A Challenge To Fate

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【私の地下ジャズ愛好癖】ヒューマン・アーツ・アンサンブルとBAG 後編~ルーサー・トーマス再評価

2016年01月17日 02時49分16秒 | 素晴らしき変態音楽


ヒューマン・アーツ・アンサンブルはマサチューセッツ州セントルイスで1971年にAACMとBAG(ブラック・アーティスツ・グループ)に関係のあるフリージャズ・ミュージシャンによって設立された音楽と演劇の共同体である。1970年頃、公共基金が急進的政治グループと繋がりのある芸術組織への援助を止めはじめた。ドラマーのチャールズ・ボボ・ショウは、新たに人種に関係なくどんな人にも開放された芸術的共同組織を設立するアイデアを思いついた。その結果誕生したヒューマン・アーツ・アンサンブルは、急進的政治活動を推進し、ユニークなゲリラ劇場の商標を追求することが出来る一方で、必要に応じて一般市民のサポートを得ることも出来た。

ヒューマン・アーツ・アンサンブルは最終的にフリー・インプロヴィゼーションに関心のあるジャズ・ミュージシャンの重要な修行の場となった。ヒューマン・アーツ・アンサンブルのジャムに参加したミュージシャンの中には、ルーサー・トーマス(sax)、ジョセフ・ボウイ(tb)、マーティ・アーリック(sax)、ジョン・リンドバーグ(b)、若き日のジョン・ゾーン(sax)等がいて、レスター・ボウイ(tp)やオリヴァー・レイク(sax)といったエスタブリッシュされたアーティストも参加した。1973年にレコーディングされたアルバム『アンダー・ザ・サン』が、1975年にアリスタ/フリーダム・レーベルから再リリースされて、幅広い評価を受け、前衛的な作風にも関わらず好調な売上を記録した。『アンダー・ザ・サン』の魅力のひとつは、ファンク・グルーヴとフリー・インプロヴィゼーションのブレンドだった。

ヒューマン・アーツ・アンサンブルは、1977年に至るまで、セントルイスエリアで凝った音楽野外劇を提供し続けた。その頃、セントルイスに留まることを選んだ者をあとに残して、中心メンバーの一部がニューヨークに拠点を移した。グループは短い期間ニューヨークで活動したが、ジョセフ・ボウイが自分のバンド「デファンクト」の結成に専念するようになり、残りのメンバーもそれぞれ他の道へ進み、ヒューマン・アーツ・アンサンブルは終結した。
【私の地下ジャズ愛好癖】ヒューマン・アーツ・アンサンブルとBAG 前編



LEFT:
Black Artists Group ‎"In Paris, Aries 1973"
BAG ‎324 000 / France / 1973

ヒューマン・アーツ・アンサンブルの母体であるセントルイスのブラック・アーティスツ・グループ(BAG)名義の唯一のアルバム。チャールズ・ボボ・ショウ(ds)、オリヴァー・レイク(sax,fl,perc)、ジョセフ・ボウイ(tb,perc)、バイキダ・キャロル(tp,perc)、フロイド・ルフロール(tp,vo,perc)のクインテット編成で、1973年パリでのライヴ録音。全員がパーカッションを担当するマルチ・インストゥルメンツ志向は、先輩のアート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEOC)と共通する。LP1枚ではBAGの全貌は知り得ないが、精神性・志向性はヒューマン・アーツ・アンサンブルや各メンバーのソロ活動に継承されていることは間違いない。

RIGHT:
Oliver Lake ‎"NTU: Point From Which Creation Begins"
オリヴァー・レイク『エレクトリック・フリーダム・カラーズ』
Arista ‎– AL 1024, Freedom ‎– AL 1024 / US / 1976

