12月29日(土曜日)から妻の里帰りで北京に入り、昨日の新年4日(土曜日)に日本に戻ってきた。今回は、1週間という滞在期間の短さもあり、とりたててどこへ行くでもなく、妻の知り合いと会食した記憶しかないが、いくつか雑感めいた感想をぼちぼち関連する写真をアップしながら書きとどめておく。
出発の29日、今年は、4時半起きで、6時発のセンター南から羽田行きのリムジンバスに乗った。飛行機は日本航空で9時10分発。昼過ぎに北京着。空港で、いつもは日本に帰るときに食事をするタイ料理の店で川魚の煮つけを食べてからホテルまでタクシーでくる。ホテルは建国門外の親族酒店というホテル。事務所に使っていたものをホテルに改装したような造りで、照明も暗く、ベッドは板のように硬く、朝食もひどかったので、1日で、通りを渡ったST. REGIS(北京瑞吉酒店)に妻とトランクを転がして移動する。価格は親族ホテルの倍以上する6星クラス。もともとは国際倶楽部飯店といい、9.11テロ後に中国を訪問したブッシュ大統領が飛行機体当たりの9.11再現テロを恐れて、北京のなかで背の一番低い最高級ホテルとして、このホテルを選んだそうだ。
そのブッシュが泊まったホテルの12階の部屋の窓から外を見ると、昔は日本大使館もその一角にあった大使館街の向うにノッポビルが望める。国際貿易中心である。世界貿易センターを中国ではこう言う。なぜ、WBCはどの国も超高層にするのか、1つの疑問である。こうしたものがテロの恰好の標的になって仕方がない気がする。
31日までは北京としてはそう寒くもないが、それでもやはり寒い晴れの冬日が続いたが、新年の1日はぽかぽか陽気と言ってもよく、かえって厚着が苦になった。
大晦日の31日は、妻が母親が居る老人施設へ行っている間に、寒風にさらされながら日壇路をとぼとぼ日壇公園まで歩いた。途中、いやに駐車を待つ車が多くなり売店の前が人混みになっているので、スーパーでもあるのかなと思っていると、病院らしい。そして、小生は奇妙なフランスの貴婦人がかぶるような帽子を頭にのせた60歳ぐらいの夫人と眼が合って、その帽子故にしばし眼鏡をかけた顔を見詰めていると、女は突然、小生に駆け寄ってきて小生の手を握って、嬉しいわと握ったその手を離さずに何度も振っては小生の顔を見上げて感激したように何か人の名を繰り返し叫びだした。どうも、頭に毛の防寒帽をかぶり、眼鏡をかけた顔にマスクをして、白熊のようなダウンを着ている、およそ中国人ではあり得ない風体の小生を、もしかして高倉健のような外国の有名映画俳優と間違えたらしい。咄嗟(とっさ)のことで、違うよというつもりで「ノー」「ノー」と連発して握る手を振り切ってやってきた。
そして、その病院のわきに公園らしきを認める。春分の日、明清時代の皇帝が太陽神に祈禱をささげた祭壇「朝日壇」(1530年~)、今の日壇公園であった。出口はそこにあるが、誰もいないのでその出口から入ってもよさそうだと思いながら入口をさがして公園の塀にそってぐるっと歩いて回った。この一帯はナイトクラブなどがひしめく一種の歓楽街であると知る。しばらく来ると日壇公園の入口を見つけ、入園料をとらないようであり、ぶらりと入って園内を覗いて見ることにした。
公園の入口を入って、立派な朱塗りの門を抜け、大音響に曲を流して大樹の前で踊る人々を見て、風雅な四阿(あずまや)がのっかる築山に登り、母子が戯れるのを眺め、さらには氷結した池を眺め、天女が踊る明るい壁画の前で日向ぼっこする老人を写真に撮ってから、先ほどの病院前の出口を出て、戻る途中、ホテルの前のスターバックスで喫茶してから部屋に帰って来た。あとで考えると、日壇公園で肝心の日壇を見つけることができず、そもそも日壇があることなど念頭になく帰ってきたことに気がついた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/69/12/f7835c55c800e43df1a9d15a577de33c_s.jpg)
