mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

クラウドベース資本主義

2017-05-23 17:00:38 | 日記
 
 ケイタイぐらい使わないと困るなあと思い始めたのは、公衆電話が街角から消えはじめたころ。もう15年ほど前になる。それがいつしか、今のうちにスマホにも慣れていないと、これから先何かと不便なことが多くなるよと言われるようになった。そうしてやっとスマホを手に入れ、せいぜいGPSと地図を使って、山歩きの迷子防止に利用している。ところが私がそうしている間にも、世界はもうすっかりスマホ全盛になり、社会的な交換経済の末端が変わりはじめているという。
 
 アルン・スンドララジャン『シェアリングエコノミー』(門脇弘典訳、日経BP、2016年)を読んだ。インターネットの発達と普及によって、持っているが常時使ってはいないものを他の人が利用できるようにしようという「事業」が欧米では盛んに広がっているらしい。たとえば日本では、2020年のオリンピックに際して宿泊所が足りなくなるから「民泊」をできるようにしようと「法制度の改正」が慌ただしいが、そんなものではないようだ。エアービーアンドビーというのは、エアーベッドを持ち出して「B&B」のサービスを提供しようという若い人の発想から広がり、アメリカばかりかヨーロッパなど世界中に広がっているという。世界各地のサービスの提供者とairbnbというプラットフォームになるネットワークと利用者が情報を交換し、利用を申し込み、わが住まいを安く提供する。この事業に投資される資本が24億ドルにのぼっているというのも驚きである。じっさいに本書の中で図示されるairbnbのニューヨークにおける展開状況をみると、ホテルの集中するマンハッタン地区以外での広がりがすごい。あるいはウーバーというネットによるタクシーの配車サービスが世界の450都市に広がり、個人所有の車まで利用できるようにしているところもでてきている(ちなみにウーバーへの投資は86億ドルに達しているというから、ものすごい広がり方だね)。「P2P」という個人対個人の「物の貸し借り」もネットワークを駆使して地区ごとに有料で融通し合っているとか、農産物を生産農家がネットの掲出し、買い手が注文して週に2回「集まり」をもって、地区の「集まり」の世話役とネットの管理者にそれぞれ8%の支払いをし、その他は生産農家の所得とするということまで、はじまっている。個人事業主になる人が増えたということではあるのだが、ただの市民が、自分の使っていない間のものをレンタルに回したりする。小遣い稼ぎにもなるし、そもそも箪笥の肥やしにしておいたり、駐車場の場塞ぎにしておくよりは、はるかに社会的に役立つ。それがまた、暮らしのかたちを変え、新しい人と人とのネットワークをかたちづくり、コミュニティが広がる。
 
 ネットワークというグローバリズムと、貸し借りという地域限定のローカリズムが「場」を得て、ものをシェアするという暮らし方である。スンドララジャンはいろんな形態のシェアリングエコノミーを取り上げ、それがクラウドベース資本主義になっていくと論陣を張る。クラウドというのは「雲」かと思っていたらそうではない。「大衆」ということらしい。つまり、これまでの規模を競う資本主義と異なり、大衆が自ら事業主として「シェア」できるものを提供し、あるいは需要者として利用していくことで、市民の関係も変われば、所有の関係も変わると、壮大な、世界的展開の事例などを紹介し、その抱えている問題点を一つひとつ俎上に上げて論じている。
 
 もちろん投資のかたちも変わる。これまでのように、個人が所有して使うのは週に1度とか、長期休暇をもらったときの、年に2回ほど。そういった「所有」を、使っていないときにシェアすることによって、社会的に有用な資産にしていこうという発想は、面白い。しかもスンドララジャンはお金儲けというよりも、社会的に有用なサービスの提供という発想がコミュニティの形成には有効に働くと力説している。その通りだと思う。
 
 だが同時に、そのようなコミュニティにするには、もう一つふたつ越えなければならない「民度」のハードルがある。つい先日どこかのTV番組で観たのだが、中国で広まっている自転車のシェアの実態。乗り捨てにする、自前の鍵をかけて個人所有にしてしまう、川に投げ捨てる、改造して壊してしまう。どのような管理体制にしているかわからないが、シェアをして使うにはあまりにも粗末な扱い方に、驚かされた。日本の「民泊」にしてからが、マンションの貸した部屋でどんちゃん騒ぎをして近所迷惑であるとか、ゴミ出しの仕方が悪いとか、苦情が頻出しているという。文化的な質もそうだが、社会的な格差が広がり、貧困層がどこにもって行きようもない鬱屈を抱えて日々を送っている状況をまずどうにかしないと、単にシステムの構築と管理監督と取り締まりの強化だけでは、コミュニティの「かんけい」はつくりだせない。その点では日本も、先行き不安な見透しにあるのではないかと、私は懸念している。
 