アリスタ/フリーダムの再発シリーズの番外編。オリジナル・レーベルUniversal Justice Recordsで未発表だった1971年の音源をアルバム化。名義は人気の高いオリヴァー・レイクだが、ラインナップはジョセフ・ボウイ、チャールズ・ボボ・ショウ、バイキダ・キャロル、フロイド・ルフロールが含まれたブラック・アーティスツ・グループの作品と考えてよかろう。AACM/AEOCのドン・モイエ(conga)も参加しているのでヒューマン・アーツ・アンサンブルとしてもいいが、ヒューマン・アーツ・アンサンブル名義1stアルバム『ウィスパーズ・オブ・ダルマ』(1972)同様にファンク色はない。



LEFT:
Charles Bobo Shaw, Human Arts Ensemble "Çonceré Ntasiah"
Universal Justice Records UJ 101 / US / 1978

チャールズ・ボボ・ショウをメインにしたアルバム。サム・リヴァース所有のNYスタジオ・リヴビーでレコーディングされた。いつの録音か記載がないが、メンバーや音から考えると77年頃と思われる。1曲目のアレックス・ブレイクのファズベースに度肝を抜かれる。管楽器はジョセフ・ボウイとジュリアス・ヘンフィル。ヘンフィルとの共演の多い実験チェリスト、アブドゥル・ワダドに加え、ギターでニョーモ・マンテュイラが参加。マンテュイラは本作以外に参加作品がない謎のギタリスト。スパニッシュギターの抽象的フレーズは只者ではない。オリジナル盤は少数プレスで入手は難しいが、1981年の再発盤『P'nk J'zz(パンクジャズ)』は容易に見つかる。

RIGHT:
Charles Bobo Shaw / Human Arts Ensemble Featuring Joseph Bowie "Junk Trap"
Black Saint BSR 0021 / Italy / 1978

1978年5月にチャールズ・ボボ・ショウ、ルーサー・トーマス、ジョセフ・ボウイ、ジョン・リンドバーグ(b)、ジェームズ・エメリー(g)のクインテットで行ったヨーロッパ・ツアーの時イタリア・ミラノのGRSスタジオで録音されたアルバム。陽気なジャケットにも関わらず内容は過激なハードコア・ジャズ。突撃するパワーはそれこそ「パンクジャズ」と呼びたい。セントルイス・シーンの立役者のひとりルーサー・トーマスは比較的過小評価されているが、洒脱なサックスプレイの胡散臭さ(褒め言葉)はもっと評価されるべき。帰国後ジョセフ・ボウイはデファンクトを結成し、ヒューマン・アーツ・アンサンブルは解体の路を辿ることに。ルーサー・トーマスも80年代に「Luther Thomas & DIZZAZZ」を結成し、ギャングスタ・ジャズを標榜した。



LEFT: 
The Human Arts Ensemble "The Human Arts Ensemble Live Vol. I"
Circle Records RK 23578/9 / Germany / 1978

RIGHT:
The Human Arts Ensemble "The Human Arts Ensemble Live Vol. II"
Circle Records RK 23578/12 / Germany / 1978

2枚とも『Junk Trap』と同じヨーロッパツアーでの1978年5月23日オランダ・ティルバークのDe Groote Luxeに於けるライヴ録音。Vol.1はチャールズ・ボボ・ショウ、ルーサー・トーマス、ジョン・リンドバーグのトリオ、Vol.2はボボ・ショウ、ジョセフ・ボウイ、ジェームズ・エメリーのトリオによる演奏を収録。裏ジャケの写真は共通なので、最初にVol.1を見つけたとき、サックストリオなのにトロンボーンの写真が載っているヘンなレコードだと思った。Vol.1での破天荒なサックスを聴くと、もしかしてジェームス・チャンスのお手本はルーサー・トーマスだったのではないか、と想像してしまう。逆に『Luther Thomas & DIZZAZZ』(81)でファンクビートでラップを歌うルーサーにはジェームス・チャンスの影響を感じる。Vol.2はエメリーの変態ギターが大活躍し、触発されてトロンボーンも狂いまくるA面が秀逸。ベースレスで腰の砕けた脱力ビートが意外に気持ちいい。

人類愛
生類憐れみ
類人猿

Luther Thomas & Dizzazz - Yo' Momma - Soul Funk
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