マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

何故にステーキ北新地

2008-11-15 15:18:07 | 

北新地というと何故かステーキである。スエヒロ始め、京松、今は亡きオリンピック、ボビノ、ロン、神戸みその、A-1、ニューオークラ、クリスタル、堂島など、20軒ぐらいはすぐに挙がる。
そもそも大阪は牛肉処である。西に神戸牛、北に近江牛、東に松坂牛、伊賀牛と名だたる産地を控えている。長らく関西出張というと「牛肉が食える」と楽しみにされたものだった。



前菜  車エビ、アサリ、ムール貝、タラ白子焼

なぜ北新地にこれほどステーキ屋が多いのか。
ステーキと言わず、ビフテキ(昔はビステキと呼んだ)、テキと呼びたい。



トマトのグラタンスープ

本通と上通の間に蜆川が流れていて、両岸の土手が盛り場になった。
明治期、北の大火で川は埋められ、ひとつの花街になった。
昭和の初めには茶屋200軒、検番11、芸妓700人がいた。



ウネウネ…とうごめくアワビ(紀州産) 今にも殻を外して遁走しそう。

美味しく食べてやるから、観念せよ。



ワイン蒸しにし、トマトソース、ハーブバターで。

ステーキ屋らしからぬ一品。 アワビ柔らかい!



旬の野菜サラダ  柚子風味ドレッシングに塩昆布



極上黒毛和牛ステーキ  右は宮崎牛フィレ、左が佐賀牛サーロイン



フィレから。姿がいい。
ニンニク醤油、塩(仏・ゲラント)、ポン酢の3種類。
山葵と塩がいい!


すっかり焼肉屋にその座を奪われた格好のステーキ屋だが、
素材、技術、サービスでまだまだ王座奪還はできるはず。
たとえば、ステーキ屋の常識を破って境を越え、ホルモンなども彼らの解釈で焼いてみてはどうだろうか。



サーロイン 噛むとジュッと肉汁があふれ出る。

焼き加減は黙っていても、職人がピタリと焼き上げる。




肉の裁ち落し、脂身はこうして別に炒めて・・・



一口サイズのステーキサンドに。 これがバカうま!
ウイスキーをストレートで欲す。



脂身は香ばしく炒めて、玉ネギとサラダ仕立てに。
無駄なく端肉も大事に供する辺り、好感がもてる。



江戸時代にはすでに接待場所だったという北の新地。
多かれ少なかれ社用族が、ビフテキで客をもてなし、その後クラブ、スナックで接待。商談をまとめるという場だったのだろう。
接待がどんどん厳しくなり、ステーキ屋だけが残った。
北新地が元気でなければ、大阪の経済が上向くなどあり得ない。



客のペースをみて、長谷園の土鍋で炊くごはん。
炊き立てのごはんで、自家製カレーライス!痛快無比!
ステーキ屋のカレーは美味いのだ。




珈琲の濃度もいい感じ。

北新地でテキで接待を受けられるように、必死に仕事にまい進する。
これはこれで自由経済をまわすにはいいことのようにも思えるのだが。
接待されることなど極めて稀なこちらとしては、何かの記念日でもこさえて、奮発して出かけることぐらいしかない。




栗のアイスクリーム、パイナップルがここで登場した。



   鉄板ステーキ パイナップル   北区曽根崎新地1 新地上通り



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吉田山のあたたかな一夜

2008-11-04 16:21:24 | 

以前から「連れて行きたい店あり」と千秋女史。
時間があったので河原町から市バスに。
適当に乗ったらば、適当な所で曲がられて、目的地と離れてしまった。
やはり世の中適当だけでは渡っていけない。
で、結局は車を拾うことになる。寂しい道にポツンとある店。
店前で千秋女史、立っててくれる。


戻り鰹のたたき、きずし(〆鯖)、花弁のように美しいぐじ(甘鯛)

千秋女史は京都のプロモーターとして頑張っている。
亭主M氏は屈指のマンドリンプレイヤー。近頃はソロでライブも
こなしている。ええこっちゃね。ビールで乾杯。


これが旨いねん・・・と大ぶりのメンチカツ

M氏お気に入り、待てずに即座に注文。
ポテサラフェチの私のために付け合わせを大盛りに・・・ニンマリ。
熱々をサクッ、中からジューシーな挽肉が・・・不味い訳がない!