元旦、1日の朝は、長安街の並びにあるマクドナルドで朝食をとり、同仁堂で薬を買い、ヤオハン(賽特集団)で土産の茶を購入した。妻の話では、女が話しかけてきて、購入したものの代金を自分がヤオハンのカードで買うから後で割引額を引いた代金を支払ってくれと頼まれたそうだ。1800元分を買って、妻は1500元を女に渡した。女は溜まったカードのポイントを後で現金化して稼ぎとするのだそうな。レジで支払いとなると、すぐこうした類の女性が背後から近づいて話しかけてくる。店の人間も見て見ぬふりだ。こういうのはヤオハンだけなのだろうか。これまで経験がない。ヤオハンでの買い物は比較的高額になるので、こうしたポイント稼ぎも成り立つのであろう。
午後、妻のお母さんの老人施設へ行く。お母さんは認知症があってなかなか妻を自分の娘だと認識できない。どういうわけか小生のことは覚えていて、その関連でこの日本人を旦那にもつ我が娘も思い出すに至った次第だ。そこへ3番目のお兄さんが現われた。近々、心臓施術を予定しており、病院を抜け出して車を運転して母親を見舞ったもの。お兄さんと三人で、新街口の四川飯店へ行く。なんでも、この四川飯店(当時、西城区の別の場所にあった)は、1960年代、反党運動の密議が行われた中国の歴史に名を残す店なのだそうだ。ちょっと、日本の維新のとき志士と新撰組が死闘を繰り広げた京都の池田屋を思い出す。
2日は、前日までに比べ、空がやや霞んでスモッグが出てきたようだ。いよいよ北京の大気中にPM2.5の微粒亡霊がお出ましになったようだ。11時から4番目のお兄さんとその友人の元・建築関係のお役人だった70歳の男性と北京ダックの名店「鴨王」で会食した。尖閣の話が出た。日本人は、あんな遠くにある、はるかに中国に近い小さな島になぜこだわるのか。日本に近い北方四島の方が余程大きくて資源的にも価値があるのではないか、との主張。小生は、仕方なく、北方四島は日ソの冷戦下に緊張が増した。今は日中の軋轢下に尖閣諸島が問題になっている。歴史的にどちらのものだか、理屈をつけたところで互いに納得しない。いつの日か、政治的に決着をつけるしかない。もともと領土問題といっても、本当に領土として大事なのではなく、自分の所有物を盗られることが我慢ならないとの感情問題が底辺にある、と。もちろん、中国側の兄さんと友人はそれほど納得しない感じだった。
夕方、妻の2番目のお兄さん夫婦が来訪。ホテルの部屋でしばらく話してから近くのレストランに晩飯に移る。ここは北京の家庭料理を食べられる、価格もリーズナブルな店だ。お兄さん夫婦は娘がいるカナダのトロントに移住するという。したがって、トロントがいかに暮らしやすい街であるかを綿々とうかがった。中国が経済大国になっても先進国の生活の質を享受するのはまだ遠い先のこと。今、老後を過ごすにはトロントの方がずっといいという判断がある。二人の年金でも物価が安いトロントでは十分暮らしていけると話した。そして、「公平」を掲げる習近平の腐敗官僚粛清について話が及んだ。役人に自己批判させ、この「公平」達成の観点からかなりの役人が首(更迭)になっている。どちらかといえば、官の下で格差をつけられてきた一般市民のこうした習政権に対する支持は今のところ高いようだ。そういえば、この店の壁にも、料理を残さないようにしようといったスローガンが掲げられている。中国では、気前のよさを示すために、面子(めんつ)を保つために、大目に料理を頼み、残す習慣があったが、今は、皿の料理は大方空になっている。残ればテイクアウトする。これはエコの精神を強調したものだが、レストランでの接待は腐敗の温床ということもあり、あるいは庶民の食生活の浪費を戒めるかたちで「公平」の精神を徹底せんとしたものかもしれない。
実は、習政権が「公平」を重視していると見抜いたのは、今回会うことはなかった1番目のお兄さんである。このお兄さんは、奥さんと車で買い物に行って、買い物先で奥さんを置き忘れて自分だけ家まで帰ってきて、そこで奥さんが居ないことに気が付いて、また連れ帰りに車で戻るといったことを最近何回も繰り返したそうである。慧眼(けいがん)と物忘れが混在したユニークな人だ。