 スンドララジャンのいう、社会的に有用なサービスを、貸す方も借りる方も気持ちよく利用できないと、やっぱり大手ブランドのサービスには敵わないということになる。もちろん敵わなくていいのだが、安かろう悪かろうでは、社会的な有用性さえ疑われてしまう。小遣い稼ぎでは、やはり、やってはいけないのが「サービス提供」なのではないか。まだまだ時間がかかるかなと思った。
 
 さて明日から一週間ほど、モンゴルへ行ってくる。昨年に続き二度目のモンゴル。今年は東北部、あのノモンハン事変のあったハルハ川の近くの町、チョイバルサンの周辺を主として見て回る。鳥観の達者たち7人と行を共にする。さてどんな旅になるか。
 
 そういうわけで、今度お会いするのは、月が替わってからになりましょう。ではでは、お元気で。
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戦後の後の女一代記(下) お金の呪縛から解放される

2017-05-22 20:39:33 | 日記
 
 さて、Seminarのご報告を二回にわたって記してきました。ちょうど私たちが社会人になって現在に至るまでの、経済社会の中心に焦点を当ててsnmさんの55年ほどをたどったわけです。口を挟む方にも、それぞれの人の持つ、家族や、男や女に対するイメージや、お金に関する観念が混在して、踏み込むとなかなか多岐にわたって、己の戦後過程をたどるように思え、感慨深いものがありました。そのいくつかを拾い出して、書き留めておきましょう。
 
 Seminarが終わって会食に移る騒然としたなかで、どなたかとどなたかが言葉を交わしていました。
 
「いまNHKの朝ドラでやってるひよっこってあるでしょ。あれと一緒よ、私たちは」
「そうそう、昭和41年でしたっけ、あれは」
 
 昭和36年に高校を卒業して、すぐに就職した人たちもいましたが、大学へ進学した人たちが就職したのは、昭和40年とか41年でした。ドラマの「ひよっこ」は高卒後に東京へ就職した人たちが主人公ですから、私たちより5歳わかい。つまり、団塊の世代のトップランナーたちです。日本が高度経済成長へ向かっているさなか、定時制高校に就職した私の初任給は24000円。私が廊下に落とした「給与明細票」を拾った生徒が届けに来て、「こんなに安いのかよ。教師を辞めて俺の会社に来いよ。10万円だよ」と勧誘を受けたことをよく覚えています。インフレの進行に給料の改定が追いつかず、1970年のころにはボーナスがど~んと来て目を丸くしたことがあります。佐藤栄作や田中角栄が首相をしていたころです。でも私は、上から指図を受けることなくのんびり本を読んで過ごせる仕事がありがたいと思っていたので、毎年の給与改定を掲げる組合の方針に「ほどほどでいいんじゃないですか」と発言して、総スカンを食らっていました。
 
 話しはそれますが、私が教えていた定時制高校の生徒というのが、まさに新潟や福島、山形などから集団就職してきた「金の卵」たちでした。むろん中卒です。田舎に会場を設けて「地区PTA」というのを開くと、やってきた母親が「長男を高校へやれなかったから、娘を高校へ行かせるわけにいかなくて、就職させました。勉強の好きな子です。よろしくお願いします」と涙ながらにあいさつされて、言葉を失ったものです。彼らは四年間の定時制時代にお金を貯めて、半数ほどは大学へ進学していきました。私たちもそうですが、「ひよっこ」の主人公たちは(実家で高校を卒業しているのですから)、まだ恵まれた方だったと言えます。
 
 snmさんの「お金の話」がリアリティをもって伝わってきます。hmdくんは「snmさんは商才がある」と感嘆符をつけるように話していましたが、ほんのひと工夫、ふた工夫で、交換過程がお金を生み、それを蓄えておくだけでお金がお金を生む時代だったと言えます。ではhmdくんがいう「商才」とは何だったのでしょう。ひとつは、kmkさんが指摘していたように「岡山へ帰ってブティックをやったのが正解やった」といえます。snmさんが東京にいた学生時代にどのようにそれを磨いたのか興味がありますが、東京に四年間暮らすだけで十分、アパレル関係のセンスを磨くことになったのかもしれません。昭和36年から40年にかけては、VANやアイビールック、女性ではパンタロンとか、みゆき族やミニスカートの流行も見られました。つまり彼女が磨いたセンスが、当時はタイムラグをもって伝わっていた地方のブティック開業に、大いに役立ったというのが、kmkさんの見立てです。
 
