mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

法と倫理の相互関係――日韓関係の鍵

2020-06-30 17:07:18 | 日記

 オー・ダニエル『「地政心理」で語る半島と列島』(藤原書店、2017年)を読みすすめている。前回(2020-6-28「韓国人の非近代性の根拠」)の記述で「非近代性」と読み取ったものと、私の身の裡に沁みついた「近代性」とを、出来得るならば同じ俎上に上げて考えてみたいと思っている。
 
 簡略にいうと、こういうことだ。
 竹島問題、従軍慰安婦問題、徴用工の補償問題と、1965年の日韓基本条約ですでにケリのついた問題を韓国の政府も司法も人々もなかったかのようにして問題にしている。まるで日韓条約を結んだ政府と現在の韓国政府とは別物だと謂わんばかりだが、それは政府の正当性というか、国家の正統性をも否定するものではないのか。近代国民国家としての一貫性・継承性・正統性をどう考えているのか。まるで日本の植民地になったことへの「恨」を蒸し返すことによって、現在の自己実存を確証しようとしているようだ。それって、ずいぶん後ろ向きの生き方ではないか。その謎が解けないというのが、私の疑問である。それを解く鍵を、ロー・ダニエルは日本(人)の機能主義と韓国(人)の当為主義にあると解きほぐしていると、前掲書の前段を読んで受け止めた。
 では、私の謎はどう解きほぐされていくのか。興味津々で読みすすめてきた。
 
(1)日韓条約が、1965年当時の日本と韓国と冷戦体制で封じ込めを意図していたアメリカの戦略によって、無理やり結ばれた。日本と韓国それぞれの政府の思惑をあいまいにし、両義的に読み取れるような文書にして、締結された。ロー・ダニエルは両国の文書と締結された「英文」とを照合して、その両義性を読み解いている。
(2)上記の「両義性」は、日本(人)の機能主義的な読み方と韓国(人)の当為主義的な読み方の違いによって、浮き彫りになる。つまり、日本政府がいうように(必ずしも)すべてケリがついているとばかりは言えない部分を含んでいる。
(3)上述した「問題」それぞれについてほぐしていく経路は違いがあるが、日本政府はサンフランシスコ条約や日韓条約の文言の機能的(形式的)な読み取りによって片づいているとしているのに対して、韓国の司法や人々は歴史的・倫理的・当為的(かくあるべしという姿)によって読み解いて、いまだ解決していないと主張している。
(4)徴用工問題に関する韓国司法の判決は、《日韓請求権協定に関する両国の意見の相違を韓国政府が積極的に解決しない「不作為」を、憲法違反と裁いた》という。つまり第一義的には、韓国政府が責任をもって処理すべきことであって、日本政府に詰め寄る問題ではないと(韓国司法も判断したと)論理的には言える。しかし、韓国に団体や人々は「反日」を標榜して日本政府に矛先を向け、現在の文政権は(韓国世論の風を味方につけて)不作為を貫いている。
(5)ヨーロッパの旧植民地との問題が再燃し、国際的には国民国家の政府が締結したことと別個に民衆が受けた被害への賠償を(宗主国やその関係企業などに)請求する動きが法制的に承認されるようになり、韓国民衆の動きはそれに触発されて国際世論に訴えて、ますます問題は「国内問題」に収まらなくなっている。

 上記をまとめていて思い出した。ひとつは、《2019-8-3「向こうさんの論理的正当性」》で取り上げた橋下徹の主張。以下のように記している。
                                          ***
 先日BS-TBSで橋下徹(元大阪市長)が「弁護士として……」と前置きしながら、いま問題の日韓関係で懸案の「徴用工問題」に対する見立てを述べていて、おやっ、と思った。基本的には、「相手には相手の立論の合理性があることを、弁護士は見極めて、その相手の論理を崩すような反証をしなければならない」と、職業上の(対立する相手との)向き合い方を説いたうえで、二点指摘していた。

