mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

遅いも遅いよ、河野クン

2022-11-30 17:24:05 | 日記
 河野デジタル担当大臣が「マイナンバーカードの義務化」ということを「保険証」について言った。何をいまさらと、私は嗤っている。そもそもマイナンバーカードは、そのためじゃなかったろう。税金の効率的把捉のためじゃないか。むろん、全国民の社会保険制度ができている日本なのだから、保険証と一本化するってこともおかしくない。だが本末転倒ではないか。
 いやもっと本末転倒と思うのは、国民がマイナンバーカードを所持するその前に、行政システムを完全にデジタル化しておかなくちゃならないじゃないか。それなのに、明治以来の「文書主義」を、コロナウィルス時代になっても貫き通しているから、全国の状況把握さえ、スムーズにできない。それどころか、お役所の所管事項の監理さえきちんとできていないことが、実務的な場面でぽろぽろとこぼれ出てしまった。
 私ら庶民は、こうなって初めて、やっぱりそうなんだ。お役所って、エラソーにああだこうだと言っていたが、中味はスカスカ。外面ばかり取り繕って、知事や議員や有名人には気遣いするが、下々にはエラソーに権限を振り回すだけ。ちっとも戦前と変わっていない。マイナカードがそもそも目指していたのは、税収の元になる所得の全量把握をするためなんだろう? 猫の首に鈴をつけるのを躊躇って、保険証からってのが、まずお笑いだよね。やっぱり「経済脳」でしか考えられないから、金持ちの首に鈴はつけられないのかい?
 河野大臣は気づいていないだろうが、大枚2兆円ものご褒美付きでマイナンバーカードが広まったと思っているかもしれないが、馬鹿にするんじゃないよ。私ら庶民からすると、何だこんなことに税金使いやがってと、せめて税金を取り戻そうとしてカードを作っただけよ。
 個人情報満載の大切なマイナンバーカードを保険証みたいに持ち歩いて、病院やクリニックへ行く毎に出し入れするなんてアブナイことをするのが良いとは思わない。でも、マイナ保険証だと初診料は安くなるよと耳にしたものだから、クリニックへ行くと「使えるの?」ときく。どこもここも、いまのところ全部ダメ。そもそも「紐付け」したはずの「保険証」情報がクリニックに届いていない。それにみているとわが主治医は、相変わらず手書きの「カルテ」だよ。古くからの「私の体調記録」らしく、「*年前に急性心筋梗塞で市立病院へいったね」などと書き込んである。山歩きをしているということまで書いてあるようだ。ま、私より一回り若い医者だから看取ってくれると信頼しているけどね。マイナ保険証でなくても、十分アナログで主治医は務まっていますよ。
 そもそもデジタルを構想するのであれば、アメリカがゴア副大統領の時に全土にネットワークを敷き整えたように、国家が命令するに相応しい体制転換のインフラ整備を大がかりにやらなくちゃあダメでしょうが。それを、民間の競争に任せて整備しようなんてケチな了見を起こすから、いまだにNTTだKDDIだyafooだとアンテナ争いだけで。ずいぶんとつまらない費用を庶民は大手企業に支払う羽目になっている。
 もともとそれが狙いといえば、ま、それはそれで達成されているわけだけど、その分、お役所のデジタル化の方は、遅々として進まず。だって、アナログで十分やっていける程度の規模の地方自治体は、大枚はたいて、中央政府の情報収集に協力するいわれはないわよっていいたいくらいじゃないかしら。
 今ごろ「マイナカードの義務化」をいうのが、如何におかしいか。このブログでも1年前に愚痴をこぼしている。
《「失われた*十年」の意味すること》(2021-12-14)
《経済脳になってしまった統治》(2021-12-16)
 と更にその1年前の
《進む技術、遅々たる社会的手順》(2020-12-13)
 では、30年前の仕事現場でもデジタル化のことを記している。
