mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

運転免許更新の元気と変化

2020-09-29 05:21:52 | 日記

 昨日(9/28)に、運転免許更新のための「高齢者講習」を受けた。道路交通法の改正点、交通事故のケースや高齢者の何がモンダイかを自覚してよというお話の後に、視力の検査と短時間の運転実習があった。視力検査で、静止視力「0・7」、動体視力「0・5」と判定。静止視力が3年前は「1・0」であったのに、悪くなった。パソコンの見過ぎか。動体視力が「0・5」というのが前回より良いのか悪くなったのかわからないが、判定では「30~59歳平均と同じ。78歳前としては優秀」とあった。年齢による衰えの平均的な数値と比較してみているようだ。

 自動車教習所にはたくさんの若い人たちが免許取得のために来ている。路上教習に乗り出す人たちも少なからずいる。中には、教官が同乗していないのに一人で乗り回している車が何台もある。ひょっとすると、ここにきてコロナウィルスのせいで、運転をはじめようという人の練習場になっているのかもしれない。
 皆さんマスクをしている。部屋の入り口には消毒薬、実習車のドア、ハンドルなどを、一回一回殺菌のため拭いている。ご苦労なことだ。
 教習所の教官というのが、皆さん丁寧になった。昔のように威張り散らし、気に食わないと蹴とばすようなものの言い方をする人など、探してもいそうにない。私たち年寄りにも、なんとも丁寧な応対をする。ちょうど「秋の全国交通安全運動」の期間中、埼玉県警の重点項目を話し、どの点に気を付けていないと罰則が適用になると、秘密を漏らすように話す。近々、法改正もあって、高齢者の違反後の措置が厳しくなるともいう。罰金を払えば済むというわけではなく、運転実習も付け加わるそうだ。できるだけ厳しくして、年寄りに免許を返納させたいという方針でもあるのだろうか(返納とか、返上とか、これもなんだか妙な「お上言葉」だな)。

 70歳以上の高齢者10人が一緒に講習を受けたが、3年前の講習のときとは、様子が違う。皆さん若い。よぼよぼしている人がいない。「認知機能検査」を事前に済ませているから、そちらで問題があった人たちは、今日は別の講習に廻されているのだろう。3年前には、私と同じ75歳というのに、階段の上り下りに手すりにつかまり、ひと段ずつ脚をそろえながらすすむ人もいて、そうか、こういう人は車が頼りだろうなあと、いたく同情を誘った。でも今日の人たちは、皆さん私より若く見え、動きもそれなりにしゃかしゃかとしていた。

 講習を受けている自分を振り返ってみると、3年前よりはずいぶんと素直に話を聞くようになったとわがことながら、思った。前回も前々回も、何言ってやがんでえ、お説教はいいから話をすすめろよと、少し斜に構えて2時間ほどを過ごした。交通法規の改正点なども、ふんという調子で、読みもしなかった。だが今回は、大要はつかむ。注意点は、これとこれだな。わが身の衰えている点は、こことここかと、一つひとつ講師の話を腑に落としていた。どうしてこんなに素直になっちゃんたんだと、思い返して想う。
 たぶん、今日これから、250キロほどを運転して、福島県の檜枝岐村の方へ出かける。身近にどういう運転する予定が入っているから、取り締まりの注意点を聴くように、耳を傾けたのかしら。ゲンキンなものだ。
 もう一つ思い当たることがある。前回はこの人は私と同じ年なのかというような人が、沢山とは言わないが、それなりにいた。私はそんな年寄りではないぞ。運転だって、教官によく馴れていますね、と言われる程度の乗り回し方をした。つまり、肩肘張っていたわけだ。ところが3年経ってみると、バックで駐車するときに、一発で横の駐車ラインに平行に止まらなくなった。アクセルとブレーキを踏み間違えるような間違いは起しそうもないが、うっかり交通標識を見落とすようなこともあるかもしれないと、思うことがある。そういうこともあって、謙虚になっている。
 あと3年。なんとかそれまでに、自動運転の第4ステージの車が実用化できるように頑張ってほしい。そうなれば、「自動運転車限定」であっても、それに乗って、山へ出かけることができる。
 な~んて考えていたら、「寿命があればよ。頑張って」と、横合いから差し出口が挟まれた。


