mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

遊びとしてのエクリチュール

2022-06-30 05:20:53 | 日記
 半世紀以上も前からの友人で、目下もっとも昵懇に文の遣り取りをしているマサオキさんから今月の便りが来た。私が「無冠」と題する月刊誌を書き送っているから、彼もやむなく返書を認める。となるとこちらも、返書のつもりで「無冠」を書き付けるという、白山羊さんと黒山羊さんの関係のようになって久しい。いつもは葉書の裏表に小さな手書き文字ビッシリなのに、今月は便箋五枚に認めて封書であった。
 まずは、お目通し下さい。身辺ご家族の近況は中略としたが、前段、句点なしの一気通貫の体調報告は、一つのエクリチュールの遊び芸と言っても良い彼の持ち技。この人の日頃の体調を墜落しない低空飛行とハラハラしてみているパソコン派ライターの私からすると、手直しなしで直に書き付けて乱れぬ筆致に、感嘆。読み終わって、そうかこれが彼の周囲にまき散らしていた文化の香りなんだと、半世紀経ってやっとわが身が感じ入った。そのことは、彼のお便りを読み終わって考えてみる。


***マサオキさんの手紙 2022/6/24


 Guten Tag! 你好吗? 今年の関東は梅雨時前に梅雨が如き天気が続き、本番の梅雨の季節はどうやら空梅雨で夏本番の猛暑が早速にも襲ってくる由で暑さと女に弱いゆえ、それに頭も弱くなったことも手伝ってその酷暑を乗り切っていけるか、今から心配しているのですが、御存知のように秋の御彼岸が満七十九歳の誕生日なるも、そこに辿り着く前に哀れ暑さのために斃れ、色即是空也と悟達する遑もなく本当の彼岸に配送されてしまうことだって考えられないことはないし、どうせ暇な毎日だから、そこら辺よしなに御高配の程をと庚申様や閻魔様に些少ながらの賂を添えてお願いしとこうかしらと思案したものの何を今更神仏頼りかよと嗤われそうだし、ここはそれ、成り行きに任せるは若くになしと随分とへっこんでしまった腹を括っていたら、昨日どうした勢みか、その腹がごぼごぼ下り、加え、腹とは別機能の排尿系にも異常を生じ、尿が水と言ふより何か膿みっぽい濃げ茶色になり、のみならず排出してもひどい残尿感がありすぐまたトイレへと言ったパターンがそうさなあ四、五時間も続き、その膿っぽい尿に向かって、熱中症死はともかく心臓や肺臓の原因の死だったら世の中にまあ真っ当な死に方として別に気にもされまいが、尿死というのはどうも頂けないので勘弁してくれよと藁にも縋る思いで懇願したところ、その願いや通じたらしく5時間後には何事もなかったが如く旧に復し事なきを得たのですが、考えてみれば尿という漢字の部首「尸」は「しかばね」だったと改めて気が付き、前日夜に何ぞ良くない物を喰った祟りが大なり小なり便証されたのかとも思い致され、此様にまだ因果律にいいように翻弄されているうちはまだこの世の存在であり続けていられるのではとひとまずホッとしたとはいえ、前述したように危惧すべき本物のホット、ホッター、ホッテストが待ち受けているとなればホッとしてもいられまいし、成り行きに任せるにしても、ここはまたひとつうまく事が成り行くように庚申様や閻魔様に加え、観音様や菩薩様にお祈りしておいた方がよいかもしれません。以上体調報告です。
(中略……ここも長文)
 後れてしまいましたが、「無冠」no.70ありがとうございました。前便で「ふらり遍路の旅」始末の途中で「飽きた」事に絡め、bb(変音記号)に因んで遍路は変ロに変調したと駄洒落ておりましたっけがその伝の続きで駄洒落るならば、件の始末記の題も「ふらっと遍路の旅」とした方がいいかもと余計なことをまず考えたりして、いけませんねえ。ところで、「小夏」の話がまた出てきましたね。私の大学時代の旧友の娘に「夏夏」という名前の子がいます。「小夏」は何かかわいらしい感じがしますが、「夏夏」となると翻然暑苦しい雰囲気に襲われますが、御本人は今四十代前半くらいかなあ、逆に涼しげな顔立ちの所謂スレンダー美人で、そう、譬えてみればNHK夜7時のニュース(平日)の天気予報を担当する晴山紋香さんのような雰囲気の人です。