A Challenge To Fate

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【勝手に翻訳】マーシャル・アレン(サン・ラ・アーケストラ)インタビュー~マーシャル・アレンは96歳にして、最も先見性のあるジャズグループを率いている。

2021年03月16日 02時00分06秒 | 素晴らしき変態音楽


マーシャル・アレンは96歳にして、最も先見性のあるジャズ・グループを率いている
by シャノン・エフィンガー / ワシントン・ポスト Oct. 30, 2020

マーシャル・アレンは、パンデミックの間、ある意味で私たちの多くと同じように時間を過ごしてきた。彼が外出するのは新鮮な空気と運動のために近所を軽く散歩するためだけだ。何か月も経つと誰でも自粛生活に退屈してしまうのは当然だ。しかし、過去四半世紀にわたり最も重要なジャズ・グループの1つであるサン・ラ・アーケストラのリーダーを務めてきた96歳のジャズ界のレジェンドであるアレンは、毎日何時間も音楽を演奏することで現状を受け入れている。演奏活動を80年続けてきても飽きないということは、今始まったことではないだろう。

アレンは不思議なほど楽観的で、すべての音に新しい可能性を見出そうとしている。この自粛期間を利用して、彼はオーケストラに匹敵する数の楽器を使いこなし、ジャズ界で最も永続的な人物の一人となった技術をさらに磨いている。

8月下旬の電話インタビューで、アレンは「演奏しなければならない楽器が15~20種類もある」と豪語した。「オーボエ、フルート、ピッコロ、トランペット、トロンボーン、テナーサックス、バリトン、3~4本のアルト、ソプラノ・・・。(西アフリカの伝統的な弦楽器である)コラも、日中に演奏するために手に入れたんだ」と、彼は楽しそうに弦を爪弾き始めた。「24時間忙しくしていられるだけの楽器を持っているんだ」。

アレンは、これまでに行ってきた仕事によって、尊敬すべき長老的存在となっている。遡ること1940年代から、リーダーとしてもサイドマンとしても何百枚ものアルバムを録音し、世界各地で何千回ものコンサートを行ってきた。彼の一生分のエピソードに匹敵する記憶を持つ人は少ない。例えば、ナイジェリアのドラマー、ババトゥンデ・オラトゥンジとの4年間をまだ覚えている。

「私は大きなベルを弾いていた。バン、バン、バン、ババン、バン、ディディディ」とベルのリズムパターンを口真似する。「オラトゥンジの隣に立ってね。彼は大きな古いドラムを持って、バン、バン ......オーイェー!ってね。私がリズムを見失うと、バン!と私にスイングしてくれた」。2003年に亡くなったオラトゥンジのことを笑いながら語る。

もちろん、アレンが最も関わってきたのはサン・ラ・アーケストラだ。アーケストラの名を冠したリーダー、サン・ラは自称天上人であり、正確さや完璧さよりも個性や表現力を重んじる、20世紀を代表する先見性のあるジャズ・ミュージシャンであった。音楽の可能性の限界を再定義したと言っても過言ではないサン・ラが1993年に亡くなって以来、アレンはその遺産を引き継いでいる。サン・ラ・アーケストラの1999年以来のニュー・アルバム『Swirling』は、アレンの仕事がまだ終わっていないことを示している。

「今起こっているウイルスなんて、私の邪魔にはならない」 とアレンは言う。「私は家にいて仕事をすることに慣れている。なぜなら、サン・ラの音楽を存続させるためにやるべきことがたくさんあるからね」。



1924年にルイビルで生まれたアレンは、やがてフィラデルフィアに移り住み、18歳で軍隊に入隊した。ミュージシャンとしてのキャリアはここから始まり、最初の伝説的なグループに参加したのもここだ。彼は、バッファロー・ソルジャーとして知られる陸軍第92歩兵師団の第17師団特別サービス・バンドで、クラリネットとアルトサックスを担当した。アレンは、有名な黒人騎兵隊の最後の生き残りの一人なのだ。