 そうやって振り返ってみると、このブログを始めてからも16年目に突入している。私がeメールアドレスを取ってから30年ほどになるか。私に遅れるようでは、ホントに日本のデジタル化はダメだよ。お粗末だよと、わが身のアナログ育ちにつくづく閉口しながら、思っている。ホントだよ、河野クン。


溜めが利かない

2022-11-29 06:19:21 | 日記
 モンティ・ライマン『皮膚、人間のすべてを語る』(みすず書房、2022年)を、まだ読んでいる。少しずつ、毎日不思議を感じながら読む。記述されたメカニズムを私は、実はよくわかっていないと(なぜか確信に近い感覚で)思っている。ただ全体イメージが、何となくつかめて不可思議さに満たされて「ワタシ」の身を感じる。もうそれだけでいいような気がしている。
 30兆個もの細胞がワタシをつくってるんだって。最大それに3層倍する微生物が、細胞のあちらこちらにくっ付いているっていう。えっ、100兆個だよ。そりゃあ凄いね。そんなにたくさんのウィルス規模も含めた微生物の棲み家にわが身がなっているなんて、どこに潜んでいるんだろう。ライマンさんは、皮膚の表面の凸凹の合間に潜むシラミのことも書いているから、微生物採集の旅にも出たのだろうか。
 おっと、細胞や微生物を、一個二個と数えていいのか。生物学の研究者はウィルスなどのことも一頭二頭と数えると、昔、本で目にした記憶がある。とすると、30兆頭の細胞と100兆頭の微生物が一頭のわが身に潜んでるってワケか。わが身も大宇宙だな。
 その記述の中に、アトピー性皮膚炎のことを書いている件があった。むろんいろんな食品が作用もするらしいのだが、赤ちゃんの時に「おしりふきを使いすぎて石鹸成分が肌に残り、脂質のバリアが乱れる」とあったのには、驚き以上の衝撃があった。「おしりふきやウェットティッシュがどこまで関係しているのかはまだわかっていない」と断っているから、決めつけているわけじゃないが、思わぬ伏兵って感じがした。
 そうだよね。80歳になったわが身さえも、子細にみればよくわからないことだらけだ。昨日、冬タイヤに履き替えた。今の車に変えた8年前までは、タイヤの履き替えは自分でやった。今の車になってからはタイヤ館へ持っていって、やって貰うことにしてきた。履き替えて家へ夏タイヤを持って帰り、庭に入れて、車を駐車場へ戻しに行こうと思ったとき、尿意を感じた。ま、まだ保つだろうと車を駐車場に置きに行ったが、帰ってくるときには、走るように戻ってトイレに駆け込んだ。感じてから、催すまでが驚くほど短くなっている。なぜこうなるかわからないが、膀胱の溜めが利かない。ほんのつい先頃、70代にはまだまだ溜めが利いたように思う。機能的な劣化が発生し始めている。短くなるが身近になる。
 カミサンに話すと、「そうよ、赤ちゃんも年寄りも、お漏らしの世話、って言うのよ」と笑っている。そうか、女性って強いなあ。こんなことで驚いたりしないんだ。わりとライマンさんのように、「おしりふきやウェットティッシュがどこまで関係しているのかはまだわかっていない」とクールにみているんだ。これも凄いねと、感じ入る。
 午後、録画したアニメを一本観た。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」、事件後の京アニ制作の作品という。カミサンは劇場で観たそうだ。主人公が、彼の人と会いたくてしかし会えないとわかって、船に乗る。ああ、ここで終わりだと思って私はトイレへ立った。だが、エンドロールへ入る前に、その後のハッピーエンドへの道行きが、これでもかとばかりに描き込まれている。う~ん、リアルとセンチメンタルとは違うんだよなあと思いながら、でも、こうやって、亡くなったアニメータのことを心裡で落ち着かせなくちゃならない人もいるわなと、エンディングはどうでもいいように思っている。
