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浅草寺の境内にたどりつくと、混雑しているメインスポットは避け、なんとなく脇の方を歩いていると目立たない隅に鐘楼を見かけた。はてな、あれが有名なあの時の鐘であるかと思った。そう、言うまでもないが、芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」の浅草の時の鐘である。
この梵鐘、元禄5年(1692年)8月、五代将軍徳川綱吉の命により改鋳された。昭和20年3月、東京大空襲で火を浴びたが無事に残ったのだとか。鐘楼は昭和25年に再建されたもの。
芭蕉の上句は、貞享4年(1687年)の作とされ、あるいは、この鐘自体を詠んだものではないのかもしれない。さて…?。なお、写真の手前に句碑のようなものも見えよう。そこには「観音のいらかみやりつ花の雲」(貞享3年)を掲げてあるが、この句碑は寛政8年(1796)10月12日、芭蕉の103回弔に建立され、もとは浅草寺本堂の北西、銭塚不動の近くにあったものを戦後、この地に移転したのだそうだ。
この梵鐘、元禄5年(1692年)8月、五代将軍徳川綱吉の命により改鋳された。昭和20年3月、東京大空襲で火を浴びたが無事に残ったのだとか。鐘楼は昭和25年に再建されたもの。
芭蕉の上句は、貞享4年(1687年)の作とされ、あるいは、この鐘自体を詠んだものではないのかもしれない。さて…?。なお、写真の手前に句碑のようなものも見えよう。そこには「観音のいらかみやりつ花の雲」(貞享3年)を掲げてあるが、この句碑は寛政8年(1796)10月12日、芭蕉の103回弔に建立され、もとは浅草寺本堂の北西、銭塚不動の近くにあったものを戦後、この地に移転したのだそうだ。