mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

平成を象徴するコンビニ人間

2019-03-30 12:36:06 | 日記
 
 小説を2冊読む。

 一冊は、桐野夏生『バラカ』(集英社、2016年)。既読感がつきまとう。刊行されてから3年程になるからTVドラマにでもなったのを見ただろうかと思いながら読んだ。これといった感懐をともなわない。読み終わって、ひょっとしてと思って、古い記録をみたら、2016年7月4日のこのブログで「まったく他人事としての物語」と題して、書評まで書いている。読んだ、もう一冊と関係するから、その全文を再掲する。
 
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 桐野夏生『バラカ』(集英社、2016年)を読む。
 2013年11月12日のこの欄で、桐野夏生『優しいおとな』(中央公論新社、2010年)を『ポリティコン(上)(下)』(文藝春秋、2011年)の続編に位置すると位置づけてとりあげている。
 
 《先天的に単独者として出生したのではないかと思われるほど、あらゆる関係において孤絶感を持つ主人公の少年が、人に対する「愛着」を抱懐するようになる過程を、極地の場面において展開している。現代における人間の「孤立感」が何に由来するかと問うよりも、まず気づいたときには「孤独」であったという設定は、自己意識の誕生を契機とするととらえれば、極地を想定するまでもなく、むしろ自然なのかもしれない。「自己意識」とは「孤独」の別称であるからだ。》
 
 この『バラカ』は、自己意識としての孤絶感というよりも生まれながらの孤独という設定であるから、言葉を換えていうと、神の眼から見た孤絶感がストーリー全体を流れる通奏低音になる。つまり当人の自己意識としてはそれほど強烈な「孤絶感」はなく、むしろ読む者が「孤絶感」の行き着く先に見える着地点を見晴るかすようなテーマになっている。
 だが何がその「孤絶感」を増幅する作用をしているかとなると、ずいぶんと陰謀史観的な組み立てをしている。折角、3・11以降の後を見据えて、21世紀の半ばまでを視野におさめながら、何処の誰ともつかない、目に見えない「なにか」によって、追い詰められていくという構成は、いくらなんでも世界を単純化しすぎてつまらない。「折角」というのは、放射能という「目に見えない」脅威にさらされていることを、誇大に、象徴的にしないとストーリー展開のモメントとしては力不足と思ったのだろうか。
 世界を見る目が単純だというだけではなく、一人ひとりの登場人物の描き方も、卑俗に類型化しているから、誰もかれもがつまらない人物に見えてしまう。読む者としては、途中で投げ出さずに読み続けるのに苦労した。つまり読む私への批判的な食い込みが、まったくと言ってないほど、他人事として物語が進行してしまっている。
 3年前にも読後感に、
 
 《どのような成育歴を持つにせよ、「自己意識」が生まれるまでの間に、体に刻まれた記憶がある。体に刻まれた記憶というのは、無意識へインプットされたことごとを指している。それが現実の具体的「かんけい」において作動し、「親密さ」を伴う「愛着」へと結びつく。実際に物語はそのように展開するのだが、体への記憶を描こうとしていないために、「社会学実験」のような想定を持ち出さなければならなかった、とは言えまいか。》
 
 と記した。「体への記憶」というのを、人物像を描くときのベースに組み込んでいないために、このような浅薄な描き方になるのではなかろうか。取り扱うテーマ、視野におさめようとする社会関係が壮大であるだけに、惜しい作品といわねばならない。この作家は、頭でっかちなのだろうか。
 
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 いやはや、人様を「頭でっかち」と呼ばわるなら、私は「頭朦朧だね」。いい勝負だ。ま、でも、こうして読んだことを記録しておいたから、こうした自己意識をもてるわけだ。さてこの自己意識について最後に記したこと、《体に刻まれた記憶》が2冊目に読んだ本にかかわってくる。
 
 村田紗耶香『コンビニ人間』(文藝春秋、2016年)。同年に芥川賞を受賞した作品。図書館に「予約」していたら、3年近く経って届いたというわけ。3年近く待たされたということは、結構評判が良かったのかな。芥川賞をもらった作品てどんなんだろうという関心と、でも、買って読むほど流行に毒されてはいないという自尊心とを持つ人たちが、私同様に多いということなのだろうか。
 面白かった。
 