 夕食に蕎麦を打った。左手掌がうまく動くかどうか。年越し蕎麦が打てれば、先ずは今年もうまくいったと笑って過ごせそうだ。信州の蕎麦。はてどこで買ったろうか。まだ痺れの残る左手掌を使って粉を捏ねる。水をケチるように少しずつ加えて、頃合を測る。何となくうまく運んだ。延べると結構大きく広がった。1分40秒、湯がく。うむうむ。うまくいった。腰も強くいいできあがりだ。天ぷらの掻き揚げが美味しい。左手掌の中指の第二関節が痛む。ま、この程度なら無事に年は越せそうだと、まだ十一月なのに、年越しを思った。


やはり野に置けモミジやカエデ

2022-11-28 10:12:30 | 日記
 承前。2日目、つま恋リゾートを出発するのは8時15分。ゆっくりであった。そうそう、とんでもない失敗をするところであった。朝食に行って部屋に戻る時間があまりないことから、大きな荷物をフロント前に預けるとしていた。だが、わりと時間はゆったりとあり、歯磨きやトイレもあって一度部屋に戻った。出発時間になってバスに乗ろうとしたとき、カミサンがバス・トランクの荷物を確かめなくちゃと覗き込んだ。
「ないよ」
 という。えつ、自分で持ってくるの? と聞くと運転手がそうです、と応える。慌ててフロントのところへいくとポツンと一個だけ私のキャリアバッグが置いてある。あぶない、あぶない。そう言いながらバスに戻るとカミサンが、
「キーは戻した?」
 と聞く。ああ、そうだ。ポケットに入れたまんま。キーをフロントへ持っていく。ま、こうして無事に出発したのだが、大分ワタシは怪しくなっている。
 掛川から大井川に沿って遡る。大井川がこんなに幅の広い川だとは思わなかった。いま水の流れているところは細いが、砂地が広がっている。上流にダムもなく、雨の多い季節ともなると越すに越されぬ川となったのであろう。何度も山をくぐるトンネルを通過する。一行は17人、中型のバスであるわけが分かる。すれ違うこともできないところが随所にある。2時間ほど走って大井川鐵道の千頭駅につく。ここは大井川線と井川線の乗り継ぎ駅。井川線はアプト式鉄道になっており、この千頭駅で車両も代えなければならない。バスはしかし、更に奥へ向かい、接岨峡温泉駅近くまで私たちを運び、そこから千頭駅へ向かう井川線に乗せる。接岨峡温泉は南アルプスの最深部・聖岳や荒川岳、赤石岳などから流れ出る大井川の源流からの流れを受けた畑薙ダムの下流に設えられた井川ダムの下にある盆地状の集落。ここにもお茶畑がある。鉄道は1時間に一本くらいの割合で、更に奥の井川まで往復している。
 私たちはトロッコ電車(と呼ばれている)でひと駅だけ、わずか6分ほど乗って、奥大井湖上駅で電車を降りる。ここは大井川が大きく蛇行しているところへ天狗石山の稜線が突き出している先端部分に、少し下流の長島ダムにせき止められた湖を渡る橋を架け、ポツンとひと駅設けているだけのところ。駅舎の上には「湖上駅cafe」が置かれているだけだが、観光客が押し寄せているせいか、駅員が二人ホームにいて整理に当たっている。線路に沿って湖上を歩く歩道が設けられ、駅から50mくらいの標高差を上る階段のついた遊歩道がある。それを伝って対岸の上の方を走る道路に出たところでバスが待ち受けているというコース。遊歩道は往きと帰りの人でごった返している。風もなく、雨の予報を裏切って曇り空。薄日が差して、最高気温12度といっていたが、寒くもない。
 バスに乗り、少し千頭よりへ戻ったところから西の方へ道をとり、寸又峡へ向かう。行ってみて、行く前の私の記憶に勘違いがあったことに気づいた。昔南アルプスを縦走したとき、その日本百名山の最南端を聖岳と思っていたのが、じつは光岳であった。光岳を下山して、寸又川の左岸を21km歩いて辿り着くのが寸又峡であった。
