mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

第17回Seminar報告(1)いろんな「色」

2015-11-30 10:33:33 | 日記

 昨日11月28日、昭和大学で第17回36会seminarが行われました。講師は「饒舌魔女の」ミドリさん。お題は「色」。

 

★ イントロ――「色」への私の興味関心

 

Q:お題は名前に因んだの?

 

 そうじゃない。目黒区のシティカレッジ15回の講座を聞いたのね。「色彩論」から始まって難しかったけど、かいつまんで紹介しますわ。

 

 《と「抑えられない私の好奇心」の旺盛なところを披露。「でもね、子どものころプリズムを覗いてみるのが愉しくてね。つい縁側を踏み外して縁石に落っこったりして……」と「色」への好奇心の由来に触れる。》

 

 小さいころから虹が好き。虹の脚のたもとには金の壺があるって母から聞いていて、虹の根っこに行こうとしたりした。昔使っていた霧吹きを吹くと、虹ができるのを知って、我が意を得たりと夏休み中そればかりやっていたら酸欠になったり、そこまで色に興味があったんだと思うのね。1966年にガガーリンが宇宙に行ったときに「地球は青かった」っていって、暗い宇宙で太陽の光を反射して大気を通るせいで青くなるってことを納得したようなしないような、面白いと思っていたわけ。

 

 《のっけに「色」という文字の解字から入る。古い字形は男女の交合を形象したもの、つまり、人の欲望を表し、ひいては女のうつくしい顔色の意となった、と。なるほど、やはり参加者の好奇心の向かうところに行くかと思われたが、ミドリさんは「色香のないものがイロの話をしてどうするってことで、今日はcolorの話です。」と場面を変える。》

 

Q:質問! どうして色欲がcolorの意になったの?

 

 それは教わっていません。わからない。

 

★ いろいろな「色」

 日本語のことばの意味「色」、転じて女性の容色。顔色か

ら容姿に転じ、男性の欲望から遊女などに、ルパーっていうのがある。認識される形あるものをルパーっていう。色即是空の「色」ね。それ辺がくっつかないけど。色を使った表現で、表情としての表現、顔色が変わる。驚きの色、不満の色、目の色を変えて怒り出す、いろいろある。目の色が変わるってのは目つきが変わるってことね目が大きく開くのね。腹が立つって言っても、お腹が立っているわけじゃないのね。

 

Q:ということは、受け取る側のモンダイですね。
A:もちろん、そう。

 

 反省の色が見えない。秋の色の風が吹いている。敗北の色が濃い。色よい返事を待つ。英語にトランスレートするときに、これがむつかしい。色よい返事というのも、そう。写真を撮っているときに「心もち顔をあげて」って言って「どの気持ち」と返されるってことも。日本語は細かい気持ちを表現する繊細なところがある。色とりどり、大会に色を添える、ことの音色、声色、色事、色におぼれる、色をつくる(色男とはいうが色女とは言わない)。

 

★ colorの語源

 

 英語でcolorっていうときは「覆い隠す」って意味があるのね。外側に何かをつける。「隠す」ってことがcolorの語源になった。

 

Q:ということは、西洋のcolorと日本の色との見る位置が根源的に違うってことですね。西洋では、たとえば人柄とか性格っていうのをpersonalityっていうけど、それはラテン語のpersona[仮面]から来ているって言いますね。つまり西洋では、自然のままというのは未熟なもので、ペルソナをかぶって覆い隠してこそ「人間」になるって考え方をしている。それに対して私たち(日本)の自然観では、純朴とか素朴とか、生まれたままのものに純粋さを認めて、それを良しとする。つまり西洋でいう「color」(覆い隠すもの)っていうのは、「人間の(つくりだした)文化」という意味がはじめから含まれている。そういうことですよね。内面の自然性を覆い隠してこそ人間っていう見方ですよね。

 