言語の「原的否定性」と社会関係への参入

2020-09-28 08:50:22 | 日記

 ダメなものはダメという(理屈抜きの)「原的否定性」を受け容れることが、社会関係に参入する「原的肯定性」に転化していく筋道を開くパラドクス。それを指摘した、大澤真幸『動物的/人間的――1.社会の起源』(弘文堂、2012年)を取り上げた。もうひとつ、大澤のオモシロイ切り口を取り上げておきたい。
 彼は言語が「原的否定性」をもって出立していると切り分けている。

《言語を習得することは、何かを知的に理解することだと思われているが、実際には、そうではない。それ以前のものが必要なのだ。トートロジーは無意味なのだから、それを知的に理解させることなど、不可能だ。言語を習得するということは、まずは、原的な否定性を構成するような社会的な関係性に入ること、つまり原的な否定性を帯びた命令を発する他者の権威を受け容れ、まさにその命令に(禁止や宣言としての)効力をあらしめることである。名前・言語を可能なものにしているのは、原的な否定性を構成する社会的な関係性である。》

 言葉に関して私たちは、いつ知らず身に備え、主体の発する理知的なコトと理解して使ってきた。しかしそもそも言語は、トートロジーではないかというのは、言われてみればその通りだ。
 中学の国語の時間を思い出す。「鷹揚」という言葉の意味を教師から問われたことがあった。そのとき「意味」というのは、単なる言いかえではないかと思った感じた。それを口にはしなかった。「広い心」とか「ゆったりした気持ち」というようなことを応えて、場面は次へ展開していったからだ。だが今言われてみると、まさしくトートロジーだ。
 「言葉の意味」と問われたとき、どう応えることが適切だったろうか。
 その言葉が使われた場面で、どういう心持を込めて、どのような文脈の中でどのような立場の主体によってその言葉が使われているかと、今なら答えたであろう。三省堂の「新明解国語辞典」の新奇さは、文脈の面白さで編み直したものであった。
 子どもが言葉をどう受け入れて、身の裡でどのように、その象徴的用法や文法を受け止めて、多様な使い方に習熟していくのかを(私は)説明できないが、(わが胸に手を当てて考えてみると)いつ知らず身につけ、後に「文法」として体系的に整合的な系統にまとめられていく。それを知的であると考えていたことも確かだ。
 大澤は、その出立点を(ダメなものはダメというのと同じ)「原的否定性」と見切る。それは言語のかたちづくって来た社会の権威を受け容れることであり、そうして「社会に参入」する「原的肯定性」が可能となる。そのパラドクスを、いま人々は忘れているのではないか。
 知的なものを受け容れるという過程には、「原的否定性」が社会関係に参入する「原的肯定性」の土台になっている出立点のパラドクスがある。学校に学ぶ子どもは、その出立点に立っている。
 にもかかわらず、子どもの意思が端から(誰にでも)完成されてあるものとして想定されて、論じられている。子どもの権利が尊重されるべきというのは、その内側に完成された意思がかたちづくられているからではない。政治的・社会的関係において保障されるという立場を尊重するということであって、金さえ払えば交換経済的に(子どもが)何をしてもいいということを意味しない。そこにはパラドクスが介在していることを、養育・教育する大人は承知しておかねばならない。
                                            *
 そのパラドクスが、消えている。
 ダメなものはダメだという言葉が通用しなくなったのは、人が理知的に物事の判断を自らの意思によって下すことが最良だという、西欧から入って来た近代的な合理精神のもたらしたものだ。古い時代に育った大人は、身をもってそのように仕込まれてきた。
 だが絶対神なき日本の土壌においては、神に平伏するという「原的否定性」に代わって、大人の権力性(暴力的な仕打ちをともなう権威の発動)が子どもに対する「原的否定性」となっていた。あるいは、責任の所在がわからない社会組織の裏返しだが、集団的空気を読めという圧力が、「原的否定性」として働いてきた。
 ところが、先の大戦への無謀な突入とおおよそ合理精神を欠いた遂行と敗戦によって大人の権力性は(子どもの心裡で)ずたずたに崩れてしまった。その欠落を埋めたのは、戦中生まれ戦後育ちの私たちからすると、進駐軍とそれが押し付けたという「新憲法」であった。巧まずして(私たちの身の裡で)「原的否定性」として屹立した。それを受け容れることによって、私たちは戦後の国家・社会への参入を肯定的に行うことができたのである。
 戦後の高度消費社会の実現と一億総中流という日本社会の変容が、ひょっとしたら「原的否定性」の起点を崩したのかもしれない。怖いものなしとなり、ことごとく自分の意思で判断し、モノゴトを推し進めているという錯覚を大人自らももつようになった。それを子どもに当てはめてみると、相変わらず「原的否定性」を躾けている学校というのは、まるで(子どもの)「肯定性」を否定しているように見える。その教師の権威、学校の権力性をも排除して自由に学ぶという幻想が広まる。あたかもその自由に学ぶ幻想自体が(子どもの成長にとって現実的で)あるかのように思いこんで、現代教育批判を行ってきたのが、1980年代以降の学校にまつわる社会状況ではなかったろうか。
 時代が変わるというのは、こういうふうに変わるんだと思ったものである。
 その根底には、人間の不思議が横たわっている。依存と自律のパラドクスも、見落とせない。親と子の関係を表すことごとも、人と人との距離感も、同様に、じつはパラドキシカルな機制を経て一人一人の身に備わり、それを内に秘めて、信従も、反発も、逸脱という振る舞いも眼前に展開している。
 それこそが、人の不思議。AIがとうてい及ばない「せかい」だと思えるのである。


