mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

縁の下、行間の力持ち

2023-06-03 09:52:05 | 日記
 なにかイベントを行うというとき、細々とした手順や手続きがあり、イベントの目的とするところを触り無くスムーズに運ぶ準備が整えられます。イベントにはメインの方がおり、そこに参集する人々もまた、メインの方を軸にやり取りをして、メインの方のモチベーションを刺激し、ときには思わぬ盛り上がりを作り上げてしまうこともあります。ヒトの集団というのは、こういう相互性を常に含んで相乗作用をしながら意外性を楽しむという技まで生み出してきました。それがライブの醍醐味。つまり、動態的関係を身が実感しつつ生きていることを確認することが、また、生へのモチベーションを上げていくってことになるんですね。
 もちろんイベントと言っても、お祭りのような派手派手しい出来事を指しているわけではありません。ごく坦々とした日常的なルーティンも、手順や続きが身の習いとなって無意識に運ばれていますから気づかないだけ。意識化してみると、そこでの関わりが、ともにそこにいるものの結び付きを強め、気風を生み出し、達成感や充足感の厳選にもなるわけです。
 それらを「縁の下の力持ち」と私たちのご先祖さんは言い習わしてきました。
 これらの「縁の下」が、市場経済の元では「仕事」として分業化され賃金を対価に行われるようになってからは、「ちからもち」などと評価されることもなくなり、スムーズに運べて当然の業務となって、振り返ることも。振り返られることもなくなってしまいました。でも、大きなイベントになればなるほど、壮大な「裏方」が活躍して表舞台を支えていることが思いやられます。大きなイベンろのそれらは「専門職」化して、これまた、それぞれの道の奥義を究めることへと進化しているのでしょう。
 ところが、市場経済に乗るようなイベントではなく、市井の庶民が行う小さなネットワークの集いにも、規模こそ違うが似たような裏方の運びがあります。何人かの集まる食事会、何かを祝う会や少人数の研究会などなど。これらは暮らしの中で始終行われていますから、自生的秩序とでもいいましょうか、人と人との間に無意識に形作られる「力関係」を背景にして決めるともなく担当者が決まり、繰り返し進められていきます。「日取りの設定」「会場予約・設営」「案内」「連絡」を担当するのが縁の下です。
 欧米では自宅に招いてパーティを開くことが多いと聞きます。かつてボストン茶会事件という米国独立のきっかけとなった出来事があったと学校で教わりましたが、この茶会というのがティーパーティであるとわかり、その日本語訳が「茶話会」であったと知ったとき、日常的な庶民の「茶話会」が独立運動にまで繋がっていたアメリカ庶民の先進性というか、前向きな姿勢に感嘆したことがあります。日本人は、このようには「暮らし」と「政治」の関係を体感していな、と。
 それが、経済的な高度化のおかげで私たち年寄りも、じょじょにティーパーティをもつようになりました。ことに高校の同期生の在京組が、古希を過ぎて定期的に集まるということになりますと、この世代の共通感覚もあって、事務局を決め、定例会の期日をおおよそ定め、あとは運営者に「よしなに」といって任せてしまいます。お気楽でもありますし、手順手続き・連絡などにネットを駆使すれば、わりと自在に運び事ができます。
 ところがその事務局の担当者が交代することになって、裏方と言うか、縁の下と言うか、行間の運びに異変が起こりました。いや、起こったと言うよりは、これまで表面化しなかったことが表に出てくるようになったのです。その一端は、「seminarの店じまい」としてこの欄でも紹介してきました。事務局が店じまいをすることになり、代わって、同期生の交流の十字路を担ってきた一人の読書人が言い出しっぺの一人が(責任を感じてか)「俺が会場確保や連絡をやるよ」と乗り出しました。ところが、同じ同期生の奥さんが「このひとはな、耳も遠くなってそんなことできゃあせんが。結局私に負担がかかるんじゃ」と異議を申し立てた。しかしご亭主の方は「いや、パソコンも見るよ。大丈夫」と見栄を切り、「じゃあ、もし何かあったらこちらが(耳の代わりを務めて)補助するわ」と、別の同期生が名乗りを上げて、隔月の集まりを継続することとなった。それで私は、11年の事務局担当から開放されることになった。
 その新規担当の補助同期生から「困っている」と相談メールが届いた。新事務局の十字路ホスト役が予約した会場が、公的な会合で使用することになり、日取りの変更をしてくれないかと連絡が入った。それが「補助役」の人に届いた。そこで、どうするかホスト役に電話をかけたら奥さんが出て、「そんなことそちらで決めりゃあええが」と言って、取り次いでくれない。どうしたもんだろうという相談であった。
 新規事務局を決めるとき、店じまいする事務局として私は黙って聞いていたが、ホスト役の言い出しっぺは、ひょっとするとこれをきっかけに、閉塞そのものへ向かっている身体事情を切り替えて、気分復活の緒になるかもしれないと思っていた。目が悪くてパソコンをみなくなったとか、耳が遠くて、外界とのやり取りがめんどくさくなったといっていた彼が、「責任感)からパソコンを見るよと言ったからだ。「補助者」が決めれば、簡単に済む。だがここはとことんホスタ役に決めさせたほうが、彼にとっても、その奥さんにとってもいいはず。閉塞しそのせいもあって頑固になる。これは夫唱婦随である、婦唱夫随である。だって半世紀以上も連れ添ってくれば、飛躍連理とまでは言わなくとも、互いの有り様はどちらかのせいではなく、共有する壁/壁である。そうした事を行間に見ながら、還暦語の様子を見ていて、古希以降の十年余を過ごしてきた。
 いい機会だ、そう思って「補助役」に返信した。その仔細は、折を見てまた後ほど記しますが、こうした行間の「煩わしいこと」がじつは「裏方」の担っている役割なのだと思った。ただ単に事務的な運びだけではなく、こうした実務的な気遣いがグルーピングの気風を作っていくのだと、寄る年波と人の変容と関係の固着に思いを致して考えているのです。