H:油絵と日本画のちがいじゃないかしら。油絵だといろんな色を塗り重ねて変えていける。ときには白くカンバスを新しくしてしまうこともできる。でも日本画だと塗り重ねることをしないでしょ。(そういえば絵を描いているTくんが水彩画は手直しすると色が濁ってきて汚くなる。最終的に黒くなってしまうけど、油絵だと何度でも手直しができるっていってたね)

 

★ 色覚は人間だけのものか

 

 次に「色覚は人間だけのものでしょうか」。人間だけのものではなくて、昆虫にも魚類にも霊長類にもある。人間とは見方が違ってくる。プリズムでみえる七色の波長の短いのが370mhzで長い赤が780mhzある範囲が見えている。ミツバチには紫外線が見える。チョウもそれに近い。日本では赤橙黄緑青藍紫(菫)って教えるけど、英語だとvibgyorって、逆に教える。violet、indigo、blue、green、yellow、orange、redってわけね。可視光線の範囲が広い。

 

Q:ミツバチには、私たちにみえている赤とか緑とかは見えているの?

 

 見えていない。ただね、私たちの目にだってここをいま赤い光線が飛んで行っているって見えているわけじゃないでしょ。光の波長が見えているだけなのよ。犬も猫も白黒の世界よ、見えているのは。闘牛だって牛に赤い布が見えているのじゃなくて、大きいものに対する恐怖心から反応しているだけ。赤が見えて興奮しているわけじゃないのよ。

 


Q:とすると、人が見ている色というのは、ある光の波長が飛び込んできているだけ、色は脳内で構成しているってことね。音も空気の振動が耳に入ってくるだけで、音として関知しているのは脳内の作用なのね。

 

 それを今言おうと思っていたわけ。音と置き換えられる。(瞬時に反応しているの?)そう。(というと「色」って人間特有のものじゃない?)昆虫にも見えている。可視領域が人間より広いけど。(「可視領域」と「色」っていうのは違うんじゃない?)昆虫には、違う「色」が見えているんですよね。人間とは違っている……かもしれない。かと言って、昆虫なども可視領域を十分に利用して食べ物を求めたり、繁殖相手を探したりしているわけ。認識の仕方が違うってことよね、私たちとは。

 

Q:では、犬なんかは人の顔色なんかは見ていないかもしれない?

 

 いや、うちのイヌなどは私の怒ったことはわかるよ、声出さなくたって。(表情がわかる)


なるほど、そういうことも言える

2015-11-29 16:45:58 | 日記

 今住んでいる私の団地の「大規模修繕」にかかわる説明会があった。この団地はバブルの時期に建築販売された(売り主)住都公団のもの。すでに10年目の「大規模修繕と公団による瑕疵補修」も終わり26年目になっているから、「第2回の大規模修繕」。住都公団はもう関係ない。

 設計コンサルタントの紹介、大規模修繕工事設計項目と工事予算、給水管改修工事と管

理規約改正について、「不足金対策」について等々が「説明」項目。「第2回大規模修繕」に関しては、6年前に管理担当会社が「長期シミュレーション」を出して論議してきた。それと照らし合わせると修繕積立金が足りない。それが「不足金対策」、つまり増額が必要になる。来年の「総会」で提案する前に、いくつかの「案」を示して、理解をはかっておこうというのが「説明会」の趣旨であった。

 

 珍しくたくさんの人が顔を出している。住戸数の半数を超えている。(「委任状」がないから)定例の総会よりも多いのは、「値上げ」のリアリティが迫っていると判断したからであろうか。

 

 給水管の改修に関しては「更生」と「更新」の違いなど専門用語の説明も入り、それなりに面白かったが、こうした団地の修繕などへの配慮が(当初の)設計思想の中に入っていないのではないかと思った。と同時に、いま建築が盛んな高層住宅などはこういう配管の交換をどう簡便化するのか設計しているんじゃないか、とも思った。

 