 それにsnmさんの、問屋を介在させないで直に仕入れる、メーカーを開拓することが、利幅を大きくしました。「人の二倍働いて……」という構えは、私たちの世代に共通の「プロテスタントの倫理」です。さらに、着実に月々いくら貯めると決めてそれを貯金していくセンスが「商才」というものかもしれません。「節約」「倹約」の精神――ものを大事にする「もったいない精神」です。もちろん贅沢を知りません。
 
 時代はインフレ、預貯金の利息も7%~10%でした。7%だと複利計算で10年、10%だと複利計算すると7年で、預けていたお金が倍になります。「お金は借りない方がバカ」と言われていました。事業経営は、利益を次の事業につぎ込んで規模を大きくしていくのが面白いと言われています。だが、snmさんの商才は規模を大きくすることにこだわらなかったのが、良かったのかもしれません。鶏口となるとも牛後となるなかれ。小さくとも、自分の意思で取り仕切れる大きさを心得ていないと、ついつい大きく展開して行き詰ってしまいます。彼女の活躍時期と、日本経済の頂点にまで上り詰める時期とがちょうど符節をあわせていた。それを彼女は「幸運だった」といったように、私は受け取りました。TVの発達による「情報化時代」もすぐ目の前に来ていました。都会と地方のタイムラグも、まだ健在であったわけです。
 
 彼女はこだわっていましたが、ひょっとするとどなたかから「守銭奴」呼ばわりされたことがあるのかもしれません。だが「守銭奴」というのはお金を儲けることを指すのではありません。遣うのにケチでいぎたなく貯めることに執着するのを「守銭奴」と言ってきました。シェイクスピアの戯曲の登場するユダヤ人シャイロックのように、近代的な経済計算に徹している人を「守銭奴」と呼んでいたことがあるかもしれません。キリスト教やのちのイスラム教がいう「利息をとることは教えに違う」というセンスかもしれません。イスラム世界ではいまでもそうですが、でもいまは、出資している者たちが分け前を(出資に応じて)受け取ることは教えにそぐうと考えて、銀行業務などは欧米並みに展開しているのですから、今は昔の物語です。「守銭奴」と呼ばわるのは、お金を扱う人に対する嫉妬です。できれば自分にもそういう幸運が巡ってこないものかと思案しているヘイトスピーチです。
 
 経済計算ということでいえば、彼女は出入りをきちんと押さえれば、その間に貯まるものは貯まるという計算をきちんとしています。ご亭主が「だめなのよ、それが」というのは、出入りにこだわらず、「金は天下の回り物」という大雑把なとらえ方をしているのかもしれません。苦労知らずの育ちがいい人ってのは、えてしてそういうことに頓着しない。いつしか誰かが始末に走り回ってくれると、「周りの者」を信頼している、のほほんとしたところがあります。しっかりした会計係がいてくれて、かろうじて事業経営を続けている経営者は、たぶん、ごまんといます。それを、あれもこれも全部自分で取り仕切らなくてはならなかったところに、「女一代記」のすごさがあると思いました。
 
 途中から入室したmdrさんが「お金にしわい・強い女」というイメージで問いかけをくりだしたとき、「そういう文脈じゃないよ」と口を挟んだのは、お話を聞いた全体のイメージでは、お金にしわい」という雰囲気はsnmさんに微塵も感じなかったからです。むしろよれよりも、ご亭主の借金返済とは言え、貯めに貯めたご自分の財産を気前よく(なんでそれほどまでにして別れないのと質問が出るほど、別れもせずに)つぎ込んでいるというものでした。つまり、金離れがいい。お金の使い方を知っているというか、お金というものが天下の周りものだということを心得ているかのように、手放す。必要になれば稼ぐしかないという「天下の廻り方」を熟知しているような気配さえありました。
 
 なぜ別れないか。snmさんは照れて「気持ちがつながっていない」と決めていましたが、あとから矢継ぎ早に繰り出された質問に答えるうちに、ご亭主の人物像がだんだん描けるようになってきました。hmdくんが「魅力的だ」と言っていましたが、ご亭主の社会的な活動とそれへの評価、信用を保つというのは、生きていることの証のようなことです。snmさんは人というものが何もかも兼ね備えてオールマイティであるとは、ツユも思っていない。社会的活動に夢中でどこか抜けているところがあるご亭主の(愛すべき)見放せない人柄を感じているsnmさんが見えてきました。snmさんの人間認識のおおらかさといいましょうか、幅の広さはいまの時代にとても貴重です。自分自身が「見放せない」というのですから、ご亭主からすると、この上ないありがたい連れ合いってことになるでしょう。
 