3日は、昼飯を妻が世話になった元外交官の未亡人(85歳)と、妻と小学校時代以来の友人である娘さんと会食した。以前、未亡人宅で見たベネズエラ大使などをしたお父さんの写真とそっくりの顔をした娘は、今はカナダのバンクーバー近郊の島でカフェを夫と営んでいる。この娘さんは文革のとき、自動車会社内の職業大学に進むが、文革が終わり、大学受験することなく、自動車会社で知り合った夫と一緒にアメリカへ渡った。その後、自動車会社の職業大学卒業がアメリカでは大卒資格と認定されず、苦労したようだ。娘さんは年老いた母親の一人暮らしを心配し、カナダへ連れ帰ろうとするが、未亡人はけっして承知しないという。娘さんの旦那さんのお父さんは、13歳で少年兵として抗日戦争に参加し、最初、国民党軍に入ったが、疲れ果てて眠り込んでしまう間に軍はどこかへ行ってしまい、一人取り残されて途方に暮れていると、共産党の解放軍がやってきて入れというので入ったという、面白い逸話を聞いた。
夕方、妻が文革時代に一緒にレストランで働いた元同僚の夫婦が住む三里屯の家を訪問する。夫は10年間ぐらい日本大使館員や日系新聞社の北京支局長などの宅でコックをしていた。今は学校で守衛の仕事をしている。父親は外交官で、昨年末に亡くなった父親の家に住んでいる。文革中のレストラン時代、夫はコック、奥さんは販売員で、妻とコンビを組んで揚げパンを売りまくったそうだ。そのとき、文芸趣味から三人は仲良しになった。また、日中問題が話題になった。さらに、習近平の腐敗撲滅運動について話が及んだ。日本について、夫は「個人でも国でも過失があれば反省する必要がある」と主張していた。小生は「何が過失だったかも分かっていないのだから反省もしないのだ」と答えた。
ところで、このお宅に1匹の猫がいた。以前は、2匹だったが相棒が失踪したとかで、その後、残された猫は自律神経失調となり、すっかり食が細くなったので医者で点滴を受けたそうだ。今は大分回復したようだ。
今回の北京滞在は、総じて、心配したPM2.5については、少なくとも滞在期間中は、街中でマスクをしている人をまったく見かけず、まったく問題はなかった。実際、北京の空気は奇麗でうまいと感じたぐらいだ。安倍首相の靖国神社参拝については、そうはいかず、中国人は明らかに怒っている。ただし、日本のテレビがその場限りの刹那的な問題として取り上げているのに比べて、中国のテレビ番組は、もう少しこの問題を掘り下げて多角的に分析してみようという姿勢がうかがえた。その点、日本のテレビ報道は、ワンパターン、本気になって問題に取り組もうといった果敢な好奇心がないとあらためて感じた。
出発の29日、今年は、4時半起きで、6時発のセンター南から羽田行きのリムジンバスに乗った。飛行機は日本航空で9時10分発。昼過ぎに北京着。空港で、いつもは日本に帰るときに食事をするタイ料理の店で川魚の煮つけを食べてからホテルまでタクシーでくる。ホテルは建国門外の親族酒店というホテル。事務所に使っていたものをホテルに改装したような造りで、照明も暗く、ベッドは板のように硬く、朝食もひどかったので、1日で、通りを渡ったST. REGIS(北京瑞吉酒店)に妻とトランクを転がして移動する。価格は親族ホテルの倍以上する6星クラス。もともとは国際倶楽部飯店といい、9.11テロ後に中国を訪問したブッシュ大統領が飛行機体当たりの9.11再現テロを恐れて、北京のなかで背の一番低い最高級ホテルとして、このホテルを選んだそうだ。
そのブッシュが泊まったホテルの12階の部屋の窓から外を見ると、昔は日本大使館もその一角にあった大使館街の向うにノッポビルが望める。国際貿易中心である。世界貿易センターを中国ではこう言う。なぜ、WBCはどの国も超高層にするのか、1つの疑問である。こうしたものがテロの恰好の標的になって仕方がない気がする。
31日までは北京としてはそう寒くもないが、それでもやはり寒い晴れの冬日が続いたが、新年の1日はぽかぽか陽気と言ってもよく、かえって厚着が苦になった。
大晦日の31日は、妻が母親が居る老人施設へ行っている間に、寒風にさらされながら日壇路をとぼとぼ日壇公園まで歩いた。途中、いやに駐車を待つ車が多くなり売店の前が人混みになっているので、スーパーでもあるのかなと思っていると、病院らしい。そして、小生は奇妙なフランスの貴婦人がかぶるような帽子を頭にのせた60歳ぐらいの夫人と眼が合って、その帽子故にしばし眼鏡をかけた顔を見詰めていると、女は突然、小生に駆け寄ってきて小生の手を握って、嬉しいわと握ったその手を離さずに何度も振っては小生の顔を見上げて感激したように何か人の名を繰り返し叫びだした。どうも、頭に毛の防寒帽をかぶり、眼鏡をかけた顔にマスクをして、白熊のようなダウンを着ている、およそ中国人ではあり得ない風体の小生を、もしかして高倉健のような外国の有名映画俳優と間違えたらしい。咄嗟(とっさ)のことで、違うよというつもりで「ノー」「ノー」と連発して握る手を振り切ってやってきた。