 「更生」というのは「老朽化した配管の耐用年数の延命を目的とし、一般には管内部の錆を研磨剤で削り落とし、管内部をエポキシ樹脂で塗布する」のだが、「管の残存内厚が一定以下になっている場合は施工できない」のだそうだ。それは開けてみなければわからないという。一応先述の「長期シミュレーション」では「給水管」の「補修周期」は、「共用管」が30年、「屋内専用管」が15年とある。すでに26年経つのだから「屋内専用管」の「内厚が一定以下」になっている可能性は十分考えられる。だから「更生」でいいのか「更新」しなければならないのかも、やってみなければわからない。また「更生」のときも「更新」のときも「専用部分のときは」部屋の床板をはがしたりしなければならないという。その修復費用も修繕積立金から出すわけだから、かなりの多額になる。「不足額」が出るわけである。

 

 そこへもってきて、すでに全室リフォームをして配管まで取り換えてしまったところもある。それでも配管を新しくするのか、そうしないとするとリフォーム済みの専用管の耐用年数とアンバランスが生じる。また、その部屋の方の積み立てている修繕積立金からも支出するわけであるから、「負担」のアンバランスをどうするのか。そんな問題も出来する。「すでに水漏れがあった」と一戸の手が上がった。むろん被害を受けた住戸の方だ。リフォームをして管を取り換えたところの「古い方の管」をチェックすれば「管の現状況」がわかるのではないかと意見があったが、それをチェックしているのはこれからという。古いのを残しているのだろうか。「水漏れ」の原因が配管によるものかどうかも、理事会はつかんでいない。「被害」は保険で行ったというから、まったく個別の始末で済ませている。

 

 つまり、こういうことだ。一つは、「更新」をするにせよ、配管の取り換えを床下をはがして行うしかできないというのは、設計段階での配慮が足りないのではないか。建築物は60年とか80年持つというのなら、配管の取り換えも(外構部も含めて)簡便に行うことのできる設計にしておくべきではないか。

 

 さらにまた、これは団地の「規約」によるのであるが、リフォームや水漏れなどの「事故」を理事会が掌握できるようにし、必要なチェックを「(すでに機能している)建築委員会」などができるようにしておけば、「開けてみなければわからない」ような事態は避けられたのではなかろうか。「団地の規約」は、団地の出立のときに住都公団から提示されたものをほぼ踏襲している。そのモデルには「(旧建設省)国土交通省」の(省令)提示モデルが下敷きになっている。そのどちらも、そうしたことを想定していなかったように思える。もちろん他人のせいにするわけにはいかないから我が団地の「規約」づくりの瑕疵なのだが、日ごろ偉そうに「モデル」を提示して見せ、団地運営のスタンダードだと胸を張っている割には、行き届いていないと感じた。

 

 「不足額」が大きい理由の一つが、屋根瓦の高騰だという。1.5倍にも値上がりしているそうだ。どうして? 2020年の東京オリンピックと東日本大震災の復興のためだという。職人の確保も大変で建築業界は大わらわだそうだ。これまでわりと安かった「修繕積立金」と「管理費」。前者は106%の値上げが必要というから、これまでの2倍以上になる。その額の多さに異議を申し立てた人がいたわけではない。それだけかかるなら仕方がないと腹を決めているようではあったが、多くの人がリタイアして年金暮らしであることを考えれば、そう簡単に「仕方がない」で済ませるわけにもいかない。

 

 普段こうしたことは、私も思い及ばない。正真正銘の素人気分で出席した「説明会」であったが、3年後には(4度目の)理事が回ってくる。その時どんな人たちと組むことになるのかわからないが、成り行きにそろそろ気を配っておかなくちゃならないと思った。

 

 私の隣に座っていたご近所さんは、「2030年に収支バランスがトントンになるようにと言っても、そこまで生きているかどうかねえ」と感慨深げにため息をついていた。なるほど、そういうことも言える。


「ことば」を考えさせる木霊

2015-11-27 06:58:53 | 日記

 谷川直子『四月は少しつめたくて』(河出書房新社、2015年)を読む。出版社の編集者と詩人との、仕事の上のかかわりが、街のカルチャーセンターの詩の教室を介して、「ことば」と私たちの現実存在との「情況」に迫る。