 それら全体に共通して感じられるのは、古い言い方をすれば「連れ合い」「パートナー」の人格を自分とは別物だが、じぶんと切り離せない存在と認めることからはじまる。そのようにして二人の関係のおける自分の「位置」を定める。若いころに私は、自分のやっている社会的活動はカミサンも認めていることと思い込んでいました。1970年頃から2006年のころまで36年間、月に二回、土日に泊り込みで勉強会と機関誌の発行活動を行い、シーズンごとに合宿をし、全国を飛び歩いてきました。もうすっかり子供が大きくなったころにカミサンがぼそりと「あなたは私が保守的なのをいいことに(家事をすべて任せて)好き勝手してきた」といったのを聞いて、そうかそうだったのかと我が非を思い知ったことがあります。それまで私は、すっかりカミサンに依存して安穏と暮らしていたのですね。連れ合いとはいえ根底的なところでは「(お互いを)わからない」と知ることで、お互いのありようをそのままに受け容れることができるのだと、今にして思います。snmさんもそういったところに身を置いて、ご亭主をみているのだと思います。ご亭主もすっかりそれにおんぶしていると知らないわけではないでしょう。その「かんけい」が夫婦であり、kmkさんが言うように、年齢によって変わるものなのですよね。snmさん夫婦も「いいかんけい」なのではないだろうか。そう思いました。snmさんは、ご自分が稼いだ「お金」をご亭主の債務支払いに投入することによって、じつは「お金」の呪縛から解放されていたのかもしれません。
 
 「人に尽くす」とか「困っている人を見たら放っておけない」というのは、「利他的」として、人の倫理観の中の「不思議な」振舞いとみなされ、進化生物学の大きなテーマになっているほどです。snmさんの話を聞いていると、資本制の――お金を欠かすことができない社会では、snmさんの「利他的振舞い」が案外、生存戦略として一番有効なのかもしれないと思いました。
 
 後期高齢者に近くなると、お金の呪縛にとりつかれたままの人はうんと少なくなります。お金があってもどうにもならないだけではなく、それほどお金が必要ではないと思うからです。それよりも、お金にもそれほど頼らず、適度に人との行き来をし、おしゃべりをしながら元気に過ごすことのできる日常を幸せと感じる地点にやってきます。そんなことを具体的に感じさせてくれたSeminarでした。
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戦後の後の女一代記(中) お金の使い方

2017-05-22 15:20:25 | 日記
 
(承前)
 病気を克服したsnmさんはすっかり会社から手を引いていました。あるとき、証券会社に勤めていた下の子が親もとに戻ってきていいかと相談があった。もちろん悪くないと思ったのだが、ご亭主に話すと、会社はもうすぐ潰れるぞ、うちの会社で働くことはできないよ、という。
 
snm:2008年のリーマンショック後に中小企業金融補助制度ができて、保証なしで借金できるようになったのをいいことに、借り手があればいくらでも貸したいと考えていた銀行から、ご亭主は借金を重ねていた。その返済が限度に来ていたことを、初めて知った。そのとき頭をよぎったのは、妹の亭主がお金のことで首をつって死んだこと。娘たちの父親の首をつらせるわけにはいかない。
 
snm:呉服商を商っていた父親は始終お金の工面に奔走していた。むかしは「掛け売り」だったんよ。「通い帳」があって、それをもって回収に歩いていた。年を越せば払わなくてよいという商習慣もあったから、年末の「紅白歌合戦」なんか聞いたこともない。ときには子どもの私に「通い帳」をもって回収してくれば、それを全部お小遣いであげるよと言われたこともあった。呉服商というのは、扱うお金が高額だから、それだけ「掛け売り」の回収できないことは大きく響くのね。
 
(「掛け売り」が終わったのはいつごろ?)
snm:カード会社ができてからかな。そう、信販会社よ。
 
(今はどういう支払い方?)(たいていは90日後。請求が出るのが30日後だから、最長四か月後ですね、とiskくんが言葉を挟む。)
snm:それから後は、「回し手形」にして仕入れ先に支払うようにしたのだけど、手形で買うと高いのね。父親は生涯お金のことで走り回り、結局お金で死んだと思うとるんよ。だからお金では死ねん、そう思うたん。
 