 昭和の最後を飾ったバブルのころから「自己実現」が盛んに叫ばれ、平成になって「世界に一つの花」とか「人生いろいろ」と多様性がもてはやされるようになった。それが、一億総中流を象徴するように、結局人それぞれのセンスと才能と思索と努力の結果が人生に反映されるという考え方に転轍され、「わたし」って誰? 「じぶん」って何? と一人一人に自問自答を強いるようなったのが、平成時代の入口にあった。自分の好みに合った振舞いとか、「私」の特性を活かした職業と考えるために、自分の好みや特性も、元来あるものとして探る視線が強調された。「わたしって、○○なヒトだから……」という言い方が若者言葉としてもてはやされた。
 
 だがそんなことは、実体的にあるわけじゃないから、実態的にみてとるしかない。そこを、この「コンビニ人間」は見事に衝いている。しかも、「わたしって……」という自己規定を乗り越えて、ともに日々を過ごす人たちのいろいろな断片がわが身に溶け込んで、「今のわたし」になっているという自己意識をもつ。その自己意識に至る「不安」が上手に掬い取られ、それがきちんと「社会の歯車になっている」という意識に支えられて、「じぶん」を保っている。そこに、時代批評性もあり、身体にきざまれた記憶としての「心の習慣」が浮き彫りにされる。翻って、平凡な他人への批評の強烈な差別・排除性に謂い及んで、「コンビニ人間」の合理性を突き出す末尾は、まさに《体に刻まれた記憶(心の習慣)》の勝利宣言のように響く。
 
 だがもしこの作品の主人公のように自分を見つめるなら、このコンビニ人間は、時代によってつくられ、断片化されたかたちで存在を認められている、自己認識の「にんげん」の姿だ。つまり、今の時代、社会の自然である。だれがどうしようとしてそうなったわけではないが、世界規模の社会の動きが、そのような自然を作り出した。それはますます、この後も加速されようとしている。コンビニはすでに、社会インフラになったというコンビニ・ホールディング会社の自己規定が、じつは、ほんとうの勝利宣言なのではないかと感じられる。

花冷えのお花見

2019-03-29 19:06:46 | 日記
 
 今日(3/29)、見沼田んぼのお花見ウォーキングに行った。東浦和から通船堀を通って芝川を渡り、遊水地の南側を回って見沼田んぼの東べりにでる。川口の自然公園を経てしばらくして見沼用水の東縁を離れ、高台の畑地の花々を愛で、ふたたび東縁に出て、見沼田んぼを横切る有料道路を渡って西縁に降り、氷川女体神社のそばにあるかかし公園でお昼にする。その後、西縁を辿って東浦和まで戻ってくるコース。10時ころ家を出て、3時ころ帰着。25000歩ほどを歩いた。
 ひんやりと冷え込む。歩いているから寒いとは思わないが、手が冷たくなる。全コースに花をつけているサクラは、場所によって満開に近かったり、まだ三分咲きといったところもあり、あと3、4日は楽しめそうだ。そのあとも、東縁や西縁の、サクラの花筏が楽しめる。いい季節になった。そう言えば、明日、明後日と二日間、「見沼ウォーク30km」があると、コース表示があった。
 コブシ、ハクモクレン、シュモクレン、レンギョウ、ユキヤナギ、ハナモモ。アシビはむせ返るように花をつけている。曇り空がちょっと残念だが、風もなく、シジュウカラが飛び交い、オナガやキジが鳴く。ツグミが木の枝に上がり、モズが灌木で尾を振る。春が来たことを、樹々草草も鳥や虫たちも寿いでいる。見沼用水の水もゆるやかに流れて揺蕩う。
 仕事をリタイアした16年前には、フランスパンとワインをもってサクラの花見をした。今日は、ワインと炊き込みご飯におかずを加えたお弁当をもっていった。公園のベンチに座り、ワインを開け、酔いを醒ましながら歩いて帰った。花冷えがちょうどよい感じであった。

山歩きにいい季節

2019-03-28 10:52:54 | 日記
 
 山を歩いていて、暑くもなく寒くもなく、いい季節というものがあると思った。昨日(3/27)のこと。行程は7時間45分。標高差1116mを上り、1426mを下る。鷹ノ巣山1736mに東日原から登り、石尾根を下って奥多摩駅まで行くという行程。むかし雲取山に登ったとき、奥多摩駅まで下ったことがある。陽ざしを受け、東南に向かって広い尾根を下るのが快適であった思いが残る。でも後期高齢者としてはたぶんぎりぎりの行動時間。それもあって、「トレーニング山行」と名づけた。4人が参加。
 
