フランク永井が死んだ。
戦後の歌謡史に残るムード歌謡の代名詞だった。低音の伸びのある甘い歌声だった。
戦後、米軍キャンプのクラブで歌い始め、のど自慢荒らしから歌い手になったというストーリーも、いかにも昭和の歌手だ。
叔母がラジオでフランクを聴いて、どんなダンディな歌手なのだろうかと実演を観に行ってがっかりしたと言ってたが、まぁ決して男前ではなかった。タクシーの運転手が背広に着替えて出てきたような雰囲気を持っていた。
「有楽町で逢いましょう」は有楽町そごう開店時のCMソング。
二村貞一が戦前歌った「君恋し」をドドンパのリズムで歌った。
「東京ナイトクラブ」は松尾和子とのデュエット。
戦後の高度成長で小金を持った男たちのために、ナイトクラブは
燦然と夜空にきらめいた。
その時代が、まさにフランクの全盛時代といえる。
表題の「西銀座駅前」など東京っぽいイメージを歌った一方、一連の大阪物といえる石浜恒夫作詞の楽曲がある。「こいさんのラブコール」「大阪ぐらし」「大阪ろまん」・・・なんだかベタついて好かんかったが、今となってはちょっといい。
晩年の石浜恒夫氏に病院でお会いしたことがある。作家藤沢桓夫の身内ということで、大阪の作家、ことに織田作之助と親交があった。凡百の歌とちがい、独特の詩情があふれているので、どこかで見かけたら味わってみてほしい。
フランク後期の「公園の手品師」は、ABC(朝日放送)ホームソングというシリーズの中で生まれた佳曲。今年出した長谷川きよしのアルバムにカバーされていた。ジャンル分けはしにくいが、とてもいい歌だ。
今となってはなかなか難しい仕事だが、このホームソングを誰かまとめてもらえないかな。
85年、53歳の時、愛人問題のもつれで自殺未遂。
酸欠による脳障害が残り、歌手としての生命はその時点で断たれた。
76歳の今までよくぞ生きながらえていた、という感じだ。
「フランク永井は低音の魅力、神戸一郎も低音の魅力、水原弘も低音の魅力、漫談の牧伸二、低能の魅力・・・」我々の年代、ガキの時分に一度は口ずさんだことがあるにちがいない。
歌手はフランクのカバーをしてみるといい。ムード歌謡・・・この辺りにまだ鉱脈が眠っている気がするのだ。
そしてもう一度、フランクの歌が見直され、ナツメロなんかぢゃなく巷に流れることを切望する。
おつかれさまでした。
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