 そのときのイメージでは小さな集落と思っていた。ところが入口のバス停は広く、旅館や土産物屋が軒を連ねる。結構賑わいのある山間の集落。15分ほどは食べ物屋や温泉施設のある町歩きの感じ。中ほどのお店で、炊き込みご飯の握り飯を売っていたので、それをお昼にしようと勝手リュックに詰める。お兄さんは、「この町(のウリ)は温泉だね」と言っていた。1968年の金嬉老事件で立てこもった旅館のことを訊ねると、お兄さんは「ああ、そこだよ。左っかわ」と指さす。事件後人手に渡ったが、手入れはちゃんとしてあったそうだし、金嬉老自身、「ずいぶん迷惑をかけた」と恐縮していたと話してくれた。西側の広い庭に向いた明るい家であった。
 ほどなく町が切れるところにゲートがあり、その先が寸又峡のハイキングコースになっている。大間ダムもあるから、作業従事者の車は通過しているが、一般の人はゲートをくぐって、「環境美化募金」の寄付をして「寸又峡プロムナードコース」へ踏み込む。
 寸又川の源流は光岳とあるのに、おにぎり屋のお兄さんはすぐ西側の山を指さして、光岳ってそこだよと言う。昔あった登山路も今は廃道だとつけ加えた。えっ、下山して歩いて21kmだったはずと私は返すが、自信たっぷりに「そこだよ、そこ」と繰り返す。あとで駐車場に「山岳図書館」というのがあったからそこへ入って地図を調べてみた。やはり私の記憶通り。光岳はやはりう~んと上流。寸又峡の右岸へ出て来るルートになっている。
 川の上流に天子トンネルがあり、それをくぐったところに大間ダムがあり、湖は「チンダル湖」と名がついている。チンダルってなんだ? この湖の色がエメラルドグリーンやコバルトブルーに見える現象のことを「チンダル現象」と、イギリスの物理学者の名前を採ってよぶらしい。その湖の湖上に吊り橋が架かっている。「夢の吊橋」と名がついているが、目下そこへの通路が崩落して通行止め。ただ上の散策路から湖面が見え、そこに架かる長い吊橋が一本、見える。木の間越しにみえるそれは、ヒロハカツラやミズナラ、コシアブラ、メグスリノキなどカエデの黄葉に彩られて、美しい。昨日の寺社に似合うのは紅葉の方で、やはり野に置け黄葉やカエデってことか。
 往復2時間ばかりの散歩道。杖をついた人や二人の人に両腕をかかえられた女性が奥の飛龍橋まで歩いて往き来している。湖側もさることながら、山側も急なガケ。落石防止の金網が二重に張られている。所々、大きな穴が空き、崩落が止まらない気配を感じた。
 更にその奥の尾崎坂展望台までは健脚の方だけとガイドは言っていたが、飛龍橋から片道10分くらいのところ。その先は、「工事関係者以外は通行禁止」とあり、扉で閉鎖されていた。驚いたのはその展望台のトイレ。新しく、ウォシュレットであった。大学生だろうか、若い男の3人組や小学生の子ども連れの親子などが元気に歩いてきていた。
 この日の歩行は、21700歩。16kmになった。今年の黄葉・紅葉は少し早いとガイドは言っていたが、寸又峡の黄葉はちょうど頃合いも良く、色合いも見事であった。そうそう、紅葉・黄葉について一つ感じたこと。お寺や神社もそうだが、野に置いても黄葉・紅葉が見事なのは、切り取り方によるのではないか。寺社の建物や樹林、野に於ける木の間越しや湖の色合いと形、あるいはメタセコイヤのすっくと立ち聳えるような黄葉が背景の緑の山肌との対照でひときわ美しく映える。それにわが美意識がくすぐられているのではないかと感じた。面白い旅であった。


寺社には紅葉がよく似合う

2022-11-27 15:28:10 | 日記
 一泊二日で静岡県の紅葉狩り。初日は県西部のお寺と神社を巡る。気配では、浜名湖近くにまで脚を伸ばしたようであった。だが森も山もまだ、緑々している。遠州森町と聞いてすぐに石松を思い浮かべたのは、やはり戦中生まれ戦後育ちの広沢虎造浪曲世代だからか。なんと大同院の入口には森の石松のお墓がある。そればかりか、本堂にお参りすると、三度笠を被った森の石松のミニチュア銅像が、ご本尊というより前座を務めるかのように鎮座している。曹洞宗って、武士の心構えかと思っていたが、任侠の世界も組み込んじゃうって、オモシロい。こんなに自在なわけ?
