今日は僕の運命を大きく変えた日の事を記録として書いてみます。ネガティブな内容なので、興味の無い方はスルーしてくださいね。
このブログを書くきっかけは、2005年に夜勤のバイトへ向かう途中で起こした交通事故でした。 見通しの悪い交差点。小雨の降る夜でした。よくある出会いがしらの事故ってやつです。僕は優先。相手は一旦停止。 僕は徐行しながら交差点に進入。交差点の真ん中手前にさしかかった時、真横にいきなりヘッドライトが見えました、見えたと同時に激突。左横からぶつけられ、車は時計と反対方向へ横回転。相手の車の一部にめり込み、そのまま今度は後ろから民家のブロック塀に激突。1度の事故で2回の衝撃。現在の日本の法律では、お互いに動いていたら過失割合は7:3か6:4です。完全な相手側の一旦停止義務違反なんですが、 相手が悪かった・・・プロのカーディーラー。相手は車のヘッドライトのバルブを交換したかなりの改造車でした。あの色目では小雨の街路灯のある交差点では、相手の車を事前に認識するのは不可能です。そしてまた当日の夜は何故か事故件数が多くて、救急車を呼んでも1時間近くかかりました。おまけに激痛が酷かったのですが、時間と共に歩けるようになって、救急車が到着する頃には、痛みもある程度収まり、救急隊員にこの程度で救急車を呼ばないで下さいと逆に言われてしまった・・・。その時の会話を思い出したので加筆します。ではどうすれば?と救急隊員に尋ねたところ、「タクシーでも呼びなさい」見たいな事を言われながら、担架に運ばれた事を思い出しました。余程その時間帯に集中したのでしょ。事実その日は名古屋市内で死亡を含む事故が6件も同じ時間帯にあったそうです。後日に保険会社の人が家に来た時に言ってました。
そして救急病院へ搬送。当日は土曜日の夜です。これも不運でした。しかも、受け入れ可能な救急病院は車で30分以上かかる病院でした。これも不運。近所の救急病院はすべてNGでしたね。
そして搬送先の救急病院では
レントゲンを撮っても骨折無いから、軽症だよ。大した事ないから帰ってとあっさりです。 確かにその時点では、痛みも収まり気分も何だかハイで、車は無残な状態でしたが、身体は動くし大した事無くて良かったとほっとしたんです。ただ、救急搬送されたお医者さんが一言、今でも忘れません。
「明日もしかすると身体が動かないかも知れないけど、驚かないでね。滅多に無いけどね」と言われました。明日は日曜日、ここは休みだからね。「どうしたら良いですか?」と尋ねると「自分で考えてと」冷たい返事でした。ホント土曜日の夜に迷惑だよ感丸出しでしたね。ホントの話ですよ。
保険会社と連絡も取れて、代車も手配できたのですが、兎に角、妻が運転が苦手で、地図もあまり理解できず、不慣れな場所へ向かいに行けないとの理由から、電車とタクシーで自力で家の近くの駅まで行きました。この辺の記憶はかなり薄れて来ています。 そして、身体が痛むどころか、何だか軽くなって、その勢いで、警察署へ事故報告に連れて行ってもらった事までは覚えていますよ。数年経って、パソコンも普及して、ネットで色々調べたら(当時はまだそこまで普及していなかった)むち打ちは事故後ハイな状態になるが、安静にしていないとその後の治りが悪い事がわかりました。今思い返せば、悔いが残ります。
そして次の日です。朝目覚めると・・・「体が全く動かない」出来るのは呼吸だけでした。初めは声もまともに出せませんでした。経験のある方にはわかるかも知れませんが、まるで金縛りにあったような状態。手足は全く動きません。妻にも「冗談でしょ、演技は止めてよ」と言われる始末。ようやく信じてくれたようで昨日救急搬送された病院へ電話するも、「今日はお休みです」でお終い。 その日どうしたかもう記憶にありません。
覚えているのは次の日に近所の整形外科にかかって、そこの院長に言われた事は「どんなに症状が辛くても、骨折が無ければ軽症としか診断書は書けない。頸椎捻挫は1週間です。それ以上は無理です」そして、「どんなに症状を訴えても、元の身体には戻らない」と断言されました。 何だかもーその時点で元の身体に戻らないって何? その日から、僕の苦しくもやるせない人生が始まりました。1週間しても、首の痛みはあまり変わらず、確か1週間後からは病名も頸椎捻挫から頚椎症へ変えられ、保険会社からの補償も止まりました(仕事が出来ない日の日額補償などの) それから3ヶ月くらいしてから、目の中に何かドロドロした物がハッキリ見えるようになり、視野にかぶって見えにくくなったのですが、当然交通事故との因果関係など証明出来ず、首や肩、腰の痛み、目の中のドロドロと共存する日々とあいなったわけです。
その間も保険会社の担当者に痛みとか苦しさを訴えましたが、一番印象に残っているのは、「肩こりや背中の痛みはあなたの身体が弱いだけで、交通事故となんら関係が無い」と言われました。保険会社にとってみれば優秀な社員でしょう。レントゲンに映らない所見は被害者の身体の弱さが原因なんですから・・・。
その時は僕も40代若かった・・・事故から半年後、首の症状も緩和され、これなら大丈夫だと保険会社と示談をしました。 本当の苦しみはこの示談後から始まったのです。
元々夜勤などこなせる身体では無く、無理がたたり、首の痛み背中の痛みが増して来ておまけに、目の中のドロドロが増して来て仕事を辞めたのが、2005年の終わりでした。それから何か自分で出来る事をと考え、それが節約だったわけです。生きるための節約です。
勿論その後MRIとか、目の検査とかしましたが(当然健康保険です)、いつからですか?と医師から尋ねられるので、これこれこういう事情で、交通事故をしてからと話をすると、何故か皆態度が一変するんです。まるで帰ってと言わんばかりに事務的な態度になり、交通事故との因果関係は認められませんからね、ばかりを強調される。「はいそれは分かってます」と答えても、何故かスッキリしない。名古屋市内にある某大学病院では、これは生まれつきのものだから、病気じゃ無いですよ。手術で除去は出来ますが、病気じゃ無いから、費用は自費になります。それにかなりリスクを伴う手術になるんで、それでもやりますか?と言われました。 その時点で既に、僕は夜間の車の運転がかなり苦痛(ドロドロが反射して見にくくなっていた状態)になっていまして、そんな状態でも自費ですか?と質問しましたが、「先ほど伝えた通り」と、とても冷たい対応でした。「運転を控えたら良いだけでは無いですか?」 この時点で、残念ながら僕は病院は力になってくれないと思い始めたのでした・・・酷い病院アレルギーにもなりますわな・・・。続く
ここまで読んで下さった方。ありがとうございました。