季節名に「小」の字を付けるのは秋、冬はなく、「小春」が断然多いですね。村田英雄の唄う「王将」坂田三吉の女房の名も〽愚痴も言わずに女房の小春~~でしたし。「み」が付くのも「春」が多い。例外は「剣客商売」に出て来る田沼意次の娘「三冬」ぐらいで、小生の戯作に於いても、主人公は将来娘が出来たら「ミハル」と名付けると夢の中で披露しています。尤もこれには嘗ての三春藩三剣士との繋がりからの連想もあるし、また奥方がドイツ系の人なのでミハイル、ミシェル、マイケル、ミッチェル等々に通じると見てそうしたのかもしれませんし、それとも浦和K馬場のかぶりつきで生まで見た美人騎手フランスのミカエル・ミシェルさんの残像があったのかも。ミカエル、ミシェルとダブルで天使ですものね。いや、何の話になってしまったやら。ああ、そうでした御遍路途中飽きちゃった始末記の話しでしたね。行脚を通じて道程いろいろなことがあったとの記述を見ていますと、何かその都度その都度毎に体感的、語感的、心感的に「無受想行識 無眼耳鼻舌心意 無色声香味蝕法」の境へ各駅停車しているような風情で、いやこの遍路記事に限らずここ数年の当誌の通奏低音が般若心経になってリウように見受けられ、別しては最近頓に御年傘寿になられたことも随分と意識し、これまで80年に亘る人生遍路に於ける己と交通した人達、己が存在した諸種相の社会、そしてそうした具体物を突き抜けた自然または宇宙、あるいは純粋世界(あるとすれば)等と己の関係をこの際一遍に手繰り寄せて、言って良ければ言葉として約するもの、言説の落とし所として「発見」したのが色即是空の言であり堺なんでせうね。この間どんな人について述べていても、どんな本について記していても、どんな事柄や現象について言及していても、結語の部分が色即是空になっている、そんなベクトル感が感ぜられてなりません。八十年の遍路歴程に於いて、語り尽くされ釈きつくされている色即是空の心意を改めて剔抉したと言うより、己流の思惟方法で個的に新しく意味づけしたと称した方が当たっているかもしれませぬ。いやはや、お経は音感的にとらえることにしていると放言(ほざ)いている男が言えた話しではありませんね。
 今日は24日(金)、冒頭に記したように陽が照って朝からカアーと灼熱状態。水分取られて干からびてしまいそう。外歩きの際はどうぞ日射病にお気をつけ下さい。いっかな身心元気と思っていても、〽今年八十のお爺さん~なんですから何があるか分かりません。努々油断召されるな! ほならまた。Aufwiedersehen!
***
 いや、余計なことを書き付けてマサオキさんの文が湛えている気配に、いま我が雑感を放り込むのは無粋極まりない。そういう身の裡からの声も聞こえてきた。マサオキさんの書き言葉、エクリチュールのおしゃべりが醸し出す気配は(いつぞやも記したが)まさしく「あそびをせんとやうまれけむ」ヒトの真骨頂。どうあがいても私には辿り着けない彼岸の業と思ってきました。これが、恒に常に対岸に狼煙を上げているのを目にして半世紀以上、やっと今ごろ大真面目に世相文化論を取り上げてきたお前さんへの根柢的な批評だったのではないか。いやここでお前さんと呼ぶ私のことではない。「わたし」らヒトのやっていること、やってきたことの、殊にエクルチュールという(知的と思われてきた営みの)あれやこれや、何から何までを総ざらいして、「あそびをせんとやうまれけむ」ヒトの本性を見誤っているんじゃないのと、声が響いてくるようだ。子細は、また後ほど。
 なお、マサオキさんの遊びとしてのエクリチュールに関する記述は、以下の本ブログ「記事」でも触れているので、ご笑覧下さい。
「コロナウィルス禍の思わぬ贈り物」(2020-11-29)
「茫茫たる藝藝(1)」(2019-11-22)
「茫茫たる藝藝(2)風のような読み物、稗史小説という構え」(2019-11-23)
「茫茫の藝藝(3)経験と見聞の埒外に出られるか」(2019-11-27)
「茫茫たる藝藝(4)あそびをせんとやうまれけむ」(2019-11-28)