 ともあれ窮地に立っているご亭主の会社の破産を避けるために、お金に振り回されるようになった。弁護士に相談して亭主名義の預貯金口座の名義を書き換え、老後に備えて用意しておいた屋敷の名義も書き換えて、司法書士に頼んで「(ご亭主が)破産しても差し押さえられることがないように」措置した。家も子ども名義にし、会社のビルだけ亭主名義にしておいて、4000万円いれて銀行保証を外し、月に110万円ずつ返済してきました。ほとんどsnmさんが養っている状態でしたね。
 
snm:銀行でね、直談判するんよ。男ってのは、すぐに要件に入らないで、時候の挨拶をしたり、遠回しに話したり、時間ばかり使うのよね。

(それはそれで、必要なことなんよ、とiskくん)
snm:亭主はお金がなくて、いつも借りる立場だから、銀行には腰が低い。でも私は返す方だから、単刀直入に本題に入る。銀行の係員は「貸してやってるんだ」と言わんばかりの口上を言うので、支店長にそれを告げてやったら謝るってこともあった。亭主は金勘定ができない。経済的なセンスがないのね。だから窮地に立つと、私が乗り出す。支払いも私が負担する。
 
(惚れた弱みね)
snm:いやそうじゃない。私は子どもが欲しかっただけ。だけど、子どもにとっては父親は父親だし、そこをきちんとしておいてやるのは、親の責任でもある。自己破産する道もあった。でも、破産宣告を受けると年金はもらえるけど選挙権がもらえない。
 
(いやそういう人がいるよ。私の同業者で、行き詰ると自己破産して、奥さん名義の会社を起ち上げて、同じ営業をするっていう人。二度も三度も自己破産している、とiskくんが言葉をつぐ。)
snm:東京のようなら都会ならそれはそれで平気で生きていけるでしょうけど、岡山の田舎町では、とてもそこで生きていくわけにはいかない。みんな顔も名前も知っとるんじゃから。
 
(どうして別れなかったの?)
snm:亭主は一人では生きて行けん。人助けかな。亭主とは生き方が違う。外面がいいの。亡くなった衆議院議員のH.R.が選挙に出るってときには、ひとつビルを建ててそこを選挙事務所にして、後援会長を引き受けたりする。いまの市長が初めて選挙に出るときにも、亭主がもっている〇〇党員の名簿をもとに全面的に後援をして、市長に押し上げる。いつかも言ったことがあるんよ。「そんなに選挙が好きなら、自分が出たら? 選挙資金くらいは出してあげるわよ」って。だけど亭主は、二番手がいいのね。自分が先頭に立つのは好みではない。裏方に徹して「頭」を乗せた神輿をかつぐのが好きなのよ。社会的な評価はすごくいいの。選挙の応援演説などもきちんとこなす。
 
(あっ、おれ、選挙演説しているのを見たことがある。すごく興味があるね、ご亭主の生き方。)
snm:でも、懐勘定はすっかりダメ。亭主のそういう生き方に私は干渉しない。好きにしなさいって。歳をとって気持ちがつながっていないというのはちょっと寂しいけど、それはそれで私が選んで来た道よ。つい最近、娘たちに父親の会社の破綻と債務支払いのことを話したら、「お母さんそれなら、離婚しなさいよ」と言ってくれた。でもねえ、この歳までやってきて、いまさらとも思うし……。
 
(あのな、夫婦ってのはな、75歳になったときと若いときとでは違うんよ、とkmkさんが口を挟む。むかしの同窓三人娘がつるんで遊んでいたころの気配が甦っているのかもしれない。)
 
(まるで古代ギリシャのポリスの市民みたいだね。一家に一人の「市民」がアゴラに集まって政治をする。戦争になったら武器食糧をもって戦いに行く人ね。それが社会的な活動。経済的なこと、うちの家計とか、どうやってそれを稼いでいるとかはプライバシーだから、奴隷をつかっていようとどうしていようと、それに触れないって時代の「市民」みたい。ご亭主が市民、snmさんは家計担当、つまりプライバシーだから裏方に回る。それでバランスがとれている。)

snm:う~ん。「男は信用」っていうでしょ。社会的な評判が「自己破産」しては帳消しになるよね。そういうのって、かわいそうでしょ。
 
(あなたは、面倒見るのが好きなのよね)
snm:そう。たしかに、人の面倒を見るのは好きですよ。みてられんのよ、しおれてる亭主をみるのは。
 
(でもねえ、snmさんのような強い女と結婚したいって男の人は思いますか? とつい先ほど遅れて入ってきたmdrさんが口を挟む。)
(しばし、…………。)
(そういう話の文脈じゃないよ)
(でも、「案内」の「お金の話」ではそうじゃない?)
(いや、あなたはお金を使う人、snmさんのいままでの話は、お金を稼いで借金返済に回す人よ。お金をみている立場が違うの)
 
