mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

介護と依存とヒトの心持ち

2022-01-31 15:01:31 | 日記

「介護ロス」とは何か? 昨日の話しに続ける。この場合の「介護」は仕事ではない。近親者の世話をすることを意味している。外に世話をする人がいないから、やむを得ず面倒を見ているってこともあろう。現在の介護サービスの仕組みからはじき出されているせいで家で面倒を見るほかないってこともあろう。だが、仕方なく世話をしているということであれば、被介護者が亡くなって「介護ロス」になるということは考えにくい。やむなく介護をするという実感は「介護」を機能的にとらえているから、それがなくなることは解放感につながる。負担に感じていた軛がとれて気鬱になることはないことを考えると、「介護ロス」に陥る「介護」には、介護することそのものが介護者の人生の核心に触れる重要性を持っていたからだと言える。
 その「介護者の核心に触れる重要性」を心情面で表現すると「愛している」とか「大切な人」というのであろうが、その心情面には必ずと言っていいほど反対局面の心持ちが張り付いているから、心情面で語り尽くそうとするとぐちゃぐちゃになって、向き合っている「介護的関係」がわからなくなってしまう。近親者が介護するのと介護者に介護を委託するのとの違いは、その心情面の猥雑さを取り払って「関係的な機能性」に絞って、見ていくことが必要になる。
 その一つの表現が「他人様の役に立っている」自己充足感と表現することができる。世話をするとか面倒を見るという「かんけい」から心情的な重みを取り払ってみていくと、「世の中の役に立っている」とか「世の中から必要とされている」という自己肯定感は、介護という振る舞いを支えるインセンティヴの一角を占める。利他的行為と表現されることでもある。それが日常のルーティンワークとなってくると、被介護者にとっては自然なこととなり、介護者の利他的行為によって日々繰り返し支えられているという感覚が希薄となる。そうあって当たり前のこととなるから、介護の出立点で被介護者の振る舞いから発せられていた「感謝」の面持ちも平生のこととなって希薄になる。ヒトって、そういう生き物なのだ。まして、介護者の日々の体調によって、介護者の振る舞いにも日々差異が生じたり欠け落ちたりすることも生じる。すると邪険にあしらわれたように感じられて、不快となる。まして自分の身が思うように動かせなくなっていることへの「腹立ち」があるから、ついつい介護者にぶつけるようになる。よほどの寛容さを持って向き合っていないと、介護者も苛立ちを押さえられなくなる。
 この「寛容さ」を自らの心中から引き出して身につけるには、自分がやっている介護行為が利他的行為と言うよりも利己的行為なのだと意識して自分に言い聞かせておくしかない。「この人の役に立っている」という自己充足感や自己肯定感という利他的行為は、「この人」があってこそ成り立っている。だからじつは、「(この人への)介護行為に自分が依存している」日常に浸っている感触が身に刻まれていく。これが「関係的な機能性」からみた介護者の心中に堆積する日常性なのだ。
 この堆積する「依存性」に気づかないでいると、「介護ロス」に陥る。自分の日常性を全部投入していた「業のような(介護という)振る舞い」が取り払われたとき、重荷からの解放というよりも、「お役目」が蒸発してしまった(自己)喪失感に襲われる。依存しているという自覚があるうちは、振る舞いの軸すべてを介護が占めることへの警戒感というか、用心深さが反照となって、生活の基軸は「わたし」自身にあることを担保している。つまり、この依存しているという自覚がないとき、「介護ロス」に陥る。暮らしの支えを失って気鬱にもなる。
 今の政府の主流が「自助」を基本としていることはよく知られている。「家族が支える」とき、日常の振る舞いを機能的にとらえることができず、しばしば心情面の混沌に巻き込まれる。そうなると、暮らしを含めた自身の限界ギリギリまで突き進んでしまう。限界を超えようかというとき被介護者を道連れに心中することが試みられ、事件となる。「家族」自体が、かつての大家族ではないし、世の中の企業の給与体系も、単身者が結婚して子を持ち家族をなして、その子の成長と共に家族が変容するのに合わせて昇級していくかたちから、すっかり形を変えてしまっている。にもかかわらず、「家族」が人の生涯を支えるというライフスタイルを思い描いて、家族が介護を担うという絵空事を人々に押しつける。それが「介護ロス」の引き鉄になっているとも言える。