 奥多摩駅を8時10分にバスが出る。その次は10時台だから、山へ入るにはこれしかない。それにはわが家の最寄り駅を6時前に乗る。それにアクセスする電車がない会員から、「後を追う」と言ってきた。でも待っている余裕が、こちらにない。「待ちません。気を付けて」と話して、4人でバスに乗った。驚いた。立っている人をふくめて、満員だ。それに若い人が多い。春休みだからと聞いて、納得。でも大半の方々は川乗橋で降りた。沢を詰めて川苔山に上り、青梅線のどこかの駅に降りるルート。何年か前に、山の会でもここを歩いたことがある。
 
 東日原で降りたのは十数人。明るい陽ざしが降り注ぐ。鷹巣谷から流れ下る川の向こうに500mほどの岩が屹立している。標高900mの稲村岩だ。その左にこれから登る鷹ノ巣山が陽ざしを受けて、大きな山体を広げている。雪がついている。姿のいい山だ。ウィンドブレーカーだけでなく、羽毛のベストも脱ぐ。ほんの三日前の日原の気温は、最高9度、最低マイナス9度。平地では雨になったからここらは雪になったに違いないと思い、軽アイゼンを用意している。用意のできたグループから出発する。8時45分。
 
 5分ほど道路を歩いて、川へ降りる。後からくるまだ学生のような若い二人組みに道を譲る。彼らは鷹ノ巣山から浅間尾根を下るという。急傾斜の下りだ。先頭を歩くkwrさんのペースが着実。「ネコノメソウだ」と声が上がる。そうか、春の花の季節なんだと思う。ハシリドコロがこげ茶色の花を大きな葉の裏に隠れるように咲かせている。「あっこれ、ヒトリシズカよ」とまだ小さな蕾だけが何本か土から顔を出しているのを見て、kwmさんが指さす。岩がおおくなり、沢水が伏流してしまっている。大岩をぐるりと巻いて登り、尾根の北斜面を稲村岩に向かってトラバース気味に近づいてゆく。上の方から女の人の話し声が聞こえる。先行したグループだろう。
 
 稲村岩は「危険、死亡事故が起きています」と表示があって、上らないように呼び掛けている。ほんの20mほどの高さの盛り上がりだが、むろん踏み外すと何百メートルか落ちてしまう。鷹ノ巣山へのルートは陽ざしが当たり、春の雰囲気だ。馬酔木が青々とした緑の葉を背に一杯の白い花をつけている。東斜面に杉の木が残り、ブナの木が目立ち始める。標高も1200mを超えた。この辺りで、先行グループ5人が休んでいる。女のかたは一人。この人たちも奥多摩駅に下る予定のようだ。先頭のリーダーらしき40歳代の人が、「何時ころに(駅に)着く予定?」と尋ねる。「四時ころ」と応えると「いいですね、その時間」と応じる。ガイドだろうか。
 
 1400mほどの地点で、上から降りてくる単独行の人とすれ違った。70歳ほどか。山頂を往復してきたという。「早いですね」というと「朝早く出たから」と応え、「1600mを過ぎると雪があります。気を付けて」という話しぶりに、わが里山という響きがこもっていた。たしかに、上へあがるにつれ、ちらほらと雪が見えてくる。yさんはわざわざ雪の上を歩いて、感触を楽しんでいる。1562mにヒルメシクイノタワという地点がある。上り一方の尾根がここでひと段落するように、平らになる。「たわんでいるのね」とyさんがいう。だが上にすすむと、雪が多くなる。踏み跡のあるところは、凍りついていて、滑りやすい。kwmさんは雪のついていない枯れ草の急斜面を踏むように登っている。すっかり雪ばかりになったところで、「アイゼンをつけるわ」とkwrさんはしゃがみ込む。銘々がそれぞれ身体を安定させた位置にたどり着いて、アイゼンをザックから出す。「アイゼンだと、やっぱり違うね」とkwrさんは軽快に歩く。先頭はkwmさん。yさんが後に続き、kwrさんに私がつづいて上る。あと15分くらいかなと言っていたが、山頂まで30分かかった。12時10分着。コースタイムより20分余計にかかっているが、雪があったのだから、まずまずの歩き方だ。
 
 山頂には、登山口で私たちを追い越していった若者二人組がいて、言葉を交わす。陽ざしを受け、眺望が良いので長居したようだ。私たちのカメラのシャッターを押してくれる。私たちがお昼にしようと座ったころに、「あっ、Sさんだ!」と声が上がる。後から追いかけると言っていたSさんがもう一人の方と一緒に登ってくる。やはり軽アイゼンをつけている。私たちより30分くらい遅く出発したはずなのに、なんと早い。「もう(山歩きは、一緒に行きたいなんて言わずに)一人立ちした方がいいよ」と話す。彼らもお昼にするという。35分も、山頂で時間をとってしまった。若い二人組は浅間尾根を下ると言って、西の方へ向かった。私たちは、ところどころ雪を残した草原のような東につづく広い稜線を下る。当然、アイゼンはとる。Sさんたちには「どうぞお構いなく、先へ行ってください」と伝える。彼女たちはさかさかと降っていった。
 
