mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

深掘りの起点(2)子どもと向き合う教師の立脚点

2023-06-16 11:13:43 | 日記
 教え子の教師が「教師用指導書」通りに教えようとしている教室の様子を、次のように記している。


指導書に書いていることを全部やろうとするから、時間も足りない。説明だけで一時間が終わってしまうことさえある。当然、うまくいかない。子どもたちは、まあ従順なので、言われたとおりにノートに写す。これはよくしつけられているなあと感心するが、それが学力向上につながっているとは思えない。ただ写しているだけ。子どももそれが勉強することだと思っているのだろう。質問はしないし、担任は質問を促すこともしない。


 ここに二つの疑問と一つの調和点が浮かぶ。
(1)なぜこの教師は、教室の子どもの様子に気遣わず、「指導書に書いていることを全部やろうとする」のか?
(2)なぜ子どもたちは「ただ写しているだけ。それが勉強することだと思っている」のか?
(3)上記が「子どもたちが従順」「よくしつけられている」ことで齟齬しない。
 三元連立方程式を解くようなものだ。教室が「平和な均衡状態」にあるということは、「解」が見つかっていることを表している。
 三元というのは、上記の三点がどの視点からみつめた事態かを考えると「主体」が解ける。(1)は教育行政の視点であり、たとえばその当事者である文科大臣は、親御さんの期待に応えていると考えているであろう。(2)は子どもの状態。「主体」としては、まさしく「それが勉強」なのだ。(3)は経験を蓄えた教師の視線。こちらも(1)とは別様の親の期待に応えている。それが学校なのだ。
 ボランティア教師が上記の状態を問題と見るには、上記三点について批判がなされなければならない。何を起点にして、この事態の起因に迫っているのだろうか。


その状態が一気に崩れることがある。……担任の教え方は間違っていない。しかし、分かっていない子が多い! どういうことなんだ? ……答えは簡単。これは2年生のことだったが、1年生で習ったことを前提に説明していたのだ。しかし、多くの子が忘れていた。それを考慮に入れないでやったから