いい加減な「二院制2・0」認識

2022-06-29 07:44:10 | 日記
 先日、参議院はなくてもいいんじゃないかと口を滑らせた勢いで、東浩紀の「日本国憲法2・0」おぼろげな記憶を記してしまった。もっとちゃんと書かなくてはと思い、出典を探した。「編集長東浩紀」として『日本2・0』(株式会社ゲンロン、2012年)に収載されている。本棚の片隅にひっそりと置かれていた。またその本誌の別冊として小冊子『新日本国憲法ゲンロン草案』が「ゲンロン憲法委員会」の名で付け加えられている。しかもその小冊子には「巻末のライセンスにしたがい自由に複製および頒布が可能です」と注が付いている。読んで想い出した。
 発行当初、日本国民に関する規定だけを記載していた現憲法を改正して「国民」と「住民」とを区別、継続的に在住する住民にも選挙権を与えている、憲法の条文を第一部と第二部に分け、第一部のみを改正対象とすることが出来るとし、第二部には「改正することが出来ない権利規定」を記載している。現憲法の「第九条」を三条に分け自衛隊を明記していることもある。たぶんそれらに気持ちがいっていて、二院制については、ちょっと見だけであったと分かる。住民院と国民院の両院制とし、国民院が現在の参議院に当たる。
「日本およびそれ以外の地に居住する日本国民を代表すべく、国籍、居住地のいかんを問わず、優れた識見を有するものとして法律によって定められた条件を満たした者の中から選挙された議員で、これを組織する。」
「国民院は、すべての日本国民が直接的な利害を有する、国民共同体としての主権を護持するため、住民院および総理を監視し始動する。」
「国民院の議員は無給とする。但し活動に要する軽費は支給する。」
 などと規定されている。これを「貴族院」と私が記憶していたわけである。何とも粗忽。だが、的は外していない。この憲法草案に関しては立案に携わった5人の人たちの各項目に関する簡略な概説が付いているが、ま、ここでは一先ず置いておこう。いま読み返してみると、なかなか出色の出来映えである。今後憲法改正が俎上に上がるときには、読売新聞の草案とか安倍私案とか言うものより、はるかに論議的に参考になると思うが、早すぎた「改正草案」ということになろうか。
 おっと、これから今日は、病院へ行って手術前の事前検査をする。じつは右手の掌の筋拘縮があって、それを手術することにした。その事前チェックを今月初めに受けたところ、心電図にちょっと心配があるからと、今日同じ病院の循環器医が事前チェックをし、その後に手術執刀医が結果を参照して面接することになっている。ま、手術してもしなくても、どっちでもいいという気持ちがあるから気楽なのだが、術後一ヶ月は温泉などに入ってはいけないと言われている。運転はしてもいいとか、風呂は手に水が入らないようにとかいろいろと言われている。ちょっと手術なるものをしてみんとてするなりだから、これまたいい加減なものだ。
 今日も暑い。手術よりも、検査の往き来が大丈夫かなと思う。いい加減だなあ。


梅雨が明けた、いまさら!