(1)韓国最高裁の判決は「日韓併合が韓国側の同意を得たうえでの処置だったのか、同意を経ずに日本が強行したものだったのか、その点の理解にかかわっている。1965年の日韓条約ではその点をあいまいにしたまま植民地時代の損害賠償は、今後求めないとしたものだったために、(韓国側の同意はなかったと考える)判決では、日韓条約の合意内容自体が無効とされた」と。
(2)国際法的な考え方として、「戦中の被害について(個人は)自国政府に損害賠償を求める権利をもち、もし自国政府が補償しない時には、対戦相手国にその損害賠償を求めることができる」という判例もでてきている。それには時効がない、とも。

 橋下徹の主張は、韓国最高裁の判決文を読めば(1)であるから、裁判における(三菱側の)弁護活動は「日韓条約で解決済み」というのでは全く不十分で、「日韓併合の正統性」を争うだけの弁護をしなければならなかったのに、そこまで踏み込んでいなかったと、手厳しい。
 そうして(2)の論理が生きてくると、(個人への)補償をしようとしない韓国政府とは別に三菱に対して請求するということが正当化される。
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 つまり、弁護活動という、相手のあるやりとりに置いては、相手の論理を組み込んでそれを突き崩していく組み立てをしなくてはならないのに、日本側の弁護団は自分の論理を述べ立てることに終始し、敗訴するに至ったということだ。
 また、数日後に《2019-8-9「知らないこと気づかないこと」》で、アメリカに介在する責任があるという論調に気づいたことを紹介している。
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 日韓関係の桎梏の発端になっている「徴用工問題」に関して、先日橋下徹(大阪市長)の指摘(日韓条約の締結の際に日韓併合に関する合法不法について明確にしなかったこと)に触れた。その指摘は、韓国最高裁の判決文を読もうとも思わなかった私自身の現在に、気づかされた。そのことに関して、倉西雅子(政治学者)が、日韓条約締結に伴って取り交わされた「日韓請求権協定」へのアメリカの介入に触れていて、《アメリカが「徴用工問題」の解決を国際司法の場に委ねるように説得すべき》と指摘している。それはそれで重要なポイントだと思った。
                                          ***
 ともあれ、韓国政府のモンダイもさることながら、日本政府の対応も、種々の問題を含んでいる。それに気づかない私(たち)は、(日本政府と)同じ穴の狢だからだろうか。ロー・ダニエルは韓国の統治のモンダイに踏み込んで、クールに記述しているが、それはまた、後日の論題にしよう。


深山幽谷の気配を湛える石裂山

2020-06-29 20:16:36 | 日記

 今日は梅雨の晴れ間。車で栃木県へ向かった。来週の山の下見。何十年か前に登ったことはあるが、細かいことは全部忘れている。新鹿沼駅から人様を乗せて登山口に向かうのに、うろうろするわけにはいかないと思って、行ってみた。
 いや行って良かった。naviに目的地を入れて着いたところは、とんでもない所であった。登山口の加蘇山神社を入力すると、ものの見事に栃木県鹿沼市云々と出た。走るにつれ、えっ、ちょっと違うんじゃないの? と思う。新鹿沼駅からわりとまっすぐな道を奥まで詰めたら目的地と思っていたからだ。ははあ、旧道を辿ってるなと思った。
「目的地に着きました。案内を終了します」とnaviはのたまう。加蘇山神社の大杉という表示があるものの、駐車場はない。トイレもない。登山口の駐車場から奥へ入ると、加蘇山神社の駐車場だったはずなのに、これは違うじゃないか。上から「鹿沼駅」行のバスが降りてきて通過してゆく。地元の人の姿はみえない。登山口はもっと上かなと思って、奥へ車で上がる。ひとりお年寄りが庭の手入れをしているので、車を降りて訊ねた。
 
 神社のところから登山口はあるよ。だがね、去年の台風で道がずいぶんやられてね、どうしているか、わからない(と応える)。
 いえね、登山口には駐車場があって、トイレもあるとガイドブックにはあったんですがね。
 ああ、それはこの山の向こう側だね(と言って、神社裏の山を指す)。
 石裂山ですね。
 そう、でもこっちはね、難しい字を書くんだよ。「石」じゃなくて「尾」なんだよ。
 