三途ロス

2022-01-30 09:41:53 | 日記

「介護ロス」ということがあるらしい。長年介護してきた身近な人が亡くなったとき、その喪失感に耐えられず死にたいと思うそうだ。カミサンの友人が、長い介護をしてきた連れ合いが亡くなり、その後一年ほどは呆けたようになってしまった。やっとこのほど立ち直って、それ以前のような行き来が復活し、言葉を交わせるようになった。一回り以上若い60代の方だが、いまはかつての仕事にも就いて、いそしく働いている。その友人の話がそうであったという。推察するに、娘さんや孫達との支えがあって気持ちを盛り返したようだ。
 ふじみ野市の立て籠もり人質殺害事件も、直接動機としては介護していた母に死なれ、「この先いいことがないと思った」と犯人が話しているそうだ。メディアは、何か悶着があったらしいと訪問クリニックの医師や介護士と犯人の間に何かあったと探っているようだが、子細を省略してみると、「介護ロス」になって茫然自失。自殺の道連れに手近な人を巻き添えにしたとみてよさそうだ。介護生活に於いて、一番身近に付き合いがあったのはまさしく被害に遭ったクリニックの人たち。一人で彼岸に渡るのに耐えられず、巻き添えにするというのであってみれば、どんな悶着があったのかは、モンダイではない。
 大阪のクリニック放火殺人事件も(何が動機かわからないが)、独りの旅立ちに耐えられず多くの人を巻き添えにしたように見える。
 まず、自殺しようと思う心持ち自体に思いをやると、「この先いいことがない」と思う感懐を何とかしないといけないのかも知れないが、このように問うとずいぶん多くの後期高齢者は「ああ、俺だってそうだよ。いいことなんかあるものか」と応えると思う。いいことがあるから生きているワケじゃない。天から授かった命だから、それが尽きるまでは大切に扱う、それだけだと私は思っている。
 ふじみ野市の犯人だって、死にたいと思ったかも知れないが「この先いいことがあるかないか」を吟味したワケじゃあるまい。取り調べの警察官にあれこれ問われてふと口をついて出た言葉が、これだったと私は推察している。自殺したいと思っていたかどうかも、取調官に「なぜやったんだ」と問われたとき頭に浮かんできたからそう言っただけで、ただ単に鬱屈を晴らさなけりゃあ収まりが付かないと、何かに怒りをぶつけたい憤懣にとらわれていたに過ぎないという、ボンヤリした因果関係が案外正解なのかも知れない。当人だって、ワケがわからないに違いない。
 私自身の感懐を併せてみると、こんなことが言えるように思う。
(1)今の世の中、自分の命は自分のものだと思っている。ここが私と違う。
(2)自分の責任で世の中を渡っていっているが、自分の力で生きているワケじゃない。
(3)人生に運不運はつきもの。運否天賦は天に任せるしかない。
(4)人生も、出くわすコトゴトの善し悪しも、自分で決めるものではない。
(5)でも、犯罪被害者にはなりたくない。もちろん加害者にもなりたくはない。できるだけ社会の力で(2)を拡げて世の中を渡りやすくし、(3)の不運に苦しむ人が少なくなるように、公助、共助を整えるようにしましょう。