(snmさんがお金を稼ぐ強い女だから、ご亭主がそれに依存して散財浪費するっていいたいわけ?)
(でも長年連れ添っていると、夫婦って似た者同士になるんじゃない?)
(う~ん、そうでもないよ)
 
****
 さて、いろんな方面へ「お金の話」が転がっていきそうな気配になって、終わりの時間が迫ってきました。snmさんは、こうした話をきっかけにして皆さんとお会いできたことがうれしいと、「まとめの話」をして締めくくりました。しかし、彼女の「半生記」は、ちょうど日本が高度経済成長を遂げ、バブルがはじけ、低迷する20年を超えて現在に至る、そのちょうど真ん中に生きてきた証言のように感じました。その出立点にあたる、高校卒業までの間にみていた風景が、私たちと重なります。その後の、大学へ行来、卒業してからの径庭は、人それぞれに異なりますが、でも親世代から受け継いで子どもたちへと受け渡してきたものには、同じものがあると、私は思いました。それらが何であったか。次回にそれに触れて、いくことにしましょう。(つづく)
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戦後ののちの女一代記(上) お金儲けが面白い

2017-05-21 20:34:15 | 日記
 
 5/20、第26回Seminarが開催されました。今回の講師は岡山から駆けつけてくれたsnmさん。お題は「お金の話」。事前に、親しい人から聞いた話をもとにして事務局の方で掲げました。彼女の商才が発揮され、ご亭主の億単位の借金を返済してしまったという武勇譚に刺激を受けたからです。はたしてどんな話になるかと思っておりましたが、意外や意外、戦中生まれ戦後育ちである私たち世代の、「女一代記」のようでした。といってもまだ彼女の人生が終わったわけではありませんから、一代記というよりも半生記というのが妥当かもしれませんが、「一代記」と呼んでもいいような一区切りのついたインパクトを持っています。
 
 高校を卒業するころは引っ込み思案であったsnmさんが、東京に出てきて同窓の女友達とつるんで遊んでいたことを「学生時代のことはお話しするのも恥ずかしい」と一言で片づけてしまいました。だが後の話を聞くと、そのときに身につけた感性や感覚・センスが、大きく影響しているに違いないと思われました。そのあたりはまた別の機会に伺うしかありません。
 
 大学を卒業した彼女は「東京に馴染めない」と岡山の実家に帰ります。東京で一緒につるんでいた同窓の女友達に一人はkmkさん。彼女は「東京におりゃあええのに」と引き留めたような口ぶりでした。そこを振り切った心裡の動きを、私は少し仔細に訊きたいと思いましたが、snmさんの話はテンポよく次へと転がっていきます。
 
「自活しなきゃダメかな」とまず彼女は思ったそうです。実家が呉服を扱う商売をしていたこともあって、小さな、インテリアのお店でもやろうと思ったそうですが、でも儲けがいまいち。街の衣料品を扱っていたお店の主人が病になって、お店を任されるようになったので、商工会議所の保証人制度を利用して三百万円を借りて、今でいうブティックの走りをやりはじめました。(snmさんのセンスがええんじゃ。ブティックなんてものはありゃせんかったからねと、あとでkmkさんが口を挟む)。問屋の品を仕入れて販売するというのでは利も薄い。仕入れ値が六割や七割を占めると、全部売れても3,4割の利。実際は売れ残りがあるから、もっと利益は少なくなる。それならと、岐阜や神戸、大阪へ買い付けに行き、人の倍働いて利幅を稼ごうとあちらこちらへ飛び回って、コレという品物を仕入れた。当時はほとんど現金決済だったので、腹巻に現金を入れて買い付け、品をかついで新幹線に乗って帰っていました。そうすると、目利きもあって2割くらいで仕入れて、8割を稼ぐこともできるようになる。メーカーも開拓する。「利は元にあり」といいますからね。仕入れが第一と考えたわけよ。お店がお休みの日は、ほとんど仕入れに歩いていました。
 
 ちょうどそのころ、街の主要産業である造船も景気が良くてね、会社帰りの人たちが立ち寄ってくれ、買ってくれるようにもなった。(それって、いつごろ?)1970年代の前半、私が30歳を越えたころよ。(そうか。高度経済成長のど真ん中だよね。オイル・ショックは1973年の秋だから、そこまではものすごい勢いだった)。中心街の玉橋もにぎやかでね。一時に10万円くらい買ってくれる人もいた。(そうそう、インフレ率もすごかった。物価の高騰もあったが、金利も7%~10%なんて好景気の連続だったね。少し前の中国みたい)。
 