 指さす山がオザク山だという。国土地理院地図には「尾鑿山」とある。鑿はうがつ。「石裂山」の「おざく」も特異だが、こちらの「うがつ」方もなかなかのものだ。
 山の向こう側の住所を聞いて、naviに入れ、山すそをぐるりと回り込む。15km下って、3kmほど走り、14kmさかのぼる。それだけで深山に踏み込んでいると思う。
 ところが途中でnaviが太い道路を左折せよという。左折して奥へすすむと、トンネル工事をしている。その先は行きどまり。「工事関係者以外は立入禁止」とあり、ロープを張っている。参ったね。工事事務所のプレハブの前で、何人かが打ち合わせをしている。割り込んで、訊ねる。
  太い道路をそのまま行くと旧道に合流している、という。大掛かりな道路工事をしているのだ。礼を言って元の道に戻る。想定通りに加蘇山神社があり、その脇にトイレも設けてある。車は境内に止めるのだろうか。私は、脇の道を奥へとすすむ。ところどころに穴の開いた、傷んだ細い道を1kmほど走ると、加蘇山神社があり、車が二台止まっている。当初の予定より1時間半ほど遅れている。
 
 並んで車を止めて気が付いた。一台は私の山の会の人のものではないか。ナンバーも間違いない。とするとご夫婦で週1登山をしているトレーニングに、来週のこのルートを選んだのか。いつも先頭を歩いてもらっているから、チーフ・リーダーという気になったと思われる。何時にここを出発したかわからないが、今から後を追っても追いつくのはムツカシイかもしれない。となると逆コースを歩けば、どこかで出逢う。そうだそうしようと、来週のルートの逆へ踏み込んだ。
 
 山は昨日までの雨を吸い込んでいる。岩も濡れている。ルートの表示はない。踏み跡を見て辿る。マタタビが花を咲かせて葉を白くして日差しを浴びている。岩のところも、よく踏まれたところを見つける。気を許すと転落しそうなところが随所にある。「転落注意」「滑落注意」と掲示板が立ててある。スマホの地図はgeographica。事前に打ったポイントを通過したかどうかがわかる。5分ごとに時刻を告げる。歩いている標高も百メートルごとに声に出して訴える。はじめこれをうるさいと思っていた。一人で黙々と歩くときにはちょっとした掛け声に思えて、ふむふむと頷いている。
 上から年寄りが降りてくる。地元の人だそうだ。田中澄江の「花の百名山」にも入っているのに、今年は花が少ないとぼやく。
 どこから?
 浦和から。
 さっき、越谷からの人とすれ違ったよ。バスで来たんだって。
 あっ、あなたは白のバンの人?
 そう。気を付けて。
 標高800メートルで稜線に上がる。岩場には古いロープがつけてある。月山に着く。11時11分。山頂の表示はしっかりとある。
 
 そのさきの道筋は、岩山らしからぬ、樹林の中。15分で西剣が峰と石裂山の分岐に出る。石裂山はすぐ先の突起。越谷の人がいる。もう一人は、岩槻の人だってと越谷の人がいう。この方は四十代か。どちらから? えっ、浦和です。なんだ、みんな埼玉じゃない。県境を越えてもよくなったんで、来たんですね。奥宮から登ってくる夫婦ものをみませんでしたか? ああ、後で声が聞こえてましたね、と岩槻の人。ではではと分かれる。
 
