いギター・デュエット曲で散策を終えるとしよう。このふたつのデュエット曲は、プレイリストの他の曲ほどメロディックではないが、同様に「幸福感」を促進する。一聴すれば、二人がそれぞれ独自のプレイをすると同時にお互いの演奏の本質を探り合っていることが判る。陽気だが表面的なものではない。初めて聴くとメロディーの欠如に取っ付きにくさを感じるかもしれないが、繰り返し聴くことにより、内包する生々しく創造的な衝動が明らかになる。この衝動が、トロンボーン奏者にして学者であるジョージ・ルイスの言葉によれば「自分の創造性を感じることにより、他の人の創造性へ反応することを可能にする共感性」へと聴き手を導く。最初はこの灰野/ベイリーのギター・デュエットから1曲、灰野が歌、ベイリーがギターの共演作『Songs』(Incus, CD 40, 2000)から1曲選ぶつもりだった。だがヴォーカル曲に陽気さを見出す人は確かにいるだろうが、予測不可能な灰野の歌は気ままな散策の目的から逸脱するかもしれない。また、別の面でもインスト2曲で締めるのが適切と考えられる。
灰野の詩
「デレク・ベイリーの魂の安息の為の祈り」
That, which while enfolding this now and present
perfume,
speaks, ‘I will use to the fullest this form bestowed
upon me’
and blurs into the firmament―
ah, where and in what form will it next be devised
【結論】
ご覧の通り、全8曲のプレイリストの収録時間はキッカリ1時間(59m 54s)。さっそくお気に入りのmp3プレイヤーにアップロードして再生ボタンを押して、深呼吸して音が脳内の使っていない神経を接続し、心の旅へ誘うままに任せよう。残りの一日を晴れ渡った気持ちで過ごせれば効果は良好。
⇒An Unofficial Keiji Haino Website
見上げたら
色が違った
晴れた空
▼空を見上げよう/マジカル・パワー・マコ feat. けいちゃん
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