 それで、毎月70万円ずつ貯金ができた。叔父さんが特定郵便局をやっていたから、いろんな名義を使って300万円限度のマル優制度をつかって(何口も貯め)、年に一千万円、それがたちまち三千万円になる。当時の預貯金の金利が良かったから、それが十年で倍になった。300万円が20年で1000万円になった。こうしてお金を貯めるというよりも、お金が儲かる仕事自体が面白くて、夢中になっていました。
 
 (結婚は考えなかったの?)そう、まったく考えてこなかった。ですが、子どもは欲しいと思っていたのね。ふと何だか時機を逸するように思って、結婚することにしたんですよ。37歳で結婚。翌年に長女が生まれた。子どもは一人では寂しいだろうと思っていたから、40歳で次女を生んだのね。仕事で体がエラクなるけど、亭主はまったく(家事も私の仕事も)手伝おうとしなかった。結局、お店をひとに任せたんですが、やっぱり人任せでは仕入れも悪くなり、儲けにならない。そこで店を友人に貸し家賃を受け取るようにして、子育てに専念することにしたの。
 
 亭主は道楽者で、馬を何頭ももって乗馬を愉しんで、散財するような人です。もちろん(父親の経営する会社に)仕事はもっていましたが、男兄弟が何人もいて、それぞれが父親の会社のそれぞれの役職についていたんです。ところが造船が不況になり、父親が亡くなると、相続をめぐって兄弟間の争いが起こり、裁判沙汰にまでなりました。そのときすでに長兄の経営するレストランも経営が行き詰まって、借金が重なっていました。結局、次男が「逃げ」ました。自分の持ち株だけは手放さずに、会社の負債の連帯保証だけは抜けるというのを、後を引き受けることにした四男坊の亭主は承諾し、それがまたのちに(会社が持ち直した時に)分け前の取り分をめぐって争いになったりしました。
 
 私は、新しい会社を起こしたらと思って、そう亭主にもいったのですが、造船から仕事をもらうのに、新規の会社では思うようにいかないというので、父親のやっていた会社の(兄弟が分け持っていた)4000株を全部買い取ってご亭主が後を引き受けることにしました。簿価の4000万円で済ませるわけにもいかず、別に「和解金」5000万円を出して、会社を(兄弟から切り離して)亭主のもとに納めることになったわけです。その資金は全部、snmさんの預貯金から出しました。
 
 亭主は仕事はするのですが、支出の方が多い。自分はお酒も飲めないのに、人に御馳走しておごるのが好きで、月に100万円近く使っていました。キャバレーとかクラブとか、毎晩遊び歩いていました。会社の仕事が終わると、会社のロッカーに着替え一式を置いてあって着替えて出かける。遊びから帰るときに会社に寄って、仕事着に着替え直して家に帰ってくるという調子。だから私は、長い間、遊び歩いていると知らなかった。またそれがわかってからも、まあ、そういう人だと思ったから、好きにさせていた。
 
 そういうこともあったが、長引く景気の低迷もあって銀行は融資をしたがる。亭主も、金を貸してくれるというのだからと、必要以上の金を借りる。余計の金はどんどん使ってしまう。いつのまにか借金が膨らんで、1億くらいになっていて、会社が立ち行かなくなっていた。さあ、それから、家を抵当から外すとか私名義の連帯保証の債務を支払うために4000万円をもっていくとか、財産を保全するためにあらゆる手を打ちました。代表取締役に名を連ねていたのも外しました。そして会社を立て直しにかかった。ともかく経費がずさん。亭主は経営には向いていない。同じ商売をやっているけど、hmdくんは借金はしないというし、今日来ているiskさんも借金しない人でしょ。(借金できないのよとiskさん)。こうして、銀行から借りる――経営がずさん、亭主は散財する――私が借金の返済に奔走する――借金を返済する。
 
 借金がゼロになったときに、私が病気になった。2004年のころよ。厚生省の知り合いから口をきいてもらって築地の癌研に行き、癌研と同じ腕のいい医者が岡山にいるからということで、そちらに紹介状を書いてもらって、手術を受けた。この人は命の恩人だわね。救われた。下の子が大学受験のときで、面倒見てやれずに苦労掛けたわ。
 