パリに駐留していたとき、アレンはピアニストのアート・シモンズ、サックス奏者のドン・バイアス、アルト・リード奏者のジェームス・ムーディなどと共演した。名誉除隊後、アレンはパリ音楽院に入学し、音楽家であり教育者でもあるユリス・デレクリューズにクラリネットを学んだ。約10年間アメリカを離れていたアレンは、1951年に帰国した。父親はまだフィラデルフィアにいたが、母親はシカゴに住んでいたため、アレンは帰国後ここに住むことになった。

「音楽院で2、3年過ごした後に帰国した時、フィラデルフィアには戻らなかった。なぜなら用意されたチケットはフィラデルフィアではなく、シカゴ行きになっていたから」と自分の人生を変えた偶然の決断を振り返る。

シカゴの地元バンドで数年演奏した後、アレンは、近くのボールルームで毎晩リハーサルを行い、シカゴのジャズ・シーンで勢力を伸ばしていたサン・ラがミュージシャンを探しているという情報を耳にした。彼のバンドに参加したいと思ったアレンは、ある日、仕事が終わってからサン・ラに会いに行って一晩中一緒にいた。

「彼は、聖書や古代史など、さまざまなことを話した」とアレンは当時の出会いを振り返る。「それから音楽のことなど。私はただそこに立って聞いていた。毎晩、仕事が終わると、そこに行って鍛錬していた」。

やがてサン・ラはアレンに、サックス奏者のジョン・ギルモアの家で会おうと言った。もうひとつ指示があった。フルートを持ってきなさい、と。

「私はクラリネットとアルトしか持っていなかった」とアレンは振り返る。彼はすぐにダウンタウンに行ってフルートを買ったが、間もなく吹けないことに気づいた。「アンブシュア(吹くときの口の形)ができなかった。キーも何もかも知っていたが、肝心な口の形ができなかったんだ」。

アレンは、シカゴ交響楽団員で子供向けの音楽学校の運営もしている講師を見つけて、2人は取り決めをした。「“私があなたにレッスンをする代わりに、あなたは子どもたちにレッスンをしなさい。それをあなたのレッスン料の代わりにします”と言われたのを覚えている。それを2週間ほど毎日続けて、少しずつ口の形が出来るようになった」。

その後、サン・ラとライブで会って「Spontaneous Simplicity」という曲で初共演した。譜面通りに一音一音演奏した後、サン・ラはアレンに「もう一度、感覚だけで演奏してくれ」と言った。その夜に学んだのは「正しいことをしたのだから、今度は正しく間違えなさい」ということだった。アレンはその後もそれをずっと自分に言い聞かせることとなった。こうして、アレンは1957年に初めてバンドに参加し、惑星は永遠につながったのである。

アレンは、35年以上にわたってサン・ラのもとで演奏する中で、数多くの教訓を得たが、その中でも最も重要なもののひとつが「自制(discipline)」だった。自分の技術や声を磨くことだけでなく、自分の欲求や野心よりも大きな利益を優先することである。アーケストラのもう一人のリーダーであるギルモアと同様に、アレンがリーダー、教育者、そして最終的には門番としての役割を担いながら、キャリアの中でほとんどアーケストラとの共演のみを選んだ理由も、この点にある。

「私の自制心を高めようと彼は強制した」とアレンは言う。「サン・ラは週7日、毎日リハーサルをした。その頃の私はワイルドだったので、ちょっとへこんだね。逃げられなくて頭にきたけど、彼は毎日、音楽、音楽、リハーサル、リハーサル・・・と続けていた。私はついにあきらめて“ああ、このまま続けて、ちゃんとやってみようかな”と思ったんだ」。 



『Swirling』は1999年の『A Song for the Sun』以来となる、サン・ラ・アーケストラのスタジオ作品である。フィラデルフィアのRittenhouse Soundworksで録音されたこのアルバムで、アレンは演奏だけでなく、ミキシング、エンジニアリング、プロダクション、そしてアーケストラの名曲の再アレンジも手掛けている。2020年の大半が破滅的な雰囲気に包まれている今、人間はよりスピリチュアルな世界へと進化し、両手を広げて歓迎される必要がある、というサン・ラのメッセージにとって、これ以上ベストなタイミングはないだろう。