2022-06-28 08:37:23 | 日記
 気象庁は昨日(6/27)梅雨明けを宣言した。何を今更と猛暑に汗をかきながら市井の老爺は嗤う。ほんの1㌔ばかりの銀行に行ってくるのに、建物の日陰を伝うように歩く。往復するだけで汗びっしょりになる。
 風呂の湯船が暑苦しい。何日か前から、シャワーにする。掛け布団も跳ね飛ばすように寝ていた。タオルケットに換える。もう3日も前から猛暑といっていたし、2週間先まで晴れの暑い日が続くと予報もした。そのときから「梅雨明けのようなもの」とメディアも話題にしていた。
 だが気象庁は、用心深い。「戻り梅雨」ってこともあると考えたのだろうか。太平洋高気圧がそのまま押し上げてくるのかどうか、気配を窺っていたのだろうか。気象庁が何を護ろうとしていたのか、ちょっと気になる。
「予報」というからには読み違えることがある、って考えないのかもしれない。気象庁が間違えたら、科学が信用を落とすと思っているのか? もし「予報」が違えば、なぜ違えたかを解き明かすことが科学的態度であり、且つ、広範にそういう姿勢を啓蒙する機会でもあるんじゃないか。つまり、気象状況の判断者としての正確さを期するために、却って経験的な判断に嗤われるってワケだ。これも(施策判断の根拠を公開しないで)、大自然との向き合い方を人事が誤らせるような事態と言えようか。
 そういうことでいえば、国境とか国の安全ということも、その当事者が何を護ろうとしているかを率直に俎上にあげて、遣り取りすることがあれば、これほど力尽くに振る舞うこともあるまいと思われる。人事(によって生じた面目)を護ろうとしているのであれば、それに先行するより大自然に近い前提を尊重するように公に考えていくことをすれば、関係する人たちの啓蒙にもなるし、モンダイを解きほぐして少しずつでも解決へ向かうことが期待できる。理知的には、そういうふうに暴力によらずに対立するモンダイを当事者間で俎上にあげる方法を考えることができる。これは気象ではなく気性。台湾モンダイとかウクライナにたいするロシアの懸念をイメージしながら考えている。プーチンや習近平の気性ってワケだね。
 だが市井の老爺からすると、身に備わった文化的なあれやこれやが(どう作用しているのか、分からないが)絡み合って、身の裡に「人事の正統性/正当性」を形づくっている。現実は、その何十年も何百年も2500年ほども堆積してきた「人事」が、もはや大自然的事実のように骨格を形づくり、それを根拠にわが身に感じる正統性を打ち立てている。それを私は、身に刻んだ経験的な知恵と考えている。ヒトの自然て、そういうものなんだ。
 国民国家の支配を続けている為政者たちも、彼らなりの経験的(on-job-training)な堆積を元に判断して、その正統性/正当性を崩されては適わないと論理的には考えているのであろう。実態は、しかし、論理の矛盾をものともせず、わが理が成り立つことなら何でも動員して根拠とする展開をして、煙に巻く。巻けなくなるとフェイクだと誹って、事実そのものをみえなくしてしまう。何処から切り取ってわが理の根拠としているかと考えると、ロシアも中国もアメリカもEUもインドもまた、勝手なことをいってると思う。一つ一つをまっとうに取り上げて論理的に咀嚼するのも煩わしい。まさしく「色即是空 空即是色」だ。それでも、プーチンや習近平、バイデンのそれを解きほぐしていかないと、核戦争になってしまうとすると、捨て置くわけにはいかない。
 身に押し寄せてくるありとある情報が経験だとすると、みな勝手に自己主張して、正統性を起ち上げているが、はたして「正統性/正当性」ってなんだろうと、市井の老爺の情報処理装置が作動し始める。つまり「わたし」を当事者として「せかい」をもういちど総覧してみる心持ちを、持とうと試みる。結局わが身が何を根拠にその「正統性/正当性」を判断しているかにかかっている。その情報に心揺さぶられるのは、なぜか。煩わしいと感じるのはなぜか。コイツ嘘をついているとか、こりゃあ平然と否定しているが非道だと、「わたし」がみているのは、なぜか。そう自問自答して、「わたし」なりの応えを導き出す。
 その応え方の中に、気高さを保持する考え方は、どう盛り込めるのか。そのときの気高さとは何か。「わたし」の経験的な、とりあえずの応えは、《できるだけ大自然の要素に立ち返り、まず人がヒトとして地上に現れた地点から辿り返して、「人事」が支配するようになりそれが圧倒するほど社会を席巻することになった経緯を押さえ、原点に立ち返って解きほぐしていく》という迂遠な道が浮かび上がる。遠近法的消失点ていうんだもの、少々迂遠であっても、騒ぐことではない。どうせ、その迂遠な道も、全部自分が解きほぐしたものではなく、累々たる積年の知恵知識の堆積が教えることだ。せめてそうやって、わが身(の抱く感懐)を滅却するようにして「せかい」に身を重ねていく。それが気高さの獲得には欠かせない。
 でもねえ、そんな厄介なことに誰が付き合うか。経験的な庶民も、お前さんくらいだよと別の私が声を上げている。いいんだ、それで。どうせ、世界のgerm、黴菌が呟いているだけさ。一匹の蝶の羽ばたき、一頭のgermの囁き。世界ってそういうものさ。