そして、その病院のわきに公園らしきを認める。春分の日、明清時代の皇帝が太陽神に祈禱をささげた祭壇「朝日壇」(1530年~)、今の日壇公園であった。出口はそこにあるが、誰もいないのでその出口から入ってもよさそうだと思いながら入口をさがして公園の塀にそってぐるっと歩いて回った。この一帯はナイトクラブなどがひしめく一種の歓楽街であると知る。しばらく来ると日壇公園の入口を見つけ、入園料をとらないようであり、ぶらりと入って園内を覗いて見ることにした。
公園の入口を入って、立派な朱塗りの門を抜け、大音響に曲を流して大樹の前で踊る人々を見て、風雅な四阿(あずまや)がのっかる築山に登り、母子が戯れるのを眺め、さらには氷結した池を眺め、天女が踊る明るい壁画の前で日向ぼっこする老人を写真に撮ってから、先ほどの病院前の出口を出て、戻る途中、ホテルの前のスターバックスで喫茶してから部屋に帰って来た。あとで考えると、日壇公園で肝心の日壇を見つけることができず、そもそも日壇があることなど念頭になく帰ってきたことに気がついた。
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元旦、1日の朝は、長安街の並びにあるマクドナルドで朝食をとり、同仁堂で薬を買い、ヤオハン(賽特集団)で土産の茶を購入した。妻の話では、女が話しかけてきて、購入したものの代金を自分がヤオハンのカードで買うから後で割引額を引いた代金を支払ってくれと頼まれたそうだ。1800元分を買って、妻は1500元を女に渡した。女は溜まったカードのポイントを後で現金化して稼ぎとするのだそうな。レジで支払いとなると、すぐこうした類の女性が背後から近づいて話しかけてくる。店の人間も見て見ぬふりだ。こういうのはヤオハンだけなのだろうか。これまで経験がない。ヤオハンでの買い物は比較的高額になるので、こうしたポイント稼ぎも成り立つのであろう。
午後、妻のお母さんの老人施設へ行く。お母さんは認知症があってなかなか妻を自分の娘だと認識できない。どういうわけか小生のことは覚えていて、その関連でこの日本人を旦那にもつ我が娘も思い出すに至った次第だ。そこへ3番目のお兄さんが現われた。近々、心臓施術を予定しており、病院を抜け出して車を運転して母親を見舞ったもの。お兄さんと三人で、新街口の四川飯店へ行く。なんでも、この四川飯店(当時、西城区の別の場所にあった)は、1960年代、反党運動の密議が行われた中国の歴史に名を残す店なのだそうだ。ちょっと、日本の維新のとき志士と新撰組が死闘を繰り広げた京都の池田屋を思い出す。
2日は、前日までに比べ、空がやや霞んでスモッグが出てきたようだ。いよいよ北京の大気中にPM2.5の微粒亡霊がお出ましになったようだ。11時から4番目のお兄さんとその友人の元・建築関係のお役人だった70歳の男性と北京ダックの名店「鴨王」で会食した。尖閣の話が出た。日本人は、あんな遠くにある、はるかに中国に近い小さな島になぜこだわるのか。日本に近い北方四島の方が余程大きくて資源的にも価値があるのではないか、との主張。小生は、仕方なく、北方四島は日ソの冷戦下に緊張が増した。今は日中の軋轢下に尖閣諸島が問題になっている。歴史的にどちらのものだか、理屈をつけたところで互いに納得しない。いつの日か、政治的に決着をつけるしかない。もともと領土問題といっても、本当に領土として大事なのではなく、自分の所有物を盗られることが我慢ならないとの感情問題が底辺にある、と。もちろん、中国側の兄さんと友人はそれほど納得しない感じだった。
