
ホテルで待ち合わせた女性に上海を案内してもらうことにした。
彼女とはインターネットで知り合った。
最初にタクシーで連れていかれたのは、外灘(バンド)と並ぶ上海観光のスポット、豫園(よえん)。ただし、彼女は豫園という公園自体へは行かず、昼飯のために豫園の周辺にある繁華街へ連れていってくれたのだ。豫園も見たかったが、米国系の大手企業で会計監査をしている彼女は、多分、豫園を全部案内していたら時間がかかると判断したのだろう。
この一帯が、日本の海賊を意識して造られた城郭都市だったというのも、おもしろい。
豫園について、HPにこんな案内文があった。――上海の地図を見ると、ほとんどの道路は東西若しくは南北に走っているが、黄浦江の側に円形になっている道がある。これは、倭寇(日本の海賊)の襲撃を防ぐために16世紀半ばに作られた城壁だったところである。城壁は周囲5キロ弱、高さは8メートルあったとされるが、1912年に取り壊され、現在は人民路と中華路になっている。この円形の道の内側は旧上海城と呼ばれ、租界時代の上海においても中国人だけが住む地域だった。この地域の中心に豫園がある。豫園の「豫」は「愉」に通じ、すなわち「楽しい園」という意味。豫園は外灘と並ぶ上海2大観光スポットのうちの一つであり、上海に来た観光客はほぼ必ず訪れる場所。面積は狭いので、急いで回れば30分でも見ることも不可能ではないが、狭い空間に芸術品のように細かい工夫が多数なされている庭園なので、是非じっくりと時間をかけて観光してほしい。
彼女とはインターネットで知り合った。
最初にタクシーで連れていかれたのは、外灘(バンド)と並ぶ上海観光のスポット、豫園(よえん)。ただし、彼女は豫園という公園自体へは行かず、昼飯のために豫園の周辺にある繁華街へ連れていってくれたのだ。豫園も見たかったが、米国系の大手企業で会計監査をしている彼女は、多分、豫園を全部案内していたら時間がかかると判断したのだろう。
この一帯が、日本の海賊を意識して造られた城郭都市だったというのも、おもしろい。
豫園について、HPにこんな案内文があった。――上海の地図を見ると、ほとんどの道路は東西若しくは南北に走っているが、黄浦江の側に円形になっている道がある。これは、倭寇(日本の海賊)の襲撃を防ぐために16世紀半ばに作られた城壁だったところである。城壁は周囲5キロ弱、高さは8メートルあったとされるが、1912年に取り壊され、現在は人民路と中華路になっている。この円形の道の内側は旧上海城と呼ばれ、租界時代の上海においても中国人だけが住む地域だった。この地域の中心に豫園がある。豫園の「豫」は「愉」に通じ、すなわち「楽しい園」という意味。豫園は外灘と並ぶ上海2大観光スポットのうちの一つであり、上海に来た観光客はほぼ必ず訪れる場所。面積は狭いので、急いで回れば30分でも見ることも不可能ではないが、狭い空間に芸術品のように細かい工夫が多数なされている庭園なので、是非じっくりと時間をかけて観光してほしい。