 ここからがハシゴとクサリと岩を伝う上り下りだ。長い何脚ものハシゴの途中で、上から人が来る。脇のガレ場に立って彼とすれ違う。後ろから二人きますよ、という。ハシゴを上っていると、あっ、***さんだと私の名を呼ぶ声が聞こえる。今週は今日だけが晴れだから、来ているかと思ってたと、山の会のkwmさん。kwrさんが時計を見て、「お昼食べた?」と訊く。いや。一緒に食べよう。と脇の展望台の方へ向かう。11時45分。途中で道に迷ったと話す。そうか、それで遅かったんだと思った。逆ルートを歩いていてよかった。ちょうどお昼タイムに出逢うなんて、謀ったみたいだね。
 陽ざしはあるのに暑くない。もちろん寒くもない。食べていると、越谷の人がきて、まもなく79歳だという。元気ですね。いつも奥宮から登るんですが、今日は月山の方から回ってるとも話す。彼も少し離れたところで、お昼にする。
 
 下山したら、無事降りてくるまで待ってるよと告げて、私は奥宮の方へ、kwr夫妻は石裂山の方へ向かう。展望台の先に東剣が峰がある。この三つと月山とが石裂山の四峰になる。剣と名づけるだけあって、岩を辿って登り下る。鎖やロープがついている。木をつかみ、後ろ向きになり、岩に足を置いてすすむ。大きな岩場に来る。太く長いクサリが何本もつけられている。どれをつかんで、何処に足を置いて下るか。濡れて滑りやすい。後で聞いたが、ここを下から来たとき、通り過ぎてさらに先へ上り道を探し、間違えたらしい。
 
 奥宮が崖の上の方にある。そこまで十数メートルのハシゴがかかっている。ルートは素通りすればいいのだが、上ってみる。上は滴り落ちる水で岩が濡れている。しずくを受けながら岩をつかんで上り、奥宮の前に立つ。下の方に越谷の人が来て、休んでいる。ハシゴを下りて、先へ向かう。木をつかんで降りるようになる。土が滑りやすい。東屋がある。そこからは沢を下る。ここも踏み跡を探して下降する。大きなカツラの大木がある。由緒書きも立て札にしてあるが、暗くてよくわからない。
 
 休憩所に、月山ルートを下った岩槻の人がいた。? バスにはまだ時間があるから(と私の疑問を感じたように応える)。
 そこから15分くらいだったろうか。神社の駐車場に着く。14時20分。歩き始めてから3時間35分。お昼タイムを入れてほぼコースタイム。いい調子だ。50メートルくらい標高が高い所の加蘇山神社へ足を運ぶ。太い杉の木が何本も石段を囲む。山頂の境内脇には、一本の直径が1・5メートルほどある杉の木二本が下の方はくっ付いているように合わさり、その部分も苔むしてまるで直径が4メートルにもなるような大木がある。こりゃあすごい。
 kwr夫妻が戻ってきたのは14時55分。展望台からのペースはコースタイムだ。
 ではではと分かれて、4時前に帰ってきた。道を間違えたせいもあるが、鹿沼の奥がこんなに深いとは思いもよらなかった。石裂山は深山幽谷だと思った。


ヒトの生きる基本形

2020-06-29 05:31:28 | 日記
 
社会的孤立と独立不羈の狭間

 図書館で週刊誌に目を通し、月刊誌をパラパラと読み散らして何日か経つと、どこで何を読んだかわからなくなるが、忘れられないモノゴトが、ぼんやりしている時にふと、思い浮かぶ。......
 

  一年前か、こういうことを考えていたんだ。親世代が子ども世代に伝えるべき基本的なコト。高度消費社会を謳って浮かれている間に、子ども世代がこう変わっていっているということを、恐ろしいと思う。

 ヒトは自然と向き合って生きているという基本を忘れて、ヒトは人の世界のネットワークで生きていくようになった。だが、人類はどこかで自然とじかに向き合い、自然を利用し、それを作り替える作業を行っている。つまり、分業による協業をしているのだが、交換経済の中で、お金があればそれらが「サービス」として提供されるとあって、基本形を忘れてしまう。交換経済という市場の相対済ましが、お金を手に入れるという目先のことだけに気が行って、じつは交換によって手に入れる「サービス」とか「商品」もヒトが行う(べき)営みなんだということを忘失してしまう。