 

 そういうと難しそうだが、日ごろ私たちが使っている言葉の「過剰」と「軽さ」と「私たちのありよう(現実存在)」を、「ことば」と「ありよう」の両側から迫る。すると、「過剰」と「軽さ」の浮かび上がらせる「かかわり」が見事に抽出される。「ことば」は「衣装」でもあり「装飾」でもある。それが絶えず発せられないではいられない日常の現在、いつしか「過剰」となり、現実存在の内実を侵して「(本体の)ありよう」が空っぽになっている。そういう「情況」を静かな運びで掬い取っている。

 

 読んでいると耳が痛い。こうしてブログを書いているというのが習慣化すると、いつしか「(書かないではいられない)装飾」の気配をまとわせる。無理をして書こうとすると、ときに、「粉飾」になっていることにも気づかされる。なぜ書くのかとつねに自分に問いながら書くということは、実際には難しい。沈黙すればいいじゃないか、そう思うこともたびたびある。沈黙することが「凡俗な己」にみえるとき、観ている自分は「凡俗」の側にいるのか「詩人」の側にいるのかも、気になる。

 

 もちろん私が、「詩人」の側にいると思ったことは一度もない。いやむしろ(己は)常に「凡俗」の側にいて、そこに居直ってでも「凡俗」の思索や感性から「情況」に攻め込んでいると思っていた。でも薄っすらと、「凡俗でない己」があることがそう見せている、と感じないわけではないから、いつも「粉飾」しているのんじゃないかと忸怩たるものを抱えつづけてきている。

 

 いつかも書き記したが「ブログは2年半つづけばいい方」とマスメディアに長年勤めた方がおっしゃっていた。たぶんブログの書き手は、自らの鏡を見るに堪えなくなるのが2年半までと、私は聞き取った。今ご覧になっているブログは1年半しかアップされていないが、じつは開始してから満8年になる。だが、以前アップしていたプロバイダがブログ機能を「終了」したことによって、こちらに乗り換えるしかなかったのだ。つまり私は、懲りずに8年も続けている。月に15回から20回ほどアップする。残りは外に出払っているか、書けない状態にある。だが、この本を読んでいると、沈黙すればいいじゃないか、そう思う。

 

 じつは高齢者(65歳)になった機会に、ブログ開設をしたのであった。還暦を迎えるころに、私より10年早く先を歩いていた方から「結局、自分の得意技で生きるしかないよ」と教えられた。私の得意技といえば、山歩きとおしゃべりしかない。ならばその技に磨きをかけてと思い立ったのが、ブログ開設のはじめであった。

 

 「おしゃべり」は「過剰」と「装飾」の最も庶民的な代表種目である。マスメディアも日々それに満ちている。「磨きをかける」には二通りある、とこの本は教えている。一つは、ますます装飾を洗練すること。もうひとつは、自分の「ことば」を繰り出すこと。詩人ではないが、私も後者を歩いていると(勝手に)考えていた。だが、そうではないのだね。常にそう(自分のことば)であるかを問い続けなければ、「ことば」は世の潮の流れに浮かんで流されてしまうのだ。だって言葉そのものが世の中の浮遊物に過ぎないのだから。

 

 静かに始まり、静かに終わるこの小説は、しばらく私の内部に木霊して、そんなことを考えさせている。


気持ちは若くなったが体がやっぱり年寄りだ

2015-11-26 10:00:23 | 日記

 昨日から雨が降り続き、座っていてこの秋以降はじめて、寒いと思った。一昨日は昔の山仲間の集まりがあった。84歳を最高齢に63歳までが2年半ぶりに顔を合わせる。

 

 2年半前に福島の温泉に来て少しばかり雪の森を歩いた「先輩」は今年88歳。遠出ができなくなり、独り身の高齢の妹と一緒に介護ホームに入って、ご近所の公園を散歩するのを愉しみながら過ごしていると近況も聞いた。

