マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

350年の超老舗鮨

2008-12-19 00:26:39 | 



江戸時代、浪花八百八橋の番付表。
西の前頭七枚目にあるのが西横堀川にかかる筋違橋。
すじかいばしと読む。
別名を洒落て、すしかい橋。この橋のたもとに長いこと一軒の
鮨屋があるからだ。



そんな西横堀川も昭和の御代の都市計画で埋め立てられ、頭上を
無神経極まる高速道路が走り、筋違橋も名ばかりとなり、欄干は見るも無惨に両の手をもがれた。
大阪というところ、「歴史なんて金儲けになりまへんやろ~」と、こうした歴史的景観を平気な顔で切り捨てて来た、結局はそれが街殺しだということに長いこと気づかなんだ。今も景観保全の感覚は余りに鈍い。
水のない橋の欄干は哀しいだけだ。



筋違橋から望む、西横堀川たもとの鮨屋。
こうしてモロクロームだと、時代が昔に思えないかへ?

明治に建てられた建物で、今も持ち帰り専門店として盛業中。
小鯛雀鮨の暖簾が静かに揺れている。



小鯛雀鮨の元祖「すし萬」。元はもう少し南で営んでいた魚屋。
承応2年(1653)、鮮魚の傍ら江鮒(小ぶりのボラ)に飯を詰めた雀鮨を売っていた。ピンとひれを立てた魚が雀に似ていたという。
天明元年(1781)、禁裏に雀鮨を収めるため、ボラを鯛に作り変えたのが小鯛雀鮨のはじまり。
二階の虫籠窓が印象的。この二階に店員たちが住んでいた。



この店先だけ時間が止まっている。
戦災で奇跡的に焼け残ったこの一角も、すっかり変わってしまった。
商う寿司もすぐ食べたって美味しくない。7時間経過して味が一層熟れてくるのだ。時間の流れがゆっくり。どだい握りとは起こりがちがう。



上が名代の小鯛雀鮨。この寿司飯は、本店で薪で炊いたもの。
竈のある壁は長年の煤で真っ黒になっていた。
戦中ぐらいまでは、これ一本だけで十分商いが成り立った。
だが、戦後はそうもいかなくなった。
下は先代、七代目小倉英一氏が考案した阿奈古ずし。
煮穴子が使ってあり、これも旨い。


まったりとした鯛とごはん。しっかり噛み締める旨さ。
大阪に生を受けた人間なら、一度は食べてもらいたい。
すし萬の鮨は、時代をつらぬいて生き続けている。

 

      総本家小鯛雀鮨 すし萬   大阪市中央区高麗橋4丁目





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