主人は立派な体躯。聞けば同志社ラグビー部で大八木氏の後輩で、平尾氏、ケツカッチン和泉修くんの同級生らしい。



牡蠣のエスカルゴ風

いよいよ牡蠣のシーズンですな・・・バジル風味のグラタン。
たまらず冷酒を。酒は日本酒、ワインも取り揃える。



牡蠣のグラタン

チーズとベシャメルソース。不味い訳がない・・・ひねくれ者!旨いと書け!
牡蠣は的矢ともう一種を使い分ける。
これにカリカリのバケットに冷えたワインの1本あれば、幸せな時間をお約束する!裏判押してもいい。



煎りぎんなん

千秋女史の好物らしい。ほんの微量だが毒成分が入っているので
子供には避けた方がいいのだ、なんて言ってびびらす。



きずしを炙りで

皮めがパリッとして、よりジューシーになる。ソラ弁の焼き鯖寿司みたいなもん。京都にはいづうや花折など名代の鯖寿司があるが、翌日になって硬くなったのを、炙って食べるのもオツなもんである。
ず~っとビールで通すM氏を尻目に、ワインを所望!
オレばっかり呑んでないかぇ?



のどぐろの焼き物

なんか変だなと思ったら、左右の向きが逆だ。
だけど左向きばかり出してると、片身はどうするんだってことになる。
口の中が黒いからのどぐろ。日本海の美味。



蓮根饅頭

これを食べさせたかったという逸品。あられがまぶしてあって香ばしい。中はねっとりとして、熱いくずあんとよく合う。生姜も体を温め、冬場には持ってこいだ。


主人の育ちのよさげな(知らんけど)柔らかい接客は実にいい感じ。
人気の店なのも分かる。場所は吉田山の東麓・・・たぶん。

M夫妻とも談論風発。久々にリラックスして酔わせてもらう。いつもか?
近いうちにスイング・ジャムをしませう、ということになった。
彼がマンドリンならば、おでは喜んでリズムギターをしばき倒します。



        Kihara    京都市左京区吉田神楽岡町
  



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やっぱり小肌から

2008-11-03 14:29:50 | 

この晩は小肌から始めた。新子を三匹づけで。
江戸っ子はこの新子を殊のほか珍重した。
まさか、地元近くの富田でこんな寿司に会おうとは思わなかった。
塩加減も酢の〆具合もぴたり。



佇まいは立派な玄関を持つ、地方にありがちな店構え。
ともすればこういう店は造りや鍋で酒を飲む客が主体で、折角いい腕があるのに寿司を食べる客が少なかったりする。ここはどうか。



平目のえんがわ昆布〆 塩(海老塩といったっけ)

塩は伊豆諸島の最南端、ひんぎゃの天然塩を使う。



なんだか忘れた・・・ヒラマサだか、ソイだか。



車エビ 玉子のおぼろをのせて

中にかましたり、玉子を海老にまぶして握る店はあるが、
上に乗せるのは初めてだった。文句なく旨い。



頭は塩焼きでバリバリッ・・・



ここで温かいお椀。クエの濃厚な吸い物

旨いが骨をとらなきゃいけないのは、寿司屋にはどうかな。



玉子焼きは山芋をつなぎに使う。
きれいな色は出ないが、とろりとした食感は面白い。



近大マグロ
全身トロとかいうやつである。
う~ん、個人的には本マグロかインドの中トロまでで勘弁。
祇園さ々木もびっくりの伊豆産山葵がのる。
脂が勝つので少しも辛くない。

話題性はあるが、通人は羽織の裏に凝りたいのと同様、見えない仕事の方が粋ではないのかな。
東京の寿司好きが見たら、えげつないと感じるんだろうな。たぶん。



茶碗蒸し  大阪の鮨屋にはなぜか茶碗蒸しなんだなぁ。
東京では一切見たことがない。これはこれで旨いんだがな。
つまり、寿司に対する考えが違うんですな。関西はやっぱり御馳走。
東京だって今や寿司は御馳走には違いないんだけど。
蕗の薹の柚子みそが効いている。



煮穴子  断然こっち向きで握った方が食欲が湧くんだけど。
どうも皮目を上に握る店が、しかも高級店に多くて困る。
もちろん、個人的理由!