 

 今年後期高齢者になったヒマラヤや中国やモロッコの山へ同行した方は、いまは山にも海にも行っていないという。ひところ海に潜るのが愉しいとニューギニアの最高峰へ行った時の帰りにポートモレスビーの近くの島に泊まってシュノーケリングを教えてくれた。海に行けないのは(心臓に心配があって)医者の許可が下りないからだそうだ。当人は大して気にしていないが、海底散歩をアレンジするガイドの方がダメ出しをしているという。山ならというが、じつは奥さんが交通事故、老母の面倒も、孫の世話もしなければならず、ほとんど出歩けない、と。

 

 私と一つ違いの「超人」も来ていた。「超人」というのは私が勝手につけた渾名。標高6000mほどの氷河の上のテントにいて、呼吸をどれくらい止めていられるか試してみる、と私に時間をはからせて4、5分止めているような方。素潜りで60mほどの記録を持つ。水の中で苦しくなったときには、さらにちょっと潜ると圧が加わって血中酸素が(相対的に)多くなって一瞬楽になると話したことが忘れられない。今もまだ現場で工業技術系の仕事をしている。手作業でいろんなものをつくりこなす仕事のできる若い人がいないから、いつまでもお呼びがかかるのだそうだ。この方は、ルートファインディングの名人でもある。何度も一緒に山を歩いたが、山火事で登山路が失われていたのを四半世紀ぶりに復興しようと和名倉山に入って道を見失った。背丈よりも高い藪を泳ぐようにかき分けて歩くこと1時間、崖上の急斜面に出た。標高100mほど下に沢が見える。この沢に沿って下に下れば目的地に着ける。木を伝って45度から60度もある、ほとんど垂直に見える斜面をじわりじわりと下ってしまうという芸当もした。私がいま山で道に迷っても不安にならないのは、この方と一緒に歩いた経験が心強いからか。地図の大きな図柄を頭に描いて我が身をその中におけば、大きくは迷わない、とときどき思い出す。

 

 昔、お宅に招かれて広島の実家から送られてきた牡蠣を御馳走になった方も退職して延長雇用3年目と知った。この方とは、7年前のインターハイを手伝って以来である。同じく7年ぶりというまだ現役の仕事人もいた。私立の学校だから退職が65歳なのだ。開けっぴろげで、口が悪いのに他人に恨まれない。カラカラと大声をあげて話し笑う。来ている人を出汁にして山の話を思い出させる。この口調も相変わらずだ。来年3月からハンガリーの大学で教えるとも聞いた。

 

 この集まりを世話してくれた方は、私の一つ上。私の退職と同時にヒマラヤ、中国、モロッコやニューギニア、メキシコといろんなところに連れて行ってくれた。この彼から2年半も声がかからなかったので、84歳氏から「どうしている、彼は」と声がかかったのが、今回の集まりのきっかけになった。今も元気に30人くらいの山の会人たちを案内して山をつづけている。顔艶もいい。穏やかな人柄が滲み出て、いつも静かにコップを傾けている。

 

 話を聞いていると、年寄り顔をして彼岸のことを思っているわけにはいかないと、いつしか思っている。なにより御酒が過ぎた。昨日一日、ごろごろとしてパソコンの前に座る気がしなかった。気持ちは若くなったが体がやっぱり年寄りだわい。


次元の違う世界をつなぐ関係の絶対性

2015-11-24 08:53:36 | 日記

 ある集まりのお知らせが「12月8日」と決まったとき、アマチュア・ミュージシャンでもある甥っ子は「ジョン・レノンの命日だ」と「全員に返信」で書き寄越してきた。私は「日米開戦の日だ」と思っていたから、〈そうか、そういう次元の違う世界を生きているのか〉と思ったものだ。甥っ子は40歳、ジョン・レノンが亡くなった歳になった。私はと言えば、ジョンの2年と1日後に生まれたから、ジョンは私のすぐ上の兄と同じ年齢、と発想する。ジョンが生きていれば今年後期高齢者になるのか、と考えてふふふと一人ほくそ笑む。でも、12月8日となるとまず、未だに始末のつかない「開戦と敗戦の問題」が胸中に思い浮かび、「国の死に方」や「永続敗戦論」や「脱・永続敗戦・論」や「戦後入門」に思いを及ぼす。