 とはいえ、境内に入るとしっかりとモミジが彩りを添えて、本堂の後ろに控えるお山の深い緑を背に、世の移ろいを象徴するように、淡く儚く美しい。鐘撞き堂の四隅の支柱の合間から覗く黄色と赤に染まった木の葉が日差しに照り輝き、梵鐘の暗さと見合って見事な情景を演出する。カエデの仲間が植栽に用いられ、緑の森の中に見事に映える。あるいは、本堂の高見から石段下を見下ろしたときの木々の合間を彩る赤や黄色の葉の色の見事さ。紅葉はやっぱりお寺さんだなと思った。
 次に訪ねたのは、そのすぐ近くの小国神社。ガイドが入口の紅葉が一番ですかねと言っていたとおり、鳥居をくぐるとほとんど紅葉は、ない。神と人の仲立ちをするという鉾執社(ほことりしゃ)の祠の脇に小さなイロハモミジが一本。広い池の中にかけられた朱い神橋のを場に黄色く染まるカエデが二本という具合。代わって、樹齢が一千年という「大杉」が「御神木」の名を付されて何本も屹立する。そのうちの一本は昭和47(1972)年の台風で倒れ、切り払われた大杉の、周囲9mの株が残されている。切り株の上に檜皮葺きの屋根がかけられ、その屋根に草生す苔がびっしりと生えている。こうやって樹齢に相応しい処遇をするのだと思った。またぽつんとオオモミジが朱く染まって一本立つ。
 初めは何本かの木が大きくなるにつれて合体し、絡み合い大木になった「ひょうの木」というのがあった。説明書きには「イスノキ」とか「ユスノキ」と呼ばれるというので、ああ、檮の木だとわかった。高知県の檮原町の名の由来となった木だが、その由緒由来が「古事記」などから説き起こされて記されている。
 本殿も人が列をつくって参拝しているが、ここも紅葉らしき彩りはこれといって、ない。信仰心がない私は、なんでここが「紅葉見物」の舞台なのかわからないなあと思いながら、表参道を外れた小川沿いの道を戻ろうと東の方へ寄って、驚いた。
 小川の上流からずうっと覆い被さるように黄色と赤に染まる紅葉に覆われ、少し西へ傾いた日差しが差し込んで、ひときわ彩りを輝かせている。そのまま帰路に着くのが惜しく、上流部へ踏み入り、石伝いに小川を渡って対岸の小径へ上がり、そちらの森を抜けて駐車場の方へ降りていった。イヤなるほど、これは見事。紅葉は寺社に似合うと、神社もつけ加えた。
 最後の訪ねたのは油山寺。真言宗智山派のお寺さんという。筆塚もあり、そうか、弘法大師は三筆の一人だったと思い出す。奥へ奥へとガイドは行けという。「一万年の極盛相」と銘打つ「天狗谷の自然林」へ分け入り、最上段に瑠璃光如来の幟旗を掲げた薬師如来をご本尊とする金堂が甍を聳えている。途中の滝の水で眼を洗うと眼病にも効くといい、「足腰の守護神」を標榜する大権現も祀られている。庶民信仰の願いを全部引き受けて御利益を授けてきたようだ。
 こうして効用/紅葉巡りをして宿に向かったのが、掛川のつま恋温泉。いや、話を聞くまでここがあの吉田拓郎やかぐや姫や中島みゆきのつまごい音楽フェスティバルの会場とは知らなかった。ずうっと群馬県の嬬恋村を会場としているとばかり思ってきた。聞けば、ヤマハの設えたリゾート地だとか。東京ドーム何十個分という広大な地域を開発して宿泊施設ばかりでなく、ゴルフ場やテニスコート、ゴーカートから野外フェスを行う広場など、ゆったりとした場を設けている。宿泊施設も、露天風呂へ行くのに巡回バスに乗ってゆくという。もう暗くなった時刻に着いたために私は館内の大浴場にいったが、それも、南館から北館までフロント間を通って600mほど歩くという遠さ。こういう場を宿につかうのなら、それこそ連泊して、どうぞ、ごゆっくりというのでないとイケナイ。
 こういう遊びに縁のない暮らしをしてきたのだなと、わが人生の偏りを発見した気分であった。(つづく)


もうひと遊び

2022-11-25 06:12:44 | 日記
 勤労感謝の日は一日中の雨。父ちゃんも母ちゃんも、子ども連れで遊びに行くことはないよ、ゆっくり骨休めしなさいっていうお天道様の思し召し。いや、とんでもない。家に居る方が大変なんだよ、子どもってとぼやく声も口をつく。
 私ら爺婆は、遊んでくれる孫もいなくなって、ひっそりと昔の勤労を感謝して過ごした。そうそう、ちょうど夕方に五一ワインの新酒が届くと、電話があった。いいねえ。半世紀ほどのお勤め、ご苦労さんってさ。こんな日に届くなんて、洒落てるじゃないか。