 広い稜線、緩やかな下り。だが、雪が解けたばかりなのか踏み跡はぬかるんでいる。脇の草地を踏み歩くが、こちらは凸凹して歩きにくい。ひとたび下ったのちに上がる向こうの斜面を歩く、Sさんたちの姿見える。kwrさんが負けじと速度を上げるのではないかと私は心配したが、彼はいいペースを保って好調である。どこを何時に通過するとコースタイムを記したメモをときどき開いて、通過タイムを書き込んでいる。後れを取り返すとか考えていなければいいが、と思う。コースタイムは、自分の力がどの程度を保っているかをチェックするときに参照するのが良い。コースタイムで歩くようにするとなると、どこかに無理が生じ、それが後々、響いてくる。長い時間歩けなくなったり、脚が攣ったり、腰やひざを痛めて歩けなくなる。
 
 道が深く掘れているところで一度、草付きの斜面を通過して、踏み跡を見失った。GPSでチェックすると左の方へ逸れている。右をみると、下の方に広い道がある。ああ、あれだあれだと、kwrさんは急な斜面の枯れ草と倒木を踏んで、降っていく。先日も、菜畑山でそういう歩きをやった。面白いことは面白いが、それをやっていると、一般道の踏み跡がどういうものであったかに頓着しなくなる。これは、道に迷う第一歩みたいなことだから、実はあまり感心しない。クセにならないように、と思う。
 
 サンシュユやコブシ、アブラチャンじゃないかなどと、女性陣は花の見立てをしている。歩く割に標高が縮まらない。「香りがする」というので振り向くと、梅林がある。囲いをつくって動物が入り込まないようにしているのだろう。ワサビ田がある。人里が近い気配だ。やはり最終段階で、大きい下りが待ち受けている。急斜面というよりは、階段。林道に降りてからも、下の方に氷川の街並みが見える。そう言えば昔は、奥多摩駅などと言わず、氷川駅といった。サクラが花開いている。
 
 奥多摩湖へ向かう青梅街道と日原街道が交差する三差路の手前に降り立った。kwrさんは膝がおかしくなって、歩きにくそうだ。でも橋を渡れば、すぐに駅。そう思って自分を励ましているように見える。16時45分着。出発してちょうど8時間。お昼に35分取ったから、行動時間は7時間25分。全体をみると、20分、コースタイムより早く歩いている。上々、上々。後期高齢者の山歩きとしては、遜色ない。なにより、8時間の行動時間をもてるというのは、夏に予定されている北アルプスや白山の山行には、十分な体力。いましばらくこれをつづけて、歩き続けよう。いい季節になった。

あいだみつおか、ノー天気天声人語

2019-03-26 08:29:32 | 日記
 
 今日(3/26)の天声人語は、お粗末。英語とロシア語の翻訳をする人工知能が「精神は尊い」を、「ウォッカはおいしい」と訳したことを糸口に、大阪市内地下鉄の自動翻訳の可笑しな間違いを取り上げる。そして「このニュース、どこかほっとする……。(人工知能が)いずれ人間の仕事を奪っていくのでは、ともささやかれる。おっちょこちょいの翻訳ソフトの頭をなでたくなる」ともっていく。
 
 なんだこれは。AIのできの悪さを揶揄っているだけじゃないか。下手(したて)に出て、非難が返って来るのをあらかじめ封じておいて、そこに居直って(己の)優位性をしっかり確保している。世間話だって、もう少しユーモアを加えないと、IT初期・昭和時代のひと口話になる。まるで「遅れたっていいじゃないか、人間だもの」というあいだみつおをいう署名の入った色紙みたい。なんだこれは? ってもんだ。
 
 なんだかホッとしている場合じゃないよ。ホッとするのは、AIと力比べをしていると思っているから、出てくる思い。そんなにフラットにAIと競っているわけじゃないと、近ごろのAI研究は、人間の適応・劣化を話題に載せているではないか。これじゃ、天声人語は天性人語ってもんだ。天然の次元で世の中を眺めている、私ら呆け老人の回顧語録になってしまう。

