Earl Scruggs 1924 - 2012
今宵、行きつけのバーにDVD持ち込み、在りし日の勇姿を眺む。
タイミング、ボリューム、バックにまわった時の心地よさ。これを天才と言わず誰を言おうや。
ビルモンローの偉大さは当然だが、やはりアールスクラッグスのバンジョーのエポックなアイデアと高い音楽性がなければブルーグラスは成立していなかっただろうと思う。
アールとの出会いは中学時代に聞いたFoggy Mountain Breakdown。
あれ以来、あんな機関銃のような音が出るバンジョーは聞いたことがない。
どうなってるんだ、ありゃ。
アールの愛すべきエピソードをひとつ。
ボクの友人がティム・オブライエンと共同でプロデュースしレコードを作っていた時のこと。
一曲アールに加わってもらうことになり、ご登場ねがった。
曲目は忘れてしまったが、何度かテイクを重ねたが、アールは何度もとちった。
「オレ、何回も家で練習してこなあかんタイプやねん」
あの大御所が弁解したそうだ。
インストをお願いしたところ、
「あれはDやからすぐよう弾かんわー、GのCumberland Gapやったら弾けるで」と言ったとか。
天真爛漫、バンジョーさえ弾いてればごきげんな人だったのだろう。
とても慕わしい。
ヨメのルイーズがフラット&スクラッグスの解散に関与しているのは知られている話かもしれない。
「もう旅するのもええ加減にして、うちの子らとやったらどう…?」
てなことを言ったんだろうか。
そんな風に詰め寄られたら、夫言い返せず、バンジョーで「チンチロリンのカックン」弾いて
バンドにピリオド打つしかなかったのだろう。
そうして盟友Lester Flat以下のメンバーはごっそりとNashville Grassに合流、
アール一人抜けてScruggus Revueに分かれ、終生交わることはなかった。
アールにとって良い妻だったかどうかは解らぬが、このヨメがなかなかジョークの通じないタイプの、
周囲の人間を緊張させる人だったらしい。 (←これも友人の弁による)
バンジョー弾いてりゃニコニコして「あの~もしもしィ…お父さんですかァ」と言うてるような人
(単に藤山寛美に似てただけかもしれんが)だったので、
ルイーズが頑なに守らねばいけなかったのかもしれないけど。
思えば、志ん朝師匠の奥さんがそうだったな。
ガラガラ声の下町のおかみさんみたいな人で、周りはぴりぴりと恐れていて、
彼女がスケジュールやなんかすべて取り仕切っていた。名人に悪妻あり。
よくぞ、あんな重い楽器を長年吊り下げて演奏し続けてくれました。
おつかれさまでした、いい音楽をThankyou Earl !