mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

雨の中の槍ヶ岳

2019-08-23 19:51:42 | 日記
 
 先ほど、5日ぶりに山から帰ってきた。いわゆる表銀座コースをたどって槍ヶ岳を目指素コース。帰るなり「どうして天気のいい日に行かないのよ」とカミサンにいわれた。ひと月も前に山小屋は予約した。台風が来るというのでハラハラしながら見ていたが、四国に上陸して大きく北に回り込んでくれたから、行く前々日まで「槍ヶ岳のてんきとくらす」は、初日を除いて「A」が3日続いていた。徳澤から帰宅する日に天気が崩れるが、ま、雨の小梨平もいいかもしれないと思っていた。ところが、出発当日に「てんきとくらす」をみると、全日「C」になっている。「登山不適」の表示だ。そして予報通り、毎日雨と霧と強風の中を歩いて槍ヶ岳の穂先にも到達し、先ほど帰宅したというわけ。
 
 明後日にはまた、「ささらほうさら」で出かけなければならない。今回の「合宿」では私のレポートも入るから、その準備を明日仕上げる必要もある。そういうわけで、槍ヶ岳の山行記録は、27日以降に詳しくは書き綴ることになる。
 
 じつは、私の山の会の参加した喜寿の一人が、中高一貫校の中学生の時に先輩の高校山岳部員に引率されて、このルートを歩いたことがあったそうだ。でもご本人は、このルートがどんなものであったか、ほとんど記憶にとどめていない。そこを62年後にもう一度歩いて、(たぶん)自分の出発点を振り返ってみたいと思ったのであろう。山の会の山行として起案し、実施の運びになった。
 
 中房温泉から日本三大急登と謂われる合戦尾根を上って入山する。燕山荘で第一泊。

 二日目、槍ヶ岳を眺めながら大天井への稜線を歩く。切通岩のところから大天井岳の中腹をトラバースして大天井ヒュッテを通り、喜作新道を歩いて西岳ヒュッテに二泊目。日没の直前、それまでかかっていた雲が取れ、槍ヶ岳から南岳、大キレット、北穂から奥穂、前穂、涸沢カールの全景が見事に姿を現した。

 三日目、西岳から水俣乗越への大下りを下り、いよいよ東鎌尾根に入る。これは槍ヶ岳そのものへ登っていると言えるほど、岩の山歩きになる。そうして、槍ヶ岳山荘に三泊目。しかしこの三日目の風雨が一番激しかった。風速15mの中、東鎌尾根の細い稜線を通過するときには、飛ばされないように姿勢を低くし、岩にしがみついているということもあった。疲労困憊の様子であった。槍の穂先に登るのは、とりあえず断念。

 四日目朝飯前、霧の中を槍の穂先に挑戦。ついに山頂に到達したが、周りは見渡せず。下から若い学生グループが登ってくる。山頂にある祠を囲んで記念撮影だけして、下山にかかる。山頂への往復ほぼ一時間で山荘に戻り、朝食を摂り、大満足の面持ちで下山開始。若い人が次々と追い越して下る中、喜寿の登頂者を先頭に、景観と花を愛でながら、ほぼコースタイムで歩き下って、徳澤園で第四泊目。登頂の成功が、風雨につきまとわれたコンディションを帳消しにして、疲れを心地よい身体感覚へと変えていったようだ。

 第五日目、「上高地に大雨注意報」という報道があった中、徳澤園をゆっくり出発。上高地のまでのコースタイム2時間の行程を1時間40分で歩く。小雨もその途次に上がり、陽ざしさえ指していた。河童橋から振り返ると、穂高岳と呼ばれる明神岳の西側稜線の向こうに前穂高岳のピークが顔をのぞかせ、一瞬奥穂高岳の山頂もみえたようであった。
 
  上高地から新島々までバスに乗り、松本電気鉄道で松本駅へ出て、全席指定になった「あずさ」に乗って帰ってきた。電車のなかでは熟睡していた。こうして東浦和駅に降り立つと、何と、雨。傘をさして家までを歩きながら、(今回の表銀座山行は、雨の中の槍ヶ岳であったなあ)と、起承転結が決まったと思った。
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一つの画期