キンメダイ
ネタごとに皿を替えてくるのも実に景色が変わって面白い。



山葵の茎巻き
思ったほどは効かない
でも、飯に醤油を漬けたくないな・・・



酒が少し残ったので、烏賊の塩辛を所望。
ワタを使わない白い塩辛。

主人喜多さん、高槻の「一楽」で修業後、ここをひらいた。
       
焼酎の取り揃えに力が入ってるので、聞けば富田の酒屋「白菊屋」の柳川さんに育てられたという。「あやむ屋」や方々で白菊屋の名前は前々から聞いていた。本格焼酎の仕掛け人の一人である。
味にも精通していらして、主人は散々怒られて来たという。
身近にいい師匠がいて結構なことだ。



水菓子は柿のコンポート。

北摂でなかなかコレ!という寿司屋さんに巡り合わないので、是非とも頑張ってもらいたい。そして客はしっかり寿司を食ってもらいたい。
客が寿司屋を育て、寿司屋が客を育てる。
そんなふうな気がする。




       寿司・割烹 「磯若」    高槻市富田町1



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ABC・・・XYZ これは俺らの口ぐせさ

2008-11-03 02:38:40 | Weblog

 
           

フランク永井が死んだ。
戦後の歌謡史に残るムード歌謡の代名詞だった。低音の伸びのある甘い歌声だった。
戦後、米軍キャンプのクラブで歌い始め、のど自慢荒らしから歌い手になったというストーリーも、いかにも昭和の歌手だ。


叔母がラジオでフランクを聴いて、どんなダンディな歌手なのだろうかと実演を観に行ってがっかりしたと言ってたが、まぁ決して男前ではなかった。タクシーの運転手が背広に着替えて出てきたような雰囲気を持っていた。

「有楽町で逢いましょう」は有楽町そごう開店時のCMソング。
二村貞一が戦前歌った「君恋し」をドドンパのリズムで歌った。
「東京ナイトクラブ」は松尾和子とのデュエット。
戦後の高度成長で小金を持った男たちのために、ナイトクラブは
燦然と夜空にきらめいた。
その時代が、まさにフランクの全盛時代といえる。


表題の「西銀座駅前」など東京っぽいイメージを歌った一方、一連の大阪物といえる石浜恒夫作詞の楽曲がある。「こいさんのラブコール」「大阪ぐらし」「大阪ろまん」・・・なんだかベタついて好かんかったが、今となってはちょっといい。


晩年の石浜恒夫氏に病院でお会いしたことがある。作家藤沢桓夫の身内ということで、大阪の作家、ことに織田作之助と親交があった。凡百の歌とちがい、独特の詩情があふれているので、どこかで見かけたら味わってみてほしい。


フランク後期の「公園の手品師」は、ABC(朝日放送)ホームソングというシリーズの中で生まれた佳曲。今年出した長谷川きよしのアルバムにカバーされていた。ジャンル分けはしにくいが、とてもいい歌だ。
今となってはなかなか難しい仕事だが、このホームソングを誰かまとめてもらえないかな。


         


85年、53歳の時、愛人問題のもつれで自殺未遂。
酸欠による脳障害が残り、歌手としての生命はその時点で断たれた。
76歳の今までよくぞ生きながらえていた、という感じだ。


「フランク永井は低音の魅力、神戸一郎も低音の魅力、水原弘も低音の魅力、漫談の牧伸二、低能の魅力・・・」我々の年代、ガキの時分に一度は口ずさんだことがあるにちがいない。

歌手はフランクのカバーをしてみるといい。ムード歌謡・・・この辺りにまだ鉱脈が眠っている気がするのだ。
そしてもう一度、フランクの歌が見直され、ナツメロなんかぢゃなく巷に流れることを切望する。

おつかれさまでした。

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