 忘れちゃならないことを、改めて振り返って、まとめ記しておかねばならないかと思った。


韓国人の非近代性の根拠

2020-06-28 15:55:05 | 日記

 従軍慰安婦問題とか徴用工問題を巡る韓国の、国民や政府のわけのわからない振る舞いを、とても奇異に思ってきた。「恨(ハン)」が生きるエネルギーという言い回しも、何だかわかるようでわからない国民性だと思ってきた。それを、日本人にもわかるように解き明かしている本に出合って、目下読んでいる途中である。
 オー・ダニエル『「地政心理」で語る半島と列島』(藤原書店、2017年)。「地政心理」という看板に少しばかりいかがわしさを感じはしたが、藤原書店の出版物ということで、それを帳消しにして手に取った。著者は、韓国生まれ、アメリカの大学で博士号を取り、中国の大学教授や日本の一橋大学や京都産業大学の客員研究員を経て、いまソウルで政治経済リスクを評価する会社を経営する、私よりひと回り若いかた。
 日本と韓国の置かれている地政学的な位置とそこに暮らすがゆえに身に刷り込まれてくる精神的・心理的なエートスのもたらす差異を解析して、日本文化と韓国文化、それぞれの国民性、根っこにある気風の違いを、丹念に資料を読み解いている。資料への目配りも行き届いている。
 このテーマが違和感を感じさえなかったのは、彼がアメリカでこのテーマに取り組んだのが、1980年代半ば。つまり日本が奇跡の経済成長をして、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた時期。世界中の知識人が日本の社会システムに注目していたときであったから、韓国生まれの彼が、自国と対照させて日本の地政学的な立ち位置と、それが齎した精神的・心理的気風に目を配るのは当然と受け止めた。しかも、そう簡単に善し悪しをつけず、クールに韓国民の気質や傾き、日本人の自己意識や外から見た評価を一つ一つ丁寧にみてとっているのが、好感が持てる。
 
 なにより、従軍慰安婦問題とか徴用工問題に関する韓国民やその行政や司法が下す判断の根源がどこにあるかに分け入る進め方は、それなりの論理をもっているのだと理解できるようには感じた。それは、日本(人)の国民性や気風との差異を浮き彫りにするものでもあって、わが身の傾きを指摘されるようにも思った。と同時にそれは、自国と異なる文化や価値意識を持った対外的関係には通用しない振る舞い方であると、強く感じる。
 まだ読みすすめている途次にあるから、最終的にどこまで論及するかは、わからない。ただ私自身が理解できないのは、韓国(人)の歴史的継承性というか、韓国という国家政府を継続している(諸外国との)正統的な継承性を、何処に置いているのかが、解けないままだ。民主主義国というのなら、そのときどきの国民の選択によって成立した政府が諸外国と結んだ条約は、後の政府が覆すにしても、それなりの国際的な道筋を辿らなければなるまい。手続きを抜きにしてひっくり返していては、独立国家としての見識を疑われる。つまりかつて国民が選挙で選択した政府が取り決めたことは、後の政府が引き継いでいかねばならない。国民も、「革命」を起こしたというのでない限りは、その継承性を受け継ぐのが、近代国家国民の国際関係上の当為である。
 
 オー・ダニエルは、韓国(人)の振る舞いの特徴の一つを、当為主義的にあるという。かくあるべき姿を目標に置いてそこに至る手段を問わない振る舞いともいう。それに対して日本人のそれは、機能主義的であると対照させる。
 自然に対する人為の優位性を信じて疑わない韓国(人)は国家の支配や権威に対しても抵抗と反逆を突き付け、全とっかえするように攻撃的に対抗する。それに対して日本(人)は、自然に畏敬の念を持ち恐れ、支配体制や権威に対して従順であって覆そうとしない。それは、日本(人)が人間も自然の一部と感じて生きているのに対して、韓国(人)は、自然をものともしない(人の)誇り高さをもっていると対照的にみてとる。
 