2019-08-19 05:56:06 | 日記
 
 いまから山へ出かける。山の会の人たちと一緒に、表銀座縦走の槍ヶ岳、4泊5日。ずいぶん余裕の日程を組んだ。何しろ後期高齢者二人と60歳代二人だ。十数人いる山の会の人たちも、着いてくることができなくなった。順調に年をとっているからだが、寄る年波には勝てないと思い込む「壁」が立ちはだかっているように思う。むろんそれはそれで、悪いことではない。身体の調子と心のレベルが見合っていると、事故は少ない。自己判断して参加するのを原則としているから、ほかの方々を頼りにしないのが、いいありようだと私は考えている。
 
 私は、こうした山の一つひとつ、ことに夏に歩く4、5日の山行を毎年、一つの画期と受け止めている。これでへばるようであったら、行き先を考え直さなくてはならないと思案している。今年はそれが、槍ヶ岳になったわけだ。
 
 さて、どうなることか。半分自分をのぞき込みながら、ちょっと心弾んでいる。ではでは。
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目に見えない自然とわたし

2019-08-18 15:08:24 | 日記
 
 デイビッド・モンゴメリー&アン・ビクシー『土と内臓――微生物がつくる世界』(片岡夏美訳、築地書館、2016年)を読んで、この本はタイトルで失敗していると思った。「土と内臓」では、まるで専門家に読ませるための本のようだ。この本の原題は「The Hidden Half of Nature」、直訳すると「隠された自然の半面」である。だが読み終わって私が抱いた感触は「目に見えない自然の不思議とわたし」。
 
 二人の著者は、地質学者と生物学者の夫婦。この二人が暮らしの中でぶつかる大地と食と病の不思議と向き合って、目に見えない微生物が世界をつくりあげている様子を、土壌改良から身体が健康を保つメカニズムに至るまで、浩瀚な資料に目を通して子細に記している。その領野は、地質学、土壌学、農芸化学、細菌学、遺伝学、分類学、進化学、自然循環、細胞学、免疫学、栄養学、衛生学、伝染病理学とその歩み、人体のメカニズムと微生物の働きと、ほぼ生命科学の全分野に及ぶ。まるで素人の私などにとっては、これまで「自然」と考えていたことのミクロの不思議に出逢う旅のようであった。
 
 人体が、あらゆる自然の総集のようにかたちづくられているということが、単なる比喩ではなく、文字通り微生物の出入りや活動をふくめて、実存の現在であると了解できる驚きであった。それを保障しているのが、本書の文体である。著者らは、有機物を入れて土を改良し、庭をつくり、野菜を育てる、自分たちの現実の暮らしの「不思議」と向き合う。つまりなぜ、有機物が分解されて豊饒な土壌ができるのか、解き明かしていく。その途次で生物学者の奥方が癌にかかる。その治癒過程で食べ物について注意を受け、なぜそれが必要であり有効に作用するのか、その不思議を解き明かすために科学雑誌の研究論文を読み、細菌に対する取り組みの歴史を振り返る。その過程をたどるように、目に見えない微生物の世界に踏み込み、そのメカニズムに触れ、大地と人体の成り立ちを解き明かして、微生物の不思議が、みちみちていることに迫る。そうして、生命体と大地とが微生物を介して見事に連関した生態系をなしていることへ到達する。それは、読む「わたし」の不思議に出逢うことでもあった。
 
 単に、科学的な記述だとメカニズムをふむふむと読み取ることにおわる。ところが、二人の著者の現実の暮らしに沿って不思議を解き明かしていくから、科学的な研究が世に受け容れられる社会の仕組みや、研究者の権威主義的な世界や、利害損得を絡めた「偏見」にも出逢う。
 
 単に科学者の判断が、経験的に明快なことではなく、メカニズムを説明できるかどうかにかかっている問題に、しばしばぶつかる。化学肥料に依存していたアメリカで、ミズーリ大学の農学者ウィリアム・アルブレヒトが土壌肥沃の研究の結果、化学肥料によって土壌に関係する栄養不足がヒトの健康問題を数多くひきおこしていると(有機廃棄物を土に戻すことを)提起した1940年代、同業の専門家やアグリビジネスの関係者は、土壌学の領域を逸脱した研究としてそれを非難し、攻撃した。アルブレヒトが(現在の細菌学のように)、有機廃棄物が土壌を豊かにするメカニズムを説明できなかったからだそうだ。
 