 今年の誕生日が来れば八十になる私が、わが人生を振り返って思うのは、自分の命は自分のものではないということ。死にたくなるほどの窮地に陥ることがあるのは、わからないでもない。名誉を守るってこともあろう。家族や愛おしい人を護るために命懸けでやらなければならないこともあるかもしれない。その結果、命を落とすことはよくある話しだ。だがそのときにも、自分の命は自分のものとして扱うという考え方は、発生しない。単独者として生きてきたわけで話しからだ。まして、生きていく間に身につけてヒトから人間として一人前に生きてきたのは、ヒトの築いてきた文化を全部{わたし}として背負ってきている。人類の文化が、この体を通過しているのが「わたし」なのだ。
 だが今の世の中、大人になってからだが、全部「自分の責任」で世の中を渡っているのは、間違いない。それは、社会に身をおいて、人々と関係を紡いでこそ渡って行けている訳で、自分の力で生きている訳ではない。それを自力で生きていたと錯覚するから、(3)のようなことに肚が決まらない。頑張ってもダメなときはダメ、他の人との競争に身を削って生きる社会であってみれば、自分の不運は他の人の幸運ということも、よくある話しや。貧乏籤を引いても、誰かにお裾分けしてるんやと思えば、腹も立たない。善し悪しも、人類史が発生してからの「原点」に思いを致せば、そもそもそれほど目くじら立てるほど良いことか悪いことかは、決められない。因果はめぐる風車じゃないが、ずうっと昔の顔を名も知らないご先祖さんがなんぞ悪いことをしたから、何十代も後の「わたし」に応報がめぐってきたと思っても構わないが、それは、自分の子や孫や子々孫々のことを考えて「いま」を生きていきなさいという「教訓」にすぎない。袖振り合うも他生の縁。彼岸で極楽に行けるからねと言うのも、善き振る舞いを肝に銘じることであって、天国があるかどうかはわからない彼岸のこと。
 となると、とどのつまり、(5)を心掛けるしかない。まずは社会的な仕組みをできるだけ整えることに尽力する。そして世の中の人の力と扶けを借りながら、自己責任で生きていけるように、公私に亘って活動する生き方をすることだ。私の好みを入れれば、心地よい文化を後の世代に遺せるように、社会関係をやわらかくつくりあげることを年寄りは心がけたいと願う。
 そうやって生きて行ければ、三途の川も独りで渡るのが怖くないってことになるんじゃないか。閻魔さまの審判に臨んでも、奪衣婆の再審議に出くわしても、(5)を心がけて振る舞ってきたよと思えば、他人を巻き添えにしなくても三途ロスにはならない。