動態的ソロキャンプ

2020-09-27 09:39:56 | 日記

 昨日(9/26)の「サワコの朝」のお客さんはピン芸人のヒロシ。今も芸人をやっているのかどうかは知らない。彼に言わせると、2005年頃2年ほどギューンと売れて、シュンと凹んでしまった。
 何かのきっかけで目覚め、取り巻きの人たちとキャンプに行くようになったが、彼らはヒロシが全部用意し、もてなすのが当然のように振る舞い、片付けも全部ヒロシまかせ。なんか変だなあと感じていて、一人で行くソロキャンプをするようになった。
 そうして、ある山の一角を買い取り、そこに手を入れながら、ソロキャンプをやってみる。これが性に合ってると思うようになり、ますます面白くなった。
 サワコが訊ねる。
「一人って淋しくないですか?」
「孤独って、沢山の人のなかにいて、何処にも取り付く島がなくてポツンとしている自分を意識したときのこと」
 と、ヒロシは応える。有名人や芸人たちのパーティがあって呼ばれていくが、皆さん、名のある方々。話しかけるわけにもいかず、話しかけられるでもなく、片隅で皆さんの様子をみているというのが、たまらなく嫌になった、と。むしろ、ソロキャンプをしているときは、そういう煩わしいことから離れて、何も考えないでいる。それがすがすがしく、さわやか。
 ソロキャンプが広まっているらしい。ヒロシも「ソロキャンプ」に関する本を出した。アウトドアの集まりに招かれて、ソロキャンプの話をしたり、その実際を披露したりもする。そのときは、イベントとしての催しに沿うように、キャンプ料理を少し豪勢にしてみたり、派手に振る舞ってみたりもするが、やはりソロというキャンプの仕様は、そういうところにあるとは思っていない。
 無心になって枯葉や木っ端を集め、火打石から火を熾し、焚火を見つめる。インスタントラーメンでもコーヒーでも、ゆっくり味わいながら時を過ごす。それが堪らないですね、と(人生における)自分の居場所を見つけたように静かに話す。
 ヒロシの周りでもそういう人たちが寄ってくる。皆さんご自分の用具一式をもってきて、一緒だが、ソロキャンプをする。その距離感が、最初の群れてもてなされて愉しんでいくキャンプの集まりよりも、ずうっと心地よい。なんでねしょうねえ、とすでに答えを知っているのに言葉にしないことも好ましく響く。
                                            *
 ヒロシの経験的屈曲が面白い。
(1)はじめはキャンプが面白い。だが、一緒にキャンプする人たちは、もてなされに来ている。もてなすのがイヤかどうかをヒロシは言わないが、なんかヘンだなと感じていたと正直に話す。
(2)ソロキャンプに踏み込む。山を買う。何もかも自力で手を入れる。すがすがしい無心の感触。
(3)むろんキャンプばかりでは食っていけないが、そこはそれ。昔取った杵柄がものを言って、彼がイベントに招かれ、実演も公演もし、本を出したりもする。それは彼の暮らしを支える程度の(と彼は言うが)収入源になる。
(4)ソロキャンプが、新型コロナウィルスのせいもあって、ブームになる。キャンパーがヒロシの周りに集まってくる。でもそれは、もてなしではなく、一緒にソロキャンプをする社会性を備えた距離感をもった集いとなっている。(2)の無心の感触とは違うが、他人との関係が次元を変えたように思える。
 