 研究者同士の意地とプライドが研究の流れを分けてしまうことも、パスツールとコッホの研究の進展とその分岐に触れて記されている。
 
 ときには、科学的かどうかでなく、社会的な権威とぶつかって、受け容れられない事態が起こって来たことが、たとえば哲学者が「センメルワイス反射」と呼ぶようになった出来事と知る。「センメルワイス反射」というのは、新しい知識への手の付けられない拒絶を指す。ハンガリーの医師センメルワイス・イグナーツが産褥熱を調べていて、医師研修棟と助産師訓練病棟の死亡率が違うことに着目し、手洗いを励行することが産褥熱を広げない対処法だと提唱したことにはじまる。それは確かに産褥熱を抑制することに効果を発揮したのだが、医師会は激怒して、手洗いの実行を拒絶した。助産師より医師が低劣と見なされると反発したのだそうだ。センメルワイスは重度のうつ病をわずらい精神病院で生涯を閉じた。その事例が世に広まり、哲学者がそう名付けたそうだが、なるほどありうることだと私ら庶民は、頑迷な権威主義者たちの「ギルド」を想いうかべて納得する。
 
 何より新鮮だったのは、微生物と私たちの身体の端境が見極められないほど、密接に絡み合って実存しているという事実であった。
 
《大腸の横断面をよく見ると、細菌の細胞が自分自身の細胞と肩を並べていて、どこで一方が終わってもう一方がはじまるのかはっきりしないことがわかる。有益細菌がおそらく自分の大腸陰窩にしまい込まれていることを、少し考えてみたい》
 
 という記述がある。つまり、微生物が体内に繁殖し働いていることによって、人の健康も保たれている。その境目が、これが細菌でこれが「わたし」と分別できないところにある。つまりこうして、「種」の弁別も、たいして意味をなさず、全体を大きな宇宙ととらえる動的メカニズムの理解が必要になる。この自然観が、わくわくするほど、面白いと感じる。
 
 有機栽培がエコだからいいというとき、エコって何よと私は思う。地球にやさしいとか、環境にいいとかいうことが、微生物の働きを見極めていくと、エコってまさに「わたし」のことと分かる。微生物が繁茂することによって「わたし」は健康になり、大地もまた、豊穣の母となってすべての生命体を育む。そうした生態系の健康のことを気遣いながら、「わたし」の全体と原点とを考えるのは、いくつになっても楽しいことである。
 
 一人の人の身体に宿る微生物の数は、銀河系の星の数ほどあるそうだ。地球上の微生物を寄せ集めて一列に並べると、一億光年向こうの星にまで到達するという。ミクロとマクロが一緒になって、ともに「わたし」の不思議となる時間を感じることができた。書名で失敗しているというのは、本書が広く読まれないことを惜しむからだ。
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霧ヶ峰の天気

2019-08-17 21:42:58 | 日記
 
 一昨日から霧ヶ峰に行ってきた。台風が来ていることもあってか、15日は強い風が吹き、深い霧に山は閉ざされていた。大人二家族4人、子ども3人。いとこ同士。だが「子ども」という小学生は、もう一人になった。あとは中学生と高校生が一人ずつ。舞台回しは、無邪気な小学生だけ。中学生と高校生は、親や爺婆に付き合っているだけ。
 
 その、子どもと大人の「かんけい」を表すように、霧が巻き、雨が降る。一日目、午後3時前に宿に着いた。台風に恐れをなしてか、訪れている人は少ない。一部屋を子ども部屋にしてもいいからと言ってくれる。だが子どもたちは、親と離れようとはしない。離れようとはしないが、大人の干渉はイヤだと振る舞いで示す。気持ちはすっかり別次元の世界に行っている。
 
 大きくなった。高校生はもう、父親の背丈を越えている。ことばの遣い方も、じっと考えて口にする。「どういっていいかわからない」という応え方が、深い思索を明かすようだが、それほど深く考えているわけではなさそうだ。ただ率直に、自分の感懐を表明しているにすぎないと、後で思う。私たちの子どものころに比べて、表現のパターンが行きわたっているようだ。子ども同士でつるんで、ゲームに夢中になったりしている。
 
 二日目は、朝から猛烈な雨であった。ピンポイントの天気予報では、当初9時以降は曇りとあったが、近づくにつれて降水確率は90%、80%と表示され、要するに雨がやまぬと受け止めた。それでもお昼頃には霧だけになり、雨は上がった。車山の肩から木道を歩き始めて、草花に言葉を交わし、鳥をみては双眼鏡を回して、のぞいた。何度も歩いたルートということもあって、ここでだれが何をしたと、子どもたちが話題にし、空間に記憶が張り付いていることを示す。この日は、15000歩ほどを歩いた。
 