 要するに「教師が子どもの状態に気づいていない」ことに主因があると展開している。その次元で切り取ればその通りの「解」が得られるであろう。現場の教師はいろいろな殻を着せられている。窮屈と感じたりおかしいと思っても、目前のコトに適応せざるを得ないから、まずは、ワタシの教え方が悪いのかと思案する(と思う)。
 だが退職してボランティアをしている老教師がそれと同じように状態を受け止めてどうするよ。現場の事態に臨んで、取り敢えず「解」を求めるには、遅れている子どもたちに目を配って対処するほかない。それが現場のアクションである。だが、その事態を文章にして表現するのであれば、その一人の教師の人柄とか能力の問題で片付けてどうするよ。いや、もし人柄とか能力の問題というのなら、なぜそのように限定するのかを述べてからでなければならないし、私なら、それは教員養成でどうしているのかとか、採用で篩うことのできるコトなのかと、思案は深みへ入っていく。それが、この「教え子教師」の抱えているモンダイを社会的次元において考えること。そうして初めてワタシも当事者として思案するモンダイになると思っている。
 話を元に戻す。
 まず(1)のようにこの教師が振る舞うのは、一つは彼自身の「知的権威」が「教師用指導書」に備えわっている「知識」と重なっている(とおもっている)からである。それは彼の思い違いではなく、教育行政の推進者たちの思う所であり、おおむね社会の共通認識になっている到達点である。
 でも、このボランティア教師が現場の事実として指摘するように半数近くが理解していない。こどもたちは(2)のように受け止めているからである。学校というのは、先生の言うことを聞いて、ノートをとって静かに過ごす所、とでもいうように。これは子どもが思い違いをしているのではない。学校の日常が身に刻んでいるのが、これだからだ。子どもたちはアタマよりもカラダで覚える。と言うか、先ずは触れて体験する。それがどういうことを意味しているかは、彼らの身の裡でそれぞれに文脈というか、文法というか、脈絡を組み立てては壊し組み立てては壊して、つねに組み立て途上にあるといえる。たぶん親や教師が無意識に振る舞っている部分まで全部子どもらは体験して組立を図るから、ずいぶんな勘違いをしていることも起こる。
 例えば、こんな話があった。二人目の弟孫は、興味関心がそちこちに移り飛び跳ねるお兄ちゃんと違って慎重であり、教わったことをきちんと一つひとつ始末していく。宿題もテキパキと片付けるし、忘れ物もしない。母親も、兄弟だのにずいぶんな違いがあるもんだと弟のことは感心し安心してみていた。その弟孫が夏休みに爺婆のところへ来て長逗留し、婆が宿題をみてやることになった。夏休みになって十日ばかりなのに、もうほとんど終わってしまっていた。中を開いてみて婆は驚いた。問題文とはまるで頓珍漢な答えで空欄はすっかり埋まっていたからである。
「これって、なあに?」
 と問う婆に、
「うん? うめろって書いてるからうめたんだよ」
 回答欄にある接続詞を適切に埋める問題であったか。前後の文脈に関係なく、まさしくテキトーに埋めただけであった。その後の夏休みは、婆がひとページずつ見て問いかけ、孫はふ~んと言いながら、はじめて宿題の面倒さが判ったように取り組んだことがあった。そんなものなのだ、子どもっていうのは。
 現場の教師がそれを知らないはずがない。じゃあなぜその「教え子の教師」は「教師用指導書」の通りにやろうとしたのか。せめてそこに言及しないでは現場報告の甲斐がない。
 私の推論。教え子教師は、そうせよと「命じられている」からである。
 1990年代から2000年代にかけてであったと思うが、国旗国歌に関して文科省が法で定め、現場に指示して口パクまで規制しようとした。そのとき、教育行政当局は現場の教師は行政当局の命令を聞くべき伝声管のような存在とみなされ、扱われた。現場に身を置いていた私のような古いタイプの教員は、そんなわけないじゃないかと耳を貸さなかった。国旗国歌が法的に規定されていないのは、そうするのが「自然(じねん)」と思う(尊崇の)心持ちがあってそう振る舞うのであって、法に規制しているからそうしろというのは却って国旗国歌の価値を貶めると思っていた。
 いや国旗国歌というコトだからそのように外から規制が掛かっても、たいした害はなかった(と私は思っていた)。それが学習指導要領や教科書を使うことや「年間計画書」通りに授業を進行させることが文書でチェックされ、「報告書」が求められ、反省を記述して翌学期の計画を再提出するという(行政当局の管理手法の)仕組みは、「命令」通りに運んでいるかどうかを管理職がチェックして教師をコントロールするものである。
 東京都がそうした方針を打ち出し、埼玉県もそれに倣って現場を「調え」たはじめたのが21世紀に入った頃であった。私はもう定年間近であったから、直にかかわること以外にはそれほど口出ししなかったが、例えば職員室で教頭が現場教師と遣り取りをしているのを聞いて、嗤ったことがあった。書道の教師の夏休み中の研修に「美術展」が入っているのを目に留め、「書道と美術は関係ないだろう。書き直して」と言ったこと。呆れてものが言えない思った。あるいは社会科の教師が西田哲学の関連書を読むと記していたら、「書名」と「(読んだ)頁数」「その要旨」も書いてくださいと訂正を要求したこともあった。この教頭さんの見識を嗤ったわけでもあったが、それ以上にこういうことに細々と指図がましく「管理せよ」と指示している教育行政は、もうすっかり教師をお上の伝声管と見なしている。そこには子どもの教育を任せているという信頼は、ない。もう二十年も前のことだが、その「災厄」がこの「教え子教師」に体現されてきていると思った。
 ボランティア老教師は、そこまで掘り下げてこそ「ボランティア通信」を出す意味があるんじゃないか。(つづく)