 上記の(1)から(4)への変転が、ヒロシの胸中で「ソロキャンプ」から引き出される「人生」の感触の動態的様相をうまく表していると思った。
 (1)は、ピン芸人ヒロシに依存する周辺の人たちとの「けんけい」がうじゃうじゃとまつわっている。それを否定したのが(2)だ。「かんけい」を断ち切ることによって、独りになる。そこに降り積もる「かんけい」のわずらわしさから解き放たれるすがすがしさが生まれる。
 とはいえ、生計を立てることが(社会との)「かんけい」を断ったままにはしておけない。そこに「ソロキャンプ」と新型コロナウィルスというきっかけが作用して、(3)の「かんけい」を生み出した。
 それによって、(2)のすがすがしさの感触を求める人たちが「かんけい」を保ちつつ味わう次元を作り出したのが、(4)だといえる。ヒロシ自身も「かんけい」との次元を換えているし、社会関係としての「ソロキャンプ」もまた、次元を換えた「かんけい」に到達している。
 「キャンプ」というひとつの働きかけが、「ソロキャンプ」に展開して「かんけい」の底に足をつけ、ヒロシ側の動機としては生計を立てるため、しかし社会的契機としては人が密集することへの反省としての「新型コロナウィルス」と、「ソロキャンプ」という文字通り「社会的距離」をもった出口が出現するという運びは、まさしく誰のどのような意思が作用したわけでもないが、相互に作用して事態を動かしている。このように、依存と自律との相互のかかわりが相乗して社会関係は動いている。それが開かれたかたちに向かっているのが、動態的ソロキャンプのもたらしている事態である。「三密」を避けるという否定的反省が、世界を肯定的にみていく方向を生み出している。
 自分のソロキャンプの動機といえば、山歩きの山小屋が混むことからはじまり、気楽にどこにでもビバークする歩き方にかかわって続き、このところ(歳を取ってからは)もっぱら麓の宿や山小屋どまりにしていたのが、新型コロナウィルスのせいで、宿や小屋もまたあやしくなって、仕方なくソロキャンプに戻った。山友もまたテントをに入れて、夫婦でツウィンキャンプに挑戦し、私のソロキャンプに付き合ってくれる。その間の距離が、with-コロナの山歩きになりそうな気配だ。ヒロシのすがすがしい様子が、私の山歩きの現在と重なって好ましく感じられる。