夕方、妻の2番目のお兄さん夫婦が来訪。ホテルの部屋でしばらく話してから近くのレストランに晩飯に移る。ここは北京の家庭料理を食べられる、価格もリーズナブルな店だ。お兄さん夫婦は娘がいるカナダのトロントに移住するという。したがって、トロントがいかに暮らしやすい街であるかを綿々とうかがった。中国が経済大国になっても先進国の生活の質を享受するのはまだ遠い先のこと。今、老後を過ごすにはトロントの方がずっといいという判断がある。二人の年金でも物価が安いトロントでは十分暮らしていけると話した。そして、「公平」を掲げる習近平の腐敗官僚粛清について話が及んだ。役人に自己批判させ、この「公平」達成の観点からかなりの役人が首(更迭)になっている。どちらかといえば、官の下で格差をつけられてきた一般市民のこうした習政権に対する支持は今のところ高いようだ。そういえば、この店の壁にも、料理を残さないようにしようといったスローガンが掲げられている。中国では、気前のよさを示すために、面子(めんつ)を保つために、大目に料理を頼み、残す習慣があったが、今は、皿の料理は大方空になっている。残ればテイクアウトする。これはエコの精神を強調したものだが、レストランでの接待は腐敗の温床ということもあり、あるいは庶民の食生活の浪費を戒めるかたちで「公平」の精神を徹底せんとしたものかもしれない。
実は、習政権が「公平」を重視していると見抜いたのは、今回会うことはなかった1番目のお兄さんである。このお兄さんは、奥さんと車で買い物に行って、買い物先で奥さんを置き忘れて自分だけ家まで帰ってきて、そこで奥さんが居ないことに気が付いて、また連れ帰りに車で戻るといったことを最近何回も繰り返したそうである。慧眼(けいがん)と物忘れが混在したユニークな人だ。
3日は、昼飯を妻が世話になった元外交官の未亡人(85歳)と、妻と小学校時代以来の友人である娘さんと会食した。以前、未亡人宅で見たベネズエラ大使などをしたお父さんの写真とそっくりの顔をした娘は、今はカナダのバンクーバー近郊の島でカフェを夫と営んでいる。この娘さんは文革のとき、自動車会社内の職業大学に進むが、文革が終わり、大学受験することなく、自動車会社で知り合った夫と一緒にアメリカへ渡った。その後、自動車会社の職業大学卒業がアメリカでは大卒資格と認定されず、苦労したようだ。娘さんは年老いた母親の一人暮らしを心配し、カナダへ連れ帰ろうとするが、未亡人はけっして承知しないという。娘さんの旦那さんのお父さんは、13歳で少年兵として抗日戦争に参加し、最初、国民党軍に入ったが、疲れ果てて眠り込んでしまう間に軍はどこかへ行ってしまい、一人取り残されて途方に暮れていると、共産党の解放軍がやってきて入れというので入ったという、面白い逸話を聞いた。
夕方、妻が文革時代に一緒にレストランで働いた元同僚の夫婦が住む三里屯の家を訪問する。夫は10年間ぐらい日本大使館員や日系新聞社の北京支局長などの宅でコックをしていた。今は学校で守衛の仕事をしている。父親は外交官で、昨年末に亡くなった父親の家に住んでいる。文革中のレストラン時代、夫はコック、奥さんは販売員で、妻とコンビを組んで揚げパンを売りまくったそうだ。そのとき、文芸趣味から三人は仲良しになった。また、日中問題が話題になった。さらに、習近平の腐敗撲滅運動について話が及んだ。日本について、夫は「個人でも国でも過失があれば反省する必要がある」と主張していた。小生は「何が過失だったかも分かっていないのだから反省もしないのだ」と答えた。
ところで、このお宅に1匹の猫がいた。以前は、2匹だったが相棒が失踪したとかで、その後、残された猫は自律神経失調となり、すっかり食が細くなったので医者で点滴を受けたそうだ。今は大分回復したようだ。
今回の北京滞在は、総じて、心配したPM2.5については、少なくとも滞在期間中は、街中でマスクをしている人をまったく見かけず、まったく問題はなかった。実際、北京の空気は奇麗でうまいと感じたぐらいだ。安倍首相の靖国神社参拝については、そうはいかず、中国人は明らかに怒っている。ただし、日本のテレビがその場限りの刹那的な問題として取り上げているのに比べて、中国のテレビ番組は、もう少しこの問題を掘り下げて多角的に分析してみようという姿勢がうかがえた。その点、日本のテレビ報道は、ワンパターン、本気になって問題に取り組もうといった果敢な好奇心がないとあらためて感じた。
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