1年後の感懐

2022-06-27 05:42:00 | 日記

コロナウィルスの声を聴け

 緊急事態宣言の解除を嗤うかのように感染者数が増え始め、五輪実施に挑戦するように、コロナウィルスの勢いは、増している。とうとう都知事も(都議選がらみかもしれないが)ダウンして......

 そうだった。1年前にはオリンピック開催の喧噪の中であった。結構大真面目に、日本の行政のモンダイを指摘している。そして1年後の今日、もうすっかりコロナウィルスの感染拡大には肚を据えたのか諦めたのか、政府も政治家もメディアも、感染拡大が高止まりで底をついたことを気にしないかのように振る舞っている。
 いや、そもそも、昨秋の衆院選挙のときに自民党内の権力争いにメディアの関心が移り、そこだけを焦点にした選挙結果で、今の政権に移行したわけだから、コロナウィルスに聞け! って言葉は、何処へいったやら。今年に入って冬のオリンピックが終わるかどうかの頃から今度は、ウクライナ戦争の話題一つにメディアは流れ、コロナウィルスどころではなくなった。それをいいことに、「じねん」のままにコロナ禍に馴れてきて、知らぬ顔の半兵衛ってワケだ。これじゃあ、行政が反省するきっかけもないし、為政者が良くなる契機もない。参院選だって? だから何よ? 参議院なんて、なくたっていいんじゃないか。そう思うような為体だよね。
 それで想い出した。いつだったか哲学者の東弘紀が「日本国憲法2・0」で、参議院を「貴族院」のようにしろっていっていた。子細は忘れたが、日本の知恵を代表するような「有識者」を選んで、彼らに衆議院と政府のやっていることが、長い目で見て、あるいは現実社会の展開の流れに位置づけて、妥当であるかどうかを審議する機関にしたらというような「建議」をしていた。「貴族院」という言葉に抵抗を感じたが、今ふり返ってみると「貴族的」という言葉自体が、私たちの日常生活から姿を消している。それとともに、ひときわ抜きん出て頭角を現す存在をも、金銭感覚で平地に引き降ろすセンスが行き渡り、所謂「選良」と呼ばれた人たちも、法に触れなければいいんでしょと平然と庶民未満の行為をして恥じない風潮がふつうになっている。
 社会の何処に身を置いていても、ひときわ抜きん出た存在であることが、世の中に生きる庶民のモデルであったことがある。竹林の七賢もそうだし、縁の下の力持ちもそうであった。そう言えば私の亡父なども、八百屋をしながら書をものして、漢文の古典から菊池寛の文章まで拾っていた。私が生まれた年の秋に書いた「般若心経」が今私の枕元の条幅にある。これは、「わたし」の知的好奇心の源になっているのではないかと、思うこともある。つまり、文化的な「ひときわ抜きん出る存在」の私の原型モデルというわけだ。と同時に、私だけではない。私と同じ世代の人たちの「教養」のモデルでもあった。そういう「抜きん出たモデル」としての「貴族性」を日常性から追放してしまった。それが、戦後77年目の現在である。
 ま、そんなことを一般的に、原理的に嘆いても、何の足しにもならない。どこかの国の、企業経営者が「日本名滅びる」と人口減少を指して宣告なさったようだが、人口以前にすでにして、文化的に滅びははじまっている。
 そう思う私は、保守派なのだろうか?