 三日目は、年寄りだけで早朝の散策に出た。霧が深く、車山は見えない。平地なら、霧が深い朝は晴れるというのだが、果たしてこの、霧ヶ峰で同じことが言えるのかどうか、わからない。静かな朝の散策は、しかし、八島湿原の落ち着いた雰囲気を味わう機会になった。何組かの同好の人たちとも、すれ違いに挨拶を交わした。夏の花と秋の花が一緒に花開いている様子は、深い霧の下に広がる池と草原を背景にして、特別にあつらえた舞台のようにみえた。
 
 朝食を済ませて、鷲ヶ峰に登る。子どもたちの足は速い。40分で山頂まで上ってしまった。親はついていって子どもらの面倒を視野に入れているが、爺婆は後からゆっくりと追いついていく。カミサンは、「今年もここまで来ましたね」と山頂で感慨深げであった。子どもらは要所で、爺婆を待ち受けていて、一緒に登っているという気配は崩さない。霧は上がり、陽ざしが強く指すようになった。山の上から八島湿原が一望できる。三日間を通して、最高気温は19度、最低気温は17度。風と雨さえなければ、過ごしやすい気温であった。
 
 その後、12時過ぎまで八島湿原を見て回り、宿を後にした。麓の蕎麦屋でお昼を共にして、そのあと、息子一家と分かれた。それぞれ夕方には家に帰着したとわかった。お盆の流れの土曜日としては、意外にスムーズであったようだ。
 
 帰宅してみると、サウナに入るようであった。わずか千数百メートルの高地に行くだけで、こんなに涼しいなんて、まるで別天地だねと思っている。
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何が面白いのか、不思議

2019-08-15 07:59:03 | 日記
 
 一昨日から息子一家が来て、にぎやか。応接するカミサンはたいへんだが、私はそばを打つくらいしかできないから、くたびれるわけではない。

 昨日は、娘の案内で、どこかへ遊びに行くという。前もって私も案内を受けたが、この暑いのに出歩くのはねえと、カミサンに最初は断った。「でもねえ、孫を連れてくるから行かないと会えないわよ」と諭されて、どんなところで遊ぶのだろうと好奇心を掻き立てて、足を運んだ。総勢9人。
 
 場所はお台場。鉄道を一回乗り換えてアプローチできる。そう言えば7年前、こちらにキャンパスを移した大学へ週1の仕事で一年間通ったことがあったが、どこで降りてどう歩いたか、ほぼ忘れている。人工都市お台場の超近代的景観だけが、相変わらず印象に残っていたが。
 
 お盆というのに(なのか、お盆だからなのか)、人が多いのに驚いた。
 「どこにいるの?」とスマホに電話が入る。目の前に見える建物の壁面に掲げられた英文字を告げると、「ああ、じゃあすぐ近くにいるわ」と娘の声。20メートルほど先にいた。何だ婿さんも一緒だったのかと思ったが、違った。15歳の孫次男の背が伸びて父親を追い越すほどになっていた。12歳の孫娘は、母親のそばを離れない。でもすぐに、息子の方の中学生男孫と小学生女孫と一緒になって、何やら笑いながら話しはじめる。彼らは正月以来のご対面らしい。話というのは、芦屋に住む娘孫が名古屋に住む息子孫に方言のイントネーションを訊ねて、やりとりしている。芦屋の孫は関西弁、名古屋の孫は両親がともに関東の出身なので、標準語。関西弁からすると、標準語がキラキラして響くらしい。私は傍らを歩きながら、香川県から岡山県へ移り住んだときに嗤われた方言のことを思い出し、また、大学に入って東京へ出てきたときの関西方言を嗤われたことを想い出していた。

 名古屋弁で「おみゃあが……っていうでしょうが」と口を挟むと、名古屋の孫が「そうそう猫みたいに……。遣うのは、じじばばだけね、そういうのって」と笑い飛ばす。
 
 行ったのは「デジタル・アート」と銘打った「チームラボボーダレス」と「うんこミュージアム」のふたつ。こんなイベント会場があることすら知らなかった。もっとも7年前にはなかったのかもしれない。
 