「最初にサン・ラーを知ったのは、彼の(アルバム)ジャケットを見たときだった」とアーケストラの長年のフレンチホルン奏者であり、1976年からグループで演奏を始めたヴィンセント・チャンシー(70歳)は語る。「私は東洋哲学や神秘的な読み物に興味を持っていた。また、古代エジプトや、アフリカのディアスポラや私たちの歴史との関係にも興味があった」。

現在、アーケストラには10数名のメンバーがいるが、アレンは、60年以上前にサン・ラが彼を導いたように現在のアーケストラを導いている。「彼は私に"ああ、君はいい演奏をするね "とか"君はいいトーンを持っているかど、私が望むものではない "と言っていた」とアレンは語る。

「彼は、頭で考えたことを演奏するのではなく、本当の気持ち、魂、心を演奏することを求めていた」とアレンは言う。「私はいつもそれに困惑していたが、本当のところ、彼が私に求めていたのは、心の底から演奏してほしいということだった。私が "自分が知っているやり方 "で彼と争うのをやめたとき、やっと彼を少しずつ喜ばせることができるようになった」。

アレンを含むアーケストラのメンバーの大半はクラシックの訓練を受けているが、オリジナルの楽譜の多くが手元にあっても、感覚を求めてページ上の音符を使わないことがよくある。これは音楽が「聴覚的」に受け継がれていること、そして口承の豊かな伝統の一部であることを常に思い起こさせてくれる。

「確かに火の洗礼のようだった」と2019年にアーケストラに参加したWeFreeStringsの創設者であるヴァイオリニストのメラニー・ダイアーは語る。「弦楽器奏者として、譜面からはあまり学ぶことができなかった。アルトサックス奏者のスコット・クノエルが譜面をくれたとしても、その夜にその譜面が演奏されるとは限らなかったから」と彼女は笑いながら言う。「だから、私はステージ上で多くのことを学ばなければならなかった。それは本当に古いタイプのやり方だった」。

現役の音楽家の中でもひときわ経験豊富なアレンの同僚であり弟子であることの重さは、バンドの現役メンバーにも伝わっている。「マーシャルについて話そうとするとき、それはとても個人的なことなので、単に“彼は素晴らしい人だ”と言うだけではなく、何を言えばいいのか、どう表現すればいいのかを考える時間を与えてくれる」と、2012年からメンバーとして活動しているアーケストラのボーカル&バイオリンのタラ・ミドルトンは言う。「それ以上に深いものがある」。

「伝説的な人物であり、音楽の革新者だえり、前衛的なサックス奏者であり、他の誰もやっていないことをやっている人物から学ぶ機会があること。また、サン・ラのように変化をもたらす人でもある。彼は音楽に変化をもたらし、心にも変化をもたらし、社会にも変化をもたらした。マーシャルには、そのような変化をもたらす方法がある。サン・ラが誰もやっていない芸術を創造したように。マーシャルは、現在誰もやっていなかった音とスタイルを生み出したのです」。

大統領選挙の数日前に、アレン、チャンシー、その他のアーケストラの現役・元メンバーがフィラデルフィアに集まり、選挙の夜に市内の投票所での即興演奏シリーズの一環として開催されるライブのリハーサルを行う。アーケストラの核心は、音楽を通して真実を追求し続けるミュージシャンの緊密な集団なので、このオファーは2020年にその力を利用して再び変化をもたらすことができる貴重な機会となる。これもマーシャル・アレンが多くの弟子たちに伝え続けていることのひとつだ。

「私はサン・ラではないが、ひとつだけわかっていることがある」とアレンは言う。「注意を払って、私がプレイしろと言ったらプレイしてほしい」。



自粛時代
自制の音楽
継承する

Sun Ra Arkestra - Seductive Fantasy (A Chad Van Gaalen animation)

Disc Review 『Sun Ra Arkestra / Swirling』『サン・ラ・アーケストラ/渦を巻く』

Sun Ra Arkestra NTS Live at Jazz Cafe
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