数理的思考が限定する領域を見つめる

2022-01-29 11:48:33 | 日記

 数学研究者・森田真生の『計算する生命』(新潮社、2021年)は「(私の)わからない世界」を、理解できる地平から説きはじめて、思わぬ地点へ連れて行ってくれる。「わからない」ことが誘う不思議感が、私の身をおく日常から地続きなのに次元の違う(思わぬ)世界へ導き、「わからない」感触が媒介となって理解を扶けているように思う。
 数学研究というのがここからスタートしているのかと驚く。その記述は「数えることが起ち上げる人の思考とはどういうものか」を考察することから始まる。算数とか数学というのを私たちは、学校で学ぶ算術から始まっている思っているが、森田はヒトがものを数えるということをどう行ってきたかから第一章を開始している。数えることに数字が加わることが、「数」に関する観念のどのような変化を引き起こしているか。読み進めることが不思議を起ち上げ、そうかなるほどと「せかい」の広まりを感じつつ、なお、漢数字がアラビア数字になる変化が、現代数学の「計算する」機能性を格段に高めたことへ展開する。
 その筋道自体が、数学的だ。つまり、話しの運びが次へ次へと段階を踏まえて次元を変え、抽象化と機能性と数理的合理性とがわが身の裡で形づくられてきたさまが思い浮かぶ。図でイメージされる「数」が「式」となる過程も、和算の問題文のように文章で記される。ふと思ったのだが、x(10-x)=21を、文章で表現させるような「問題」を中学生に出したら、はたして解けるだろうかと新井紀子さんなら考えるかも知れない。
 運びの速度は速い。第一章ではじまった「数」は「式」を経てライプニッツやデカルトを経由して「方程式」という代数的な方法へと点綴されることによって、ギリシャ時代の数学が持っていた図の制約から解き放たれ、と同時にそれは、普遍的な方法として「数学」の純度を高めていくことに寄与している。高校で数学を学んだものは、しかし、すっかり手順が固められた形跡を身につけるべく、「計算する方法」として覚え込み、その意味合いを腑に落とすことなく辿ってきたなあと、わが身を振り返って慨嘆している。微分積分になって、かえって「計算」が容易になったという感触さえ抱いたことが甦る。
 あるモノを取り去るという意味で「0から4を引く」ことをあのパスカルも「0になる」と考えていたことが、数直線を思い描き、原点ゼロを設定することで視覚化する。17世紀のことだとは驚きだ。そこで一挙にマイナス概念が登場する。するとすぐに、では掛け合わせるとプラスになる「虚数」はどう表現されるだろうかと話が進み、二次元の座標軸から三次元方向に90度起ち上げて「√-1」を記し、掛け合わせることによってさらに90度回転して「-1」になるという離れ業を森田は示してみせる。虚数だけではない。-1×-1=1というマイナス掛けるマイナスがプラスになることを視覚的に説明するにも次元を付け加えることが有効になる。これは、コペルニクス的転回だ。
 こうした記述の一つひとつに森田は、ヒトの思考の次元がどう変わってくるかを算入して考えている。そのひとつ、第二章「1、演繹の形成」は、スタンフォード大学の数学史家リヴィエル・ネッツの著書を紹介しながらギリシャ数学に踏み込み、演繹のメカニズムを繙いて行く。ネッツと共にギリシャ数学の原風景に迫る「演繹の代償」と題された部分は、論証過程を可視化して図にしている。そこが私には「わからない」部分となるが、結論的に引用したネッツの文章は、それとなくわかる。
《ギリシャ数学の論証の背景にある理想は、真っ直ぐで途切れることのない説得の行為だ。皮肉なことに、この理想は、数学的な議論があらゆる文脈から抽象されて実生活における説得から切り離された人工的な作業になり変わったとき、はじめてより完全な形で達成されるのだ》
 これを私は、経済学の展開をしている専門家に重ねて受け止めている。経済的関係を数学的に考えて解析することが陥る陥穽である。数学的論理の展開を経済学に当てはめて語る人たちが、しばしば抽象化することによって実生活における場面からすっかり離陸してしまって、ヒトの要素を見落としてしまうことだ。演繹的ということに対する私の警戒心、経験的ということに重きをおこうとする私の傾きは、基本的にこのネッツの文章に表されている。そういう読み方が森田の意図することと外れているということはわかるが、そういう参照点として、この著書を読み囓っているのだ。