 「お金の話」は、ずばり戦後日本が歩んだ経済成長の浮き沈みに翻弄されながら、泳ぎきったことに焦点を当てることになりました。「それ何年頃のこと?」と途中で口を挟みます。話しを聞く私たちも、そう言えば1970年代は二度のオイルショックを乗り越えて日本経済は高度消費社会へ突き進んだ頃のことでした。のであった、80年代はバブルに向かう勢いを持っていた、2000年代はリーマン・ショックの世界的な大変動があったと、わが歩いて来た道を重ねてみているようでした。つまり、「お金の話」というお題が、金儲けの話ではなく、お金に振り回されたがそこをしっかりと渡り切った半生の物語りになっていたのでした。幸運だった。
 
 さてその後にまた、ご亭主の会社の債務が溜まって、お金をつぎ込まなければならなくなるのですが、それはまた、次回ということにしましょう。(つづく)
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民意と民度と代議員

2017-05-20 08:56:44 | 日記
 
 共謀罪の法案が衆院を通過した。「採決強行」と新聞の見出しだが、与党の方は「粛々と審議を終え採決した」と何食わぬ顔をしている。それほど注目してメディアの報ずる審議過程をみていたわけではないが、トピック的に報じられる法務大臣の応答ををみていると、ひどいなあと思わざるを得ない。それを「粛々と審議をして……」というのは、要するに国会審議で何時間費やしたかだけが目安で、その中身などはどうでもいいと(言わないだけで)思っているからにほかならない。
 
 そればかりではない。森友問題も加計学園問題も審議とは名ばかり、ぬらりくらりとはぐらかし、言葉が軽くて宙を舞う。ばかばかしくて国会中継なぞ観ていられない。ああ、こういうのが政治なんだなと、あらためて思う。そういうやつらを選ぶ国民が悪いという人がいる。若いころは、そうだよなあ民度が低いんだよねと(わが身をそこに算入しないで、無意識に)睥睨していたように思うが、今は違う。馬鹿にすんじゃないよ、代議士がバカなんだろ、そういうシステムに乗っかって胡坐をかいているんじゃねえのと、開き直る。選ぶ方が悪いとか、選ぶ方も悪いというが、それはほとんど選ばれた人たち(代議員)の居直りのようなものだ。彼らが選挙民をバカにしているのだ。だって考えてもみてごらん。だれもが選挙に出るわけにはいかない。被選挙権はあっても、暮らしのベースを整えないで政治家家業をするわけにはいかない。だから現行のシステムも含めて、出られる人しか出られないから、私らは選挙で一票を投ずるしかない。
 
 問題は、選ばれた人たちだ。選ばれた人たちをエリートという。地方議会も含めて言うと代議員だが、彼らは選ばれた瞬間に「全体の代表」になる。つまり彼らが「民意」なのだ。「民度」が高いか低いかは、彼らの振る舞いが表す。選挙民がバカだから代議員がバカなのではない。代議員がバカであるから選挙民がバカだといわれるのである。では代議員はどうすればいいのか。自分たちが選挙民を教育してやろうなどと思わないことだ。「全体の代表」なのだから、じぶんに投票した人たちばかりでなく、反対した人たちをも代表している。ということは、必死になって「全体」のことを考えなければならないのだ。それは、自分の考えとか、じぶんを支持する人たちのことを考えるなどという生易しいものではない。そこに暮らす民草として起こってくる出来事の一つひとつにどう対処するか、どう判断するか、どこまで明らかにすれば当面はよくやったと言えるか、それを、代議員である自分の全身全霊を傾けて力を注ぐことで、「民意」は高まり、「民度」は上がる。選挙民が悪いとか何とかいうのは、たとえそれが政治の世界と距離を置いたメディアの人であっても、プロではない。自分と(考えるレベルが)違う人たちを思い描くことをふくめて、上等か下等かという問題ではない。上下の序列をつけて考えること自体がすでに、自分を高みに上げて、「我がこととして考えぬく」努力を放棄している。もちろん立場による限界も、取り上げる論題の限定もある。そこを見極めて最上のやりとりをして判断を下すことが代議員たる政治家の、あるいは、「知る権利」を背負っているかのように振る舞うジャーナリストのあるべき姿ではないか。
 
 TVや新聞で報じられる程度の国会審議で「粛々と審議した」と「審議時間」ではかっている人たちは、間違いなく「民度」が低い。「民意」も持ち合わせていない。でも彼らをみて、そうか、日本も相変わらずだなと思うか、よくぞここまで来たと、72年前の敗戦時のことを想いうかべて評価するか。そこではじめて選ぶ方の「民意」や「民度」がどう変わったかが見えてくるのであろう。
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