 前者は、3,4階建ての、巨大な四角い箱。建物は隣の、やはり巨大なビルとつながっているようだが、全体の構造はわからない。入場券は娘のスマホに入っているという。入場すると荷物を預ける場所があり、カメラとお茶のボトル以外のリュックなどを放り込んで鍵をかける。いくつかの「注意書き」を読ませて、入場となるが、あとは全部真っ暗。壁に動き回るデザイン映像が投射され、その林の中を通路に沿ってすすむ。どこへ行くかどう進むかは全く自由。というが、全体の構図がわからないから、娘について歩くだけ。壁の画像に手で触れると、飛んできた蝶々がパッと落ちたり、飛び去ったりする。静止していたススキの画像が、急に萎れたり、伸びたりする。中国風にアレンジした鳥獣戯画にカメラを向けると、モノクロ画像が色彩を帯びて歩き去る。
 
 面白いと思ったのは二つ。一つは絵を描いて画像スキャンしてもらうと、自分の書いたカエルやサンショウウオや蛇の画像が、手足を動かし、ぴょんと跳ね飛んだりして、足元を動き回る。踏みつけると二つに分かれ、一匹が二匹になったり、パッと消えたりする。中央の柱に沿って落ちてくる水のような画像に手で触れると、そこが押しとどめられて水が分かたれたり、斜面に沿って流れ下った水が低いところに溜まっているように見える。子どもたち ばかりか大人も、近寄ってくるいろいろな色付けをされた画像に関わって飛び跳ねている。
 
 もう一つは、The tea house だったか、暗い茶房。いくつかのお茶券を買って入る。暗いテーブルに座って待っていると、注文のお茶を持ってきてくれる。と、そこへ上から一筋の光が入り込む。観ているとお茶の表面に花が咲き始める。器をずらすと、お茶の表面に咲いた花がテーブルに残り、サラサラと花びらが散っていく。気づくと、移した器のお茶の表面にまた、別の花が咲こうとしている。お茶をおいてみているとそのまま花が形を変えて重ねて咲く。でも器をずらしてテーブルに残されると、花はすぐに散り始める。それがテーブル一面に広がり、なるほどアートと言っていいような雰囲気を醸し出す。
 
 わからなかったのは、大人気という「ランプの森」。行列をつくり、人数制限をして、入場する。ランプの色が変わり、周りは全て鏡張り。鏡は外からは素通しだが中からは鏡という、あのドラマの取調室に出てくるような仕掛け。天井から吊り上がったランプの合間を縫って歩くだけ。5分ほどのあいだ、その部屋に身をおく体験。何が面白くて、こんなに行列ができるのか、ついにわからなかった。
 
 へえ、と思ったのは、この「チームラボ・ボーダレス」の説明文が、まず英語、次いで日本語、そのあとに中国語と韓国語と並んでいたこと。そうか、お台場はもうすでに国際都市になっているのだと思った。
 
 ふと気づくと、もう四時間以上も経っている。ひとはいっぱい。疲れた大人たちが通路の隅に座っていると、係員がやってきて「お休みどころで休憩してください」と告げて回っている。子どもらも、草臥れてくる。その「お休みどころ」が「The tea house」だったわけだ。外へ出る。もう4時間を超える。と、15歳孫が「あれっ、ちょうど終わったところだ」と声を上げる。20メートルはあろうかという巨大なガンダムの金属製の像が「変身」を遂げ終わっているというのだ。ふ~ん、こんな像がここにあったのか。次は2時間後。それまでにお昼を食べて「うんこミュージアム」を見てこようと娘のプランは途切れなく立てられている。
 
 「うんこミュージアム」は、どうしてこんなエンタメが人気になるのか、わからない。まあ、子どもに受けるというのは、わからないでもない。だが、大の大人が大声で「うんこ~」と叫び声をあげるのをみていると、よほど日常に鬱屈が溜まっているのかと思ってしまう。入場料金も数千円支払って、高校の文化祭の下手な催し物を見て回る感じ。それが、人でいっぱい。予約し、列をつくって順番待ちをして、大声で協賛する。
 
 近未来どころか、私などが間違いなく、近過去に取り残されていると感じる体験だった。でも取り残されているから、悔しいというような思いは、まったく湧いてこない。何が面白いのか、不思議という体験だった。
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