暑くなった!

2022-06-26 06:21:30 | 日記
 暑くなった。昨日はじめて冷房を入れた。午前中カミサンは買い物に行く。往復おおよそ8㌔を歩く。これまではたいてい私も一緒に行って荷担ぎ役をするのだが、昨日の私はパソコンに向き合ってわが身の調子をふり返っていた。
 開けている窓から風が入ってくるとよろこんでいたら、10時を過ぎるころには、もう暑くなっていた。南西の風が強く吹いて外の樹木が揺れるのは、見ている分には涼しそうだが、気温はどんどん上がっている。11時過ぎて本を読むころには室温30℃。冷房を入れた。一昨日の段階で空調機の掃除をしておいて良かった。
 お昼前に帰ってきたカミサンは、本日特売の牛乳を3本と米酢など5㌔ほどの荷を担いで、「お年寄りがこんな日に出歩くなんて自殺ものといわれそう」と外の暑さを悦んでいる。そうだ、夏女だ。お昼のニュースは、「速報」とタイトルを付けて、群馬県伊勢崎市で40℃を超えたとテロップを流している。カミサンは「何度に設定してるの? ちょっと寒すぎる」とリモコンを覗いて、1℃設定を高くした。
 夕方、電話が鳴った。どこかの通信社。参院選に関する世論調査にご協力をという。いつもなら、その機械音を聞いて直ぐに電話を切るのだが、これは中年男性の声。「いいよ」と応じる。20~30代の若い人の声を聞きたいというから、悪いね、こちらはその何倍も生きながらえている、埒外だねと返事をする。でも直ぐには切らないで、どの候補に投票するつもりか、支持政党はあるのか、岸田政権を評価するかしないかといくつか質問して、最後に年齢を70歳以上と確認してきた。安くあげるために使っている電話回線にモンダイがあるのだろうか、バリバリと雑音が入って音声が聞き取りにくい。私の耳が悪くなっているのだろうか。
 問いに応えようとして、支持政党がないことに気づいた。というか、小選挙区制ならあれかこれかという二者択一だから、気に入らない政党の逆の側を思い浮かべるが、埼玉県が一区の中選挙区制。ほぼ全部の政党が名を連ねる。
 障碍者に議席を確保してそれだけで参議院に風を吹き込んだ政党の名をあげると、意外そうな声の響きが伝わってきた。どうしてというから、意外性かなと応えた。岸田政権をどう評価するかと聞かれて、う~ん、前のアベ・スガに比べたら迷いを見せているところが微笑ましいけど、何かをしたわけじゃないからねと応えた。後からアベさんの声が聞こえてくると、イヤお前さんよりはこちらの方がましだよと思うが、評価となると何をやったかだからね。何もやってないじゃない? と応える自分に驚く。支持政党はと聞かれ「今の政治家には愛想が尽きている」と応じたら、低声で共感するような笑い声になった。
 後で電話を聞いていたカミサンが「れいわを支持するの?」と驚いたようにいう。自分でも思っても見なかったなあと、口をついて出ただけの「わたし」の瞬発力の源をふり返る。そうだね、これからどうするか考えよう。
 でもね、判官贔屓っていうじゃない。一番いじめられているグループを応援したいって気分は、何か私の出自生育由来に拠ることがあるのかな。そんなことを思いながら来し方をふり返っている。なかなか選挙の当事者にはなれそうもない。