理性優位時代の禁忌の相対化

2020-09-26 09:37:27 | 日記

 現場の教師であったとき、世間の屁理屈に悩まされた。
 どうして制服を崩して着てはいけないのか。髪を染めてはダメなのか。アイシャドウやカラーネイル、ピアスなどの化粧(装い)はなぜ許容されないのか。
 生徒が訴える分には、その場で直に話すことができた。生徒は理屈を聴きたいのではなく、学校のスタンスを確認したいのだと考えて、ことばを繰り出した。装いと学校と生徒の立ち位置に関する教師としての思いを話す。それが「説得力」をもつのは、日ごろの教師自身の立ち居振る舞いが生徒の信頼を得るに十分なものであったからだと、いま振り返って思う。
 しかし世間の方は、面倒であった。ここで世間というのは、親やマスメディアや地域の人たちのご意見であった。ピンからキリまで開きがあった。直感から屁理屈まで、ご意見の土台がさまざまであった。それが学校という場へ向けて交わされるから、教師は(自身の暮らしにおける変化に伴う感覚の揺らぎとともに)その「外」から差し込まれるご意見に翻弄される。現場もまた、生徒の装いに関してピンキリの主張と振る舞いが錯綜するようになった。
 1990年前後の、平成がはじまるころ。高度消費社会の最盛期、バブルの渦中にあった日本の社会は、旧来の殻を脱いで産業社会の再編を目指さねばならない立場にあった。誰もが一斉に同じことに向かうのではなく、人それぞれの個性を主張し、活かして生きていけという気風が世間を風靡し始めていた。それが後押しして、メディアは、個性を抑圧し画一化する学校イメージを喧伝して、教師を叩いた。
 それに対して私(たち)は、おおむね次のような観点から向き合った。

(1)「ダメなものはダメ」、屁理屈をつけて言うと、必ず的を外す。でもどういう論理が隠されているかを考えなければならない。
(2)学校の制服や規則には、それなりにそれが定着した由来がある。それがこれであると手に取るように示すことはできないが、「学ぶ」という「修業時代に不可欠の要素」を含んでいることを経験的に感じる。時代や社会が変化したことによって、相応しくない(と感じる)規律や規則がある。しかし、「成長期の人の本質」はそう簡単に変わるものではない。だから古典の指摘が、今も生きていたりする。
(3)規則や規律を一概に守るものとしたり、否定することと考えるのではなく、(2)の「感じる」ことを一つ一つ丁寧に読み解いて、試行錯誤し、それを検証しながら、次のステップへすすめることが大切。

 学校現場で起こる制服や頭髪・化粧のモンダイは、いつも具体的である。具体的であるから、応答もまた、屁理屈に陥ることが多い。いろんな教師がいるから、生徒の好みに迎合する教師もいれば、そのようなことはどうでもよい(学校教育において本質的ではない)と考える教師もいた。逆に、それら規律・規則に(2)のような直観的経験を持つ教師も少なからずいて、その学校における規律や規則は、それら教師たちの(学校現場における)力関係に左右されることが多かった。世の中も、大雑把にいうと二つに分かれた。自由がいいという世間と(服装や頭髪が)だらしない生徒がいるのは学校がだらしないからだと考えて、言葉を交わすことなく分岐していた。
 現場の私たちは、せいぜい自分の担当する学年のそれを取り仕切ることで精いっぱい。学校全体をどうするというようなことは、「(担当する)学年の状態」を差し出して、ほかの学年に考えてもらう(あるいはこちらの学年も手直しをする)ことしかできなかった。管理職は、手も足も出なかったが、口ばかりは達者に世の潮流に迎合していた。
 そのとき、「学年通信」という(生徒向けに学年団教師が発行する)月刊誌と「無冠」という表題の(教職員組合分会の発行というクレジットを被った)教師間の週刊紙が意見を交換する力を発揮したと、振り返って思う。もちろんその場その場のモンダイを始末するのに追われ、根底的に考えるのは、後回しになってきた。
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 最近、大澤真幸『動物的/人間的――1.社会の起源』(弘文堂、2012年)に、思わぬ方面からの面白い指摘があった。
 「ダメなものはダメ」ということがあって初めて、人類史は出発しているのではないかという。大澤真幸は、進化生物学などを読み解きながら人類史を総覧して、「原否定性」という概念を提示する。

