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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

柴又帝釈天は日蓮宗の寺だった

2007年01月09日 18時42分05秒 | Journal
 混雑のため、参道は一方通行になっており、かなり迂回して帝釈天にたどりついた。境内もすごい人。とても足手まといな大きな荷物があっては参拝もできない。映画で、御前さまが通っていた長い渡り廊下が見える。それにしてもインド渡来の武神・帝釈天が日蓮宗の寺だとは知らなかった。漱石の彼岸過迄に登場したことも完璧に忘れている。そのうち、読み直さないといけない。

 Wikipediaによれば、柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院。正式の山号寺号は経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)であるが、柴又帝釈天の名前で広く知られている。
 江戸時代初期(17世紀前半)の寛永6年(1629年)に禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった。帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになった。近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』をはじめ多くの文芸作品に登場し、東京近郊の名所として知られた。20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。 年始や庚申の日(縁日)は非常に賑わい、映画『男はつらいよ』シリーズ制作中は、観光バスの団体客が大勢訪れたこともあるが、同シリーズの終焉に伴い、参拝客、観光客が年々減少している事実は否めない。
 帝釈天(たいしゃくてん)は、バラモン教・ヒンドゥー教の武神インドラと同一の神。釈提恒因とも称する。帝釈天の名前はインドラの名前のサックロ・デヴァーナーム・インドラ(Sakro Devanam Indrah)のうち、サックロを釈と音訳したものに、デヴァーナームを天と意訳して後部に付け足し、インドラを帝と意訳して冠したもの。本来のインドラ神は、阿修羅とも戦闘したという武勇の神であったが、仏教に取り入れられ、 成道前から釈迦を助け、またその説法を聴聞したことで、梵天と並んで仏教の二大護法神となった。四天王などを配下とし、須弥山の頂上・トウ利天の善見城に住んでいることになっている。⇒Wikipedia
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