 赤3本と白3本の半ダース。ならば鍋なんていわないで、白なら寿司、赤ならピザ。ピザがいいなとカミサンは言っていたのに、午後になると寿司の方がいいという。どうして? 北本の昆虫観察ついでに植物観察の下見をしてきたカミさんは、お昼代わりにチーズを食べたりしたものだから、胃袋はすっかり西欧風になっちゃって、イタリアンはもう結構と身が言っているそうだ。
 じゃあ、寿司にしよう。私の好みの新鮮寿司魚屋がある。新潟の漁港から直送していると声高だ。家から2.5kmほどのところ。雨が降っている。ちょうど歩いて往復すると1時間ほどでうまいお寿司を買ってくることができる。
 というワケで、買い出しに行く。風がないせいで、傘を差してとぼとぼと歩くのは、心地が良い。人気もないのが、余計好ましい。寿司魚屋は混んでいた。駐車場に入れない車が片側二車線の歩道寄りの車線に長い列を作っている。私は、何と何を買うか決めているから、混雑の中を、ハイごめんよと言いながら、寿司の陳列に向かい、人群れの隙間に割り込んで、お目当ての品をちょいちょいちょいと籠に入れる。醤油やガリ、山葵は勝手に取って行けっておいてある。手が届かない。
「あっ、ごめんよ。ちょとそこの山葵と・・・」
 というと、隣にいた、やはり買い物客のオジさんが
「ハイよ、これくらいでいいかな」
 と適当に摑んで、ぽんと私の籠に入れてくれた。この受け答えといい、摑んで入れる動作のテンポといい、まるで落語でも出て来るみたいに気持ちの良い遣り取りであった。江戸に戻ったみたい。
 会計を済ませ、荷をリュックに入れ、まだ5時にならないというのに暗くなった片側二車線道路の歩道をさかさかと歩き、人気の途絶えた脇道に入ってからはとぼとぼと歩く。水溜まりを避けながら右に左に足元が揺れて、何だか雨に唱うって曲が頭の中で響き始める。
 帰宅すると、ちょうどワインの配達が届いたところ。まだ5時だけど、夕食にするかとワインを開ける。TVはちょうど大相撲の中継をやっている。ニュースは夜のワールドカップ、ドイツ戦の予想や宣伝で浮かれている。カタールの会場づくりで3700人を超える作業員が死亡したのに抗議して、ドイツが腕章をつけてゲームに出ようとしたのを、FIFAが禁じたという報道もニュースになっている。何だFIFAも結構IOC同様に、金権主義なんじゃないか。スポンサーに気遣ってビールの提供はカタールの反対を押し切って実施するとも言う。なんだかねえ。
 そして一日明けた朝、早く起きていたカミさんが「ドイツに勝っちゃったよ」と新聞を見ながら私に告げる。ドイツはすっかり、やる気をなくしちゃったんじゃないかね。それに気づかないで、日本はつい勝っちゃったんじゃないかなあ。それもつまんないなあ。
 サウジみたいに祝日にしてくれと、ねぼけまなこの勤め人がぼやいている。何言ってんだよ。サウジの皇太子が何をやったか忘れたわけじゃあるまい(えっ? そんなこと知らねえよってか)。口にするのも、汚らわしいと熟睡した私は言ってやりたいが、アメリカ・バイデン政権も、彼の皇太子がサウジアラビアの政府の首班になっちゃったから、当面ジャーナリスト殺害のことは問わないとさ。ドイツもコイツも。
 天気は良い。風が少し強い。カミサンを町中の公民館へ送り、車を駐車場に置いて私は、自転車でリハビリへ行く。北風に逆らって自転車を漕ぐ。何のこれしきと思うだけで息が切れる。年をとったねえ。
 病院は静かだが、ひとで溢れている。リハビリ士のお兄さんは手掌の固着した線維をほぐすのにいろいろと工夫をしてくれる。医師はほとんど、そういうアフターケアに関心がないのか、首を傾げるだけ。何となく、回復力を失っているわが体がダラシナイと非難されているように思う。医者よりリハビリ士の方が、遙かにわが身のゲンジツに寄り添ってくれている。これって、何よ。医療って、何よ、と思う。
 帰宅してお昼を済ませ、一泊二日で遊びに行く準備をする。カミサンが長年行きたいといっていた寸又峡。一つは金嬉老事件で名を知った。もう一つは、南アルプスを縦走し、最後の聖岳を下山して20km歩くとこの寸又峡に着く。この行程をカミサンの百名山に付き合って一緒に行ったのだが、生憎というか、うまいことというか、聖岳で一緒になった単独行の登山者が、クルマできているから伊那側に降りれば鉄道駅まで送るよと声をかけてくれ、つい日和って寸又峡はお預けになった。そのリベンジ(?)ってわけ。
 おっ、時間だ。ではでは、行ってきます。