手探りの感触がやっと見えたか

2022-01-28 09:54:23 | 日記

 昨日(1/27)、東京都が「自宅療養者の健康観察を縮小する」と発表した。この感染の広がっている時に「どうして?」と、普通なら思う。だが、オミクロン株の重症化しないという知見と「自宅療養者の健康観察」を保健所が手がけることができなくなっているという事情に対応するために、自ら健康観察を行って体調が悪くなれば相談窓口に知らせて「緊急対応」へ切り替えるというもの。要は手が回らない。それに、デルタ株の場合自宅療養者から死者が出たのとは違うと「状況」を見ていると思われる。
 目くじら立てるよりも、やっと未知のウィルスに対する「統治的視点」を抜け出して、状況対応する手がかりを探り始めたと見て、私は歓迎している。統治的視点というのは、法制度的に整備された枠組みに縛られて身動きができない統治組織の殻を、やっと抜け出そうと踏み切ったと思った。政府はいまだそうだが、コロナウィルスが法定伝染病という指定を受ければ、それに応じた取り扱いをするという法の枠組みを変えることができないできた。もう2年にもなるというのに、法整備の機会を躊躇い、融通無碍に対応することを躊躇してきた。
 何故そうしたのか。行政執行権者としての「権威」を護ろうとしたり、その手順をデジタルにすすめる行政の体制がないのに、その手順にこだわり、感染者の全国状況把握さえ把握できない事態に陥った。中央政府が立てる机上のプランニングとその執行をする地方政府の行政手順のギャップに気づかなかった。執行権者と実務担当者とその間を行き交うワクチンや接種時期に関する齟齬を調整できなかった。
 つまり、ウィルスの感染拡大に対する状況把握、それに対応する検査、陽性者の隔離や健康観察がどうおこなわれているかなどについての「現状」が把握できていないことなど、行政の手当がちぐはぐしていた。それは、なぜか。
 中央と地方が何をどう分け持っているのかという分業が(もっぱら中央政府に、それに依存する地方政府にも)自覚されていない。保健所業務が地方の首長によって決定される事柄であるにもかかわらず、中央政府がその決定に必要な「情報」を提供していないし、必要なモノや財源を提供しない。そんなに中央政府が自らの手柄にして取り仕切りたいのであれば、細々と指示をしてくださいという(地方から中央への)憤懣も、知事会の慇懃無礼な申し入れを見ていると感じる。積年の堆積した悪弊が露わになってきた。
 いうまでもなくその間に、オリンピックがあり、国際的な物資の滞りもあり、go-toキャンペーンという政治的動機も組み込まれて一層混迷を深めた。それは、これまで踏襲してきた統治のやり方や状況認知の方法やそれを社会的に共有する仕組みなどが、状況に対応するには劣化していることを示している。それらについて総括的な批判的見方が必要と、自らを振り返ることであった。
 新型コロナウィルス自体を、どう見立てるかも大きな「課題」であった。インフルエンザと同程度のモノだと見なすかどうか、あるいは法定伝染病として指定するにしても、程度に応じて融通無碍に仕組みを動かせるような組立にするという知恵が必要であった。つまり未知のウィルスと喧伝されていたにも拘わらず、旧来の仕組みで対応することしかできなかった。今回のコロナウィルス禍はそういう社会的カルチャーへの大自然からの頂門の一針であった。
 総じてウィルスへの対応について言うと、未知のウィルスに対応しているのだから、わがヒトの社会体制がどう向き合ったらいいかは、一つひとつ対応しながら、その知見を積み重ねて道を探るという(市井の庶民からすると)周知の経験主義的なやり方を採るしかない。それには、衛生医療体制に関して身につけている殻を破って、あらためて仕組みや運びを考えるくらいの覚悟を、為政者には持ってもらいたかった。「民度が高い」などと誇らしげに他の国をけなすなどは、見当違いも甚だしい。
 それがやっと、丸二年経って、これまでの法制度では取り仕切れないとわかった。それが、今回の「自宅療養者の健康観察」を本人に任せるという決定であった。つまり、「公助」ではどうにもならない。先ずはご自分で、自助でやってくださいという「公助頼りなき宣言」。それを発表すると知事の声も、力が無い。政府は未だに、「我が計画通りにコトは進んでいる」と言わんばかりの姿勢の高さを崩していないが、すでに「前倒し」というワクチン接種にしても、検査キットの配布にしても、モノが足りなくて口先だけのリップサービスになっている。うんざりするほどそうした事例を見せつけられてきた。
 だが心配めさるな。市井の民である私たちは、やっぱりそうだったかと冷静に受け止めている。2年を通じて、中央政府がこれほどに頼りないモノだったかと心底、肝に銘じた。自助、あるいは地域的な共助努力しか頼りにならないと、肝に銘じた。そういう意味で、行政の方も、最初から出直すように、一つひとつを経験主義的に積み上げて「状況対応」していこうとするようになったことを、喜びたいと思う。早く中央政府も、追いついてほしいものだ。そうでないと、もう社会保障と健康衛生の業務に、中央政府は要らない。全国知事会が中央政府に取って代われってことだって、言われ出すかもしれないよ(笑)。