 《原的否定性とは、理由もなく否定されていること。ダメだからダメということ》

(a)「原否定性」が人類史の当初からかたちづくられてきている。バイブルにいう「(エデン園の)知恵の木の実を食べてはならぬ」というのもそれのひとつ。近親相姦とかが、なぜ禁忌として形成されたかは、後付けの議論はいろいろとなされているが、どのようにかたちづくられてきたかを問うと、「原否定性」に突き当たる。
(b)動物において(その禁忌)は自販機と同様に予め仕込まれている。だがヒトの場合(その禁止は)「選択的」である。そこに、ダメなものはダメということ(原的否定性)への、原的肯定性が生まれる契機が発生する。「なぜダメなのか」と問う。理由によって「禁止」を崩してしまうのは、知的に低劣だから。知的に高い(神に近い)認識をすれば、「原的肯定性」が生まれる契機となる。「知恵の木の実を食べてはならぬ」という原的否定性を(選択的に)受け入れるために、「神の言葉」としてヒトはつくり直した。

 となると、例えば、子どもが大人とは異なる世界を過ごさねばならぬ時代があるという「原的制約」もあるのではないか。それが、時代が人間主義的な、豊かな、人権意識が広まった世界になったために、「なぜ子どもは大人と違ったステージを持つのか」ということへの「理屈」が必要になった。
 子どもは小さい大人という時代認識が崩れて、保護養育を必要とする「こども」が誕生した。それがさらに昂じて、人として同じという「権利意識」が生まれ、その「権利」として「大人と同等の権利を持つ」として、「こどもの権利条約」などが国連でも決議された。
 だが、それは「権利」であって、子どもの実態ではない。子どもは、意思が尊重されるとはいえ、その意思が大人と同じ判断ができる主体と見積もることはできない。だが、子どもは保育され教育されるという考え方の中に、当人の意思がどうなのかと問う要素が入り込むようになった。世間の論議は、「こども(の主体と成長)」を見損なうようになった。
 しかも学校現場からみると、「こどもの権利」は、個々人を主体として想定している。だが、子どもは、子ども相互の関係において生長し、変容し、自己形成する、主体形成途上のものである。個人を取り出して、その局面だけで論じると、子ども集団の薫陶力も見損なうことになる。
 主体という認知には、(教育される当人の)求めるものがすでに(当人に)分かっているという逆転が起きている。ことに教育が委託されるようになると、親の庇護とか保護が介入するわけだが、個々の生徒の実態に即して、その場の対応を考えるよりも(世間の学校・教師批判に応じて)法的規定性の方が優先され、いわば杓子定規に(魔よけのお札のような)定めが解決策として登場するようになった。学校当局の応対も、そのようにして、規律・規則の根底的な受け止め方を外れ、世間的なお払いの儀式のようになっていった。
 大澤真幸の指摘は、あらためて根底的に、人類史的な視点から「ダメなものはダメ」という「原否定性」と、それが「原肯定性」に転化していく筋道を示している。そういう次元で、学校における規律・規則のモンダイを、とらえ返してみたいと思った。


見掛け倒しのライトノベルか

2020-09-24 17:12:28 | 日記

 大崎善生『存在という名のダンス(上)(下)』(角川書店、2010年)を読む。上下巻で500ページを超える。いうまでもなく、図書館の書架で、この本のタイトルを見て、借りて帰った。
 ちりばめた素材は、軽いものではない。そのかつての出来事自体は、まさしく人間存在とは何かと問う苛烈なものであった。それを弄んでいるのではないか。それが私の最初の、読後感。
 この作家が真摯なのはわかる。誠実に考えていることも分かる。だが、的を外している。出来事の表層を素材にして、自分の幻想的な物語世界に組み込んで、「お話し」にしているだけではないか。ドイツや五島の島や樺太やで起きた出来事の切片を取り出して「存在という名のダンス」を切り分けるのなら、もっと幻想と現実とのつなぎ目をきちんとリアリティをもって描き出さなければならないのではないか。
 この作家の幻想的な世界が、人の魂の時空を超えて触れ合う地平に「存在」の真実があると考えていることは受け止められるが、「存在という名のダンス」と表題を振るような哲学的な奥行きは、感じられない。面白かったともいえず、なんとも、ふくらませた風船から空気が抜けてしまっているような気持がしている。