 

 そんなことを考えるともなく思っていて、ふと思いをずらす。と、昨日は「勤労感謝の日」であったのに、私は「祭日か」と何の感懐も抱かなかった。毎日が日曜日の私にとって、勤労感謝の日もただの祭日に変貌している。一日ごろごろと本を読んで暮らす。カミサンは雨模様のせいもあってか、出かけずにせっせと台所で柚子のジャムをつくっている。カミサンの田舎の長姉が柚子を送ってくれたのだ。こんなに大量の柚子を見たのは初めて。獲るのが大変だったろうなあと(たぶん)80歳を超える姉と姉の旦那が、木に梯子をかけて柚子取りをしている姿を想いうかべる。そういえば、このところ、カミサンの次姉からも糯米(もちごめ)が届いた。また別に兄嫁から届けられた小包は配達の人が渡すときに、「重いですよ。そちらに運び込みましょうか」とハンコを持って出た私に声をかけ、「いや大丈夫ですよ」と受け取った私は、荷を持った途端におおおっとつい声を出してしまうほど腰に力が入ってしまった。今年収穫の新米が入っていた。それを今日になって、これもふと思い出した。「勤労感謝の日」は新嘗祭であった、と。田舎で農業を営むカミサンの兄弟姉妹にとって今日この頃は、収穫を感謝する新嘗祭なのだ。

 

 このズレ。新嘗祭か勤労感謝の日か、ただの祭日か。これも暮らしている次元の違う世界の現れではないのか、と。単なるズレであったものが、いつの間にか次元の違いになるような世界の違いになっている(のではないか)。ズレているときは、それに気づいてズレを補正しようと説得したり論破したり、あるいは自らを振り返って修正したりする。つまり世界に段差や高低差があったり罅が入っていたり亀裂があったりして齟齬することはいろいろあるが、フィールドは同じ、凸凹しているだけという感触がある。だが次元の違いとなると、いつのまにか亀裂が乗り越えられない断裂になっている。断裂を埋め合わせようという気持ちも起こらない。そもそも、世代の違いとか、アイデンティティの違いとか、住む世界が違うとか、どうせ他人事とかといろんな理屈をつけて、関わり合う必要を感じない地点にまで来ているのが、次元の違いという断裂である。ズレが次元の違いになるのは、「かんけい」が断裂しているからであって、世界が断裂しているからではない。

 

 こうしてみると、甥っ子のジョン・レノンがミュージシャンからくるそれ(世界)であると思い当たれば、ズレは単なる凸凹になる。戦中生まれのご苦労があったのだなと思えば、真珠湾へ思いをはせるのも無理はないと受け止められる。その「思いをはせる」ことができるかどうかが「かかわり」のリンクである。だが実は、思いを馳せなくても「かかわり」はシステム的に形成され構造化され不断に再生されて行っている。だからパリのテロに巻き込まれて殺される人たちも出来するのだが、それを無辜の民に暴力を振るうとは何事と言ってしまっては、「思いをはせる」ことを拒むようなものだ。ではどう受け止めればいいのか。「関係の絶対性」と受け止めることで、自らの立ち位置を定めることができたと、(私は)半世紀前を振り返る。そのように定めて、構造からくる「関係」に自らを位置づけることがか細い想像力を補って、世界の断裂を見据えることができたのだったと、我が仕事と世界の関わりとに思いをはせる。その関係の絶対性は、とどのつまり「開戦と敗戦の問題」へも視線を送ることを余儀なくする。

 

 この、構造をとらえ関係の絶対性に自らを位置づけることが「知的作業」なのではないか。これもふと思った。