制服組の苛立ちか編集者の物語か

2022-01-27 07:24:44 | 日記

 図書館で手に取った小説に珍しく「編集後記」が付いている。それを読むと「情報」は《「正しく処理されたかどうか」が重要》といい、ただの「情報」はインフォメーション、「正しく処理された情報」はインテリジェンス特別されると続ける。そして、
《近頃の日本人は荒んできた。民度が低くなってきた、とテレビなどで真剣に危機感を訴える人もでてきました》
 と記している。小説の「後記」としては、読み方を水路づけようとする意図が露わで、変な感じ。じゃあ本文はどうかと思って読んだ。門田泰明『存亡』(光文社、2006年)。
 陸上自衛隊の中央即応集団「打撃作戦小隊」、謂わばグリーンベレー。何処とも知れぬ外国からの、初め何を意図しているのかわからない散発的に、そちこちで始まる侵略の兆しに敏感に反応して、武力対応をする。その活劇のお話しであった。登場する「打撃作戦小隊」の若者たち、その報告を防衛大臣に揚げたときの、政治家や文民官僚たちの引け腰、及び腰の、見当違いな対応を滑稽に対象化し、現場の「小隊」の活躍を描く。若者たちの捨て身の熱意は描かれているが、為政者たちと市井の庶民と彼ら青年下士官たちのギャップの描き方が、すっかり別世界になっていて、漫画を読んでいるというか、ハリウッドの凄惨な活劇映画を見ているような気分であった。
 麻生幾の小説だったかに原子力発電所を北朝鮮ゲリラが襲うという想定の作品があったかと思うが、そちらはいかにもありそうなリアリティを湛えていたと思う。この「ありそうなリアリティ」の源泉は、たぶん表現の問題だと思うが、市井の庶民の日常と重なる感触が文面のベースに感じられるかどうかではないか。門田の作品は、そこに焦点を合わせていないから、登場する為政者や市井の民の胸中がどこかに行ってしまっているのだが、たぶんそれに気づいた「編集者」が「後記」を記して、リアリティの補充をしたのだと思う。だが、それって作家を編集者が利用してるっていうか、作家の褌で編集者が相撲を取ろうとしてる姿じゃないのか。
 編集者が、「後記」に記したような思いを持っているのであれば、門田の描くそちこちで起こる事態をインテリジェンスに高めていく(政治)過程を描けと作家を使嗾すればいい。それをしないで「後記」で埋め合わせようとするのはお門違いだ。
 現場の青年下士官は「職務専念」が、すなわち「命令」を受けて命懸けで事態に対応することと心得て、それがどのような扱いを受けているかに思いを及ぼさない。そうすることが、文民統制の本意とみているようにさえ思う。統制する側が、机上論に終始することは、どんな現場でもよくあること。昔、「兵士に聞け」という記録が出版されたことがあった。そこに記載された自衛隊員の言葉は、(その言葉の評価は別としても)誠実さに溢れていた。門田の小説から、もしそこだけを取り出せば、制服組の職務に対する誠実さが浮き彫りになるが、文官為政者に対する苛立ちは書き込まれていない。
 ここに現れているような編集者の「勘違い」とは、自分たちには見えているが、為政者や市井の民はみていないという(エリート性の)物語が底流していることだ。何故、自分たちにはインテリジェンスと見えていることが、ほかの人たちにはインフォメーションにしか見えないのか。そこを「平和惚け」と規定して誹っても、少しも解明したことにならない。それを探求することは、平和惚けの人たちの「情報処理」を分節化するだけでなく、自らの危機意識の「情報処理」の仕方をも描き出すことになる。それこそが、根柢から社会意識を組み立てていく民主的方法なのだと思う。