 なるほど面白い。だが、国民国家が国際関係の基礎単位として成立している世界においては、一つの国民国家の正当性・継承性も、(例えば条約なども)持続的なものとして承認されているのであって、その承認の論理を自国内の「当為」によってかってに覆しては、国際関係の舞台に立つ資格はないと言わねばならない。それを韓国(人)はどう考えているのか。
 自国の政府が取り決めてきた条約を無視して、すでに解決済みのモンダイを(日本に向けて)蒸し返すのは、かつて植民地支配をした宗主国であったということに、憤懣をぶつけているだけではないか。植民地支配をしたことを忸怩たる思いで見ている私でも、甘えなさんなと言いたくなる。
 なるほど1945年の(日本の)敗戦によって、朝鮮半島は連合国軍の支配下に入った。そのため敗戦国・日本が宗主国として植民地の(その後の)独立に対する責任ある振る舞いをすることができなかったことは、倫理的には非としなければならないことが多々あると思う。だがそれは、連合国軍の支配権を持っていた国々と朝鮮との関係であって、日本に「始末の責任」をもってきても、応えようがない。ただそれでも(植民地時代については)、1965年の日韓条約によって補償問題にケリをつけたのであるからには、その内容に不満であっても、爾後は韓国政府と韓国民との「国内問題」として扱われなければならない。
 そのことに、オー・ダニエルさんはどう応えを出しているか。
 韓国とは、これからも隣国としてお付き合いしていくわけであるから、「奇異な」感触を棚上げしたままでいいわけがない。韓国を知ることがわが身を知ることとこれほど近い距離にあるとは思わなかった。後半部分を、引き続き読みすすめよう。


感じる「疲れ」

2020-06-27 20:07:02 | 日記

 水曜日に山へ行った。
 木曜日は、7,8月の山行計画を仕上げ、山の会の人たちに送った。そのあと前日の山行記録に取りかかり、文章を仕上げた。
 金曜日に、その文章に写真をつけてpdfにして、山の会の人たちの送信した。歯医者で、新しい入れ歯の噛み合わせ調整をしてもらった。これで違和感が消え、食べ物が少し挟まるが、まあだいたい良くなった。
 午后ストレッチがあり、汗をかいて運動をする。講師はマスクをしたまま、体育館の換気を良くし、クーラーを入れて、容赦なくメニューを提示し、年寄りを元気づける。
 そのあと、月末恒例の「飲み会」に、四カ月ぶりに足をはこんだ。久々のレストランでの会食。お客は少なく、私たちの席だけが「密」な状態。まあ一蓮托生と、1/3が後期高齢者の古稀世代は、おしゃべりに興じた。もしこれでコロナウィルス感染者が出たら、「夜の飲み会」と評されるかもしれない。だが、酔っぱらうほどには飲めない。今朝目が覚めて、アルコールがすっかり昇華されていて、気分がいい。
 今日は午前中に、散歩と週2の買い物にカミサンと出かける。歩数は8800余歩。相変わらずスーパーは人で混み、さっさと買い物をして、リュックに担いで帰宅する。気温はそう低くないはずだけど、汗もかかず、気持ちがよい。
 お昼を済ませ本を読んでいるうちに眠くなり、ソファに横になった。ドラマでも見ようかと1時間ものを一本みたまま、2時間ほども寝てしまった。こんなことは、ここしばらくはなかったのに、どうしたことだ。
「三日遅れの疲れ」がやって来たのだろうか。ちょうど、水曜日から三日目だ。
 筋肉痛は出ない。疲れたという感じが現れなくなった。歯が痛んだり、咳き込んだり、身の不如意になって現れる。それが「疲れて2時間も昼寝をする」のに現れるようになったか。
 
 「疲れ」の感じ方が、ひとクッション措いて、遠まわしになった。78年近く使い続けてきた身体だから、ムリもないとは思う。だが、ヒトの体がこのように衰退していくとは思わなかった。これも逐一、感ずいたことを記し置いて、ある程度時機が経ってから、総じて見なければなるまい。
 ほど良く雨が降る梅雨だから、感じないままにムリを重ねて身にしわ寄せがきているとは思えない。「疲れ」の段階が、ガウス記号のように進行しているのかもしれない。