手違いで、手がけたファイルを消去してしまった

2019-03-25 13:18:08 | 日記
 
 このところ、「5月総会の議案書」の制作にかかりきりだ。「第二稿」の校正が届けられて、土曜日の午前中に少し手直しした。午後から昭和大学でのseminarがあり、用意をして出かける。A4判のプリント25ページ分。戦中生まれ戦後育ちの後期高齢者の方々と、自分たちの過ごしてきた人生と重ねて、46歳から76歳までの時期。子育てがひと段落して後の、現場仕事でいうならば、責任を背負って一番活動していた時代が半分、リタイア後の60歳代から現在までの16年を「平成時代」として括れる。それをどう、わが身に引き寄せて特徴づけるかというテーマである。
 
 敗戦後の貧困と混沌の時代から、高度消費社会と一億総中流と言われた時代、その後の「失われた○十年」という変遷を、エピソード的にたどる。私の関心は、ヒトがどう変わったかに焦点を当てるところにある。だが聞いている方の関心は(たぶん)少しずれている。皆さん、それぞれの感懐に半ば浸りながら、私の話を聞いてくれた。
 
 その後の会食で、7月seminarの講師も決まった。5月の講師も、1月のseminar後の会食で話しかけて名乗りが上がった。今回も似たような展開。seminarのコーディネーターを務める私としては、上々の出来だ。もし講師がいなければ、私が何かテーマを設えればいいことだが、如何に何でも私が何度も講師を続けては聞く方も辟易すると思うから、できるだけ別の方が挟まってくれる方が良い。そう思って、これぞという方に密かに声をかける。年寄りのおしゃべりの会という風情だから、肩がこるような話を期待しているわけではないだろうが、何しろ私が仕切るから、気が張るのかもしれない。それはそれで、年寄りにはいいことだと勝手に決めている。
 
 日曜日の朝、「議案書・第二稿」の校正がポストに投げ込まれていた。仕事から帰って深夜に取り組み、朝方やっと仕上げて投函したのであろう。その方は、今日も仕事に行くという。現役は、ほんとうにご苦労様なのだ。午前中、「第二稿」の校正をする。私のUSBを持ち込み、管理事務所のパソコンを使って手直し。ひとまず仕上げて、午後の読み合せのために、必要部数プリントアウトする。やれやれ、これで用意が出来た。ひと先ずうちへ帰る。だがその前に、USBのファイルを管理事務所のパソコンに入れておけばいいと考えた。3日前にも一度ファイルを保存しておいた。それを上書きすればいい。そう思って、ファイルを移そうとした。ところが、ひと頁ずつ「置き換えますか」と聞いてくる。何だ面倒だな、それなら、既存ファイルを全部消去して、新たに移し込めばいいと考えた。ところが、「消去」したのはつい先ほど手直しをしたUSBのファイルの方であった。わが家のパソコンならこんなミスはしないのだが、ワードという、私にとっては初めてのソフトを使っている。おやおやといううちに、画面の指定するファイルボックスが違っていたのだね。午前中の仕事が全部ぱあになって、がっかりだ。
 
 それでも、プリントアウトしたもので午後2時間、総務理事や副理事長と「最終校正」を行った。3日前に保存しておいたファイルを呼び出すことはできたから、最初からつくり直す必要はなくて、まあ、被害は最小限にとどめたというところか。でも、あんまりがっかりしたものだから、パソコンに手を付ける気にもならず、図書館へ本の返却に行き、届いている「予約本」を受け取ってくる。書架を観ているうちに小説が読みたくなり、さらに3冊追加して借りてくる。
 
 大相撲をみて、大関の座をとるもの、降りるものの気迫の違いが如実に表れている一戦をみる。横綱同士の戦いも、見ごたえがあった。こうした「大勝負」をしたことがなかったなあ私は、と感慨深い内心の響きを感じた。いつもほどよいところで勝ち負けを避けてきたのか。負け犬の遠吠えとニーチェに悪口を言われるかもしれないが、いつもわが身の輪郭ばかりを追いかけて、井の中の蛙であったのかもしれないとは、思う。それが私の自然であり、身のほどの生き方であったと、まるで遺言のようなことを考えている自分に驚く。
 
 夕食に、焼酎のお湯割りを飲み、やっと気分を取り直して「再校正」の手直しに取りかかる。メールでやりとりできるから、ほんとうにスムーズにコトが運ぶ。今年の理事たちがほぼメールを使えるので、どれほど助かったことか。そんなことを考えながら、ファイルの復元を成し遂げた。もう2、3日寝かせて、「最終稿」のプリントアウトに取りかかる。
 
 さて今日は、本を読んで過ごせそうだ。